【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第二百三十話 天の御使いの盤上

第二百三十話 天の御使いの盤上

 

 

 

建業の夜は静かだった。

 

祝いの宴は終わり、城の灯火も少しずつ消えていく。

 

だが。

 

城の最奥にある執務室だけはまだ明かりが残っていた。

 

北郷一刀は一人で机に向かっていた。

 

目の前には地図。

 

蜀。

 

そして燕。

 

二つの巨大勢力が描かれている。

 

かつて魏があった場所は既に燕の領土。

 

かつて呉があった場所は蜀の領土。

 

天下には今や二つの巨大国家しか存在しなかった。

 

「早かったな……」

 

一刀は呟く。

 

本来なら。

 

もっと長く争うはずだった。

 

魏。

 

呉。

 

燕。

 

蜀。

 

互いに牽制し合い、均衡が続くはずだった。

 

だが。

 

張燕という存在が全てを狂わせた。

 

魏は滅んだ。

 

曹操は燕へ入った。

 

天下の北半分はほぼ燕の支配下。

 

気付けば蜀と燕。

 

二国だけが残っている。

 

一刀は地図を見つめる。

 

そして理解していた。

 

いつか必ず戦う。

 

避けられない。

 

天下を二つに分ける。

 

それも一つの選択肢だ。

 

だが。

 

それを張燕が望んでも。

 

自分は望まない。

 

天下統一。

 

それが目標だった。

 

ならば。

 

最後に残る敵は燕である。

 

問題は。

 

どうやって戦うかだった。

 

「兵力では互角か……」

 

燕は強い。

 

圧倒的に強い。

 

将も揃っている。

 

兵も多い。

 

領土も広い。

 

しかも張燕自身が厄介だった。

 

正面から戦えば勝てるか分からない。

 

だから。

 

戦う前に準備が必要だった。

 

大義名分。

 

それが必要になる。

 

ただ攻め込めば侵略者になる。

 

民の支持も失う。

 

諸将の不満も出る。

 

だから。

 

戦う理由を作らなければならない。

 

「理由か……」

 

一刀は考える。

 

燕が先に攻めた。

 

燕が約束を破った。

 

燕が悪政を敷いている。

 

燕が民を苦しめている。

 

そういった理由が必要になる。

 

もちろん。

 

今の燕にはそんな話はほとんど無い。

 

むしろ評判は良い。

 

民は安定を喜んでいる。

 

張燕は政務こそ嫌うが。

 

周囲には優秀な者が多い。

 

華琳。

 

桂花。

 

雪蓮。

 

そして他の将達。

 

国としては安定していた。

 

だからこそ難しい。

 

「崩すしかない」

 

一刀は静かに呟く。

 

一気には無理だ。

 

少しずつ。

 

少しずつ。

 

印象を変える。

 

燕は危険だ。

 

燕は脅威だ。

 

そう思わせる。

 

戦は剣だけで行うものではない。

 

人の心もまた戦場だった。

 

その時。

 

扉が叩かれる。

 

入ってきたのは朱里だった。

 

「ご主人様」

 

「どうした?」

 

「まだ起きていたんですか」

 

「少し考え事だ」

 

朱里は机を見る。

 

地図。

 

そして燕国。

 

何を考えているかまでは分からない。

 

だが。

 

最近の一刀が燕を気にしている事は理解していた。

 

「時雨さんですか?」

 

一刀は少し笑う。

 

「そんなところだ」

 

朱里は困ったような顔になる。

 

昔の仲間。

 

だからこそ複雑だった。

 

「戦うんですか?」

 

その問いに。

 

一刀は答えなかった。

 

答えられなかった。

 

まだ決まっていない。

 

だが。

 

未来を考えれば避けられない。

 

それだけは理解している。

 

朱里が部屋を出る。

 

再び静寂。

 

一刀は地図へ目を向ける。

 

許昌。

 

鄴。

 

長安。

 

燕の主要都市。

 

どこも堅い。

 

どこも簡単には落ちない。

 

「張燕」

 

その名を口にする。

 

不思議な男だった。

 

王にならない。

 

権力に執着しない。

 

だが。

 

結果だけ見れば最も天下に近い男。

 

だからこそ厄介だった。

 

欲望で動く相手なら読める。

 

だが張燕は違う。

 

読めない。

 

何を優先するのか分からない。

 

それが怖かった。

 

一刀は目を閉じる。

 

そして決意する。

 

まずは情報。

 

次に世論。

 

その次に外交。

 

戦うとしても今ではない。

 

準備を整える。

 

盤上の駒を並べる。

 

全てはその後だった。

 

一方その頃。

 

建業の客室。

 

張燕は酒を飲みながら寝転がっていた。

 

「暇だ」

 

「祝いに来たんでしょう?」

 

雪蓮が呆れる。

 

「祝いは終わった」

 

「終わったわね」

 

華琳も苦笑する。

 

だが。

 

張燕は窓の外を見ていた。

 

夜の建業。

 

静かな街。

 

そして。

 

この街を支配する蜀。

 

「何考えてるの?」

 

雪蓮が尋ねる。

 

張燕は少し笑った。

 

「天の御使いだ」

 

雪蓮と華琳が顔を見合わせる。

 

やはり同じだった。

 

向こうもこちらを見ている。

 

こちらも向こうを見ている。

 

まだ剣は抜かれていない。

 

だが。

 

互いに分かっていた。

 

いつか来る。

 

避けられない日が。

 

そしてその日へ向けて。

 

天の御使いも。

 

黒山の頭領も。

 

静かに盤上の駒を動かし始めていた。

 




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