【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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外伝 第20話 帳簿の向こう側――怒る女と、甘やかされる狼

外伝 第20話 帳簿の向こう側――怒る女と、甘やかされる狼

 

 

三日間の休暇が終わった翌朝。

 

時雨は。

 

日の出より前に目を覚ました。

 

隣には。

 

曹操が眠っている。

 

昨夜。

 

中庭で眠った曹操を。

 

時雨が私室まで運び。

 

そのまま。

 

曹操に袖を掴まれ。

 

帰ることを止められた。

 

休暇は。

 

日が沈むまで。

 

そのはずだった。

 

だが。

 

曹操の言い分では。

 

眠りにつくまでが休暇。

 

そして。

 

眠った者を置いていくのは。

 

魏の将として不義理。

 

意味は。

 

よく分からなかった。

 

だが。

 

時雨は。

 

結局。

 

曹操の寝台で夜を明かした。

 

今。

 

黄金の髪が。

 

枕へ広がっている。

 

時雨が贈った。

 

黒い木の櫛。

 

銀の模様。

 

それで梳かれた髪は。

 

寝起きでも。

 

以前より。

 

僅かに整って見えた。

 

時雨は。

 

音を立てずに。

 

寝台から降りる。

 

三日間。

 

剣を振っていない。

 

書類を読んでいない。

 

軍議へ出ていない。

 

身体は軽い。

 

頭も。

 

遠征直後より。

 

明らかに静かだった。

 

休暇。

 

無駄ではなかった。

 

認めるのは。

 

少し腹立たしい。

 

だが。

 

事実は事実。

 

上衣を着る。

 

帯を締める。

 

今日は。

 

栄華の執務室へ行く。

 

涼州遠征の最終会計。

 

遠征費。

 

補償費。

 

水場の復旧。

 

村へ戻した食料。

 

偽の補給隊。

 

捕虜の食事。

 

軍馬の治療。

 

死傷者への給付。

 

計算するものは多い。

 

栄華は。

 

休暇中の食事会でも。

 

最初に来いと言っていた。

 

時雨も。

 

分かったと答えた。

 

約束。

 

守る。

 

時雨が。

 

寝室の扉へ向かう。

 

「どこへ行くの」

 

後ろから。

 

声。

 

時雨が振り返る。

 

曹操は。

 

目を閉じたまま。

 

布団の中にいる。

 

「起きてるのか」

 

「今起きたわ」

 

「毎回同じだな」

 

「あなたもね」

 

曹操は。

 

ゆっくり目を開く。

 

「まだ早いわ」

 

「休暇は終わった」

 

「ああ」

 

「だからといって」

 

「日の出前から」

 

「働く必要はないでしょう」

 

「栄華と約束した」

 

曹操の眉が。

 

僅かに動く。

 

「栄華と?」

 

「ああ」

 

「遠征費の確認」

 

「最初に来いと言われた」

 

「ああ」

 

曹操は。

 

時雨を見る。

 

少し。

 

面白くなさそう。

 

「何だ」

 

「別に」

 

「顔が違う」

 

「寝起きよ」

 

「そうか」

 

時雨は。

 

扉へ向き直る。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「朝食は」

 

「後で」

 

「駄目よ」

 

「栄華のところで食う」

 

曹操の目が。

 

大きく開く。

 

「何ですって?」

 

「休暇中」

 

「栄華が」

 

「食事表を作った」

 

「朝の分も」

 

「執務室へ用意してるはずだ」

 

曹操は。

 

寝台の上で。

 

完全に起き上がった。

 

「栄華が?」

 

「ああ」

 

「あなたの朝食を?」

 

「ああ」

 

「どうして」

 

「俺に聞く」

 

「あなた以外の誰に聞くの!」

 

「栄華が」

 

「食えと言ったから」

 

曹操は。

 

しばらく。

 

時雨を見る。

 

「そう」

 

声。

 

平静。

 

だが。

 

少し冷たい。

 

時雨は。

 

理由が分からない。

 

「何か問題か」

 

「何もないわ」

 

「そうか」

 

「ただし」

 

曹操が。

 

微笑む。

 

「夕食は」

 

「私と食べなさい」

 

「軍議がなければ」

 

「軍議があってもよ」

 

「なぜ」

 

「決定だから」

 

「横暴だな」

 

「王ですもの」

 

休暇中。

 

何度も交わした。

 

やり取り。

 

だが。

 

曹操の笑みの奥。

 

僅かな棘。

 

時雨は。

 

気づいた。

 

理由は。

 

分からない。

 

「行ってくる」

 

「ああ」

 

曹操は。

 

時雨の背へ。

 

声を向ける。

 

「喧嘩をしないように」

 

時雨の足が止まる。

 

「誰と」

 

「栄華と」

 

「なぜ」

 

「あなたたちは」

 

「似ているもの」

 

「どこが」

 

「自分が正しいと思った時」

 

「絶対に引かないところ」

 

「栄華は」

 

「俺より話が通じる」

 

曹操の口元が。

 

僅かに上がる。

 

「本人の前でも」

 

「同じことを言ってみなさい」

 

「言う」

 

「そう」

 

曹操は。

 

布団へ戻る。

 

「では」

 

「楽しみにしているわ」

 

何を。

 

楽しみにしているのか。

 

時雨には。

 

分からなかった。

 

---

 

魏の財務を預かる。

 

曹洪。

 

真名。

 

栄華。

 

彼女の執務室は。

 

王宮の東側。

 

倉庫と。

 

会計役人の部屋に近い。

 

飾りは少ない。

 

だが。

 

粗末ではない。

 

棚。

 

竹簡。

 

帳簿。

 

封をされた木箱。

 

各地から届いた。

 

税の報告。

 

軍の支出。

 

工事の費用。

 

官吏の俸給。

 

国が動くために必要な金が。

 

文字と数へ変えられ。

 

部屋の中に並んでいる。

 

時雨が。

 

扉を叩く。

 

中から。

 

返事はない。

 

もう一度。

 

叩く。

 

「入るぞ」

 

扉を開ける。

 

栄華は。

 

すでに。

 

机へ座っていた。

 

背筋。

 

真っ直ぐ。

 

整えられた衣。

 

髪。

 

扇。

 

机の上には。

 

大量の帳簿。

 

一つ。

 

開かれたまま。

 

その横。

 

時雨の朝食。

 

粥。

 

野菜。

 

肉。

 

卵。

 

温かい茶。

 

まだ。

 

湯気が立っている。

 

「遅いですわ」

 

栄華が言った。

 

時雨は。

 

窓を見る。

 

外。

 

まだ。

 

日が昇りきっていない。

 

「早いだろ」

 

「わたくしは」

 

「さらに早く来ております」

 

「それは」

 

「栄華の都合だ」

 

「あなたのために」

 

「朝食まで用意した者へ」

 

「最初に言う言葉が」

 

「それですの?」

 

時雨は。

 

食事を見る。

 

「助かる」

 

栄華の目が。

 

僅かに動く。

 

「……最初から」

 

「そうおっしゃいませ」

 

「ああ」

 

時雨は。

 

机の前へ座る。

 

食事へ。

 

手をつける。

 

栄華は。

 

帳簿を読んでいる。

 

時雨も。

 

黙って食べる。

 

一口。

 

二口。

 

休暇中の決まり。

 

味を一つ言う。

 

今日は。

 

曹操がいない。

 

言わなくてもよい。

 

そう思った。

 

「味は」

 

栄華が。

 

帳簿を見たまま言う。

 

時雨の手が止まる。

 

「なぜ」

 

「休暇中の食事表へ」

 

「華琳様が」

 

「新たな項目を追加されました」

 

「どんな」

 

「時雨は」

 

「食事の味を」

 

「一つ以上言葉にすること」

 

「休暇は終わった」

 

「栄養管理は」

 

「終わっておりません」

 

時雨は。

 

粥を食べる。

 

「温かい」

 

栄華の眉が。

 

僅かに寄る。

 

「それは」

 

「味ではありませんわ」

 

「曹操は」

 

「認めた」

 

「華琳様が?」

 

「ああ」

 

「なら」

 

栄華は。

 

少し考える。

 

「本日は」

 

「特別に認めます」

 

「栄華が決めるのか」

 

「この朝食を」

 

「用意したのはわたくしです」

 

「料理したのは」

 

「王宮の料理人ですわ」

 

「なら」

 

「栄華は用意してない」

 

栄華の扇が。

 

ゆっくり開く。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「朝から」

 

「喧嘩を売っておりますの?」

 

「売ってない」

 

「でしたら」

 

「黙って食べなさいませ」

 

「ああ」

 

曹操の言葉。

 

喧嘩をするな。

 

開始から。

 

それほど経っていない。

 

すでに。

 

栄華の機嫌は。

 

良くない。

 

時雨は。

 

食事を続けた。

 

それでも。

 

栄華は。

 

時雨の器が空になるまで。

 

会計の話を始めなかった。

 

肉を残さないか。

 

野菜を避けないか。

 

粥を。

 

以前のように。

 

ほとんど噛まず。

 

流し込まないか。

 

帳簿を見ながら。

 

すべて。

 

確認している。

 

「見てるな」

 

時雨が言った。

 

「何を」

 

「食い方」

 

「見ておりません」

 

「三度しか噛まなかった」

 

「見てる」

 

栄華の頬が。

 

僅かに赤くなる。

 

