【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第二百二十六話 雪蓮の違和感

第二百二十六話 雪蓮の違和感

 

 

許昌。

 

燕国の中心地。

 

今日も城内は慌ただしかった。

 

文官達は走り回り。

 

兵士達は訓練を続け。

 

商人達は新たな取引に忙しい。

 

天下最大級の勢力となった燕国は、良くも悪くも活気に満ちていた。

 

そして。

 

その中心であるはずの張燕は。

 

「嫌だ」

 

机に突っ伏していた。

 

「駄目です」

 

桂花が即答する。

 

「嫌だ」

 

「駄目です」

 

「嫌だ」

 

「駄目です」

 

完全にいつもの光景だった。

 

山積みの書類。

 

終わらない政務。

 

逃げ出したい頭領。

 

それを許さない文官。

 

もはや日常だった。

 

そんな時だった。

 

執務室の扉が開く。

 

入ってきたのは雪蓮だった。

 

「時雨」

 

普段の明るい声。

 

だが。

 

今日は少し違った。

 

張燕はすぐに気付く。

 

「どうした?」

 

雪蓮は冗談を言う時の顔ではなかった。

 

桂花も察したらしい。

 

静かに席を立つ。

 

「私は少し外します」

 

部屋から出て行く。

 

二人きりになった。

 

張燕は姿勢を正した。

 

「何かあったか?」

 

雪蓮は少し考えた。

 

そして。

 

静かに口を開く。

 

「最近変なのよ」

 

「変?」

 

「うん」

 

雪蓮は窓の外を見る。

 

そして続けた。

 

「私の周りに知らない奴がいる」

 

張燕の表情が変わった。

 

一瞬で頭領の顔になる。

 

政務嫌いの男は消えていた。

 

「詳しく話せ」

 

雪蓮は頷く。

 

「最初は偶然だと思った」

 

「うん」

 

「市場に行った時」

 

「うん」

 

「同じ顔を見たの」

 

張燕は黙って聞く。

 

「次の日もいた」

 

「同じ奴か」

 

「たぶん」

 

雪蓮は腕を組む。

 

「三日後も」

 

「またか」

 

「さらに別の奴もいた」

 

嫌な話だった。

 

雪蓮は戦場を渡り歩いた武人だ。

 

勘は鋭い。

 

その雪蓮が違和感を覚えている。

 

偶然ではない可能性が高かった。

 

「尾行か」

 

張燕が呟く。

 

雪蓮もそう考えていた。

 

「私もそう思った」

 

「護衛は?」

 

「気付いてない」

 

「ふむ」

 

張燕は考える。

 

雪蓮ほどの武人を監視する。

 

普通の間者では無理だ。

 

それなりの訓練を受けている。

 

そして。

 

目的は何か。

 

暗殺か。

 

誘拐か。

 

それとも情報収集か。

 

そこまで考えた時。

 

張燕の脳裏に一人の男が浮かんだ。

 

北郷一刀。

 

天の御使い。

 

今最も警戒している存在だった。

 

「西か」

 

小さく呟く。

 

雪蓮も察した。

 

「蜀?」

 

「可能性はある」

 

断定はしない。

 

証拠がない。

 

だが。

 

時期が良すぎた。

 

呉滅亡。

 

蜀の勢力拡大。

 

そして燕との同盟。

 

今の蜀が最も知りたい情報。

 

それは燕の内部事情だろう。

 

「私を調べてる?」

 

雪蓮が聞く。

 

「十分あり得る」

 

張燕は頷いた。

 

雪蓮は今や燕国の象徴の一人だった。

 

元呉王。

 

張燕の正妻。

 

その立場は大きい。

 

利用価値も高い。

 

「面倒ね」

 

雪蓮は苦笑した。

 

張燕も同感だった。

 

だが。

 

同時に少し面白くも感じていた。

 

「時雨?」

 

「ん?」

 

「何笑ってるの?」

 

「いや」

 

張燕は口元を歪める。

 

黒山賊時代から変わらない笑みだった。

 

「向こうから動いてくれるなら楽だなと」

 

雪蓮は呆れた。

 

普通なら警戒する。

 

だが張燕は違う。

 

相手が策を仕掛けるなら。

 

逆に利用する。

 

昔からそうだった。

 

「また嫌がらせ考えてるでしょ」

 

「少し」

 

「絶対考えてる」

 

即答だった。

 

張燕は否定しない。

 

その頃。

 

許昌の市場。

 

人混みの中。

 

一人の男が立っていた。

 

旅人風の格好。

 

どこにでもいる男。

 

だが。

 

その目だけは違った。

 

鋭い。

 

冷静。

 

そして周囲を観察している。

 

彼は知らない。

 

既に雪蓮に気付かれている事を。

 

そして。

 

もっと恐ろしい事に。

 

張燕が動き始めた事を。

 

男は静かに路地へ入る。

 

報告をまとめるためだった。

 

だが。

 

その瞬間。

 

背後から声が聞こえる。

 

「兄ちゃん」

 

男が振り向く。

 

そこには黒山兵がいた。

 

一人ではない。

 

二人。

 

三人。

 

四人。

 

増えていく。

 

笑顔だった。

 

全員。

 

男の額に汗が流れる。

 

「最近よく見る顔だな」

 

黒山兵が言う。

 

「旅人か?」

 

別の兵が笑う。

 

「なら案内してやるよ」

 

逃げ道はなかった。

 

男は悟る。

 

見つかった。

 

完全に。

 

黒山軍は戦場だけではない。

 

自国の中でも異様に強かった。

 

何故なら。

 

元々が賊だからである。

 

怪しい人間を見つける能力は天下一品だった。

 

その頃。

 

執務室では。

 

雪蓮が酒を飲んでいた。

 

張燕も飲んでいる。

 

「で?」

 

雪蓮が聞く。

 

「どうするの?」

 

張燕は笑う。

 

実に楽しそうだった。

 

「決まってる」

 

「何?」

 

「捕まえて聞く」

 

雪蓮は吹き出した。

 

実に張燕らしい。

 

遠回りしない。

 

まず捕まえる。

 

話はそれから。

 

外では夕日が沈み始めていた。

 

そして。

 

蜀が放った小さな探りは。

 

思わぬ形で黒山軍の網に引っ掛かろうとしていた。

 

まだ誰も知らない。

 

これは蜀と燕の水面下の戦いの始まりに過ぎない事を。

 




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