第百六十六話 再会と天の御使い
夜の帳が下りた蜀軍本陣は静かだった。
無論、完全な静寂ではない。
見張りの兵が巡回し、遠くでは焚火の音が聞こえる。
だが昼間の喧騒に比べれば別世界だった。
そんな中、一つの天幕だけはまだ明かりが灯っていた。
蜀軍中枢。
軍議用の大天幕である。
中では劉備達が今後の作戦について話し合っていた。
桃色の髪を揺らす劉備。
凛とした関羽。
元気な張飛。
諸葛亮。
龐統。
そして北郷一刀。
蜀の中核が揃っている。
軍議は終盤に差し掛かっていた。
「今日はここまでにしましょう」
朱里の言葉に皆が頷く。
その時だった。
北郷一刀がふと顔を上げた。
「……誰かいる」
空気が変わる。
愛紗が即座に青龍偃月刀へ手を伸ばした。
「何者だ!」
鈴々も立ち上がる。
朱里も緊張した表情になる。
だが。
次の瞬間だった。
天幕の外から聞き覚えのある声がした。
「相変わらず警戒心強いな」
その声に。
劉備の目が大きく見開かれる。
愛紗も固まった。
鈴々も。
朱里も。
「……え?」
聞き間違えるはずがない。
忘れるはずがない。
そして天幕の入口が開く。
そこにいたのは。
黒髪の青年だった。
その隣には桃色の長髪を揺らす美女。
一瞬。
誰も言葉を失う。
そして。
「時雨さん!?」
劉備が立ち上がった。
信じられないという顔だった。
張燕は苦笑する。
「久しぶりだな」
その言葉を聞いた瞬間。
鈴々が飛び出した。
「時雨なのだー!」
勢いそのまま。
どーん!
張燕へ飛びつく。
「おっと」
張燕は受け止める。
鈴々は嬉しそうだった。
「本物なのだ!」
「偽物だったら怖いだろ」
「それもそうなのだ!」
変わらない。
昔と何も変わっていない。
その様子を見た愛紗も思わず笑みを浮かべていた。
「本当に時雨か」
「ああ」
「久しぶりだな」
愛紗が言う。
張燕も頷く。
「元気そうで何よりだ」
朱里も近づいてきた。
「時雨さん……」
どこか懐かしそうな顔だった。
かつて共に戦った日々。
公孫瓚軍にいた頃。
諸侯連合。
様々な出来事。
皆の脳裏を過ぎっていた。
そして。
最後に。
劉備。
桃香が立っていた。
「時雨さん……」
少し震えた声。
張燕は笑う。
「久しぶりだな桃香」
その言葉を聞いた瞬間。
劉備の表情が柔らかくなった。
「うん」
「久しぶり」
戦乱の中。
敵味方に分かれてしまった者達。
それでも再会は嬉しかった。
しばらくの間。
皆が昔話に花を咲かせる。
そして。
そんな様子を一人の男が見ていた。
北郷一刀。
茶髪の青年。
天の御使い。
その男だけは黙っていた。
張燕も気付いている。
視線がぶつかる。
一瞬だった。
だが。
二人は互いに感じ取った。
普通ではない。
目の前の男は。
北郷一刀は張燕を見ていた。
そして違和感を覚えていた。
張燕もまた一刀を見ていた。
そして確信していた。
この男だ。
天の御使い。
歴史を変えた存在。
劉備をここまで押し上げた男。
沈黙が流れる。
最初に口を開いたのは孫策だった。
「あなたが北郷一刀?」
一刀が視線を向ける。
「そうだけど」
「初めまして」
孫策は笑った。
「孫策よ」
その瞬間。
一刀が目を見開く。
「孫策!?」
驚くのも無理はない。
目の前にいるのは元呉王。
天下に名を轟かせた小覇王なのだから。
しかも張燕と一緒にいる。
状況が意味不明だった。
「何でここに……」
「新婚旅行」
張燕が答える。
一刀が固まった。
「は?」
「新婚旅行」
「ここ戦場だよな?」
「そうだな」
「戦場だよな?」
「そうだな」
一刀は頭を抱えた。
理解が追いつかない。
だが。
周囲は慣れていた。
愛紗も苦笑する。
鈴々は笑っている。
桃香も困ったように笑う。
昔から時雨はこうだった。
今さら驚くことではない。
そして。
一刀は改めて張燕を見る。
「あなたが張燕か」
「ああ」
二人の視線が再び交わる。
空気が変わる。
周囲も自然と黙った。
なぜなら。
この二人は似ていたからだ。
どちらも歴史を変えた存在。
どちらも常識に縛られない。
どちらも勢力を急成長させた。
そして。
どちらも本来の歴史には存在しない異物だった。
一刀が静かに言う。
「ずっと会いたかった」
張燕も笑う。
「奇遇だな」
「俺もだ」
その言葉に。
一刀の目が細くなる。
「張燕」
「何だ」
「あなたは何者なんだ?」
率直な問いだった。
だが。
張燕は答えなかった。
代わりに笑う。
「そっくりそのまま返す」
その言葉に。
一刀も笑った。
周囲は意味が分からない。
だが二人だけは理解していた。
互いが普通ではないことを。
互いが歴史の外側にいることを。
そして。
天幕の中で。
天の御使いと黒山賊。
二人の歴史を変えた男達の初めての対面が果たされたのだった。
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