「華琳様から!」

 

「確認するよう」

 

「命じられただけです!」

 

「そうか」

 

「ああ」

 

「違いますわ!」

 

「何が」

 

「その」

 

「納得したような顔を」

 

「なさらないでくださいませ!」

 

時雨は。

 

納得した顔をしたつもりはない。

 

だが。

 

今。

 

反論すると。

 

さらに話が長くなる。

 

黙る。

 

食事を終える。

 

栄華は。

 

すぐに。

 

茶を差し出した。

 

「飲みなさいませ」

 

「自分で取れる」

 

「近くへあったからです!」

 

「ああ」

 

時雨は。

 

茶を飲む。

 

香り。

 

少し強い。

 

「何の茶だ」

 

「疲れを取る薬草を」

 

「僅かに混ぜたものです」

 

「柳琳か」

 

栄華の扇が止まる。

 

「わたくしですわ」

 

「栄華が?」

 

「何か問題が?」

 

「薬草に詳しいのか」

 

「詳しくはありません」

 

「柳琳へ」

 

「分量を聞きました」

 

「なら」

 

「柳琳だな」

 

栄華の扇が。

 

机を叩いた。

 

乾いた音。

 

「わたくしです!」

 

時雨が。

 

僅かに目を細くする。

 

「何が」

 

「用意したのは」

 

「わたくしですわ!」

 

「柳琳へ分量を聞いて」

 

「料理人へ茶を淹れさせた」

 

「それでも!」

 

栄華は。

 

身を乗り出す。

 

「どの茶葉を使うか」

 

「あなたが飲みやすいか」

 

「遠征帰りの身体へ」

 

「負担がないか」

 

「全部!」

 

「わたくしが考えましたの!」

 

部屋。

 

静か。

 

外。

 

役人たちの。

 

書類を運ぶ足音。

 

時雨は。

 

茶を見る。

 

次。

 

栄華。

 

「そうか」

 

「それだけ?」

 

「助かる」

 

栄華の勢いが。

 

僅かに止まる。

 

「……なら」

 

「よろしいのです」

 

栄華は。

 

顔を逸らす。

 

扇で。

 

口元を隠す。

 

男嫌い。

 

栄華は。

 

男へ厳しい。

 

必要以上に。

 

近づけない。

 

無能。

 

浪費。

 

軽薄。

 

権力を盾にする男。

 

どれも嫌う。

 

魏の官吏でも。

 

栄華の前へ立てば。

 

多くは。

 

言葉を選ぶ。

 

帳簿を誤魔化した男など。

 

一度。

 

部屋へ呼ばれただけで。

 

泣いて出てきた。

 

時雨も。

 

最初。

 

同じ扱いだった。

 

金を使わない。

 

自分の俸給まで。

 

民へ回そうとする。

 

相談なく。

 

補償を約束する。

 

必要だ。

 

それだけで。

 

予算を動かそうとする。

 

栄華にとって。

 

最も。

 

相性の悪い男。

 

そうなるはずだった。

 

だが。

 

いつからか。

 

時雨が。

 

食事を取ったか。

 

眠ったか。

 

服が擦り切れていないか。

 

気にするようになった。

 

遠征中。

 

送られてくる報告書。

 

最初に見るのは。

 

兵糧の消費。

 

次。

 

時雨の負傷。

 

記録がなければ。

 

柳琳へ尋ねた。

 

帰還後。

 

痩せた身体を見て。

 

腹が立った。

 

自分の俸給を。

 

使わないことにも。

 

腹が立った。

 

曹操へ。

 

櫛を買ったと聞いた時は。

 

なぜか。

 

さらに腹が立った。

 

自分でも。

 

理由を。

 

完全には認めていない。

 

「会計」

 

時雨が言った。

 

栄華は。

 

意識を戻す。

 

「分かっております」

 

「こちらですわ」

 

大きな帳簿。

 

涼州征討軍。

 

収支記録。

 

兵糧。

 

馬草。

 

武器。

 

薬。

 

工事。

 

補償。

 

運送。

 

俸給。

 

損失。

 

回収。

 

全て。

 

細かく記録されている。

 

「最初に」

 

栄華が言う。

 

「今回の遠征費」

 

「当初予算を」

 

「二割ほど上回りました」

 

「ああ」

 

「分かっておられる?」

 

「水場の復旧」

 

「村への補償」

 

「偽の補給隊」

 

「捕虜の食事」

 

「兵糧の贈与」

 

「増えた理由は」

 

「分かる」

 

「では」

 

「なぜ」

 

栄華は。

 

一枚の竹簡を。

 

時雨の前へ置く。

 

「この費用を」

 

「申告しなかったのです」

 

時雨が見る。

 

金額。

 

大きくはない。

 

だが。

 

小さくもない。

 

涼州北部。

 

三つの村。

 

家畜。

 

農具。

 

種。

 

衣類。

 

医薬品。

 

購入。

 

支払者。

 

空欄。

 

「何だ」

 

「分からないふりは」

 

「おやめなさいませ」

 

栄華の声が。

 

少し低くなる。

 

「あなたが」

 

「個人で支払ったものですわね」

 

「ああ」

 

栄華の眉が。

 

大きく上がる。

 

「認めるのですか!」

 

「ああ」

 

「なぜ!」

 

「必要だった」

 

「またそれですの!」

 

栄華の扇が。

 

机を強く叩く。

 

帳簿が。

 

僅かに揺れる。

 

「魏が」

 

「補償すべき費用です!」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「どうして」

 

「あなたが支払ったのです!」

 

「時間がなかった」

 

「何の時間が!」

 

「村の種を」

 

「すぐに買う必要があった」

 

「栄華へ送れば」

 

「確認」

 

「承認」

 

「購入」

 

「数日かかる」

 

「その数日で」

 

「雨が来る可能性があった」

 

「だから払った」

 

「報告は」

 

「後で出すつもりだった」

 

栄華の顔から。

 

僅かに。

 

血の気が引いた。

 

「後で?」

 

「ああ」

 

「いつですの」

 

「今日」

 

「わたくしが」

 

「調べなければ?」

 

「忘れていたかもしれない」

 

沈黙。

 

冷たい。

 

長い。

 

時雨は。

 

栄華を見る。

 

扇。

 

止まっている。

 

表情。

 

見えない。

 

口元。

 

扇に隠れている。

 

目だけ。

 

時雨へ向いている。

 

怒っている。

 

これまで以上に。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「あなたは」

 

「休暇中に」

 

「何を学びました?」

 

「全部を」

 

「自分でやらない」

 

「なら!」

 

栄華の声が。

 

部屋へ響く。

 

「なぜ!」

 

「涼州で!」

 

「また!」

 

「自分の金を!」

 

「勝手に使ったのです!」

 

外。

 

役人たちの足音が。

 

止まった。

 

栄華の怒声。

 

珍しくない。

 

だが。

 

今の声は。

 

いつもと違う。

 

帳簿の誤り。

 

浪費。

 

横領。

 

そういうものへ向ける。

 

冷たい怒りではない。

 

焦り。

 

痛み。

 

「必要だった」

 

時雨は答える。

 

「それでは」

 

「理由になりません!」

 

「なる」

 

「なりません!」

 

「種を逃せば」

 

「一年」

 

「収穫が減る」

 

「農具がなければ」

 

「畑を耕せない」

 

「家畜を失った村へ」

 

「すぐに代わりを入れなければ」

 

「暮らしが戻らない」

 

「ああ」

 

「だから」

 

「待てなかった」

 

「なら!」

 

栄華は。

 

机から立ち上がる。

 

「早馬で」

 

「わたくしへ送ればよかったでしょう!」

 

「送った」

 

「何を」

 

「報告書」

 

「三日後」

 

「遅いですわ!」

 

「村には」

 

「その日に払った」

 

「魏の金は」

 

「後から返せばいい」

 

「返せばよい?」

 

栄華の目が。

 

完全に冷たくなる。

 

「あなたの俸給を」

 

「一度使い」

 

「後から」

 

「国費へ付け替えれば」

 

「済むと?」

 

「ああ」

 

「済みません!」

 

栄華の声が。

 

さらに強くなる。

 

「それを認めれば」

 

「将が」

 

「自分の判断で」

 

「勝手に民へ金を配り」

 

「後から国へ請求できることになる!」

 

「あなたが正しいから」

 

「今回は認める?」

 

「そんな制度を」

 

「作れば!」

 

「次は!」

 

「正しくない者が!」

 

「同じことをします!」

 

「ああ」

 

「だから」

 

「俺の分は」

 

「返さなくていい」

 

栄華の動きが止まる。

 

「何ですって」

 

「個人の金として」

 

「処理しろ」

 

「制度にはしない」

 

「魏へ請求しない」

 

「それなら」

 

「問題ない」

 

「あります!」

 

栄華は。

 

机を回り。

 

時雨の前へ来る。

 

距離。

 

近い。

 

男嫌いの栄華が。

 

男の前へ。

 

自分から。

 

ここまで近づくことは。

 

ほとんどない。

 

時雨の襟元へ。

 

手を伸ばす。

 

掴む。

 

「何が」

 

時雨が尋ねる。

 

「あなた自身が!」

 

栄華は。

 

時雨を睨み上げる。

 

「あなたが!」

 

「自分の俸給を!」

 

「自分以外へ使い続けることが!」

 

「問題ですの!」

 

時雨の目が。

 

