【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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最終話 黒山の狼、旅へ出る――「お前を連れて行く」

最終話 黒山の狼、旅へ出る――「お前を連れて行く」

 

 

黒山の風は、いつも通り冷たかった。

 

だが今日だけは、その冷たさの奥に“終わりの匂い”が混ざっていた。

 

天下は統一された。

 

燕国の旗は大陸の隅々にまで広がり、戦乱は表向きには終息している。

 

しかしその事実とは別に――

 

黒山の奥深くには、まだ戦場の外に取り残された男がいた。

 

張燕。

 

そして真名――時雨。

 

彼は焚き火の前に座り、静かに空を見上げていた。

 

その横にある剣は、もう戦いを求めていない。

 

ただ“そこにあるだけの鉄”になっている。

 

足音が一つ。

 

次に、もう一つ。

 

時雨は振り返らない。

 

「帰らない。」

 

趙雲――星は、少し息を切らしながらそこに立っていた。

 

「……何してる帰るぞ。」

 

時雨は笑う。

 

「見りゃ分かるだろ。」

 

「終わりの後片付けだ。」

 

星は眉をひそめる。

 

「天下はもう終わった。」

 

時雨はゆっくりと頷く。

 

「知ってる。」

 

「だからこそだ。」

 

その言葉に、星は一歩近づく。

 

「だからこそ、何だ?」

 

時雨はしばらく黙る。

 

焚き火が小さく爆ぜる音だけが響く。

 

そして――

 

彼は言った。

 

「旅に出る。」

 

星の目がわずかに揺れる。

 

「……どこへ?」

 

時雨は空を見上げる。

 

「どこでもいい。」

 

「この大陸の“外側”だ。」

 

星は即座に言う。

 

「意味分からないな。」

 

時雨は笑う。

 

「分かんなくていい。」

 

そして、ゆっくりと立ち上がる。

 

その瞬間、空気が変わる。

 

戦場の男ではない。

 

王でもない。

 

賊でもない。

 

ただの“人間”の気配。

 

時雨は星の方を見た。

 

そして――

 

はっきりと言う。

 

「お前も来い。」

 

星は固まる。

 

「……は?」

 

時雨は続ける。

 

「俺は一人で行くつもりだった。」

 

「でも、お前がいるなら話は別だ。」

 

星は視線を逸らす。

 

「勝手なこと言うな。」

 

時雨は一歩近づく。

 

「勝手なのは昔からだろ。」

 

その距離は、戦場より近い。

 

星は槍を握るが、構えない。

 

時雨は静かに言う。

 

「星。」

 

「お前はずっと俺の横にいた。」

 

「戦場でも、私生活の中でも。」

 

「なら最後まで見ろ。」

 

星の呼吸が少し乱れる。

 

「……見届けるってことか?」

 

時雨は首を振る。

 

「違う。」

 

そして、少しだけ間を置いて――

 

「“一緒に行く”ってことだ。」

 

その言葉は、戦場のどの剣よりも鋭かった。

 

星は何も言えなくなる。

 

風が黒山を抜ける。

 

焚き火が揺れる。

 

そして時雨は、静かに言葉を落とす。

 

「俺はもう黒山の王じゃない。」

 

「お前も将軍じゃない。」

 

「なら――ただの二人でいいだろ。」

 

星の瞳が揺れる。

 

長い沈黙。

 

そしてようやく、小さく息を吐く。

 

「……バカな奴だな。」

 

時雨は笑う。

 

「今さらだろ。」

 

星は視線を逸らしたまま言う。

 

「ついていくとは言ってない。」

 

時雨は背を向ける。

 

「ならそれでいい。」

 

「来たくなったら来い。」

 

その背中は、もう戦場のものではなかった。

 

ただ、前へ進む人間の背中だった。

 

星はその背中を見つめる。

 

そして――

 

ゆっくりと一歩踏み出す。

 

「……ほんとに勝手だ。」

 

時雨は振り返らない。

 

「知ってる。」

 

星はもう一歩進む。

 

「どこへ行く。」

 

時雨は答える。

 

「分からん。」

 

