第百六十七話 戦場見学
蜀軍本陣に突如現れた張燕と孫策だったが、予想に反して追い出されることはなかった。
むしろ劉備達は歓迎していた。
もちろん敵対勢力の重要人物を本陣へ置いておくなど本来ならあり得ない。
諸葛亮も最初は反対した。
龐統も困惑していた。
だが張燕本人が軍機を探る様子もなく、本当に戦場見学のつもりで来ていると分かると、次第に皆も諦め始めた。
何より。
張燕という男を知る者達は理解していた。
この男は時々、本当に意味不明な行動を取る。
そして本人は大真面目なのである。
翌朝。
蜀軍本陣。
朝日が昇る中、劉備は天幕の外へ出た。
すると。
「ん?」
少し離れた場所に張燕がいた。
椅子に座り。
湯気の立つ茶を飲みながら。
まるで自分の家の庭にいるような顔をしている。
隣には孫策。
こちらは朝から張燕の腕へ抱きついていた。
「時雨さん、おはようございます」
劉備が笑顔で声をかける。
張燕も軽く手を上げた。
「おう」
「よく眠れました?」
「ああ」
「ここ敵陣なんですけど」
「そうだな」
全く気にしていない。
劉備は苦笑した。
昔からこうだった。
豪胆というか。
大雑把というか。
肝が据わっているというか。
普通の物差しでは測れない。
その時。
愛紗がやって来た。
「桃香様」
「愛紗ちゃん」
そして張燕を見る。
「時雨」
「何だ」
「本当に見学だけなんだな?」
「そうだ」
「信じ難い」
「俺もそう思う」
本人が言うなと愛紗は思った。
だが張燕は笑っている。
その様子に愛紗も呆れたようにため息を吐いた。
その日の昼。
蜀軍は再び魏軍と激突していた。
丘の上。
見晴らしの良い場所に張燕達は立っていた。
眼下では数万の軍勢が動いている。
旗が揺れる。
太鼓が鳴る。
兵士達が叫ぶ。
巨大な戦争だった。
「凄いですね」
劉備が言う。
張燕は腕を組む。
「強くなったな」
「蜀ですか?」
「ああ」
率直な感想だった。
昔。
公孫瓚軍にいた頃。
劉備達は決して弱くはなかった。
だが今ほどではない。
今の蜀軍には国の軍としての完成度があった。
兵も強い。
統率も取れている。
補給も優秀。
軍全体が洗練されていた。
その様子を見ていた孫策が言う。
「諸葛亮ちゃん達が優秀なのね」
朱里は慌てる。
「そ、そんなことありません~」
「あわわわ」
龐統も慌てる。
その様子に鈴々が笑った。
「いつも通りなのだ」
場が和む。
だが。
張燕の視線は戦場へ向いていた。
魏軍。
曹操軍。
苦戦している。
しかし崩れない。
押されながらも踏み止まっている。
「流石だな」
張燕が呟く。
劉備が尋ねる。
「曹操さんですか?」
「ああ」
張燕は目を細める。
「普通なら崩れてる」
劣勢。
兵力不足。
補給不足。
条件だけ見ればかなり苦しい。
それでも持ちこたえている。
理由は単純。
指揮官が曹操だからだ。
「やっぱり華琳は強い」
その言葉に孫策も頷いた。
「負けてても強いのよね」
「そうだな」
だから厄介なのだ。
張燕自身。
官渡で思い知らされた。
あの覇王は簡単には折れない。
夕方。
戦が終わる。
蜀軍の勝利だった。
だが大勝ではない。
魏軍は整然と退却していった。
張燕はそれを見送る。
「綺麗な退却だ」
「そうなんですか?」
劉備が聞く。
張燕は頷く。
「ああ」
「崩れてない」
「兵も混乱してない」
「だから次も戦える」
劉備は真剣に聞いていた。
張燕の戦の話は参考になる。
それは彼女も知っている。
諸葛亮も興味深そうだった。
「時雨さんならどうしますか?」
朱里が尋ねる。
張燕は少し考える。
「俺か?」
「はい」
「そうだな」
少し笑う。
「補給路を焼く」
一同が納得した。
実に張燕らしい。
「あと夜襲」
「やりそうです」
愛紗が即答した。
「さらに流言を流す」
「やりそうなのだ」
鈴々も頷く。
「ついでに裏切り工作」
「時雨さんらしいですね」
劉備まで頷いた。
張燕は不満そうだった。
「お前ら俺を何だと思ってる」
「黒山賊です」
全員一致だった。
その夜。
蜀軍本陣。
宴とは言わないまでも簡単な食事会が開かれていた。
劉備達。
張燕達。
久しぶりの再会で話題は尽きない。
昔話。
河北の話。
許昌の話。
呉の話。
様々な話題で盛り上がる。
その中で。
北郷一刀は静かに張燕を観察していた。
張燕も同じだった。
互いに探り合う。
しかし敵意はない。
純粋な興味だった。
やがて一刀が言う。
「張燕」
「何だ」
「いや」
一刀は少し笑う。
「思ったより普通だな」
張燕も笑った。
「それはお互い様だ」
二人は笑う。
劉備達には意味が分からない。
だが二人には分かる。
おそらく。
自分達は似ている。
立場は違う。
歩んだ道も違う。
だが。
歴史を変えた存在という点では同じだった。
夜は更けていく。
蜀軍の焚火が揺れる。
そして張燕は思う。
面白い。
本当に面白い。
天の御使い。
北郷一刀。
劉備。
諸葛亮。
そして曹操。
天下は今、大きく動いている。
その中心にいる者達を間近で見られるのは貴重だった。
だからもう少しだけ。
張燕はこの蜀軍に滞在しようと思うのだった。
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