第百七十一話 許昌の大騒動
蜀軍本陣を後にした張燕と孫策は、数日の旅を経て許昌へと帰還した。
かつて魏の都であったこの大都市は、今では燕国の新たな中枢として発展を続けている。
街には活気があった。
商人が行き交い。
職人が働き。
兵士達が巡回する。
河北だけではない。
兗州や豫州の民も加わり、許昌は日に日に賑やかさを増していた。
そんな街の様子を見ながら孫策は満足そうに頷く。
「随分発展したわね」
「ああ」
張燕も頷いた。
許昌を手に入れた時は混乱もあった。
だが荀彧や袁紹達の働きもあり、今ではかなり安定している。
問題は。
その許昌へ帰ってきた張燕自身だった。
「頭領!」
「戻ったぞ!」
「お帰りなさい!」
黒山軍の兵士達は大喜びだった。
しかし。
城へ近付くにつれて張燕の表情が少しずつ曇っていく。
なぜなら。
城門前に見覚えのある集団がいたからだ。
しかも全員腕を組んでいる。
そして全員不機嫌だった。
「……」
「……」
張燕は立ち止まった。
孫策は隣で吹き出しそうになっている。
「時雨」
「何だ」
「怒ってるわね」
「ああ」
非常に怒っている。
先頭に立っているのは公孫瓚だった。
赤い髪を揺らしながらこちらを睨んでいる。
その後ろには趙雲。
呂布。
張遼。
馬超。
荀彧。
袁紹。
袁術。
張勲。
その他大勢。
完全に包囲網だった。
「お帰り」
公孫瓚が笑う。
笑顔だった。
だが怖い。
非常に怖い。
「ただいま」
張燕も笑う。
引きつった笑顔だった。
「楽しかったか?」
「まあな」
「そうか」
公孫瓚の額に青筋が浮かんだ。
「私は楽しくなかったぞ」
その瞬間。
周囲の全員が頷いた。
「その通りです」
荀彧まで同意した。
張燕は嫌な予感しかしなかった。
「説明してもらおうか」
公孫瓚が言う。
「燕国の実質的な最高戦力であるお前が」
「敵国の最前線へ」
「新婚旅行に行った理由を」
周囲の圧が凄かった。
孫策は完全に面白がっている。
張燕はため息を吐いた。
どうやら長い説教が始まりそうだった。
案の定。
一時間後。
張燕は会議室で正座していた。
しかも全員から囲まれている。
「馬鹿なのか?」
公孫瓚が聞く。
「少しは考えたぞ」
「少ししか考えてないだろう」
「否定できません」
荀彧が即答した。
張燕は味方がいないことを理解した。
趙雲も呆れている。
「時雨」
「何だ」
「敵の本陣へ行く者があるか」
「行った」
「そういう意味ではない」
星は頭を抱えた。
昔から無茶をする男だったが、今回は度が過ぎる。
呂布も珍しく頷いている。
「心配した」
「悪かった」
「うむ」
恋も少し不満そうだった。
馬超も腕を組む。
「次はあたしも連れていけ」
「そこか」
突っ込まざるを得なかった。
そしてようやく会議は落ち着く。
そこで公孫瓚が真面目な顔になった。
「それで」
「何か成果はあったのか?」
その問いに。
張燕も表情を変えた。
「ある」
全員が静かになる。
遊びでは終わらなかった。
それは皆分かっていた。
張燕は懐から一枚の書状を取り出した。
「蜀だ」
その言葉に空気が変わる。
「桃香か」
公孫瓚が言う。
「ああ」
張燕は頷いた。
「桃香から伝言だ」
全員が耳を傾ける。
そして。
張燕はゆっくりと言った。
「蜀は燕と同盟したがっている」
会議室が静まり返った。
誰もすぐには言葉を発しなかった。
あまりにも大きな話だったからだ。
「本気か?」
公孫瓚が尋ねる。
「ああ」
張燕は頷く。
「かなり本気だ」
そして蜀軍本陣で聞いた話を説明していく。
天下三分の計。
蜀。
呉。
燕。
三国による均衡。
争いを抑えた平和な時代。
劉備の理想。
北郷一刀の考え。
全てを話した。
話が終わる頃には全員が考え込んでいた。
最初に口を開いたのは袁紹だった。
「悪くありませんわね」
意外な賛成意見だった。
「現在の最大の脅威は魏」
「蜀と敵対する理由は少ないですわ」
張勲も頷く。
「外交的にも有益でしょう」
袁術も珍しく真面目だった。
「うむ」
「妾もそう思うのじゃ」
荀彧は考え込む。
元々曹操の軍師だった彼女は蜀の危険性も理解している。
「利点は多い」
「ですが」
「蜀が強くなり過ぎる危険もあります」
その意見ももっともだった。
同盟とは利益だけではない。
未来の脅威も考えなければならない。
議論が始まる。
賛成。
反対。
様々な意見が飛び交う。
その中で。
公孫瓚だけは黙っていた。
やがて。
彼女は張燕を見る。
「お前はどう思う?」
その問いに全員の視線が集まった。
張燕は少し考える。
そして。
「悪くない」
そう答えた。
「少なくとも今はな」
魏。
蜀。
呉。
燕。
天下は混沌としている。
その中で蜀と争う理由は少ない。
むしろ協力した方が利益が大きい。
「それに」
張燕は少し笑う。
「桃香は昔から変わらない」
平和を望む少女。
理想家。
夢追い人。
その本質は昔のままだった。
公孫瓚も苦笑する。
「確かにな」
彼女も劉備を知っている。
だからこそ理解できた。
やがて会議は終わる。
結論は保留。
だが。
蜀との同盟は本格的に検討されることになった。
そして会議室を出た張燕は大きく伸びをする。
「疲れた」
「自業自得よ」
隣で孫策が笑う。
「それはそうだな」
張燕も苦笑した。
だが。
蜀との話を持ち帰った価値はあった。
天下は確実に動いている。
そしてその渦の中心に。
燕もまた立っているのだった。
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