僅かに動く。

 

栄華の手。

 

襟。

 

震えている。

 

怒り。

 

だけではない。

 

「俺の金だ」

 

「ええ!」

 

「どう使っても」

 

「自由ですわ!」

 

「なら」

 

「ですが!」

 

栄華は。

 

さらに。

 

襟を強く掴む。

 

「自由だからこそ!」

 

「自分のためにも!」

 

「使いなさいと!」

 

「何度言えば分かりますの!」

 

「使った」

 

「何に!」

 

「曹操の櫛」

 

栄華の動きが。

 

完全に止まった。

 

一瞬。

 

その目へ。

 

別の感情が浮かぶ。

 

驚き。

 

不満。

 

寂しさ。

 

本人が。

 

最も。

 

認めたくないもの。

 

「それだけ?」

 

「ああ」

 

「休暇用の衣服は」

 

「栄華が用意した」

 

「食事は」

 

「曹操か」

 

「流琉か」

 

「王宮」

 

「剣は」

 

「ある」

 

「欲しいものは」

 

「ない」

 

栄華の指が。

 

僅かに緩む。

 

「……わたくしが」

 

小さな声。

 

「何ですの?」

 

「何が」

 

「わたくしが」

 

「衣服を用意したから」

 

「自分で買う必要がない?」

 

「ああ」

 

栄華の頬へ。

 

僅かに赤み。

 

だが。

 

すぐに。

 

怒りが戻る。

 

「そういう意味ではありません!」

 

「どんな」

 

「あなたが」

 

「衣服を持っていないから」

 

「わたくしが」

 

「仕方なく!」

 

「仕方なく?」

 

「ああ」

 

「仕方なくですわ!」

 

「三組」

 

「必要最低限です!」

 

「一組でいい」

 

「洗い替えが要ります!」

 

「二組」

 

「汚した時の予備です!」

 

「三組とも」

 

「布が違った」

 

栄華の動きが止まる。

 

「黒は」

 

「普段」

 

「灰は」

 

「屋内」

 

「青は」

 

「曹操が選んだ」

 

「ああ」

 

「全部」

 

「考えたのか」

 

栄華の頬が。

 

さらに赤くなる。

 

「仕立屋がです!」

 

「栄華が」

 

「肩と腕へ余裕を持たせたと言った」

 

「あれは!」

 

「説明です!」

 

「時雨」

 

栄華は。

 

襟から手を離す。

 

一歩。

 

後ろへ下がる。

 

扇を。

 

勢いよく開く。

 

顔を隠す。

 

「話を」

 

「逸らさないでくださいませ!」

 

「逸らしたのは」

 

「栄華」

 

「あなたです!」

 

「そうか」

 

「そうです!」

 

二人。

 

睨み合う。

 

時雨。

 

無表情。

 

栄華。

 

扇の向こう。

 

顔が赤い。

 

外。

 

扉の向こう。

 

気配。

 

一人ではない。

 

華論。

 

柳琳。

 

稟。

 

風。

 

さらに。

 

春蘭。

 

秋蘭。

 

そして。

 

曹操。

 

いつからいるのか。

 

時雨には。

 

大体分かる。

 

栄華は。

 

気づいていない。

 

「時雨」

 

栄華が言う。

 

「何だ」

 

「今回の支出」

 

「全額」

 

「国費へ戻します」

 

「いらない」

 

「戻します」

 

「俺が払った」

 

「魏が払うべき費用です!」

 

「俺の策で」

 

「村が被害を受けた」

 

「魏の策です!」

 

「曹操が許可した」

 

「将たちも関わった」

 

「だから」

 

「魏が払う」

 

「でも」

 

「俺が決めた」

 

「最終判断を」

 

「それでも!」

 

栄華は。

 

時雨の胸元を。

 

扇の先で指す。

 

「魏の総大将として!」

 

「決めたのでしょう!」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「国の責任です!」

 

「個人の懐で!」

 

「国の責任を!」

 

「勝手に小さくしないでくださいませ!」

 

時雨は。

 

僅かに目を細くする。

 

以前。

 

曹操にも言われた。

 

国の責任で払う金と。

 

時雨個人の褒美は。

 

別。

 

今回も。

 

同じ。

 

時雨が。

 

自分の金を使えば。

 

国が。

 

責任を果たしたことにならない。

 

だが。

 

それだけではない。

 

栄華の怒り。

 

制度。

 

公平。

 

それに加え。

 

もっと。

 

個人的なもの。

 

「栄華」

 

「何です」

 

「俺の金が減ると」

 

「何が困る」

 

栄華の呼吸が止まる。

 

「何を」

 

「制度の話なら」

 

「俺へ返さず」

 

「別の補償へ回せばいい」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「栄華は」

 

「俺へ戻すと言う」

 

「なぜだ」

 

栄華は。

 

答えない。

 

「俺が」

 

「使わなければ」

 

「金は残る」

 

「食事も」

 

「服も」

 

「住む場所もある」

 

「困らない」

 

「だから」

 

「なぜ」

 

「戻したい」

 

「……あなたは」

 

栄華の声が。

 

低くなる。

 

「本当に」

 

「分かりませんの?」

 

「ああ」

 

「分かろうと」

 

「していないだけでは?」

 

「考えてる」

 

「なら」

 

「もう少し考えなさいませ!」

 

時雨は。

 

考える。

 

金。

 

栄華。

 

自分。

 

衣服。

 

食事。

 

遠征中の報告。

 

俸給。

 

自分へ使え。

 

制度とは別。

 

柳琳へは。

 

身体を気遣う。

 

栄華は。

 

金と生活。

 

自分の力を。

 

必要としてほしい。

 

以前。

 

時雨が。

 

制度へ。

 

栄華の力が必要だと伝えた。

 

栄華は。

 

それを。

 

喜んだ。

 

今回。

 

時雨は。

 

栄華へ。

 

頼らなかった。

 

自分で払った。

 

後で。

 

帳簿だけ合わせるつもりだった。

 

「頼らなかったからか」

 

栄華の目が。

 

僅かに見開かれる。

 

時雨は続ける。

 

「俺が」

 

「勝手に払った」

 

「栄華へ」

 

「先に言わなかった」

 

「それが」

 

「嫌だった」

 

栄華の扇が。

 

僅かに下がる。

 

顔。

 

赤い。

 

怒り。

 

戸惑い。

 

「それも」

 

「あります」

 

「それも?」

 

「一つではありません!」

 

「何が他にある」

 

「あなたが!」

 

栄華は。

 

再び声を荒らげる。

 

「自分のことを!」

 

「誰も心配しないと!」

 

「思っているような使い方を!」

 

「することが!」

 

「嫌ですの!」

 

時雨は。

 

黙る。

 

栄華は。

 

止まれない。

 

「食事は」

 

「王宮で出る」

 

「衣服は」

 

「わたくしが用意した」

 

「住む場所もある」

 

「だから」

 

「自分の金は要らない?」

 

「冗談ではありません!」

 

「あなた自身が」

 

「何かを欲しいと思った時!」

 

「誰かへ」

 

「金を使いたいと思った時!」

 

「休みたいと思った時!」

 

「そのために!」

 

「残しておくのです!」

 

「曹操の櫛は」

 

「買えた」

 

「一つだけでしょう!」

 

「次に」

 

「何か欲しいものができた時は!」

 

「どうしますの!」

 

「俸給日を待つ」

 

「時雨!」

 

栄華の扇が。

 

時雨の肩へ叩きつけられる。

 

痛くはない。

 

だが。

 

勢いはある。

 

「あなたは!」

 

「どうして!」

 

「そういうところだけ!」

 

「異常に貧しいのです!」

 

言葉。

 

部屋へ響く。

 

時雨の目が。

 

僅かに動く。

 

貧しい。

 

金の話ではない。

 

物の数でもない。

 

自分のために。

 

残すこと。

 

望むこと。

 

受け取ること。

 

そこが。

 

貧しい。

 

「黒山では」

 

時雨が言う。

 

「余ったら」

 

「次の冬へ残した」

 

「個人の金は」

 

「意味がなかった」

 

「食料も」

 

「薬も」

 

「武器も」

 

「必要な奴へ回した」

 

「ああ」

 

「欲しいものがあっても」

 

「他に」

 

「必要な奴がいた」

 

「ああ」

 

「だから」

 

「今も同じ」

 

栄華は。

 

時雨を見る。

 

怒りの奥。

 

理解。

 

黒山。

 

百万の民。

 

時雨が。

 

自分の分を。

 

持つことを。

 

後回しにし続けた場所。

 

自分が。

 

食べる一口より。

 

子供へ渡す一口。

 

自分の服より。

 

冬を越せない者の毛布。

 

そうしなければ。

 

多くが死んだ。

 

生き方。

 

必要だった。

 

だが。

 

今は。

 

魏。

 

「時雨」

 

栄華の声が。

 

少しだけ。

 

静かになる。

 

「ここは」

 

「黒山ではありません」

 

「ああ」

 

「あなたが」

 

「自分の俸給を使わなければ」

 

「誰かが死ぬ国ではない」

 

「ああ」

 

「村への補償は」

 

「魏が払う」

 

「兵の給金も」

 

「武器も」

 

「食料も」

 

「制度で支える」

 

「そのために」

 

栄華は。

 

自分の胸元へ。

 

扇を当てる。

 

「わたくしがいるのです」

 

