第二百十一話 覇王の執念
許昌の朝は早い。
政務。
軍務。
報告書。
燕国の領土はかつてないほど広がり、その分だけ仕事も増えていた。
本来なら張燕も忙しいはずだった。
本来なら。
だが。
「時雨」
聞き慣れた声が響く。
張燕は反射的に頭を抱えた。
来た。
また来た。
声の主は曹操。
華琳だった。
ここ数日。
華琳は毎日のように張燕の元を訪れている。
政務の相談。
軍事の報告。
人事の提案。
内容自体は真面目だった。
だが。
最後は必ず別の話になる。
「時雨」
「何だ」
「考えてくれた?」
「何をだ」
「分かっているでしょう」
張燕は天井を見上げた。
やはりその話だった。
少し前。
正妻の話になった。
雪蓮が正妻である事。
それに華琳が納得していない事。
そこまでは良かった。
問題はその後だった。
「私は諦めないわ」
華琳は堂々と言う。
その姿は覇王そのものだった。
戦で負けても折れない。
目的を決めたら止まらない。
昔からそうだった。
張燕はため息を吐く。
「華琳」
「何かしら」
「諦めろ」
「嫌よ」
即答だった。
あまりにも即答だった。
張燕が呆れる。
だが華琳は真面目だった。
「私は本気よ」
その瞳には迷いがない。
昔。
官渡で戦った頃から。
許昌で再会した頃から。
長安で降伏した時から。
ずっと変わらない。
その視線を見ていると張燕も困る。
冗談ではないからだ。
その頃。
屋敷の外では野次馬達が集まっていた。
雪蓮。
白蓮。
桂花。
恋。
その他多数。
完全に暇人達だった。
「また始まったわね」
雪蓮が笑う。
「毎日だな」
白蓮も呆れている。
だが誰も止めない。
面白いからだった。
部屋の中。
華琳は机へ手をつく。
そして真っ直ぐ張燕を見る。
「時雨」
「何だ」
「私は決めているわ」
「嫌な予感しかしない」
「もしあなたが私のものにならないなら」
張燕が顔をしかめる。
華琳は続ける。
「私があなたの側へ行く」
沈黙。
張燕が固まる。
華琳は真面目だった。
とても真面目だった。
だからこそ厄介だった。
「華琳」
「何かしら」
「お前な」
「私は本気よ」
張燕は頭を抱えた。
この覇王。
戦場では冷静なのに。
こういう時だけ異常に頑固だった。
そして何より。
絶対に引かない。
戦でも。
政務でも。
人生でも。
一度決めたら前へ進む。
それが曹操だった。
「時雨」
華琳が笑う。
「私を侮らない事ね」
「十分知ってる」
「なら答えも分かるでしょう」
張燕はしばらく黙る。
そして。
深くため息を吐いた。
その様子を見た華琳が少しだけ笑う。
勝利を確信した顔だった。
数刻後。
大広間。
主要な面々が集められていた。
雪蓮。
白蓮。
桂花。
恋。
その他の将達。
全員が何事かと集まっている。
その中央に張燕が立った。
表情は疲れている。
非常に疲れている。
まるで何日も徹夜したような顔だった。
「時雨?」
雪蓮が首を傾げる。
張燕は咳払いをした。
そして。
静かに口を開く。
「決めた」
全員が注目する。
特に華琳は期待に満ちた目をしている。
張燕は天井を見上げた。
逃げたい。
本気で逃げたい。
だが無理だった。
だから覚悟を決める。
「雪蓮」
「うん」
「華琳」
「ええ」
二人を見る。
そして。
言った。
「二人ともだ」
沈黙。
数秒。
完全な沈黙。
最初に反応したのは白蓮だった。
「は?」
実に率直だった。
桂花も固まる。
恋はよく分かっていない。
雪蓮は目を丸くする。
華琳も驚いていた。
だが。
次の瞬間。
雪蓮が笑った。
豪快に。
楽しそうに。
「時雨らしいわね」
華琳も笑う。
「本当に」
二人とも怒っていない。
むしろ納得している。
その様子を見て張燕は力が抜けた。
どうやら正解だったらしい。
「仕方ないわ」
雪蓮が言う。
「時雨だもの」
「そうね」
華琳も頷く。
二人は顔を見合わせる。
そして。
不敵に笑った。
その笑みを見た白蓮が呟く。
「終わったな」
「何がですか」
桂花が聞く。
白蓮は遠い目をした。
「時雨の平穏な日々だ」
誰も反論しなかった。
その後。
宴が始まった。
兵士達は大騒ぎする。
黒山軍も。
元魏軍も。
皆が笑っていた。
戦乱の時代。
血と戦いの日々。
そんな中で訪れた束の間の平和だった。
張燕は酒を飲みながら空を見上げる。
長かった。
本当に長かった。
官渡から始まった戦い。
覇王との因縁。
その全てが一つの形で終わった。
だが。
隣では雪蓮と華琳が何やら言い争っている。
内容はどうでもいい事だ。
しかし二人とも譲らない。
張燕は思った。
戦乱は終わっても。
自分の苦労だけは終わらないらしい。
その事実に気付きながら。
黒山の頭領は静かに酒を飲むのだった。
感想、評価、お気に入りよろしくお願い致します!
ヒロインアンケート
-
星
-
雪蓮
-
華琳