【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百八十五話 天の御使いの微笑

第百八十五話 天の御使いの微笑

 

成都。

 

蜀王宮。

 

呉軍による荊州侵攻の報せが届いてから数日が経っていた。

 

王宮は慌ただしかった。

 

軍議。

 

補給。

 

徴兵。

 

各地への命令。

 

蜀の重臣達は昼夜を問わず働いている。

 

劉備もまた王として決断を重ねていた。

 

だが、その中で一人だけ落ち着いている男がいた。

 

北郷一刀である。

 

軍議の席。

 

諸葛亮が地図を広げていた。

 

「呉軍は既に三方面から侵攻を開始しています」

 

「兵力は十数万」

 

「本気です」

 

関羽も険しい顔をしている。

 

張飛も怒っていた。

 

「ひどいのだ!」

 

「同盟してたのに!」

 

誰もが呉への怒りを抱いていた。

 

だが。

 

そんな中。

 

一刀だけが静かだった。

 

いや。

 

その口元には僅かな笑みすら浮かんでいる。

 

それに気付いたのは諸葛亮だった。

 

「ご主人様?」

 

一刀は地図を眺める。

 

そして。

 

小さく笑った。

 

「やっとか」

 

軍議室が静まる。

 

劉備が驚いた顔で見る。

 

「ご主人様?」

 

「桃香」

 

一刀は静かに立ち上がった。

 

「呉が先に手を出した」

 

「つまり」

 

「俺達には正当な理由ができた」

 

その言葉に全員が息を呑む。

 

今まで蜀は守勢だった。

 

侵略者にならない。

 

理想を掲げる。

 

それが劉備軍だった。

 

しかし今回は違う。

 

呉が攻めてきた。

 

先に剣を抜いたのは向こうだ。

 

ならば。

 

反撃は正当防衛となる。

 

「天下に示せる」

 

一刀は続ける。

 

「蜀は侵略していない」

 

「蜀は国を守るために戦う」

 

その理屈は強かった。

 

諸葛亮の瞳が細まる。

 

理解したのである。

 

一刀が見ているのは戦場だけではない。

 

天下全体。

 

そして戦後まで見据えている。

 

「ご主人様」

 

朱里が呟く。

 

「最初から予想していたんですか?」

 

一刀は苦笑した。

 

「ある程度は」

 

孫権の性格を知っていた。

 

責任感が強い。

 

真面目。

 

そして一度決めたら止まらない。

 

だからこそ危険だった。

 

だが。

 

今となってはそれが蜀にとって好機になった。

 

「呉は強い」

 

一刀は断言する。

 

「でも」

 

その目は鋭かった。

 

「勝つ」

 

一方その頃。

 

建業。

 

呉王宮。

 

孫権もまた軍議を開いていた。

 

巨大な地図。

 

各軍の配置。

 

補給線。

 

全てが整えられている。

 

周瑜が報告する。

 

「荊州各地で戦闘が始まっています」

 

「蜀軍も抵抗を開始しました」

 

孫権は静かに頷いた。

 

迷いはない。

 

既に戦は始まった。

 

今さら止まれない。

 

だが。

 

その心の奥にあるものは別だった。

 

荊州。

 

蜀。

 

その先にいる男。

 

北郷一刀。

 

初めて会った日のこと。

 

共に語り合った夜。

 

交わした言葉。

 

忘れたことはない。

 

「必ず」

 

小さく呟く。

 

誰にも聞こえない声。

 

「必ず手に入れる」

 

王としてではない。

 

一人の女性としての執着。

 

それが孫権を突き動かしていた。

 

しかし。

 

孫権は知らない。

 

その頃。

 

成都の一刀もまた決意していたことを。

 

彼が見ているのは一人の王ではない。

 

国だった。

 

呉という巨大な勢力そのものだった。

 

蜀は南を得た。

 

益州を得た。

 

荊州も持つ。

 

だが天下統一を目指すなら。

 

次に必要なのは長江流域。

 

呉の土地。

 

呉の兵。

 

呉の財力。

 

全てだった。

 

成都の夜。

 

一刀は一人で地図を見ていた。

 

蜀。

 

呉。

 

魏。

 

燕。

 

天下四分。

 

その均衡が崩れようとしている。

 

「蓮華」

 

静かに呟く。

 

複雑な感情はあった。

 

だが乱世である。

 

感情だけでは生きられない。

 

国を守るため。

 

理想を実現するため。

 

戦わねばならない。

 

そして皮肉なことに。

 

二人の思惑は似ていた。

 

孫権は北郷一刀を手に入れようとしている。

 

北郷一刀は呉を手に入れようとしている。

 

互いに譲らない。

 

互いに引かない。

 

だからこそ。

 

蜀と呉の戦いは避けられなかった。

 

やがて戦火は荊州全土へ広がる。

 

その炎は長江を染め。

 

天下を再び大きく揺るがしていくことになるのだった。

 




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