時雨は。

 

栄華を見る。

 

「だから」

 

栄華は続ける。

 

「わたくしを」

 

「使いなさいませ」

 

「頼りなさいませ」

 

「必要だと」

 

「言いなさいませ」

 

「勝手に」

 

「自分のものを削って」

 

「済ませないでください」

 

声。

 

最後だけ。

 

少し弱い。

 

怒りではなく。

 

願い。

 

時雨は。

 

ようやく。

 

完全に理解した。

 

栄華は。

 

帳簿が。

 

乱れたから怒っている。

 

制度を。

 

無視したから怒っている。

 

それだけではない。

 

時雨が。

 

自分へ相談しなかったこと。

 

自分の仕事を。

 

信用しなかったように見えたこと。

 

自分の金を。

 

自分のために残さなかったこと。

 

時雨自身を。

 

粗末にしたこと。

 

その全てに。

 

怒っている。

 

「栄華」

 

「何ですの」

 

「悪かった」

 

栄華の目が。

 

大きくなる。

 

外。

 

扉の向こう。

 

誰かが。

 

小さく息を呑む。

 

時雨が。

 

謝った。

 

簡単な言葉。

 

だが。

 

この男が。

 

自分から。

 

間違いを認める。

 

珍しい。

 

「何が」

 

栄華が尋ねる。

 

声。

 

少し硬い。

 

「先に」

 

「相談しなかった」

 

「ああ」

 

「栄華なら」

 

「時間がなくても」

 

「何か方法を作れた」

 

「ああ」

 

「俺が払えば」

 

「早いと思った」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「それは」

 

「栄華の役目を」

 

「勝手に取った」

 

栄華の扇が。

 

ゆっくり下がる。

 

「それから」

 

時雨は続ける。

 

「俺の金を」

 

「俺より」

 

「栄華が」

 

「大事にしてる理由を」

 

「考えなかった」

 

栄華の顔が。

 

一気に赤くなる。

 

「なっ」

 

「何を!」

 

「違うのか」

 

「違いませんが!」

 

「違います!」

 

「どっちだ」

 

「言い方ですわ!」

 

栄華は。

 

時雨の肩を。

 

扇で。

 

もう一度叩く。

 

今度は。

 

さらに弱い。

 

「わたくしは」

 

「あなたの金が」

 

「大事なのではありません!」

 

「では」

 

「その金を」

 

「あなたが」

 

「自分のために使えることが」

 

「大事なのです!」

 

「同じでは」

 

「ありません!」

 

「そうか」

 

「そうです!」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「分かった」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「なら」

 

栄華は。

 

机へ戻る。

 

帳簿を開く。

 

「今回の費用」

 

「全額」

 

「魏の国費へ戻します」

 

「ああ」

 

「あなたの俸給口座へ」

 

「同額を返します」

 

「ああ」

 

「そして」

 

栄華は。

 

別の帳簿を出す。

 

「罰として」

 

「今月中に」

 

「自分のためだけに」

 

「一部を使いなさいませ」

 

時雨の眉が。

 

寄る。

 

「罰になってない」

 

「あなたには」

 

「十分な罰です」

 

「何へ」

 

「それを考えるのが」

 

「あなたの罰ですわ」

 

「必要なものは」

 

「除外します」

 

「武器」

 

「軍装」

 

「黒狼隊」

 

「涼州」

 

「曹操への贈り物」

 

「全部」

 

「除外です」

 

時雨の顔が。

 

さらに険しくなる。

 

「何もない」

 

「探しなさいませ」

 

「休暇で」

 

「探した」

 

「曹操の櫛だけ」

 

栄華の扇が。

 

僅かに止まる。

 

「自分のものではありません」

 

「ああ」

 

「では」

 

「わたくしが」

 

「一緒に探します」

 

時雨の目が。

 

僅かに動く。

 

「栄華が?」

 

「何か問題が?」

 

「男嫌いだろ」

 

栄華の顔へ。

 

一瞬。

 

強い不快感。

 

「ええ」

 

「嫌いですわ」

 

「なら」

 

「なぜ」

 

「あなたは」

 

栄華は。

 

時雨を見る。

 

扇を閉じる。

 

「男である前に」

 

「時雨ですもの」

 

部屋。

 

静か。

 

外。

 

扉の向こう。

 

さらに。

 

静か。

 

栄華自身。

 

言った後で。

 

何を口にしたか。

 

理解した。

 

頬。

 

耳。

 

赤い。

 

だが。

 

取り消さない。

 

「男は嫌いです」

 

「軽薄で」

 

「責任を取らず」

 

「金を浪費し」

 

「女を見下し」

 

「力を誇る男など」

 

「特に」

 

「大嫌いですわ」

 

「ああ」

 

「ですが」

 

栄華の声が。

 

少しだけ。

 

柔らかくなる。

 

「あなたは」

 

「それとは違います」

 

「金を使わなすぎる」

 

「自分を見下している」

 

「力を隠し」

 

「責任を取りすぎる」

 

「正反対だな」

 

「極端ですわ!」

 

「それも」

 

「非常に腹が立ちます!」

 

「ああ」

 

「でも」

 

栄華は。

 

僅かに目を逸らす。

 

「他の男のように」

 

「嫌ではありません」

 

時雨は。

 

栄華を見る。

 

「甘いな」

 

「誰が!」

 

栄華の声が。

 

跳ねる。

 

「栄華」

 

「甘くありません!」

 

「服」

 

「食事」

 

「茶」

 

「俸給」

 

「全部」

 

「俺へ」

 

「細かい」

 

「管理です!」

 

「他の将にも?」

 

栄華が。

 

答えを止める。

 

春蘭。

 

秋蘭。

 

桂花。

 

稟。

 

風。

 

季衣。

 

流琉。

 

華論。

 

柳琳。

 

皆。

 

必要なら。

 

管理する。

 

だが。

 

時雨ほど。

 

細かく。

 

食事。

 

衣服。

 

支出。

 

睡眠。

 

気にしている相手はいない。

 

「他の者は」

 

栄華が言う。

 

「あなたほど」

 

「自分を粗末にしません」

 

「なら」

 

「俺にだけ」

 

「必要です!」

 

言い切る。

 

また。

 

部屋が静かになる。

 

時雨は。

 

僅かに。

 

目を細くする。

 

「そうか」

 

「何ですの」

 

「助かる」

 

栄華の顔が。

 

また赤くなる。

 

「そっ」

 

「そうですか」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「もう少し」

 

「感謝しなさいませ」

 

「してる」

 

「言葉が足りません」

 

時雨は。

 

考える。

 

以前。

 

栄華へ。

 

制度を守るため。

 

力が必要だと伝えた。

 

今は。

 

それとは少し違う。

 

国のため。

 

軍のため。

 

ではない。

 

時雨自身。

 

「栄華」

 

「何ですの」

 

「俺には」

 

「栄華が必要だ」

 

栄華の扇が。

 

手から落ちた。

 

机。

 

床。

 

乾いた音。

 

時雨は。

 

続ける。

 

「国の金だけじゃない」

 

「俺が」

 

「また勝手に」

 

「自分のものを使わないよう」

 

「止める奴として」

 

「必要だ」

 

栄華は。

 

完全に。

 

固まっている。

 

「何だ」

 

時雨が尋ねる。

 

「違うのか」

 

「違いません」

 

小さな声。

 

「聞こえない」

 

「違いませんわ!」

 

栄華は。

 

扇を拾う。

 

顔。

 

真っ赤。

 

「ですが!」

 

「そのようなことを!」

 

「真顔で!」

 

「簡単に!」

 

「言わないでくださいませ!」

 

「なぜ」

 

「なぜでもです!」

 

時雨には。

 

分からない。

 

必要だから。

 

必要と言った。

 

頼れと言われたから。

 

頼ると伝えた。

 

何が悪いのか。

 

「栄華」

 

「もう何も言わないで!」

 

「会計は」

 

「続けます!」

 

「はい!」

 

「返事だけは」

 

「素直ですのね!」

 

その時。

 

部屋の扉が。

 

ゆっくり開いた。

 

曹操。

 

笑み。

 

蒼い瞳。

 

その後ろ。

 

春蘭。

 

秋蘭。

 

華論。

 

柳琳。

 

稟。

 

風。

 

全員。

 

何とも言えない顔。

 

「いつから」

 

時雨が尋ねる。

 

曹操は。

 

優雅に答える。

 

「あなたが」

 

『俺の金が減ると何が困る』

 

「と」

 

「栄華へ聞いた辺りかしら」

 

「ほとんど最初だな」

 

「ええ」

 

栄華の顔から。

 

一度。

 

血の気が引く。

 

次。

 

一気に赤くなる。

 

「華琳様!」

 

「これは!」

 

「何?」

 

曹操は。

 

部屋へ入る。

 

「非常に」

 

「興味深い喧嘩だったわ」

 

「聞かないでくださいませ!」

 

「扉の外まで」

 

「聞こえていたもの」

 

「華論!」

 

栄華が。

 

華論を睨む。

 

「あなた!」

 

「華琳様を呼びましたわね!」

 

「違うっす!」

 

「最初に」

 

「栄華の声が聞こえて」

 

「柳琳呼んで」

 

「柳琳が稟呼んで」

 

「稟が風呼んで」

 

「春蘭様が」

 

「勝手に来て」

 

「姉者を止めるため」

 

「私も来た」

 

