第二百五十二話 戦局、燕へ傾く
漢中の戦いが終わりを迎えた頃、山々を吹き抜ける風は、勝敗を知らせるように黒山の旗を大きく揺らしていた。
蜀軍本陣は制圧され、各隊は統制を失ったまま各地へ散っていく。
総大将・諸葛亮。
副将・黄忠。
二人の捕縛という報は瞬く間に前線全体へ広がり、蜀軍の士気は大きく揺らいだ。
黒山軍は追撃を急がない。
時雨の命令はただ一つ。
「必要以上に戦うな」
その命令は全軍へ徹底されていた。
降伏する兵は受け入れ、武器を捨てた者へ無理な攻撃は加えない。
その一方で、軍事拠点や補給基地は確実に制圧し、蜀軍の再編を許さない。
黒山軍らしい徹底した戦い方だった。
漢中城には黒山の旗が掲げられ、守備隊の配置も終わる。
時雨は城壁の上から山々を見渡していた。
その隣には星が立っている。
「終わったな」
時雨は静かに頷いた。
「いや」
「まだ始まったばかりだ」
星は時雨の横顔を見ながら微笑む。
「戦が終わっても、時雨は休まないんだな」
「休めるほど器用じゃない」
「それも時雨らしい」
そのやり取りに、霞が笑いながら近付いてきた。
「二人とも、見張りの兵が羨ましそうに見とるで」
星は涼しい顔で答える。
「気にするな」
「お姉さんは自由だからな」
霞は呆れたように肩をすくめた。
恋も静かに歩いてくる。
「時雨」
「捕まえた人」
「どうする」
時雨は少し考え、静かに答えた。
「燕へ送る」
「丁重にな」
恋は短く頷いた。
「分かった」
その日のうちに護衛部隊が編成される。
護送されるのは諸葛亮と黄忠。
二人は縄で縛られることもなく、それぞれ馬車へ案内された。
黒山兵も無駄な言葉は掛けない。
戦で敗れた将として、礼をもって接していた。
黄忠は苦笑する。
「思っていたより丁寧なのね」
諸葛亮も静かに周囲を見回した。
「張燕さんらしいですね」
「勝っても驕らない」
「だからこそ厄介な相手です」
護送隊はゆっくりと燕国への道を進み始める。
その頃。
許昌では各地から次々と戦果が届けられていた。
王城の広間。
白蓮は報告書を読み終え、小さく息を吐いた。
「漢中陥落」
「諸葛亮、黄忠を捕縛」
桂花が続けて別の報告を読み上げる。
「曹操将軍率いる徐州方面軍も連勝」
「蜀軍は各地で後退を開始しています」
さらに新たな伝令が駆け込んできた。
「申し上げます!」
「荊州方面でも我が軍優勢!」
「蜀軍は守勢へ移りました!」
広間に集まる将達の表情が明るくなる。
戦局は完全に燕へ傾き始めていた。
白蓮は地図へ視線を向ける。
荊州。
徐州。
漢中。
三方面すべてで燕軍が優位に立っている。
それでも油断はしなかった。
「まだ終わってはいない」
「相手は蜀だ」
「最後まで気を抜くな」
将達は一斉に頭を下げた。
「はっ!」
一方、成都。
張飛は疲れ切った兵達を率いて城門へ辿り着いていた。
門兵は張飛の姿を見るなり表情を変える。
「張飛将軍!」
「諸葛亮様は!」
張飛は悔しそうに拳を握り締めた。
「朱里と紫苑は捕まったのだ……」
その一言だけで十分だった。
城内には重苦しい空気が流れる。
蜀は漢中を失い、二人の重要な将を失った。
一方の燕軍は勢いを増し、各戦線で着実に勝利を重ねている。
天下の行方は、ゆっくりと、しかし確実に燕国へ傾き始めていた。
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