第二百十七話 恋の迎え
黒山の朝は気持ちが良かった。
張燕は久しぶりに心からそう思っていた。
山の空気。
木々の匂い。
鳥の鳴き声。
許昌のような大都市では味わえない自然がそこにはある。
そして何より。
政務がない。
書類がない。
桂花がいない。
これが大きかった。
「最高だな」
張燕は岩の上で寝転びながら呟く。
隣では星が呆れた顔をしていた。
「その言葉を許昌で聞いたら桂花殿が泣くぞ」
「泣かないだろ」
「泣く」
「そうか?」
「泣く」
断言だった。
張燕は少し考えた。
確かに泣くかもしれない。
いや。
怒る方が先かもしれない。
その時だった。
遠くから足音が聞こえてきた。
星が顔を上げる。
張燕も起き上がる。
黒山の人間ではない。
足音が軽い。
そして速い。
二人は自然と警戒した。
だが。
次の瞬間。
見覚えのある姿が現れる。
小柄な少女。
赤い髪。
無表情。
そして巨大な武器。
「恋?」
張燕が目を丸くする。
現れたのは呂布だった。
恋である。
しかも一人だった。
護衛もいない。
従者もいない。
本当に一人だった。
恋は二人を見つけると真っ直ぐ歩いてくる。
そして。
張燕の前で立ち止まった。
「見つけた」
短い一言だった。
だが達成感に満ちていた。
「一人で来たのか」
張燕が聞く。
恋は頷く。
「うん」
「許昌から?」
「うん」
星が思わず苦笑する。
恋なら本当にやる。
地図も持たずに来そうだ。
「華琳殿達は?」
星が尋ねる。
恋は少し考える。
そして。
「怒ってた」
即答だった。
張燕は空を見上げた。
知っていた。
予想通りだった。
恋はそのまま張燕の隣へ座る。
自然な動作だった。
まるでそこが自分の席だと言うように。
しばらく沈黙が続く。
恋は相変わらず無口だった。
だが。
ふと。
張燕を見上げる。
「時雨」
「ん?」
「帰るの嫌?」
張燕は固まった。
星も少し驚く。
意外な質問だった。
恋らしくない。
だが。
恋は真面目だった。
真っ直ぐ張燕を見ている。
答えを待っていた。
張燕は少し考える。
嘘をつく必要はない。
相手は恋だ。
昔からの仲間だ。
だから。
正直に答えた。
「嫌だ」
即答だった。
恋が瞬きをする。
星も苦笑する。
あまりにも正直だった。
「嫌なのか」
星が聞く。
「嫌だ」
「即答だな」
「だって嫌だし」
張燕は本気だった。
本当に嫌だった。
「帰ったらどうなると思う」
張燕が聞く。
「説教」
星が答える。
「誰に」
「全員」
「だよな」
張燕は深く頷く。
容易に想像できた。
雪蓮。
華琳。
桂花。
白蓮。
全員から説教される。
考えただけで胃が痛い。
恋はじっと聞いていた。
そして。
小さく首を傾げる。
「でも」
「ん?」
「皆心配してる」
張燕は黙る。
その言葉は重かった。
恋は続ける。
「雪蓮」
「うん」
「華琳」
「うん」
「桂花」
「うん」
「白蓮」
「うん」
恋は指を折りながら数える。
そして。
ぽつりと言う。
「みんな探してる」
張燕は返事ができなかった。
分かっている。
心配をかけている事くらい。
ただ。
少しだけ休みたかった。
少しだけ逃げたかった。
それだけだった。
星が横から言う。
「恋」
「ん?」
「連れ戻しに来たのか」
恋は少し考える。
そして。
首を横に振った。
「違う」
意外な答えだった。
張燕も驚く。
「じゃあ何しに来た」
恋は張燕を見る。
そして。
静かに答えた。
「迎えに来た」
風が吹く。
黒山の木々が揺れる。
恋の言葉は短かった。
だが。
その一言に全てが詰まっていた。
連れ戻す。
捕まえる。
そうではない。
迎えに来た。
仲間として。
家族として。
ただ迎えに来たのだ。
張燕は頭を掻く。
困ったように笑う。
「参ったな」
本当にそう思った。
恋は真っ直ぐだった。
だから強い。
星も少し笑う。
「良い仲間を持ったな」
「そうだな」
張燕は頷いた。
空は青い。
黒山は相変わらず心地良い。
帰りたくない気持ちは本当だった。
だが。
待っている者達がいる。
怒っている者達もいる。
心配している者達もいる。
そして。
迎えに来た仲間もいる。
張燕は空を見上げる。
「もう少しだけ」
ぽつりと呟く。
恋が首を傾げる。
「もう少しだけ黒山を満喫してから考える」
その言葉に星が吹き出した。
恋も小さく笑う。
どうやら。
黒山の頭領はもう少しだけ自由を満喫するつもりらしかった。
感想、評価、お気に入りよろしくお願い致します!
ヒロインアンケート
-
星
-
雪蓮
-
華琳