秋蘭が言う。

 

曹操は。

 

口元へ。

 

微笑みを浮かべる。

 

「私は」

 

「時雨が」

 

「喧嘩をすると思って」

 

「最初から近くにいたわ」

 

「曹操」

 

「何?」

 

「止めろ」

 

「どうして?」

 

「喧嘩するなと言った」

 

「でも」

 

曹操は。

 

栄華を見る。

 

「必要な喧嘩だったでしょう?」

 

栄華は。

 

扇で。

 

顔を隠す。

 

「……否定は」

 

「いたしません」

 

曹操は。

 

次に。

 

時雨を見る。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「栄華へ」

 

「必要だと伝えたのね」

 

「ああ」

 

「国ではなく」

 

「自分のために?」

 

「ああ」

 

曹操の笑みが。

 

僅かに深くなる。

 

「成長したわね」

 

「春蘭と同じことを言うな」

 

「何だと!」

 

春蘭が。

 

すぐに反応する。

 

「私は」

 

「時雨の成長を」

 

「誰より喜んでいる!」

 

「競うものではない」

 

秋蘭が言う。

 

風は。

 

眠そうな目で。

 

栄華を見る。

 

「おやおやー」

 

「男嫌いの栄華さんが」

 

「時雨さんには」

 

「随分と甘いですねー」

 

栄華の扇が。

 

風へ向く。

 

「甘くありません!」

 

「衣服を三組」

 

「朝食とお茶」

 

「俸給の管理」

 

「買い物へも」

 

「付き添う予定」

 

風は。

 

指を折る。

 

「十分」

 

「甘いと思いますよー」

 

「必要な管理です!」

 

「では」

 

稟が。

 

静かに尋ねる。

 

「他の男性官吏へも」

 

「同じ管理を?」

 

栄華が。

 

言葉を失う。

 

魏の男性官吏。

 

栄華の執務室へ入る時。

 

背筋を。

 

固くする。

 

服が擦り切れていても。

 

栄華は。

 

官位に相応しい服を。

 

自分で買えと言う。

 

朝食を抜いていても。

 

職務管理ができていないと。

 

叱る。

 

茶を。

 

自分で用意するなど。

 

あり得ない。

 

「時雨は!」

 

栄華が叫ぶ。

 

「放っておけば!」

 

「本当に!」

 

「何も自分へ使わないのです!」

 

「だから!」

 

「仕方なくですわ!」

 

「おお」

 

風が頷く。

 

「仕方なく」

 

「甘やかしているのですねー」

 

「甘やかしておりません!」

 

柳琳は。

 

穏やかに微笑む。

 

「私は」

 

「よいと思います」

 

栄華が。

 

柳琳を見る。

 

「何がですの」

 

「時雨には」

 

「栄華のような方が」

 

「必要ですから」

 

栄華の顔が。

 

さらに赤くなる。

 

「柳琳まで!」

 

「だって」

 

柳琳は。

 

時雨を見る。

 

「私が」

 

「身体を休ませても」

 

「時雨は」

 

「自分の金や」

 

「持ち物を」

 

「すぐ他の方へ渡してしまいます」

 

「ああ」

 

「栄華が」

 

「止めてくれるなら」

 

「安心です」

 

「私は」

 

「時雨の世話係ではありません!」

 

「では」

 

華論が。

 

笑いながら言う。

 

「何係っすか?」

 

栄華は。

 

答えない。

 

華論の頭へ。

 

扇が飛ぶ。

 

「痛いっす!」

 

「帳簿係ですわ!」

 

「時雨専属?」

 

「違います!」

 

曹操は。

 

騒ぐ者たちを見ながら。

 

一人。

 

静かに考えていた。

 

栄華。

 

男嫌い。

 

それは。

 

本物。

 

過去。

 

男の官吏。

 

商人。

 

軍人。

 

金と権力で。

 

女を軽く見る者。

 

何度も見てきた。

 

だから。

 

距離を取る。

 

言葉を固くする。

 

隙を見せない。

 

だが。

 

時雨には。

 

怒る。

 

世話を焼く。

 

細かく見る。

 

自分の領域へ。

 

入れる。

 

それは。

 

甘さ。

 

そして。

 

信頼。

 

曹操にとって。

 

少し。

 

面白くない。

 

だが。

 

悪くもない。

 

時雨には。

 

多くの手が必要。

 

曹操一人では。

 

すべてを見切れない。

 

柳琳が。

 

身体と心。

 

栄華が。

 

生活と金。

 

華論が。

 

部隊の独立。

 

春蘭と秋蘭が。

 

武。

 

桂花。

 

稟。

 

風が。

 

軍略と政。

 

それぞれ。

 

時雨の一部を。

 

支える。

 

ただ。

 

それでも。

 

曹操は。

 

確認しておきたい。

 

「栄華」

 

曹操が呼ぶ。

 

「はい、華琳様」

 

「時雨へ」

 

「甘いことは」

 

「認めなさい」

 

「認めません」

 

「なぜ」

 

「甘くありませんからです!」

 

「ああ」

 

「では」

 

曹操は。

 

時雨を見る。

 

「今後」

 

「時雨の衣服も」

 

「食事も」

 

「俸給も」

 

「私が直接管理するわ」

 

栄華の目が。

 

僅かに動く。

 

「それは」

 

「華琳様の御手を」

 

「煩わせる必要はございません」

 

「どうして?」

 

「わたくしが」

 

「すでに管理しております」

 

「甘いわね」

 

「職務です!」

 

「では」

 

「続けなさい」

 

曹操は。

 

満足そうに笑う。

 

試した。

 

栄華は。

 

時雨の管理を。

 

渡さなかった。

 

やはり。

 

甘い。

 

栄華も。

 

気づいた。

 

曹操に。

 

誘導された。

 

「華琳様」

 

「何?」

 

「意地が悪いですわ」

 

「王ですもの」

 

時雨が。

 

小さく息を吐く。

 

「似てるな」

 

曹操と栄華。

 

二人が。

 

同時に時雨を見る。

 

「何が?」

 

「何ですの?」

 

声。

 

揃う。

 

「自分が正しいと思ったら」

 

「引かない」

 

部屋。

 

一瞬。

 

静か。

 

次。

 

曹操が笑う。

 

栄華の扇が。

 

時雨の肩へ飛ぶ。

 

「痛くない」

 

「痛くするつもりはありません!」

 

「甘いな」

 

「時雨!」

 

---

 

騒ぎが。

 

ようやく収まった後。

 

春蘭たちは。

 

それぞれの仕事へ戻った。

 

華論は。

 

栄華に。

 

後で帳簿整理を手伝えと。

 

命じられた。

 

盗み聞きの罰。

 

本人は。

 

なぜ自分だけと。

 

最後まで訴えていた。

 

柳琳は。

 

時雨の朝食が。

 

きちんと消化されているか。

 

確認し。

 

次の診察時刻を伝えた。

 

稟と風は。

 

馬騰との統治会議へ向かった。

 

曹操も。

 

朝議。

 

部屋を出る前。

 

時雨の耳元へ。

 

小さく言った。

 

「夕食」

 

「忘れないで」

 

「ああ」

 

「栄華と」

 

「買い物へ行くなら」

 

「日暮れまでに戻りなさい」

 

「ああ」

 

「何を買ったか」

 

「私にも見せて」

 

「なぜ」

 

「興味があるから」

 

「自分のものだぞ」

 

「だからよ」

 

曹操は。

 

微笑み。

 

出ていった。

 

最後。

 

部屋には。

 

時雨と栄華。

 

二人。

 

机。

 

帳簿。

 

朝食の空の器。

 

薬草茶。

 

すでに。

 

温くなっている。

 

栄華は。

 

椅子へ戻る。

 

時雨も。

 

向かいへ座る。

 

「続きを」

 

栄華が言う。

 

「ああ」

 

「今回の遠征費」

 

「二割超過」

 

「ですが」

 

「涼州軍との決戦を」

 

「回避したことで」

 

「死傷者への長期給付」

 

「装備損失」

 

「軍馬損失」

 

「将来の徴兵減少」

 

「それらを考えれば」

 

「最終的には」

 

「想定より低く収まる見込みです」

 

「ああ」

 

「あなたの策は」

 

栄華は。

 

帳簿を見る。

 

「金の面でも」

 

「非常に効率的でした」

 

「そうか」

 

「ですが」

 

「好きではありません」

 

「ああ」

 

「水を使い」

 

「食料を使い」

 

「人の不安を利用する」

 

「帳簿では」

 

「利益に見える」

 

「でも」

 

「人の心へ残る損失は」

 

「数字に出ません」

 

「ああ」

 

「その点を」

 

「忘れないでください」

 

「忘れない」

 

「そして」

 

栄華は。

 

時雨を見る。

 

「忘れないために」

 

「自分を削ることも」

 

「禁止します」

 

「ああ」

 

「今」

 

「適当に返事をしました?」

 

「してない」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

栄華の目。

 

疑っている。

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「次に」

 

「急ぎで」

 

「金が必要なら」

 

「栄華へ言う」

 

「ああ」

 

「遠くなら」

 

「早馬」

 

「ああ」

 

「返事を待てない時は」

 

「立替」

 

「でも」

 

「必ず」

 

「その日に記録」

 

栄華の表情が。

 

少し柔らかくなる。

 

「はい」

 

「それなら」

 

「認める場合もあります」

 

