第二百五十六話 新たな天下
成都の朝は静かだった。
城壁の上に立つ蜀兵達は、城外を埋め尽くす黒山軍の陣を見つめ続けていた。
数日が経っても、黒山軍は攻城戦を仕掛けてこない。
ただ静かに包囲を続け、成都へ無言の圧力をかけていた。
城内では桃香が最後の決断を下そうとしていた。
謁見の間には、ご主人様こと北郷一刀、張飛をはじめとした蜀の将達が集まっている。
重苦しい空気の中、桃香はゆっくりと立ち上がった。
「決めました」
その一言で全員の視線が集まる。
「時雨さんの条件を受け入れます」
「益州、荊州、交州を燕へ譲ります」
静まり返る広間。
張飛は悔しそうに拳を握ったが、何も言わなかった。
誰よりも桃香が苦しんで決断したことを知っていたからだ。
北郷一刀は静かに頷く。
「それでいい」
「そして、もう一つ」
「朱里さんと紫苑さんの返還を正式に求めよう」
桃香も力強く頷いた。
「はい」
その日のうちに使者が成都城を出発した。
向かう先は黒山軍本陣。
やがて使者は時雨の天幕へ案内される。
星、恋、霞が控える中、使者は深く頭を下げた。
「蜀王・桃香様よりお返事です」
時雨は静かに頷く。
「聞こう」
使者は落ち着いた声で告げた。
「蜀は燕国の条件を受け入れます」
「益州、荊州、交州の三州を燕国へ譲渡いたします」
「その代わり、捕らえられている諸葛亮様と黄忠様の返還をお願いしたいとのことです」
天幕の中が静かになる。
星は時雨の横顔を見つめた。
霞も腕を組んだまま返答を待つ。
時雨は少しだけ考え、静かに口を開いた。
「分かった」
「約束は守る」
「朱里と黄忠は返そう」
使者は安堵の表情を浮かべ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
時雨はさらに続ける。
「これで戦は終わりだ」
「これ以上、成都へ兵を向けることはない」
その言葉は使者だけでなく、天幕にいた全員へ向けられていた。
翌日。
黒山軍の陣では護衛部隊が整列していた。
馬車の前には諸葛亮と黄忠が立っている。
二人とも丁重に扱われ、戦の捕虜とは思えないほど落ち着いた様子だった。
諸葛亮は時雨へ一礼する。
「約束を守っていただき、ありがとうございます」
時雨は軽く頷く。
「俺は必要以上の戦は好まない」
「戦が終わったなら帰るだけだ」
黄忠も穏やかに微笑んだ。
「敵将なのに不思議な人ね」
「また戦場で会うことがないよう願いたいわ」
時雨は短く笑った。
「それは天下次第だ」
諸葛亮と黄忠は護衛兵に伴われ、成都へ向かって出発する。
城門では桃香と張飛、北郷一刀が待っていた。
馬車が止まると、桃香は思わず駆け寄る。
「朱里ちゃん!」
「紫苑さん!」
諸葛亮は穏やかな笑顔を浮かべた。
「ただいま戻りました」
黄忠も肩をすくめる。
「少し長旅になっちゃったわね」
張飛は二人へ飛び付き、嬉しそうに涙を流した。
「無事でよかったのだ!」
その光景を見た桃香は胸を撫で下ろす。
戦は終わった。
大きな犠牲を出すことなく、成都は守られた。
一方、黒山軍では撤収が始まっていた。
長く張られていた陣幕が畳まれ、黒山の旗が次々と降ろされていく。
星は馬へ跨がりながら時雨へ尋ねた。
「これで帰るのか」
「ああ」
時雨は成都城を一度だけ振り返る。
「約束は果たした」
「俺達も燕へ帰る」
黒山軍は整然と隊列を組み、西の大地を後にした。
こうして蜀との戦は終結し、燕軍は大きな勝利を収める。
その結果、益州、荊州、交州は燕国の領土となり、天下の勢力図は大きく塗り替えられた。
新たな時代は、静かにその幕を開けようとしていた。
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