第百九十八話 黒山の嫌がらせ
関中の平原は戦場の熱気に包まれていた。
魏軍と黒山軍。
両軍合わせて二十万を超える兵士達が激突し、大地そのものが震えているようだった。
だがその中で、張燕だけは妙に落ち着いていた。
馬上から戦場全体を眺めながら、まるで獲物を狙う狼のような目をしている。
その隣には桂花。
かつて魏に仕えていた軍師。
今は燕の重臣として張燕を支えている。
桂花は戦況を確認しながら眉をひそめた。
「時雨様」
「なんだ」
「また何か企んでいますね」
即答だった。
張燕は笑う。
「何故そう思う」
「その顔です」
桂花はため息を吐いた。
長い付き合いではない。
だが分かる。
この男がこういう顔をしている時はろくなことを考えていない。
そして大抵成功する。
それが厄介だった。
「華琳は優秀だ」
張燕は言う。
「当然です」
桂花は即答する。
そこに迷いはない。
主君としての忠誠は今も残っている。
敵味方の立場は変わった。
だが尊敬まで消えたわけではない。
「だから正面から戦うと面倒だ」
張燕は続ける。
「ならどうするんです?」
「嫌がらせだ」
桂花は頭を抱えた。
予想通りだった。
本当に予想通りだった。
その頃。
魏軍本陣。
曹操は静かに戦況を眺めていた。
傍らには郭嘉だけ。
夏侯惇も。
夏侯淵も。
最前線に出ている。
本陣は極めて少人数だった。
「楽しそうですね」
郭嘉が笑う。
曹操も微笑む。
「あの男が相手だもの」
張燕。
今の戦場は昔とは違う。
王道を知った。
正攻法も理解している。
それでもなお黒山賊のままだ。
そこが面白かった。
「そろそろ来るわ」
曹操が言う。
「嫌がらせが」
郭嘉は吹き出した。
まるで理解し合っている。
敵なのに。
それが張燕と曹操だった。
そして。
その直後だった。
戦場の後方。
魏軍の補給隊から悲鳴が上がる。
「報告!」
伝令が駆け込む。
「補給部隊襲撃!」
「やっぱり」
曹操は笑った。
驚きもしない。
問題は規模だった。
「被害は?」
「補給物資が……」
伝令が困惑している。
「どうしたの?」
「盗まれていません」
「……?」
郭嘉が首を傾げる。
「燃やされてもいません」
「なら?」
伝令は顔を引きつらせた。
「全ての荷車の車輪が外されています」
本陣が沈黙した。
郭嘉が吹き出す。
曹操も思わず額を押さえた。
「時雨……」
それだけだった。
物資は無事。
食糧も無事。
武器も無事。
だが動かせない。
実に張燕らしい。
奪わない。
燃やさない。
ただ面倒にする。
黒山流だった。
「華琳様」
郭嘉が笑う。
「怒っています?」
「少し」
そう言いながら曹操も笑っていた。
まだ終わらない。
嫌な予感しかしない。
そしてその予感は当たる。
今度は別の伝令が飛び込んできた。
「報告!」
「今度は何?」
「後方の井戸に大量の魚が放り込まれています!」
沈黙。
再び沈黙。
郭嘉は笑いを堪えている。
曹操は天を仰いだ。
「何故魚?」
「分かりません!」
誰にも分からない。
張燕にしか分からない。
ただ一つだけ言える。
面倒だった。
飲み水の確認が必要になる。
兵站が遅れる。
戦闘そのものには関係ない。
だが確実に邪魔になる。
「嫌がらせね」
曹操は笑う。
「ええ」
郭嘉も頷く。
「全力の」
一方その頃。
張燕は上機嫌だった。
「時雨様」
桂花が呆れている。
「車輪を外す意味あります?」
「ある」
「魚は?」
「ある」
「どこに?」
「俺の心に」
桂花は頭痛を覚えた。
だが否定できない。
実際に魏軍は混乱している。
兵力は減っていない。
被害も少ない。
それでも確実に邪魔だ。
それが張燕だった。
「次だ」
張燕は戦場を見る。
中央では激戦が続いている。
趙雲。
呂布。
それぞれが戦っている。
そして遠く。
魏軍本陣。
曹操が見える。
「華琳」
張燕は笑った。
「まだまだだぞ」
戦場とは兵を殺すだけの場所ではない。
敵を困らせる。
怒らせる。
疲れさせる。
混乱させる。
全てが武器になる。
それが黒山流。
王道を学んだ今だからこそ、その卑劣さはさらに鋭くなっていた。
そして関中の戦場では。
覇王曹操と黒山の頭領張燕による読み合いが、ますます激しさを増していくのだった。
感想、評価、お気に入りよろしくお願い致します!
ヒロインアンケート
-
星
-
雪蓮
-
華琳