「認めない場合は」

 

「どうする」

 

「あなたが」

 

「自分の金を使う前に」

 

「わたくしが」

 

「別の方法を作ります」

 

「ああ」

 

「任せる」

 

栄華の手が。

 

帳簿の上で止まる。

 

任せる。

 

時雨。

 

短い。

 

だが。

 

重い。

 

以前。

 

一人で。

 

何もかも決めた男。

 

今。

 

栄華へ。

 

自分の金。

 

生活。

 

判断の一部を。

 

任せる。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「今の言葉」

 

「忘れないでくださいませ」

 

「ああ」

 

「わたくしも」

 

「忘れません」

 

「ああ」

 

栄華は。

 

小さく息を吐く。

 

喧嘩。

 

終わり。

 

完全に。

 

意見が同じになったわけではない。

 

時雨は。

 

今も。

 

必要なら。

 

自分の金を使うだろう。

 

栄華は。

 

それを。

 

止めるだろう。

 

また。

 

喧嘩する。

 

だが。

 

次は。

 

相談する。

 

話す。

 

相手の役割を。

 

奪わない。

 

「では」

 

栄華が。

 

別の紙を出す。

 

「今日の午後」

 

「市場へ行きます」

 

「何を買う」

 

「あなたのものです」

 

「何が必要か」

 

「欲しいものです」

 

「必要なものではありません」

 

「ああ」

 

「何もない」

 

「探します」

 

「栄華が?」

 

「わたくしが」

 

「あなたに似合うものを」

 

「選んで差し上げます」

 

時雨が。

 

僅かに目を細くする。

 

「服はある」

 

「衣服以外です」

 

「武器」

 

「除外」

 

「馬具」

 

「除外」

 

「本」

 

「軍略書は除外」

 

「食べ物」

 

「誰かへ配るなら除外」

 

「難しいな」

 

「そうでしょう?」

 

栄華は。

 

少しだけ。

 

勝ち誇ったように笑う。

 

「戦より?」

 

「ああ」

 

「でしたら」

 

「わたくしが勝てそうですわね」

 

「何に」

 

「あなたへ」

 

「自分のために」

 

「金を使わせる勝負です」

 

時雨は。

 

考える。

 

「俺が」

 

「何も買わなければ」

 

「俺の勝ちか」

 

栄華の笑みが。

 

止まる。

 

「買わせます」

 

「無理なら」

 

「買わせます!」

 

「勝負か」

 

「ああ」

 

「受ける」

 

「なぜ」

 

「急に楽しそうなのです!」

 

時雨の口元が。

 

ほんの僅かに。

 

上がっている。

 

栄華の目が。

 

大きくなる。

 

笑った。

 

時雨が。

 

喧嘩の後。

 

自分との買い物を。

 

勝負として。

 

少し楽しんでいる。

 

栄華の胸の中。

 

温かいもの。

 

だが。

 

表へ出さない。

 

「覚悟なさいませ」

 

「ああ」

 

「あなたが」

 

「欲しいと言うまで」

 

「許昌中を」

 

「歩かせますわ」

 

「疲れる」

 

「休暇で」

 

「歩いた」

 

「今日は軍務だ」

 

「買い物が?」

 

「栄華が」

 

「俸給の使い方を」

 

「教える」

 

「教育」

 

「仕事」

 

栄華は。

 

少し考える。

 

「そういうことに」

 

「しておきましょう」

 

「手当は」

 

「出るか」

 

栄華の扇が。

 

再び机を叩く。

 

「自分のために」

 

「金を使う日に!」

 

「手当を求めないでくださいませ!」

 

「ああ」

 

「喧嘩は」

 

「終わったはずだ」

 

「あなたが!」

 

「すぐに!」

 

「新しい火種を!」

 

部屋の外。

 

役人たち。

 

誰も。

 

近づかない。

 

また。

 

曹洪様が。

 

張燕将軍と。

 

喧嘩している。

 

そう思う。

 

だが。

 

以前とは。

 

少し違う。

 

怒声の中。

 

本当の険悪さはない。

 

帳簿を。

 

投げる音もない。

 

栄華は。

 

時雨を。

 

追い出さない。

 

時雨も。

 

席を立たない。

 

二人は。

 

言い争いながら。

 

同じ帳簿を見ている。

 

---

 

午後。

 

許昌の市場。

 

栄華と時雨。

 

二人。

 

後ろには。

 

最低限の護衛。

 

少し離れて。

 

華論。

 

本人は。

 

荷物持ちとして。

 

無理やり連れてこられた。

 

「何で」

 

「私までいるんすか」

 

華論が言う。

 

「午前中」

 

「盗み聞きした罰です」

 

栄華が答える。

 

「華琳様たちも」

 

「一緒だったっす!」

 

「華琳様へ」

 

「荷物持ちをさせるつもりですの?」

 

「それは無理っす」

 

「なら」

 

「黙って持ちなさいませ」

 

「まだ」

 

「何も買ってないっす」

 

「これから増えます」

 

時雨が。

 

市場を見る。

 

前日。

 

曹操と歩いた道。

 

木彫り。

 

櫛。

 

水餃子。

 

荷車。

 

同じ街。

 

今日は。

 

目的が違う。

 

自分のための買い物。

 

栄華は。

 

最初。

 

靴の店へ入った。

 

「靴はある」

 

「遠征用でしょう」

 

「これは」

 

「街歩き用です」

 

「必要なものだ」

 

「除外」

 

「ですが」

 

「今の靴」

 

「踵が減っております」

 

「なら」

 

「必要」

 

「今日の目的ではありません」

 

「買わない」

 

栄華の眉が。

 

上がる。

 

「買います」

 

「勝負に反する」

 

「必要なものも」

 

「買います!」

 

「自分のためなら」

 

「数に入る」

 

「入りません!」

 

結局。

 

靴。

 

一足。

 

華論の荷物が。

 

一つ増えた。

 

次。

 

帯。

 

「持ってる」

 

「黒と灰だけでしょう」

 

「十分」

 

「この深緑」

 

「時雨へ似合います」

 

「青は」

 

「曹操が選んだ」

 

栄華の目が。

 

僅かに細くなる。

 

「では」

 

「わたくしは」

 

「緑を選びます」

 

「なぜ」

 

「わたくしが」

 

「見たいからです」

 

時雨の動きが。

 

僅かに止まる。

 

休暇一日目。

 

曹操。

 

青い服。

 

私が見たいから。

 

時雨は。

 

同じ理由で。

 

着ることを認めた。

 

栄華は。

 

覚えている。

 

時雨も。

 

覚えている。

 

「分かった」

 

華論が。

 

後ろで。

 

目を大きくする。

 

栄華自身も。

 

一瞬。

 

驚く。

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「わたくしが」

 

「見たいから?」

 

「ああ」

 

栄華の顔が。

 

少し赤くなる。

 

「そっ」

 

「そうですの」

 

「なら」

 

「買いますわ」

 

華論が。

 

小声で呟く。

 

「甘いっすね」

 

栄華が。

 

即座に振り返る。

 

「何か?」

 

「何も!」

 

帯。

 

深緑。

 

荷物へ加わる。

 

次。

 

茶器。

 

「曹操の部屋にある」

 

「時雨の部屋には」

 

「ほとんどありません」

 

「水差しがある」

 

「客へ」

 

「水差しから直接出すおつもり?」

 

「客は来ない」

 

「わたくしが行きます」

 

時雨の目が。

 

僅かに動く。

 

「何をしに」

 

「俸給の管理」

 

「生活費の確認」

 

「衣服が」

 

「増えすぎていないか」

 

「確認」

 

「栄華が」

 

「増やしてる」

 

「必要だからです!」

 

「なら」

 

「茶器も必要」

 

「そうです」

 

「買う」

 

栄華が。

 

少し。

 

意外そうに時雨を見る。

 

「反対しませんの?」

 

「栄華が来るなら」

 

「要る」

 

栄華の口が。

 

僅かに開く。

 

時雨は。

 

店へ入る。

 

実用。

 

頑丈。

 

洗いやすい。

 

それだけではなく。

 

栄華が。

 

使っても。

 

失礼でないもの。

 

選ぶ。

 

黒に近い。

 

深い色。

 

銀の縁。

 

派手ではない。

 

「これ」

 

時雨が言う。

 

栄華が見る。

 

「悪くありません」

 

「買う」

 

「でも」

 

栄華は。

 

別の一組を指す。

 

白。

 

細い金の線。

 

上品。

 

「こちらの方が」

 

「時雨の部屋へ」

 

「少し明るさが出ます」

 

「壊れやすい」

 

「大切に使えばよいのです」

 

「俺が使う」

 

「わたくしも使います」

 

「ああ」

 

時雨は。

 

白い方を選ぶ。

 

華論が。

 

また。

 

何か言いたそうな顔。

 

栄華の視線。

 

黙る。

 

買い物は。

 

続く。

 

座布団。

 

「いらない」

 

「椅子が硬いです」

 

「座れる」

 

「長時間座ると」

 

「腰へ負担」

 

「柳琳が言った?」

 

「わたくしが見れば分かります」

 

「栄華が?」

 

「何か?」

 

「俺の座り方まで」

 

「見てるな」

 

栄華の顔が。

 

僅かに赤くなる。

 

「職務上です!」

 

華論が。

 

とうとう。

 

耐えきれず。

 

笑った。

 

