第二百二十一話 黒山頭領、ついに捕まる
黒山の平和な時間は終わりを迎えた。
張燕自身、その日は妙に嫌な予感がしていた。
朝から鳥が騒がしい。
風向きも何となく落ち着かない。
そして何より。
恋と星が妙に静かだった。
「なあ」
焚き火の前で干し肉を食べながら張燕が言う。
「何だ」
星が答える。
「何か隠してないか?」
「別に」
「恋」
「ん」
「何か知ってるか?」
恋は少しだけ目を逸らした。
それだけで十分だった。
張燕は察した。
何かある。
確実にある。
だが。
その正体に気付いた時には既に遅かった。
黒山の山道から大量の足音が響いたのである。
「頭領ーーー!!」
「捕まえろーーー!!」
「逃がすなーーー!!」
張燕は固まった。
聞き覚えのある声だった。
黒山軍である。
しかも古参ばかりだった。
山道の向こうから続々と現れる屈強な男達。
その数は数百。
いやもっといた。
完全に包囲網だった。
「……星」
「何だ」
「説明してくれ」
「許昌から正式な命令だ」
星は涼しい顔だった。
「お前も共犯か!」
「当然だ」
即答だった。
張燕は頭を抱えた。
恋も小さく頷く。
つまり。
最初からそういう事だった。
迎えではない。
捕獲だったのである。
「頭領!」
古参の黒山兵が涙目で叫ぶ。
「帰りましょう!」
「皆心配してるんです!」
「俺は帰りたくない!」
「駄目です!」
即答だった。
その瞬間。
張燕は走った。
全力で。
黒山育ちの脚力を舐めてはいけない。
山道なら誰にも負けない自信がある。
しかし。
「いたぞ!」
「右へ回れ!」
「逃がすな!」
包囲網が完璧だった。
しかも黒山軍。
張燕の戦い方を誰より知っている。
逃げ道を全て塞いでいた。
三十分後。
張燕は縄でぐるぐる巻きになっていた。
「放せ!」
「駄目です!」
「俺は頭領だぞ!」
「だからです!」
反論できなかった。
星が笑う。
恋も少し笑う。
こうして。
黒山頭領張燕。
正式に捕縛されたのである。
数日後。
許昌。
城門前。
そこには大勢の人が集まっていた。
白蓮。
華琳。
雪蓮。
桂花。
そして燕国の重臣達。
皆が待っていた。
やがて。
馬車が現れる。
中には縄で縛られた張燕。
まるで犯罪者だった。
「……」
白蓮が額を押さえる。
「何だその姿は」
「俺も聞きたい」
張燕が真顔で答えた。
その瞬間。
桂花の顔が引きつる。
笑顔だった。
恐ろしい笑顔だった。
「時雨様」
「はい」
「お話があります」
「嫌な予感しかしない」
「安心してください」
「全然安心できない」
そのまま張燕は執務室へ連行された。
そして。
運命の説教会議が始まった。
長机の向こう。
並ぶ重臣達。
完全に裁判だった。
張燕だけが被告席にいる。
最初に立ち上がったのは桂花だった。
「では始めます」
「始めないでくれ」
却下された。
「まず失踪期間二十五日」
「そんなに経ったか」
「経ちました!」
机を叩く。
書類の束が飛ぶ。
「政務放棄」
「うっ」
「連絡なし」
「うっ」
「捜索隊出動」
「うっ」
「国家機能一部停止」
「待て」
「事実です!」
反論できなかった。
次は白蓮だった。
「お前なあ……」
深いため息。
「心配したんだぞ」
それは怒鳴り声ではなかった。
本音だった。
張燕は少しだけ視線を逸らす。
白蓮は続ける。
「無事なのは良かった」
「……悪かった」
小さな謝罪。
珍しかった。
白蓮は苦笑した。
その後。
雪蓮が立ち上がる。
張燕は身構えた。
絶対怒る。
そう思った。
だが。
雪蓮はしばらく黙った後。
突然抱きついた。
「馬鹿」
それだけだった。
強く。
本当に強く抱きしめる。
「心配した」
声が少し震えていた。
張燕は言葉を失う。
「ごめん」
「遅い」
雪蓮はそう言いながらも離れなかった。
そして最後。
部屋が静かになる。
皆が自然と道を開く。
そこに立っていたのは華琳だった。
元魏王。
曹操。
彼女はゆっくり歩いてくる。
そして張燕の前で止まった。
沈黙。
数秒。
十秒。
二十秒。
誰も喋らない。
張燕の額に汗が流れる。
やがて。
華琳が口を開いた。
「楽しかったかしら?」
「……少し」
「そう」
笑顔だった。
優しい笑顔。
だが。
それが一番怖かった。
「なら今から失った二十五日分の仕事をしてもらうわ」
張燕の顔が凍った。
「待て」
「駄目」
「交渉しよう」
「駄目」
「半分で」
「駄目」
「十分の一」
「駄目」
完全敗北だった。
部屋中から笑いが起きる。
張燕だけが絶望していた。
こうして。
黒山への逃亡生活は終わった。
再び始まる政務の日々。
再び始まる責任ある立場。
だが。
誰も気付いていなかった。
蜀では既に北郷一刀が動き始めている事を。
そして。
天下を揺るがす新たな戦いが、静かに近付いている事を。
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