「でも面白そうな方だ。」

 

星はため息をつく。

 

そして――小さく笑った。

 

「……じゃあ、行くしかないじゃないか。」

 

黒山の風が二人の間を抜ける。

 

焚き火が最後に揺れ、静かに消える。

 

そして――

 

黒山の狼は、ようやく歩き出した。

 

終わった戦場のその先へ。

 

そして、その隣には槍を持った一人の女がいた。

 

 

 

黒山の風は、二人の背中を見送るように吹いていた。

 

時雨と星が山道の向こうへ消えていった後、その場には静寂だけが残る。

 

焚き火はすでに灰となり、夜明けの光が黒山を薄く照らし始めていた。

 

だがその静けさは、終わりではなかった。

 

むしろ――“始まりの後の静けさ”だった。

 

---

 

燕国・本陣。

 

白蓮は玉座のような椅子に座り、長い報告書を見つめていた。

 

そこには各地の統治状況が整然と記されている。

 

「天下統一完了」

 

その一文は何度見ても実感が湧かない。

 

霞が隣であくびをする。

 

「ほんまに平和になるんかこれ。」

 

白蓮は答えない。

 

代わりに星の席を見た。

 

そこは空席だった。

 

その空白だけが、やけに目に刺さる。

 

「……結局、あの二人は行ったのか。」

 

霞は肩をすくめる。

 

「止めるだけ無駄やろ。」

 

「特に時雨はな。」

 

白蓮は静かに目を伏せる。

 

「奴は、王になる器だったのに。」

 

霞は鼻で笑う。

 

「王様になりたい奴が王になるんちゃう。」

 

「王様にならん奴が王になるんやろ。」

 

白蓮はその言葉に、少しだけ目を細める。

 

「……それが、この時代の答えなのかもしれないな。」

 

誰も答えない。

 

ただ風だけが船を揺らす。

 

---

 

蜀の旧都。

 

桃香は静かに民の報告を聞いていた。

 

戦は終わった。

 

人は戻り始めている。

 

だが、彼女の目の奥にはまだ“空白”が残っている。

 

関羽が静かに問う。

 

「ご主人様の行方は……」

 

桃香は小さく首を振る。

 

「分からないままでもいいの。」

 

張飛が不満そうに言う。

 

「納得いかないのだ!」

 

桃香は優しく微笑む。

 

「でもね、鈴々ちゃん。」

 

「誰かがいなくなっても、世界は続くの。」

 

その言葉は優しかったが、同時に残酷でもあった。

 

朱里は机の上の書簡を見つめている。

 

そこには何度も書き直された記録。

 

しかしどこにも“確定した結末”はない。

 

ただ一つだけ確かなこと。

 

――北郷一刀は、戦場から消えた。

 

それだけだった。

 

---

 

そして黒山。

 

かつてそこにいた男は、もういない。

 

だが風だけは変わらず吹いている。

 

まるで何もなかったかのように。

 

いや――

 

すべてがあったことを忘れないかのように。

 

---

 

どこか遠く。

 

時雨と星は旅の道を歩いていた。

 

星がぽつりと言う。

 

「時雨。」

 

時雨は前を向いたまま答える。

 

「なんだ。」

 

星は少しだけ間を置いてから言う。

 

「これからどこ行くのだ。」

 

時雨は空を見る。

 

青い空。

 

戦場ではない空。

 

そして、静かに答える。

 

「さあな。」

 

「でも――悪くないだろ。」

 

星は小さく笑う。

 

「ほんと、適当だな。」

 

時雨も笑う。

 

「それでいい。」

 

風が二人の間を抜ける。

 

もう剣の音はない。

 

命令もない。

 

戦場もない。

 

あるのはただ――

 

歩き続ける二人だけだった。

 

そして物語は、静かに幕を閉じる。

 

黒山の狼は、戦場を捨てた。

 

そして槍を持つ女と共に、世界の外側へ歩き出した。

 

その先に何があるのかは、まだ誰も知らない。

 

だが、最後まで黒山の狼は笑っていた。

 

 【黒山の狼、乱世を嗤う】〜完〜

 

 

 




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