【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第二百三十一話 成都へ帰る天の御使い

第二百三十一話 成都へ帰る天の御使い

 

 

建業での祝いの席は終わった。

 

孫権の子供の誕生。

 

それは蜀にとっても大きな慶事だった。

 

城下では祝いの宴が続き、民達も新たな命の誕生を喜んでいた。

 

だが。

 

祝いは祝い。

 

天下の流れは止まらない。

 

数日後。

 

張燕達は建業を後にした。

 

「じゃあな」

 

城門の前。

 

張燕はいつも通り軽い調子だった。

 

まるで近所へ遊びに来ていたかのようである。

 

一刀も苦笑した。

 

「本当に祝いだけで帰るのか?」

 

「祝いだからな」

 

「普通は本人が来ない」

 

「俺だからな」

 

また同じやり取りだった。

 

周囲の者達も苦笑する。

 

雪蓮など完全に慣れている。

 

「時雨だから仕方ないわ」

 

「そういう事だ」

 

張燕は堂々と頷いた。

 

全く反省していない。

 

華琳も呆れていた。

 

「本当に変な男ね」

 

だが。

 

その言葉には少し笑みも混じっていた。

 

やがて。

 

燕へ向かう一行は出発する。

 

時雨。

 

雪蓮。

 

華琳。

 

そして護衛達。

 

馬蹄の音が遠ざかっていく。

 

一刀はその背中を見送った。

 

表情は穏やかだった。

 

だが。

 

心の中では別の事を考えている。

 

「張燕……」

 

読めない男。

 

何を考えているのか分からない男。

 

それが余計に不気味だった。

 

その日のうちに。

 

一刀も建業を出発する。

 

目的地は成都。

 

蜀の中心。

 

今後の天下を決める場所だった。

 

長い旅路の途中。

 

一刀は馬上で考え続ける。

 

今の天下。

 

燕と蜀。

 

二つの勢力。

 

もし戦えばどうなるか。

 

どちらが勝つか。

 

答えは出ない。

 

だからこそ。

 

戦う前に準備が必要だった。

 

成都へ到着したのは数日後だった。

 

城門をくぐる。

 

帰ってきた都は相変わらず活気に満ちている。

 

民達の笑顔。

 

商人達の声。

 

豊かな街並み。

 

全てが順調だった。

 

そして。

 

その中心には劉備がいる。

 

桃香。

 

蜀王。

 

理想を信じ続ける少女。

 

一刀は真っ直ぐ執務室へ向かった。

 

中では桃香が書類と格闘していた。

 

「ご主人様!」

 

一刀の姿を見つけた瞬間。

 

顔が明るくなる。

 

昔と変わらない笑顔だった。

 

一刀も微笑む。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい!」

 

桃香は本当に嬉しそうだった。

 

その姿を見ると。

 

一刀は少しだけ罪悪感を覚える。

 

だが。

 

すぐに消した。

 

全ては蜀のため。

 

そう自分へ言い聞かせる。

 

その日から。

 

一刀は再び動き始めた。

 

表向きには何も変わらない。

 

いつも通り。

 

軍議へ出る。

 

政務を行う。

 

桃香を支える。

 

だが。

 

会話の内容は少しずつ変化していた。

 

「燕は本当に大きくなったな」

 

何気なく言う。

 

桃香は頷く。

 

「そうだね」

 

「今の天下で一番広いかもしれない」

 

「うん」

 

事実だった。

 

だから否定できない。

 

また別の日。

 

「燕の兵力は凄いらしい」

 

そう言う。

 

桃香は少し考える。

 

「時雨さんの所だもんね」

 

「そうだな」

 

一刀は笑う。

 

そして。

 

少しずつ話を続ける。

 

「でも大きな国は大変だ」

 

「そうかな?」

 

「統治も難しい」

 

「うん」

 

「地方によって不満も出る」

 

桃香は静かに聞いている。

 

否定しない。

 

事実だからだ。

 

一刀は決して嘘を言わない。

 

だが。

 

話す方向を選ぶ。

 

それだけだった。

 

「もし民が苦しんでいたら」

 

「……」

 

「助けるべきだと思う」

 

桃香は真剣な顔になる。

 

彼女は優しい。

 

困っている人を放っておけない。

 

だからこそ。

 

こうした話は心へ残る。

 

一刀は焦らない。

 

急げば失敗する。

 

少しずつ。

 

少しずつ。

 

考え方へ影響を与える。

 

燕は脅威かもしれない。

 

燕にも問題があるかもしれない。

 

そんな意識を育てていく。

 

それは洗脳というより。

 

誘導に近かった。

 

露骨ではない。

 

強制でもない。

 

だが。

 

確実に方向を決める。

 

それが一刀のやり方だった。

 

その頃。

 

許昌へ戻った張燕は。

 

「帰りたくなかった」

 

執務室で絶望していた。

 

机の上には書類の山。

 

いや。

 

山脈だった。

 

「仕事してください」

 

桂花が笑顔で言う。

 

怖かった。

 

非常に怖かった。

 

雪蓮は笑っている。

 

華琳も楽しそうだ。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「逃げる?」

 

雪蓮が聞く。

 

「逃げたい」

 

即答だった。

 

しかし。

 

逃げられない。

 

桂花がいる。

 

黒山兵もいる。

 

全方位が敵だった。

 

こうして。

 

許昌ではいつも通りの騒がしい日常が始まる。

 

だが。

 

張燕は知らない。

 

遠く成都で。

 

天の御使いが静かに動いている事を。

 

桃香の理想。

 

桃香の正義。

 

そして蜀の未来。

 

それらを少しずつ導きながら。

 

北郷一刀は燕との決戦の日へ向けて。

 

誰にも気付かれぬまま盤上の駒を進め始めていたのである。

 




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