【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百七十九話 天の御使いの一手

第百七十九話 天の御使いの一手

 

 

蜀の北伐が終わってからしばらくの時が流れていた。

 

成都。

 

蜀王宮。

 

北郷一刀は執務室の机へ向かいながら考え込んでいた。

 

蜀の北伐は失敗した。

 

諸葛亮の策も。

 

龐統の知略も。

 

蜀軍の奮戦も。

 

曹操という巨大な壁を崩すには至らなかった。

 

だが一刀は悲観していない。

 

むしろ冷静だった。

 

歴史を知る者だからこそ分かる。

 

一度の敗北で終わるほど天下は単純ではない。

 

「ご主人様」

 

部屋へ入ってきたのは諸葛亮だった。

 

銀髪の少女、雛里も一緒である。

 

「どうした?」

 

一刀が顔を上げる。

 

諸葛亮は机へ一枚の書簡を置いた。

 

「呉からです」

 

「呉か」

 

一刀は興味深そうに目を通す。

 

現在。

 

蜀と呉は同盟関係にある。

 

燕とも同盟を結んでいる。

 

だがそれで安心できるほど天下は甘くない。

 

同盟は永遠ではない。

 

利害で結ばれた関係は利害で壊れる。

 

一刀は静かに考え込む。

 

「ご主人様?」

 

朱里が不思議そうに尋ねる。

 

一刀はゆっくり口を開いた。

 

「呉との関係をもっと強くしたい」

 

その言葉に二人は頷いた。

 

当然の話だった。

 

蜀の最大の友好国は呉である。

 

ここが崩れれば天下三分の均衡も崩壊しかねない。

 

「どうされるのですか?」

 

雛里が尋ねた。

 

一刀は少し笑った。

 

「仲良くなる」

 

「はい?」

 

「もっと信頼を深める」

 

諸葛亮が苦笑する。

 

「具体的には?」

 

「孫権と話す」

 

実に単純な答えだった。

 

だが一刀は真面目だった。

 

戦も外交も結局は人である。

 

国同士の関係も最後は人間関係だ。

 

相手を理解する。

 

相手に理解してもらう。

 

その積み重ねが大切になる。

 

「孫権殿ですか」

 

朱里が呟く。

 

呉王孫権。

 

孫策から王位を受け継いだ若き王。

 

慎重で真面目。

 

そして責任感が強い。

 

姉の孫策とはまた違う人物だった。

 

「難しい相手ですね」

 

雛里が言う。

 

一刀も頷く。

 

「だからこそだ」

 

軽率な人物ではない。

 

理屈で動く。

 

感情だけでは動かない。

 

だから信頼関係を築く価値がある。

 

数日後。

 

建業。

 

呉王宮。

 

孫権は執務室で書類と格闘していた。

 

王位を継いでから仕事は増える一方である。

 

「まだあるの……」

 

思わず呟く。

 

その時。

 

側近がやって来た。

 

「蜀から使者が到着しました」

 

「蜀?」

 

孫権は顔を上げる。

 

「誰が来たの?」

 

「北郷一刀殿です」

 

一瞬。

 

孫権の表情が変わった。

 

天の御使い。

 

今や天下で知らぬ者はいない存在である。

 

劉備の右腕。

 

蜀躍進の立役者。

 

様々な噂の中心人物。

 

「通して」

 

やがて。

 

執務室へ一刀が案内された。

 

「お久しぶりです」

 

穏やかな笑顔。

 

孫権も立ち上がる。

 

「久しぶりね」

 

会談は和やかに始まった。

 

政治。

 

民。

 

農業。

 

商業。

 

話題は多岐に渡る。

 

そして孫権は次第に気付いていく。

 

一刀は意外な人物だった。

 

もっと傲慢な男だと思っていた。

 

もっと自信家だと思っていた。

 

しかし実際は違う。

 

相手の話をよく聞く。

 

無理に自分の意見を押し付けない。

 

何より。

 

民の暮らしを真剣に考えている。

 

その姿勢に孫権は少しずつ警戒を解いていった。

 

会談が終わる頃には自然と笑顔も増えていた。

 

「また話しましょう」

 

一刀が言う。

 

「ええ」

 

孫権も頷く。

 

「面白い話だったわ」

 

それは社交辞令ではなかった。

 

本心だった。

 

一刀は退出する。

 

その背中を見送りながら孫権は小さく息を吐いた。

 

不思議な男だった。

 

危険な野心家にも見えない。

 

だが普通でもない。

 

どこか人を惹きつけるものがある。

 

その頃。

 

成都へ帰る馬車の中で一刀は窓の外を見ていた。

 

「どうでした?」

 

諸葛亮が尋ねる。

 

一刀は少し笑う。

 

「良い王様だよ」

 

それが率直な感想だった。

 

同盟を維持するためにも。

 

天下の均衡を保つためにも。

 

これから呉との関係はますます重要になる。

 

そしてその第一歩は確かに踏み出された。

 

戦場ではなく。

 

人と人との信頼によって。

 

新たな外交の物語が静かに動き始めていたのである。

 




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