第百七十二話 結ばれる盟約
許昌に蜀との同盟提案が届けられてからしばらくの時が流れていた。
燕国の中枢では連日のように議論が続いていた。
相手は劉備。
そして天の御使い・北郷一刀が支える蜀。
敵に回せば厄介極まりない相手であり、味方になればこれ以上ない頼もしい存在でもある。
公孫瓚は王座に座りながら報告書へ目を通していた。
許昌の政務室は静かだった。
窓から差し込む日差しだけが机を照らしている。
「ふむ……」
一枚。
また一枚。
書類をめくる。
そこには蜀の状況が細かく記されていた。
荊州。
益州。
南蛮。
広大な領土。
安定した統治。
発展する経済。
そして北伐を支える強大な軍事力。
かつて公孫瓚が知る劉備軍とは別物だった。
「強くなったな……桃香」
思わず呟く。
昔は何も持たなかった少女。
それが今では天下を争う王になっている。
人生とは分からないものだった。
その時だった。
扉が開く。
入ってきたのは張燕だった。
「白蓮」
「来たか」
公孫瓚は苦笑した。
「また政務を抜け出したな?」
「少しだけだ」
「少しだけではない」
即座に否定された。
張燕は視線を逸らした。
公孫瓚はため息を吐く。
昔から変わらない。
天下有数の英雄なのに政務嫌い。
ある意味では大物だった。
「それで?」
張燕が尋ねる。
「何を悩んでいる」
公孫瓚は書類を机へ置いた。
「蜀だ」
その一言で張燕も理解した。
「同盟か」
「ああ」
静かな声だった。
「受けるべきか」
「断るべきか」
簡単な話ではない。
同盟とは約束である。
約束には責任が伴う。
もし蜀と同盟を結ぶなら。
いずれ魏との戦いにも関わることになる。
公孫瓚は窓の外を見た。
「華琳は強い」
「そうだな」
張燕も否定しない。
「今の魏は弱っている」
「だが滅びてはいない」
「むしろ追い詰められた時ほど恐ろしい」
その通りだった。
曹操は何度も劣勢を覆してきた。
官渡。
長安。
北伐。
その全てでしぶとく生き残っている。
覇王とはそういう存在だった。
「蜀と手を組めば勝てるかもしれない」
公孫瓚は言う。
「だが」
「勝った後は?」
その言葉に張燕は黙った。
魏が滅びた後。
残るのは蜀と燕。
そして呉。
新たな均衡。
新たな争い。
それも十分あり得る未来だった。
「難しいな」
張燕は苦笑する。
「天下は」
公孫瓚も頷いた。
だからこそ簡単には決められない。
燕の未来。
河北の未来。
全てが懸かっている。
その頃。
遠く南の呉では。
一つの歴史的な会談が行われていた。
建業。
呉の王城。
大広間には二人の王が向かい合って座っていた。
一人は蜀王・劉備。
桃色の髪を揺らしながら穏やかに微笑んでいる。
もう一人は新たな呉王・孫権。
姉である孫策から王位を継いだ若き王だった。
周囲には諸葛亮。
龐統。
魯粛。
周瑜。
呉と蜀の重臣達が並んでいる。
空気は張り詰めていた。
だが敵意はない。
むしろ期待があった。
劉備が先に口を開く。
「本日はお時間をいただきありがとうございます」
孫権は頷く。
「こちらこそ」
「蜀王殿」
丁寧な挨拶だった。
そして本題へ入る。
「私達は争いたくありません」
劉備は真っ直ぐ言った。
「呉とも」
「燕とも」
「できるなら共に歩みたいんです」
その言葉に周囲は静かになる。
理想論。
そう言われればそれまでだった。
だが。
劉備は本気だった。
孫権もそれを理解している。
「姉上から聞いています」
孫権が言う。
「天下三分の計」
劉備は頷く。
「はい」
「蜀」
「呉」
「燕」
「三つの国が支え合う未来です」
静かな声だった。
しかしその瞳には強い意志が宿っている。
孫権はしばらく考えた。
やがて。
小さく笑う。
「変わりませんね」
「え?」
「理想を追い続けるところです」
劉備は少し照れたように笑った。
その様子を見ていた諸葛亮も微笑む。
北郷一刀も静かに頷いていた。
そして。
孫権は立ち上がる。
「呉は受け入れます」
その言葉に場がどよめいた。
「蜀と呉は同盟を結びましょう」
歴史的瞬間だった。
呉蜀同盟。
それは天下の勢力図を大きく変える出来事である。
劉備は目を見開いた。
そして嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔はまるで昔のままだった。
戦乱の世にありながら。
理想を追い続ける少女の笑顔。
孫権はその姿を見ながら思う。
なるほど。
姉が気に入るわけだ。
孫策は以前から劉備を高く評価していた。
その理由が少し分かった気がした。
会談は成功した。
蜀と呉は正式に手を結ぶ。
そしてその報は瞬く間に天下へ広がっていく。
長安の曹操。
許昌の公孫瓚。
そして張燕。
全員が知ることになる。
蜀と呉が結ばれた。
残るは燕だけ。
公孫瓚は報告書を見つめながら深く息を吐いた。
「先を越されたな」
張燕も苦笑する。
「ああ」
蜀は着実に仲間を増やしている。
理想を実現しようとしている。
そして。
天下三分の計は少しずつ現実になろうとしていた。
公孫瓚は静かに目を閉じる。
蜀と手を組むべきか。
それとも距離を置くべきか。
決断の時は近付いていた。
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