第百七十四話 燕国の木牛流馬
蜀との同盟が正式に成立したことで、許昌の城はしばらく祝いの空気に包まれていた。燕国、呉国、蜀国。この三国が手を結んだという事実は天下を大きく揺るがせた。長安にいる曹操にとっては頭の痛い話だっただろうが、許昌の人々にとっては未来への希望だった。しかしそんな中でも張燕の興味は別の方向へ向いていた。
「やっぱり欲しいな」
許昌城の中庭。
張燕は木製の荷車を眺めながら呟いていた。
その目の前には蜀から贈られた木牛流馬が置かれている。
劉備から結婚祝いとして贈られた品だ。
今では許昌の技術者や職人達が毎日のように集まり、その構造を研究していた。
「また見ているのか」
後ろから声が聞こえた。
振り返ると趙雲がいた。
いつものように槍を背負いながら近付いてくる。
「星か」
「時雨、ここ数日ずっとこればかりだな」
「面白いからな」
張燕は即答した。
趙雲は苦笑する。
「戦よりか?」
「いい勝負だ」
「本当に好きだな」
張燕は真面目だった。
実際に好きなのである。
兵法。
補給。
技術。
新しい発想。
そういったものを見ると好奇心が刺激される。
黒山賊時代から変わらない性格だった。
「しかし不思議な物だ」
趙雲も木牛流馬へ近付く。
しばらく観察する。
車輪。
軸。
荷台。
構造を確かめる。
「見た目は普通の荷車だ」
「ああ」
「だが運搬能力は全く違う」
張燕は頷いた。
そこが凄い。
単純そうに見える。
しかし単純ではない。
重量配分。
車輪の構造。
軸の位置。
全てが計算されている。
「天の御使いか」
趙雲が呟く。
「北郷一刀だな」
「ああ」
張燕も頷いた。
「やはり天の御使いは面白い」
蜀軍本陣で話した時もそうだった。
あの男は普通ではない。
未来を知る者。
歴史を知る者。
その知識が木牛流馬にも詰まっている。
「だから欲しかった」
「貰ったではないか」
「もっと欲しい」
「欲張りだな」
趙雲は笑った。
その時だった。
職人達が駆け寄ってくる。
「時雨様!」
「出来ました!」
張燕の目が輝く。
「本当か?」
「はい!」
皆の視線が向く。
そこには新しい荷車が置かれていた。
木牛流馬を参考にして燕国の職人達が作った試作品である。
張燕はすぐに近付いた。
周囲を見回す。
構造を確認する。
車輪を触る。
荷台を叩く。
「どうだ?」
趙雲も気になる。
職人達も緊張している。
そして張燕は。
「乗る」
そう言った。
「は?」
「試す」
次の瞬間。
張燕は荷台に飛び乗った。
職人達が慌てる。
「時雨様!?」
「危険です!」
「いいから押せ」
「えぇ……」
困惑しながらも職人達は押し始める。
荷車が動く。
最初は順調だった。
しかし。
数歩進んだ瞬間。
バキッ。
嫌な音が響く。
「ん?」
張燕が首を傾げる。
次の瞬間。
荷車が崩壊した。
盛大に。
見事に。
木片が飛び散る。
張燕も転がる。
土煙が舞う。
静寂。
そして。
「時雨!」
趙雲が吹き出した。
「ははははは!」
耐えられなかった。
大笑いだった。
職人達も青ざめている。
張燕は木片の山から起き上がった。
「失敗だな」
「当たり前だ!」
趙雲は笑い続ける。
「試作品に頭領本人が乗る奴があるか!」
「大丈夫だろうと思った」
「思うな!」
中庭中に笑い声が響いた。
その騒ぎを聞きつけて荀彧達もやって来る。
「何事ですか」
荀彧が現れる。
そして木片の山を見る。
「……」
状況を理解した。
「またですか」
呆れた声だった。
「研究だ」
「違います」
「実験だ」
「遊びです」
即答された。
袁紹も現れる。
「何をしているんですの?」
「木牛流馬だ」
「見れば分かりますわ」
袁術も来る。
「楽しそうなのじゃ!」
張勲は頭を抱えた。
いつもの光景だった。
燕国の中枢とは思えない。
だが不思議と皆笑っていた。
張燕がいるとこうなる。
騒がしくなる。
だが活気も生まれる。
そして。
数日後。
二号機が完成した。
今度は慎重だった。
補強もされている。
車輪も改良された。
職人達も自信を持っている。
張燕はまた目を輝かせた。
「乗るか」
「駄目です」
荀彧が即座に止めた。
「乗るな」
趙雲も止める。
「絶対に乗るな」
全員が止める。
張燕は不満そうだった。
だが流石に諦めた。
その代わり荷物を積む。
兵糧袋。
木材。
武具。
次々と載せていく。
そして動かした。
荷車は動く。
安定している。
止まらない。
壊れない。
職人達の顔が明るくなる。
「成功です!」
歓声が上がった。
張燕も笑う。
「やったな」
「はい!」
「これで燕国にも導入できる」
その言葉に皆が頷いた。
木牛流馬。
蜀の技術。
そして今。
燕国の技術者達によって新たな形で生まれ変わろうとしている。
趙雲も感心していた。
「凄いものだな」
「ああ」
張燕は頷く。
「戦は槍だけじゃない」
「兵糧も戦う」
「補給も戦う」
それが分かるからこそ価値が分かる。
許昌から河北へ。
河北から青州へ。
広大な燕国を結ぶ新しい補給網。
それは国力をさらに押し上げるだろう。
張燕は完成した試作品を見ながら笑った。
「桃香達には感謝だな」
「そうだな」
趙雲も同意する。
蜀との同盟。
そして木牛流馬。
その両方が燕国に新たな力を与えていた。
天下は動いている。
蜀も。
呉も。
魏も。
そして燕も。
来るべき大乱の時代へ向けて、それぞれが力を蓄えていたのだった。
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