【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第百八十七話 天の御使いの盤上

第百八十七話 天の御使いの盤上

 

 

天下の視線は完全に南へ集まっていた。

 

蜀と呉。

 

かつては同盟を結び、共に魏へ立ち向かった二国は今や激しく争っている。

 

戦の発端は呉だった。

 

孫権が自ら同盟を破棄し、荊州へ大軍を送り込んだのである。

 

その瞬間、蜀は被害者となった。

 

そして北郷一刀が最も欲していたものも手に入った。

 

大義名分。

 

天下へ示せる正当な理由。

 

蜀は侵略者ではない。

 

国を守るために戦う者となったのである。

 

戦が始まって数か月。

 

戦況は誰の目にも明らかだった。

 

蜀が優勢。

 

圧倒的な優勢だった。

 

荊州北部。

 

長江沿岸。

 

各地で呉軍は押され続けていた。

 

呉軍は弱くない。

 

むしろ天下有数の精鋭である。

 

周瑜。

 

魯粛。

 

呂蒙。

 

陸遜。

 

名将達も揃っている。

 

しかし。

 

それでも押されていた。

 

理由は単純だった。

 

戦争の準備をしていたのは呉だけではなかったからだ。

 

成都。

 

蜀王宮。

 

軍議が開かれていた。

 

巨大な地図の前に北郷一刀が立つ。

 

その隣には劉備。

 

諸葛亮。

 

龐統。

 

関羽。

 

張飛。

 

蜀の首脳陣が並んでいた。

 

「交州が落ちました」

 

諸葛亮が報告する。

 

室内に静かな空気が流れる。

 

驚きはない。

 

全員が予想していた結果だった。

 

「被害は?」

 

一刀が尋ねる。

 

「最小限です」

 

「住民の反発も少ないかと」

 

一刀は頷いた。

 

交州は元々呉の支配が十分ではなかった。

 

孫策が苦労して手に入れた土地ではあるが、呉の中心から遠い。

 

補給も難しい。

 

守るのも難しい。

 

だから最初の目標に選んだ。

 

「予定通りだな」

 

一刀が呟く。

 

その言葉に諸葛亮も頷いた。

 

全て計画通りだった。

 

交州制圧。

 

呉軍主力を荊州へ引き付ける。

 

その間に南から進軍。

 

そして補給路を切断する。

 

一つ一つが盤上の駒のように進んでいる。

 

「次は揚州です」

 

諸葛亮が言った。

 

地図の上で指が動く。

 

呉の本拠地。

 

豊かな土地。

 

長江流域。

 

孫家の基盤。

 

そこへ向かう矢印が引かれる。

 

室内が静まり返った。

 

誰もが理解していた。

 

ここからが本番だと。

 

劉備は複雑そうな表情をしていた。

 

「本当にここまで来てしまったね……」

 

桃香らしい言葉だった。

 

本来なら戦などしたくない。

 

誰よりも平和を願う王。

 

だが。

 

相手が剣を抜いた以上は戦わなければならない。

 

一刀は静かに言う。

 

「桃香」

 

「うん」

 

「ここで止まればまた同じことになる」

 

劉備は黙った。

 

それも理解している。

 

今回の戦争は呉が始めた。

 

ならば終わらせる責任もある。

 

半端に終われば必ず再燃する。

 

だから。

 

決着をつけなければならない。

 

その頃。

 

建業。

 

呉王宮。

 

重苦しい空気が漂っていた。

 

敗戦。

 

敗戦。

 

また敗戦。

 

報告書が積み上がっている。

 

将軍達の表情も暗い。

 

孫権は玉座に座りながら報告を聞いていた。

 

顔色一つ変えない。

 

しかし。

 

その瞳は鋭かった。

 

「交州陥落」

 

「荊州方面も劣勢」

 

「各地で後退中」

 

報告が続く。

 

誰もが沈黙していた。

 

以前なら焦りが広がっていただろう。

 

だが今の孫権は違う。

 

怒鳴らない。

 

慌てない。

 

ただ考える。

 

そして決断する。

 

「兵を集めなさい」

 

静かな声だった。

 

「建業周辺の守りを固める」

 

周瑜が頷く。

 

「承知しました」

 

呉は追い詰められていた。

 

だがまだ終わっていない。

 

長江がある。

 

水軍がある。

 

建業がある。

 

最後まで戦う力は残っている。

 

しかし孫権だけは分かっていた。

 

この戦争は偶然ではない。

 

蜀は準備していた。

 

ずっと前から。

 

自分が攻めてくることすら予想していたかのように。

 

「北郷一刀……」

 

その名を呟く。

 

怒りではない。

 

憎しみでもない。

 

むしろ逆だった。

 

理解してしまう。

 

あの男がどれほど恐ろしい存在なのか。

 

蜀軍は勝っている。

 

それも圧倒的に。

 

まるで最初から結果が決まっていたかのように。

 

全てが誘導されている。

 

全てが計算されている。

 

まるで盤上の駒だ。

 

「やっぱり」

 

孫権は小さく笑った。

 

「あなたは凄いわね」

 

誰にも聞こえない声だった。

 

そして。

 

遠く許昌。

 

張燕もまた報告書を読んでいた。

 

机の上には最新の戦況が並んでいる。

 

蜀軍勝利。

 

交州陥落。

 

揚州侵攻開始。

 

次々と届く報せ。

 

張燕は黙って読んでいた。

 

やがて。

 

小さく息を吐く。

 

「恐ろしいな」

 

誰に向けた言葉でもない。

 

天の御使い。

 

北郷一刀。

 

あの男が描いた絵がそのまま現実になっている。

 

呉が攻める。

 

蜀が反撃する。

 

交州を取る。

 

揚州へ進む。

 

まるで未来を知っているかのようだった。

 

「未来を知ってるんだったな」

 

張燕は苦笑した。

 

張牛角から聞いた話。

 

天の国。

 

天の御使い。

 

別世界の知識。

 

それが本当なら。

 

今の状況も説明できる。

 

「華琳も大変だな」

 

ふと呟く。

 

蜀が呉を飲み込めば。

 

次に巨大化するのは蜀だ。

 

そうなれば魏も無関係ではいられない。

 

天下は再び動く。

 

大きく。

 

激しく。

 

そしてその中心には。

 

天の御使いがいた。

 

長江の南では戦火が燃え続ける。

 

蜀軍は進む。

 

呉軍は耐える。

 

その戦いはまだ終わらない。

 

だが少なくとも今は。

 

盤上の流れは天の御使いの思惑通りに進んでいたのである。

 




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