【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第二百三十二話 静かなる誘導

第二百三十二話 静かなる誘導

 

 

成都。

 

蜀の中心。

 

天下でも屈指の繁栄を誇る都は、今日も活気に満ちていた。

 

市場には人が溢れ。

 

商人達は声を張り上げ。

 

子供達は笑いながら走り回る。

 

戦乱の時代とは思えない光景だった。

 

その光景を城の高台から見下ろしながら、劉備は小さく微笑んでいた。

 

「平和だね」

 

その言葉には本心が込められていた。

 

争いの無い世界。

 

誰も泣かない世界。

 

それこそが彼女の理想だった。

 

そしてその隣には北郷一刀がいる。

 

「そうだな」

 

穏やかな返事。

 

いつもと変わらない優しい声。

 

だが。

 

その胸中では別の思考が動いていた。

 

今の蜀は強い。

 

呉を併合し。

 

揚州と徐州を支配下に置いた。

 

勢力は大きく拡大している。

 

しかし。

 

それでも燕には及ばない。

 

河北。

 

中原。

 

長安。

 

そして旧魏領。

 

燕は巨大だった。

 

あまりにも巨大だった。

 

このままでは均衡が続く。

 

それは一刀にとって望ましい未来ではない。

 

天下は一つでなければならない。

 

そう考えていた。

 

だからこそ。

 

今必要なのは剣ではなく言葉だった。

 

「桃香」

 

「うん?」

 

劉備が振り返る。

 

一刀は少し考えるような仕草を見せた。

 

「最近、燕の報告を見たか?」

 

「見たよ」

 

劉備は頷く。

 

「相変わらず賑やかみたい」

 

その言葉に一刀は微笑む。

 

確かにそうだ。

 

報告書に書かれる燕は豊かだった。

 

民の不満も少ない。

 

統治も安定している。

 

だが。

 

一刀は別の部分を見ていた。

 

「そうだな」

 

「?」

 

「ただ大きくなり過ぎた」

 

劉備は首を傾げる。

 

「大きくなり過ぎた?」

 

「国は大きければ良いわけじゃない」

 

静かな口調だった。

 

押し付けるような話し方ではない。

 

だからこそ自然に耳へ入る。

 

「広すぎる領土は管理が難しい」

 

「そうかな?」

 

「歴史を見れば分かる」

 

一刀は続けた。

 

「急激に大きくなった国は問題を抱えやすい」

 

それもまた事実だった。

 

劉備は黙って聞いている。

 

彼女は人の話を真面目に聞く。

 

だからこそ影響を受けやすい。

 

一刀はそれを理解していた。

 

「もし地方で苦しんでいる人がいたら?」

 

「助けたい」

 

即答だった。

 

予想通りだった。

 

一刀は頷く。

 

「俺も同じだ」

 

劉備は少し嬉しそうに笑った。

 

やはりご主人様は優しい。

 

そう思った。

 

だが。

 

一刀はその笑顔を見ながら次の一手を考えていた。

 

数日後。

 

軍議。

 

諸将が集まっている。

 

愛紗。

 

鈴々。

 

朱里。

 

雛里。

 

蜀の重臣達が勢揃いしていた。

 

議題は各地の報告。

 

その中で。

 

一刀は何気なく一つの話題を出した。

 

「燕との国境付近だが」

 

全員が耳を傾ける。

 

「商人達の往来が増えている」

 

「良い事ではないのか?」

 

愛紗が言う。

 

一刀も頷いた。

 

「基本的にはな」

 

否定はしない。

 

しかし。

 

そこで言葉を続ける。

 

「ただ影響力も強くなる」

 

会議室が静かになる。

 

「影響力?」

 

朱里が聞いた。

 

「燕は今や天下最大の国家だ」

 

一刀は地図を見る。

 

「その文化も」

 

「経済力も」

 

「軍事力も」

 

「他国へ大きな影響を与える」

 

それもまた事実だった。

 

誰も反論できない。

 

一刀はあくまで事実だけを話している。

 

だが。

 

話す内容を選んでいた。

 

それが重要だった。

 

会議が終わる頃には。

 

多くの者が改めて燕の大きさを意識していた。

 

それだけで十分だった。

 

その夜。

 

一刀は執務室で一人になっていた。

 

机には報告書が並ぶ。

 

その中に燕に関する物も多い。

 

張燕。

 

雪蓮。

 

華琳。

 

桂花。

 

今の燕を支える面々。

 

「厄介だな」

 

思わず呟く。

 

特に雪蓮だった。

 

以前は利用できると思った。

 

だが違った。

 

調べれば調べるほど。

 

彼女は燕に馴染んでいた。

 

民に慕われ。

 

将達とも良好。

 

張燕との関係も良い。

 

付け入る隙が見つからない。

 

「本当に厄介な男だ」

 

張燕を思い浮かべる。

 

あの男は不思議だった。

 

権力へ執着しない。

 

名誉も求めない。

 

なのに人が集まる。

 

だから強い。

 

普通なら内部から崩れるはずの勢力が。

 

むしろ結束している。

 

それが一刀には理解し難かった。

 

一方その頃。

 

許昌。

 

「逃げるぞ」

 

張燕が窓を開けた。

 

「逃がしません」

 

桂花が閉めた。

 

「逃げる」

 

「逃がしません」

 

「逃げる」

 

「逃がしません」

 

いつもの光景だった。

 

雪蓮が笑い転げている。

 

華琳も肩を震わせていた。

 

天下を震わせた黒山の頭領。

 

その姿はどこにもない。

 

ただ政務から逃げたい男がいるだけだった。

 

だが。

 

そんな日常の裏側で。

 

成都では静かな変化が積み重なっていく。

 

急激ではない。

 

露骨でもない。

 

ほんの少し。

 

ほんの少しずつ。

 

劉備の意識は変わっていく。

 

燕は友好国。

 

それは変わらない。

 

だが同時に。

 

巨大な存在でもある。

 

強大な国家でもある。

 

そんな認識が少しずつ根を張り始めていた。

 

そして北郷一刀は焦らない。

 

今はまだ種を蒔く時。

 

戦う時ではない。

 

だがいつの日か。

 

その種が芽吹く日が来る。

 

その時のために。

 

天の御使いは今日もまた静かに盤上へ手を伸ばしていたのである。

 




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