「何がおかしい!」

 

「いや」

 

「男嫌いだった栄華が」

 

「時雨には」

 

「本当に」

 

「甘い雰囲気出すなって」

 

「出しておりません!」

 

市場の人々が。

 

振り返る。

 

栄華は。

 

気づく。

 

声を落とす。

 

だが。

 

顔は赤い。

 

「華論」

 

「はいっす」

 

「今日の荷物」

 

「全部」

 

「一人で持ちなさいませ」

 

「もう持ってるっす!」

 

「追加します」

 

「何を!」

 

栄華は。

 

目の前の。

 

大きな寝具店を見る。

 

華論の顔が。

 

青くなる。

 

「まさか」

 

「布団を?」

 

「時雨の寝具」

 

「薄すぎます」

 

「曹操のところで寝る」

 

時雨が言う。

 

栄華の足が。

 

止まる。

 

華論も。

 

止まる。

 

周囲の音。

 

遠くなる。

 

「……毎日?」

 

栄華が尋ねる。

 

「ああ」

 

「最近は」

 

「ああ」

 

「そうですの」

 

栄華は。

 

寝具店から。

 

視線を外す。

 

「では」

 

「必要ありませんわね」

 

声。

 

少し。

 

冷たい。

 

時雨は。

 

栄華を見る。

 

「何だ」

 

「何もありません」

 

「顔が違う」

 

「日差しです」

 

「そうか」

 

栄華は。

 

歩き出す。

 

速い。

 

時雨が。

 

後ろへ続く。

 

華論は。

 

荷物を抱え。

 

二人を見比べる。

 

「これ」

 

「絶対」

 

「甘いだけじゃないっすよね」

 

小声。

 

誰にも。

 

聞かれないように。

 

---

 

夕方。

 

買い物の結果。

 

時雨が。

 

自分のために。

 

欲しいと言ったもの。

 

最後まで。

 

一つもなかった。

 

必要。

 

栄華が見たい。

 

栄華が使う。

 

そういう理由で。

 

靴。

 

帯。

 

茶器。

 

座布団。

 

小さな棚。

 

買った。

 

だが。

 

罰の条件。

 

自分のためだけ。

 

満たしていない。

 

栄華は。

 

市場の端。

 

小さな店の前で。

 

立ち止まる。

 

革製品。

 

袋。

 

小物入れ。

 

財布。

 

時雨が。

 

一つを見る。

 

黒い革。

 

小さい。

 

腰へ下げられる。

 

頑丈。

 

留め具。

 

簡単。

 

「それ?」

 

栄華が尋ねる。

 

「ああ」

 

「何を入れるのです」

 

「銭」

 

「今の袋は」

 

「ある」

 

「なら」

 

「なぜ」

 

時雨は。

 

手に取る。

 

今の袋。

 

古い。

 

黒山の頃から。

 

何度も。

 

縫い直した。

 

使える。

 

だが。

 

中。

 

ほとんど。

 

空。

 

「栄華が」

 

「また」

 

「自分のために使えと」

 

「言うから」

 

「ああ」

 

「銭を」

 

「残しておく袋」

 

栄華の目が。

 

僅かに柔らかくなる。

 

「欲しい?」

 

「ああ」

 

時雨は。

 

短く答えた。

 

「買う」

 

栄華は。

 

すぐに。

 

店主へ銭を出そうとする。

 

時雨が。

 

その手を止める。

 

「俺が払う」

 

「ですが」

 

「自分のためだ」

 

「ああ」

 

「そうでしたわね」

 

栄華は。

 

手を引く。

 

時雨が。

 

自分の俸給から。

 

代金を払う。

 

小さな。

 

黒い革の財布。

 

派手ではない。

 

だが。

 

新しい。

 

時雨自身が。

 

自分のために。

 

買った。

 

最初の品。

 

櫛は。

 

曹操へ。

 

茶器は。

 

栄華も使う。

 

帯は。

 

栄華が見たい。

 

だが。

 

この財布は。

 

時雨が。

 

自分の金を。

 

自分のために残すため。

 

「満足か」

 

時雨が尋ねる。

 

栄華は。

 

財布を見る。

 

次。

 

時雨。

 

「ええ」

 

声。

 

とても。

 

柔らかい。

 

男へ向ける。

 

普段の。

 

硬い声ではない。

 

「大切に」

 

「使ってくださいませ」

 

「ああ」

 

「中身も」

 

「空にしないこと」

 

「ああ」

 

「誰かへ」

 

「全部渡さない」

 

「ああ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「では」

 

栄華は。

 

自分の懐から。

 

一枚の銭を出す。

 

時雨の財布へ入れる。

 

「何だ」

 

「最初の一枚です」

 

「俺の金じゃない」

 

「贈り物ですわ」

 

「受け取れない」

 

「受け取りなさいませ」

 

「なぜ」

 

栄華は。

 

少し考える。

 

「空の財布は」

 

「縁起が悪いからです」

 

「そうか」

 

「ああ」

 

「それと」

 

栄華は。

 

時雨を見上げる。

 

「あなたが」

 

「また全部使い切っても」

 

「最後に」

 

「わたくしの一枚が」

 

「残ります」

 

時雨は。

 

財布を見る。

 

中。

 

一枚。

 

小さな音。

 

「それなら」

 

「使えないな」

 

「ええ」

 

栄華は。

 

微笑んだ。

 

普段。

 

男へは。

 

絶対に見せない。

 

柔らかい笑み。

 

甘い雰囲気。

 

華論が。

 

少し離れた場所。

 

大量の荷物の向こうから。

 

その光景を見る。

 

声は出さない。

 

今。

 

言えば。

 

本気で殺される。

 

栄華は。

 

すぐに。

 

いつもの表情へ戻る。

 

「ただし!」

 

「明日から」

 

「毎月」

 

「支出記録を提出すること!」

 

「財布の中まで?」

 

「当然です!」

 

「管理しすぎだ」

 

「あなたには」

 

「必要です!」

 

「甘いな」

 

「違います!」

 

また。

 

喧嘩。

 

だが。

 

今度の声は。

 

少し軽い。

 

---

 

日暮れ。

 

王宮。

 

曹操の私室。

 

夕食の前。

 

時雨は。

 

買ったものを。

 

机へ並べさせられていた。

 

曹操。

 

春蘭。

 

秋蘭。

 

桂花。

 

稟。

 

風。

 

流琉。

 

柳琳。

 

霞。

 

なぜか。

 

馬超までいる。

 

栄華。

 

華論。

 

全員。

 

時雨の買い物。

 

見物。

 

「なぜ」

 

時雨が尋ねる。

 

「皆いる」

 

曹操が答える。

 

「あなたが」

 

「何を買ったか」

 

「興味があるからよ」

 

「暇だな」

 

「時雨」

 

曹操の声。

 

少し低くなる。

 

「休暇を」

 

「追加する?」

 

「暇じゃない」

 

「よろしい」

 

机。

 

靴。

 

深緑の帯。

 

白い茶器。

 

座布団。

 

小さな棚。

 

財布。

 

春蘭が。

 

品を見て。

 

首を傾げる。

 

「剣はないのか」

 

「自分用の買い物ですから」

 

栄華が答える。

 

「剣も」

 

「自分用だろう」

 

「必要品は除外です」

 

「なぜ」

 

「自分のために」

 

「楽しんで使う金を」

 

「覚えさせるためですわ」

 

馬超が。

 

時雨を見る。

 

「子供か」

 

「ああ」

 

霞が頷く。

 

「金の使い方は」

 

「子供以下や」

 

「霞」

 

「何や」

 

「酒を買うだけよりまし」

 

「何やと!」

 

「酒は」

 

「人生を豊かにするんや!」

 

「財布を空にするだけだ」

 

「栄華!」

 

霞が助けを求める。

 

「時雨に」

 

「金の使い方教えたってや!」

 

「あなたも」

 

「受講なさいませ」

 

「何でや!」

 

風は。

 

新しい財布を見る。

 

「おやー」

 

「中に」

 

「一枚だけ」

 

「入っていますねー」

 

栄華の肩が。

 

僅かに動く。

 

曹操の目が。

 

鋭くなる。

 

「誰の銭?」

 

時雨が。

 

財布を開く。

 

「栄華」

 

部屋。

 

静か。

 

栄華の顔が。

 

赤くなる。

 

「どうして」

 

「栄華の銭が」

 

「時雨の財布へ?」

 

曹操の声。

 

笑顔。

 

だが。

 

冷たい。

 

栄華は。

 

扇を開く。

 

「空の財布は」

 

「縁起が悪いからですわ」

 

「ああ」

 

曹操は。

 

時雨を見る。

 

「返しなさい」

 

「なぜ」

 

「私が」

 

「代わりの銭を入れるわ」

 

「曹操」

 

「何?」

 

「栄華の一枚は」

 

「使わない」

 

曹操の眉が。

 

僅かに動く。

 

「どうして」

 

「全部使わないよう」

 

「残すため」

 

「ああ」

 

「栄華が」

 

「入れた」

 

曹操は。

 

栄華を見る。

 

栄華も。

 

曹操を見る。

 

二人。

 

笑顔。

 

静かな火花。

 

春蘭だけが。

 

分かっていない。

 

「銭一枚で」

 

「何を争っておられるのですか」

 

秋蘭が。

 

姉の肩へ手を置く。

 

「姉者は」

 

