第二百三十九話 燕王の決断
許昌。
襄陽会談から数日後。
燕国の首都はいつもと変わらぬ賑わいを見せていた。
市場には商人が集まり、街には人々の笑い声が響いている。
民達はまだ知らない。
天下の流れが大きく変わったことを。
蜀と燕。
二つの大国を結んでいた同盟が終わったことを。
そして近い未来、天下の命運を決める戦いが避けられなくなったことを。
王城。
大広間。
普段は政務や会議に使われるその場所に、燕国の重臣達が集められていた。
白蓮。
時雨。
華琳。
雪蓮。
桂花。
恋。
霞。
翠。
星。
翠。
さらに旧魏の将達や黒山軍の幹部達も姿を見せている。
普段なら騒がしい面々も、今日は静かだった。
理由は全員分かっている。
襄陽会談の結果だ。
やがて。
燕王公孫瓚が立ち上がった。
その姿を見て場が静まる。
かつて幽州を治めていた諸侯。
今や天下最大国家の王。
その視線は真っ直ぐだった。
「報告は聞いているな」
誰も口を挟まない。
「蜀との同盟は終わった」
静かな声。
だが重い。
その一言だけで会場の空気が変わる。
霞が腕を組む。
「結局そうなったんやな」
華琳も頷いた。
「予想通りね」
桂花は不機嫌そうだった。
「あの天の御使いが裏で動いていたのは間違いありません」
誰も反論しない。
張燕も否定しなかった。
会談の席で確信していた。
あれは桃香一人の考えではない。
北郷一刀が導いた結論だった。
だが。
今さら原因を議論しても意味はない。
問題はこれからだった。
公孫瓚が続ける。
「本来なら」
そこで一度言葉を切った。
「本来なら天下は二分で終わると思っていた」
全員が黙って聞く。
それは事実だった。
呉は滅びた。
魏も消えた。
残ったのは蜀と燕。
このまま均衡を保ち続ける。
それが最も現実的な未来だった。
公孫瓚もそう考えていた。
争わない。
無理に統一を目指さない。
互いに国を守りながら共存する。
そんな未来だ。
しかし。
その未来は終わった。
「蜀が戦いを選んだ」
静かな声。
「ならば燕も覚悟を決める」
その言葉に全員の視線が集まる。
公孫瓚はゆっくりと周囲を見回した。
かつての仲間達。
戦乱を共に駆け抜けた者達。
命を預けられる家族達。
その全員を見て。
燕王は宣言した。
「これより燕は天下統一を目指す」
大広間が静まり返る。
次の瞬間。
霞が笑った。
「ははっ、やっと言うたな!」
翠も立ち上がる。
「待ってました!」
恋は無言のまま頷いた。
雪蓮は口元を吊り上げる。
「面白くなってきたじゃない」
華琳も不敵に笑った。
「最初からそうするべきだったのよ」
公孫瓚は苦笑する。
相変わらず頼もしい面々だった。
そして。
張燕へ視線を向ける。
「時雨」
「ん?」
相変わらず気の抜けた返事だった。
「お前はどう思う」
全員の視線が集まる。
黒山軍の頭領。
燕最大の功臣。
実質的な建国の立役者。
その男は少し考えた。
そして。
頭を掻いた。
「面倒だな」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
大広間に笑いが起きた。
「お前は!」
公孫瓚が思わず叫ぶ。
「今その返事か!」
「いやだって面倒だろ」
張燕は真顔だった。
「戦争は疲れる」
「政務も疲れる」
「天下統一とかもっと疲れる」
桂花が頭を抱える。
「この人は本当に……」
華琳は呆れながらも笑っていた。
雪蓮など大笑いしている。
だが。
張燕は少し表情を変えた。
そして真面目な声で言った。
「でも」
場が静まる。
「向こうが来るなら仕方ない」
その目は鋭かった。
「黒山は潰させない」
短い言葉。
だが十分だった。
星が微笑む。
「時雨らしいな」
「そうか?」
「ええ」
張燕は肩を竦める。
自分のためではない。
黒山の仲間達のためだ。
あそこは帰る場所だった。
家族だった。
それを否定されるなら。
戦うしかない。
公孫瓚は頷いた。
「よし」
そして再び全員を見る。
「戦の準備を始める」
その一言で空気が変わる。
今までの会議ではない。
戦時体制への移行だった。
桂花が即座に立ち上がる。
「兵站の再確認を行います」
華琳も続く。
「旧魏軍を再編しましょう」
霞は笑う。
「久しぶりに暴れられそうやな」
恋は静かに武器を握る。
翠も戦意を隠さない。
そして雪蓮。
「桃香か」
かつての劉備を思い出す。
本当は戦いたくない。
だが。
避けられないなら勝つしかない。
会議は深夜まで続いた。
各地の兵力。
物資。
城塞。
街道。
ありとあらゆる情報が整理される。
天下最大国家の力が動き始める。
そしてその夜。
城の屋上。
張燕は一人で空を見上げていた。
そこへ星がやって来る。
酒瓶を片手に。
「また考え事か?」
「少しな」
星は隣へ座った。
夜風が吹く。
静かな時間だった。
「蜀と戦う事になるな」
「そうだな」
張燕は空を見る。
成都。
桃香。
愛紗。
鈴々。
かつての仲間達。
戦いたい相手ではない。
だが。
向こうも覚悟を決めた。
ならこちらも決めるしかない。
星が酒を差し出す。
張燕は受け取った。
「時雨」
「ん?」
「後悔しているのか?」
張燕は少し考える。
そして笑った。
「してないな」
星も微笑む。
「それでこそ」
遠くの空には星が輝いている。
天下は再び大きく動き始めた。
蜀。
そして燕。
二つの巨人はもはや同じ道を歩けない。
いつか訪れる決戦の日。
その日に向けて。
燕王公孫瓚は天下統一を宣言した。
そして張燕もまた。
黒山を守るために戦う覚悟を固めたのであった。
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