【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第二百三十六話 黒山軍解体要求

第二百三十六話 黒山軍解体要求

 

 

許昌。

 

その日の朝。

 

張燕は珍しく真面目に執務室へ座っていた。

 

理由は単純だった。

 

逃げようとして三回捕まったからである。

 

桂花は机の向こう側で満足そうな顔をしていた。

 

「今日は大人しいですね」

 

「諦めただけだ」

 

張燕は死んだ魚のような目で答えた。

 

雪蓮は笑いを堪えている。

 

華琳は書類を整理しながら呆れていた。

 

「少しは王らしくしたらどう?」

 

「俺は王じゃない」

 

「国中が認めているのよ」

 

「俺は認めてない」

 

いつもの会話だった。

 

そんな時。

 

執務室の扉が叩かれる。

 

黒山兵が入ってきた。

 

表情は真面目だった。

 

「報告」

 

「何だ?」

 

「蜀から使者が到着しました」

 

空気が変わる。

 

雪蓮の笑顔が消える。

 

華琳も視線を上げた。

 

桂花は眉をひそめる。

 

張燕だけは。

 

「桃香か?」

 

と軽い調子だった。

 

だが使者が来る時期が気になった。

 

最近の蜀の動き。

 

北郷一刀の存在。

 

決して油断できない。

 

「通せ」

 

張燕が言う。

 

しばらくして。

 

蜀の使者が部屋へ入ってきた。

 

礼儀正しく一礼する。

 

そして。

 

懐から書簡を取り出した。

 

「蜀王劉備様からの親書です」

 

張燕が受け取る。

 

執務室は静まり返った。

 

封を切る。

 

中身を読む。

 

そして。

 

張燕は黙った。

 

数秒。

 

十秒。

 

さらに沈黙が続く。

 

雪蓮が不思議そうに尋ねる。

 

「時雨?」

 

返事が無い。

 

華琳も異変を察した。

 

「何が書いてあるの?」

 

張燕は書簡を机へ置いた。

 

そして。

 

珍しく笑っていなかった。

 

「なるほどな」

 

それだけ言う。

 

華琳が手を伸ばし書簡を見る。

 

そして。

 

目を細めた。

 

雪蓮も覗き込む。

 

そこに書かれていた内容は単純だった。

 

同盟継続の条件。

 

黒山軍の解体。

 

それだけだった。

 

執務室が静まり返る。

 

最初に口を開いたのは雪蓮だった。

 

「は?」

 

短い。

 

だが感情は十分伝わる。

 

華琳も冷たい表情になっていた。

 

「随分な要求ね」

 

桂花は無言だった。

 

しかし目が鋭くなっている。

 

張燕は椅子へ深く座る。

 

そして天井を見上げた。

 

黒山軍。

 

それは軍隊ではない。

 

家族だった。

 

黒山で共に生きた仲間達。

 

賊だった者。

 

流民だった者。

 

行き場を失った者。

 

皆で作り上げた居場所。

 

それが黒山軍だった。

 

そして。

 

今の燕国の基礎でもある。

 

それを解体しろ。

 

つまり。

 

張燕自身の根を切れと言っているのと同じだった。

 

雪蓮が机を叩く。

 

「ふざけてる!」

 

珍しく本気で怒っていた。

 

「黒山軍がどれだけ燕を支えてきたと思ってるのよ!」

 

華琳も頷く。

 

「ええ」

 

「これは軍事的要求ではない」

 

「政治的要求よ」

 

桂花が続ける。

 

「しかも受け入れられないと分かっている内容です」

 

その言葉で全員が理解した。

 

これは交渉ではない。

 

試しだ。

 

あるいは。

 

別の意図がある。

 

張燕は書簡を見つめる。

 

そこには桃香の名が書かれていた。

 

だが。

 

文章の癖。

 

言葉の選び方。

 

どこか違和感があった。

 

そして一人の男が浮かぶ。

 

北郷一刀。

 

「なるほど」

 

張燕は小さく呟いた。

 

華琳が聞く。

 

「誰の考えだと思う?」

 

「天の御使いだろうな」

 

即答だった。

 

雪蓮も同意する。

 

「私もそう思う」

 

桃香ならまず話し合いを望む。

 

こんな要求を最初に突き付けたりしない。

 

だが。

 

天の御使いなら別だった。

 

桂花が腕を組む。

 

「同盟を壊したいのでしょうか」

 

「あるいは」

 

華琳が続ける。

 

「こちらの反応を見たいのかもしれない」

 

どちらにしても。

 

良い話ではなかった。

 

張燕はしばらく黙る。

 

部屋も静かだった。

 

やがて。

 

使者が恐る恐る口を開く。

 

「ご返答は」

 

全員の視線が張燕へ集まる。

 

黒山軍。

 

それは張燕そのものだった。

 

なら答えは決まっている。

 

だが。

 

張燕は意外な事を言った。

 

「保留だ」

 

雪蓮が驚く。

 

華琳も目を見開いた。

 

使者も同じだった。

 

「時雨?」

 

雪蓮が聞く。

 

張燕は苦笑した。

 

「桃香本人と話す」

 

その一言だった。

 

「俺は桃香を知ってる」

 

静かな声。

 

「だから直接聞く」

 

本当に桃香の考えなのか。

 

本当に蜀の意思なのか。

 

まず確認する。

 

それが先だった。

 

張燕は立ち上がる。

 

窓の外を見る。

 

遠く西。

 

成都の方角だった。

 

そこには昔の仲間がいる。

 

信じたい友人がいる。

 

そして。

 

天の御使いもいる。

 

張燕の目が細くなる。

 

「北郷一刀」

 

その名を呟く。

 

もし本当にこの要求が一刀の考えなら。

 

蜀と燕の間に流れる空気は変わる。

 

今までのような同盟ではいられない。

 

黒山軍解体。

 

それは単なる軍事改革ではない。

 

張燕の過去。

 

仲間達。

 

生き方そのものを否定する要求だった。

 

そして誰もが感じていた。

 

この使者の到着を境に。

 

蜀と燕の関係は新しい局面へ入ろうとしている事を。

 

天下は静かに動いていた。

 

まだ剣は抜かれていない。

 

まだ戦は始まっていない。

 

だが。

 

その前触れとなる最初の一石が。

 

今まさに成都から許昌へ投げ込まれたのであった。

 




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