第百九十七話 黒山流
戦場は激しさを増していた。
魏軍の伏兵とも言える騎兵隊が黒山軍の左翼後方へ回り込み始める。
それを見た多くの将は感心した。
さすが曹操。
正面から戦いながらも別働隊を隠し持ち、敵の弱点を突く。
王道の戦い。
まさに教科書のような一手だった。
だが。
張燕は笑っていた。
「時雨様?」
桂花が怪訝そうな顔をする。
張燕は遠くの魏軍を見ながら笑みを深くした。
「華琳らしい」
「余裕ですね」
「余裕じゃない」
張燕は首を振る。
そして。
「嬉しいんだ」
そう言った。
「嬉しい?」
「本気で俺を潰しに来てる」
桂花は思わず苦笑した。
確かにそうだった。
今の曹操は容赦がない。
本気で勝ちに来ている。
だからこそ張燕も楽しいのだろう。
「だがな」
張燕は軍配を持ち上げた。
「華琳」
その視線の先には魏軍本陣。
「王道を覚えたからって」
笑う。
「俺が真面目になると思うなよ」
その瞬間だった。
張燕は旗を振る。
黒山軍の一部が突然後退を始めた。
魏軍は歓声を上げる。
押している。
勝っている。
そう思った。
だが。
それこそが罠だった。
「来たぞ!」
「敵が崩れた!」
「追え!」
魏軍の騎兵が勢いよく追撃を開始する。
そして。
次の瞬間。
地面が崩れた。
轟音。
悲鳴。
無数の馬が転倒する。
落とし穴だった。
しかも一つや二つではない。
何十。
何百。
戦場の広範囲に埋められていた。
「なっ!?」
魏兵達が叫ぶ。
後方でそれを見た夏侯淵も目を見開く。
「いつの間に!」
当然だった。
普通なら作れない。
だが。
黒山軍は違う。
山賊時代から得意だった。
夜のうちに作る。
誰にも気付かれず作る。
それが黒山流。
「ははは!」
張遼が大笑いする。
「引っ掛かったで!」
そこへ騎兵隊が襲い掛かる。
混乱した魏軍へ。
容赦なく。
徹底的に。
叩き込む。
「これだから黒山は嫌なんですよ!」
桂花が叫ぶ。
「褒めるな」
「褒めてません!」
その頃。
魏軍本陣。
曹操は額を押さえていた。
「やっぱりやったわね」
郭嘉が笑っている。
「張燕らしいです」
「王道を覚えても本質は変わらないか」
むしろ悪化している。
王道を理解した上で外道を使う。
だから厄介なのだ。
「華琳様!」
伝令が駆け込む。
「左翼混乱!」
「予想通りよ」
曹操は冷静だった。
まだ崩れていない。
まだ戦える。
だが。
張燕の攻撃は終わらなかった。
戦場中央。
趙雲が敵陣深くへ突入していた。
「星!」
張燕が叫ぶ。
「任せろ!」
趙雲は笑う。
銀槍が閃く。
敵兵を突破。
さらに突破。
そして。
突然方向を変える。
狙いは将ではない。
本陣でもない。
軍旗だった。
「軍旗を守れ!」
魏軍が慌てる。
だが遅い。
趙雲の槍が旗竿を薙ぎ払う。
魏軍の軍旗が倒れた。
それだけで兵達が動揺する。
本来なら大した損害ではない。
だが戦場では違う。
兵達の心が揺れる。
そこへ。
「恋!」
張燕が叫ぶ。
呂布が動いた。
赤兎馬が大地を駆ける。
倒れた旗。
動揺する兵。
そこへ天下最強が突撃する。
地獄だった。
まるで洪水。
まるで暴風。
誰も止められない。
「うわあああ!」
「呂布だ!」
「逃げろ!」
魏軍が崩れ始める。
だが。
それでも曹操は笑った。
「本当に酷い戦い方ね」
感心すらしていた。
正攻法。
奇襲。
心理戦。
全部混ざっている。
「華琳様」
稟が笑う。
「欲しくなりました?」
「もちろんよ」
即答だった。
そんな頃。
張燕はさらに嫌なことを考えていた。
「雪蓮」
「なに?」
「次だ」
孫策が笑う。
完全に察した。
ろくでもない作戦だ。
間違いない。
張燕は楽しそうだった。
「敵は王道」
「俺達は黒山」
「なら勝負は決まってる」
桂花が嫌そうな顔をする。
「聞きたくありません」
「聞け」
「嫌です」
「聞け」
張燕は笑った。
そして軍配を振り上げる。
黒山軍の旗が動く。
新たな命令が伝わる。
次々に。
戦場全体へ。
それを見た張遼は爆笑した。
馬超も笑った。
趙雲は呆れた。
呂布は無表情だった。
だが全員理解した。
頭領が本気になった。
そして。
本気になった張燕ほど厄介な男はいない。
王道を学び。
軍略を学び。
国を治めることも覚えた。
だが。
根っこの部分。
黒山賊の頭領だった頃の外道さだけは変わらない。
いや。
むしろ磨きが掛かっている。
遠く魏軍本陣。
曹操もまた笑っていた。
「来なさい時雨」
覇王は軍配を握る。
「あなたの全力を見せなさい」
戦場はさらに熱を帯びる。
覇王と黒山賊。
二人の怪物による戦いは、まだ終わる気配を見せていなかった。
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