第百六十九話 木牛流馬
魏軍が大勝を収めた翌日。
蜀軍本陣には重苦しい空気が流れていた。
もちろん壊滅したわけではない。
兵力も十分残っている。
だが北伐開始以来続いていた快進撃が止められた事実は大きかった。
将兵達の士気も少し落ちている。
そんな中でも張燕だけは相変わらずだった。
「面白いな」
朝から何かを見つめている。
孫策が隣で呆れていた。
「今度は何?」
「これ」
指差した先。
そこには奇妙な木製の荷車が並んでいた。
普通の荷車とは違う。
構造が複雑だ。
大型の車輪。
木製の骨組み。
大量の荷物を積載している。
補給部隊がそれを押しながら移動していた。
張燕は興味深そうに眺める。
「これが噂の木牛流馬か」
孫策も見る。
「へえ」
彼女も話だけは聞いていた。
蜀軍の補給を支える秘密兵器。
木牛流馬。
北伐を可能にしている最大の理由とも言われている。
張燕は近付いていく。
まるで子供が新しい玩具を見つけたような顔だった。
補給兵達が慌てる。
「あっ」
「張燕殿だ」
「見学ですか?」
「ああ」
張燕は木牛流馬の周囲をぐるぐる回る。
下を見る。
車輪を見る。
荷台を見る。
接合部分を見る。
構造を観察していく。
「なるほど」
「どうですか?」
補給兵が尋ねる。
張燕は笑う。
「凄い」
素直な感想だった。
大量輸送。
長距離移動。
山道。
悪路。
それらを想定している。
今の時代としては破格だった。
そこへ。
「気になりますか?」
声がした。
振り返る。
諸葛亮だった。
朱里が微笑んでいる。
その隣には龐統。
「気になるな」
張燕は頷く。
「面白い」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
朱里も少し嬉しそうだった。
「作ったのは朱里か?」
「私とご主人様です」
その言葉に張燕の目が細くなる。
ご主人様。
蜀軍でその呼び方をされる人物は一人しかいない。
「天の御使いか」
「はい」
朱里は頷く。
「ご主人様と一緒に考えました」
その時。
さらに後ろから声がした。
「話してるね」
現れたのは北郷一刀だった。
茶髪の青年。
蜀軍の天の御使い。
張燕は笑う。
「いたのか」
「俺の物だしな」
一刀も苦笑する。
そして木牛流馬へ視線を向けた。
「気になる?」
「かなりな」
張燕は即答した。
それほど興味深い存在だった。
補給。
それは戦争の根幹である。
どれほど強い将軍がいても。
どれほど勇猛な兵士がいても。
兵糧が尽きれば終わりだ。
張燕自身。
黒山賊時代から補給の重要性は理解していた。
だからこそ分かる。
この木牛流馬は危険だ。
戦そのものを変える可能性がある。
「なるほどな」
張燕は荷車を軽く叩く。
「これが北伐の理由か」
一刀が笑う。
「半分正解」
「半分?」
「もう半分は朱里達だ」
朱里が慌てる。
「そ、そんな」
「本当だよ」
一刀は笑う。
補給計画。
輸送管理。
人員配置。
それら全てが噛み合っているからこそ木牛流馬は機能する。
ただ道具があるだけでは意味がない。
使う人間も必要なのだ。
張燕は感心していた。
そして同時に考えていた。
もし燕軍がこれを手に入れたらどうなるか。
許昌。
冀州。
青州。
幽州。
広大な領土を結ぶ補給網。
想像するだけで恐ろしい。
「欲しいな」
ぽつりと呟く。
その瞬間。
一刀が笑った。
「言うと思った」
朱里も苦笑する。
孫策は大笑いした。
「はははは!」
「時雨らしい!」
張燕は真面目だった。
「本当に欲しい」
「駄目です」
朱里が即答した。
「ケチ」
「当然です」
朱里は胸を張る。
その様子に皆が笑った。
そして。
しばらく張燕と一刀は木牛流馬について話し続けた。
技術。
補給。
道路。
兵站。
戦略。
話題は尽きない。
その姿を遠くから見ていた劉備は少し不思議な気分だった。
桃色の髪を揺らしながら呟く。
「仲良いですね」
愛紗も苦笑する。
「敵同士なのですがな」
「そうなんだけど」
劉備は笑った。
確かに敵だ。
だが。
どこか似ている。
時雨も。
ご主人様も。
普通の人では考えない発想を持っている。
歴史を変えるような行動をする。
だからこそ話が合うのかもしれない。
その頃。
張燕はまだ木牛流馬を見ていた。
完全に気に入っている。
「欲しい」
「駄目です」
「一台」
「駄目です」
「半分」
「どうやって半分にするんですか」
「分からん」
朱里が頭を抱えた。
孫策は笑い続けている。
一刀も苦笑していた。
そして張燕は改めて思う。
天の御使い。
北郷一刀。
やはり面白い男だと。
その知識。
その発想。
その技術。
確かに天下を変える力がある。
だからこそ。
張燕はますます興味を深めていくのだった。
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