第二十六話 虎牢関の鬼神
虎牢関。
そこは汜水関とは比較にならないほど巨大だった。
山々を背負うように築かれた城塞。
天へ届くような高い城壁。
無数の兵。
そして何より。
そこには“怪物”がいた。
「ぎゃああああっ!?」
戦場に悲鳴が響く。
吹き飛ばされる兵。
砕ける馬。
宙を舞う血。
そして。
赤。
真っ赤な髪を揺らしながら、一人の少女が戦場を蹂躙していた。
「……邪魔」
淡々とした声。
感情の薄い瞳。
だが。
その一撃一撃は災害そのものだった。
方天画戟が振るわれる。
次の瞬間。
連合軍兵士がまとめて吹き飛んだ。
「ば、化け物……!」
「止まらねぇ!!」
兵たちが恐怖で後退する。
だが少女は止まらない。
まるで人を薙ぐためだけに存在しているようだった。
「呂布……」
陣営から戦場を見ていた白蓮が顔を引き攣らせる。
「アレどうしろってんだよ……」
天下最強。
董卓軍最強の将。
呂布。
恋。
その噂は聞いていた。
だが実際に見ると、想像以上だった。
「うわぁ……」
桃香も青ざめる。
「怖いよぉ……」
愛紗は真剣な顔で戦場を見ていた。
「強い……」
強すぎる。
一人で戦局を変えている。
先鋒を任された別軍は、完全に押し返されていた。
「もう三回目の突撃失敗らしいぞ」
時雨は酒を飲みながら笑う。
「ご愁傷様」
「お前ほんと他人事だな!?」
白蓮が怒鳴る。
だが時雨はケラケラ笑うだけだった。
「だって先鋒じゃねぇし」
「ぐっ……!」
そこを突かれると痛い。
現在、公孫瓚軍は後方待機。
完全に暇だった。
諸侯たちから危険視された結果である。
「まぁ、正直」
星が戦場を見ながら呟く。
「今は出なくて正解かもしれんな」
「ああ」
愛紗も頷く。
呂布が異常すぎる。
あれは普通の武将では止められない。
「どうすんだろな連中」
時雨は面白そうに笑う。
「このままじゃ兵減るだけだろ」
実際、連合軍の被害は増える一方だった。
だが。
誰も前へ出たがらない。
呂布と真正面からぶつかりたい将などいない。
戦場は完全に膠着していた。
そんな中。
公孫瓚軍の陣営だけは妙に平和だった。
「……何でウチこんな目に遭っとるんやろ」
牢の中。
霞は深い溜息を吐いていた。
現在も捕虜扱い。
ただし待遇は妙に緩い。
その理由は簡単だった。
「暇だから」
「最悪や……」
目の前には時雨。
酒瓶持参。
完全に遊びに来ていた。
「よぉ紫髪」
「その呼び方やめぇや」
「じゃあ何て呼ぶ」
「知らんわ!」
霞は頭を抱える。
ここ数日、時雨は暇さえあれば牢へ来ていた。
理由は。
暇だから。
「虎牢関暇だなぁ」
「そらアンタら後方やしな」
「戦いてぇ」
「怖っ」
だが時雨は本当に退屈そうだった。
戦場からは怒号が聞こえる。
連合軍は苦戦中。
しかし公孫瓚軍は動けない。
その結果。
時雨は暇を持て余していた。
「で」
時雨が牢へ寄り掛かる。
「黒山来ねぇ?」
「またそれかいな」
「いい待遇だぞ」
「信用できへん」
「失礼な」
「誰のせいや思っとるんや!」
霞が怒鳴る。
当然だった。
捕虜にした相手を磔にして服剥ぐ男である。
信用できるわけがない。
「でもアンタ面白ぇし」
「褒めても何も出ぇへんで」
「欲しいのはアンタ」
「気色悪っ!?」
霞が本気で引く。
時雨はケラケラ笑った。
星がその様子を遠目に見て、呆れたように溜息を吐く。
「また口説いてるのか」
「人聞き悪ぃな」
「実際そうだろう」
愛紗も頭を抱えていた。
「捕虜相手に何をしてるんだお前は……」
「逢引?」
「もっと駄目だ!」
だが。
時雨は割と本気だった。
霞は強い。
義理堅い。
部下思い。
しかも戦場での勘もいい。
欲しい人材だった。
「なぁ紫髪」
「何や」
「董卓軍やめろよ」
「無茶言うな」
「じゃあ俺んとこ来い」
「もっと無茶や!!」
霞が叫ぶ。
だが。
時雨は妙に真剣だった。
「今の董卓軍、長くねぇぞ」
空気が少し変わる。
霞の表情が僅かに動いた。
「……何でそう思う」
「勘」
「信用ならんなぁ」
「でも当たるぜ?」
赤い目が細まる。
時雨は見ていた。
連合軍。
諸侯。
董卓軍。
全てが歪み始めている。
この戦いは、まだ終わらない。
むしろ。
ここからが本番だ。
「アンタ、董卓好きか?」
時雨が聞く。
霞は少し黙った。
「……嫌いやない」
「へぇ」
「世間で言われとるほど悪い人やあらへん」
その声は本気だった。
時雨は少し笑う。
「だろうな」
「あ?」
「本当にヤベェ奴なら、アンタみたいなの側に置けねぇ」
霞は目を細めた。
「……アンタ、変なとこ鋭いな」
「よく言われる」
その時。
遠くで歓声と悲鳴が上がる。
戦場。
また連合軍が押し返されたのだろう。
「うわぁ」
時雨が笑う。
「また負けたっぽい」
「笑い事ちゃうやろ」
「でも面白ぇ」
最低だった。
だが。
その時。
「張燕様!!」
伝令が駆け込んでくる。
「連合軍本陣より招集です!」
「んー?」
「呂布対策の軍議を開くと!」
その瞬間。
時雨の口元が歪んだ。
「やっと退屈終わりか」
赤い目が獣のように細まる。
虎牢関。
天下最強。
呂布。
黒山の狼が、ついに動き始めようとしていた。
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