「今」

 

「黙っていた方がよい」

 

「なぜだ」

 

「危険だからだ」

 

柳琳は。

 

僅かに笑う。

 

「よいではありませんか」

 

曹操が。

 

柳琳を見る。

 

「何が?」

 

「時雨が」

 

「誰かからの贈り物を」

 

「大切にすると」

 

「決めたのです」

 

「ああ」

 

「栄華の銭も」

 

「華琳様の櫛も」

 

「同じです」

 

曹操の表情が。

 

少しだけ和らぐ。

 

櫛。

 

時雨が。

 

自分で選んだ。

 

自分へ。

 

栄華の銭。

 

時雨が。

 

自分を残すため。

 

受け取った。

 

意味は違う。

 

比べるものではない。

 

「そうね」

 

曹操は言う。

 

「では」

 

「その一枚は認めるわ」

 

栄華が。

 

僅かに。

 

安堵する。

 

「ただし」

 

曹操は。

 

自分の懐から。

 

別の銭を出す。

 

時雨の財布へ。

 

入れる。

 

「これは」

 

「何だ」

 

「私の一枚」

 

「なぜ」

 

「あなたが」

 

「帰る場所を」

 

「忘れないため」

 

時雨は。

 

二枚の銭を見る。

 

栄華。

 

曹操。

 

「重くなったな」

 

「銭二枚よ」

 

馬超が言う。

 

「そういう意味ではないだろう」

 

時雨が。

 

馬超を見る。

 

「分かるのか」

 

馬超の顔が。

 

赤くなる。

 

「見れば分かる!」

 

「成長したな」

 

霞が言う。

 

「誰がだ!」

 

「時雨と」

 

「馬超」

 

「一緒にするな!」

 

部屋。

 

笑い。

 

栄華は。

 

時雨の財布を見る。

 

自分の一枚。

 

曹操の一枚。

 

二つ。

 

時雨を。

 

縛るためではない。

 

残すため。

 

使い切らず。

 

自分を。

 

空にしないため。

 

「時雨」

 

栄華が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「その財布」

 

「毎月」

 

「中身を確認します」

 

「ああ」

 

「一枚でも」

 

「勝手に」

 

「誰かへ渡したら」

 

「怒ります」

 

「ああ」

 

「本気です」

 

「ああ」

 

「それから」

 

栄華は。

 

少しだけ。

 

声を柔らかくする。

 

「何か欲しいものが」

 

「できたら」

 

「わたくしへ」

 

「相談してくださいませ」

 

「買う前に?」

 

「ええ」

 

「金の使い方を」

 

「一緒に考えます」

 

「ああ」

 

「頼む」

 

栄華の目が。

 

柔らかく細くなる。

 

「ああ」

 

「任されましたわ」

 

男嫌いだった栄華。

 

今も。

 

男は嫌い。

 

誰にでも。

 

甘くなったわけではない。

 

時雨だけ。

 

自分を。

 

削りすぎる男。

 

金を。

 

人へ与えすぎる男。

 

必要だと言われれば。

 

断れない。

 

頼られれば。

 

応えたい。

 

腹が立つ。

 

世話が焼ける。

 

言葉が足りない。

 

鈍い。

 

曹操にばかり。

 

贈り物をする。

 

それでも。

 

放っておけない。

 

時雨の財布が。

 

空にならないよう。

 

自分の一枚を入れる。

 

それほどには。

 

甘い。

 

本人だけが。

 

最後まで。

 

認めなかった。

 

「栄華」

 

華論が。

 

小声で呼ぶ。

 

「何です」

 

「やっぱり」

 

「時雨には」

 

「甘いっすね」

 

栄華の扇が。

 

勢いよく飛ぶ。

 

華論が。

 

頭を押さえる。

 

「痛いっす!」

 

「甘くありません!」

 

「必要な管理です!」

 

「今の」

 

「痛くなかったっすよ」

 

「何が」

 

「扇」

 

「ああ」

 

華論は。

 

にやりと笑う。

 

「私にも」

 

「甘くなった?」

 

「後で」

 

「遠征会計の写しを」

 

「十部作りなさいませ」

 

「全然甘くないっす!」

 

皆が笑う。

 

時雨は。

 

財布を閉じる。

 

腰へ下げる。

 

新しい革。

 

僅かな重さ。

 

中。

 

二枚の銭。

 

自分が。

 

空にならないため。

 

残されたもの。

 

栄華。

 

曹操。

 

二人の意思。

 

「時雨」

 

曹操が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「今日の喧嘩」

 

「どちらが勝ったの?」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

自分の金。

 

戻される。

 

自分のために。

 

買い物をさせられた。

 

財布。

 

買った。

 

栄華へ。

 

頼ると約束した。

 

「栄華」

 

栄華の目が。

 

僅かに見開かれる。

 

「俺の負けだ」

 

栄華は。

 

しばらく。

 

時雨を見る。

 

次。

 

僅かに。

 

誇らしそうに笑う。

 

「当然ですわ」

 

「帳簿と金で」

 

「わたくしに勝とうなど」

 

「百年早いです」

 

「次は勝つ」

 

「何をするつもりですの!」

 

「何も」

 

「それが一番不安です!」

 

曹操は。

 

二人のやり取りを見ながら。

 

静かに微笑む。

 

喧嘩。

 

必要。

 

相手を。

 

壊すためではない。

 

理解するため。

 

栄華は。

 

時雨へ怒った。

 

制度を守るため。

 

魏の責任を守るため。

 

そして。

 

時雨自身を守るため。

 

時雨は。

 

その怒りを。

 

拒絶しなかった。

 

反論し。

 

ぶつかり。

 

最後に。

 

頼った。

 

三日間の休暇。

 

その次の日。

 

時雨が。

 

最初にした仕事は。

 

遠征会計の確認。

 

だが。

 

本当に。

 

学んだのは。

 

金の計算ではない。

 

自分のものを。

 

自分のために。

 

残すこと。

 

誰かへ。

 

任せること。

 

怒られることは。

 

見捨てられることではない。

 

喧嘩は。

 

関係を終わらせるためだけに。

 

あるのではない。

 

そして。

 

男嫌いの女が。

 

自分にだけ。

 

衣服を選び。

 

食事を用意し。

 

薬草茶を淹れ。

 

財布へ銭を入れる。

 

その甘さを。

 

完全には理解できなくても。

 

受け取ること。

 

夜。

 

食事が終わった後。

 

時雨は。

 

自室へ戻った。

 

机。

 

新しい茶器。

 

白。

 

細い金の線。

 

栄華が選んだもの。

 

小さな棚。

 

座布団。

 

深緑の帯。

 

部屋。

 

以前より。

 

少しだけ。

 

人が住む場所らしくなっている。

 

時雨は。

 

茶器を。

 

二つ並べる。

 

一つ。

 

自分。

 

一つ。

 

栄華が来た時。

 

使うもの。

 

扉が叩かれる。

 

「時雨」

 

栄華の声。

 

時雨が。

 

扉を開ける。

 

栄華は。

 

帳簿を持っている。

 

「何だ」

 

「本日の」

 

「買い物の支出記録です」

 

「今?」

 

「ああ」

 

「今です」

 

「夕食後だ」

 

「数字は」

 

「その日のうちに」

 

「確認するものです」

 

時雨は。

 

部屋へ入れる。

 

栄華は。

 

机。

 

茶器を見る。

 

二つ。

 

一瞬。

 

動きが止まる。

 

「茶」

 

時雨が言う。

 

「飲むか」

 

栄華は。

 

時雨を見る。

 

「わたくしのために」

 

「用意しましたの?」

 

「ああ」

 

「来ると言った」

 

栄華の表情が。

 

柔らかくなる。

 

「では」

 

「いただきますわ」

 

時雨が。

 

茶を淹れる。

 

不慣れ。

 

湯。

 

少し多い。

 

茶葉。

 

僅かに少ない。

 

栄華は。

 

口を出そうとする。

 

だが。

 

止める。

 

時雨が。

 

自分で。

 

誰かのため。

 

そして。

 

自分も一緒に飲むため。

 

茶を淹れている。

 

それでよい。

 

二つの器。

 

湯気。

 

栄華。

 

時雨。

 

帳簿。

 

「味は」

 

栄華が尋ねる。

 

時雨は。

 

一口。

 

飲む。

 

「薄い」

 

「そうですわね」

 

「失敗か」

 

「次は」

 

「もう少し」

 

「茶葉を増やしましょう」

 

「次?」

 

「ああ」

 

栄華は。

 

当然のように答える。

 

「また参りますもの」

 

時雨は。

 

僅かに頷く。

 

「分かった」

 

栄華は。

 

茶を飲む。

 

薄い。

 

だが。

 

悪くない。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「今日」

 

「自分のために」

 

「財布を買いました」

 

「ああ」

 

「明日からも」

 

「一つずつ」

 

「自分のために」

 

「残してくださいませ」

 

「毎日は無理だ」

 

「では」

 

「時々でよいです」

 

「ああ」

 

「そして」

 

「何か迷ったら」

 

「わたくしへ」

 

「相談すること」

 

「ああ」

 

「約束ですわ」

 

時雨は。

 

財布へ。

 

手を触れる。

 

中。

 

二枚。

 

音。

 

小さい。

 

「約束する」

 

栄華の目が。

 

柔らかく細くなる。

 

「よろしい」

 

その声。

 

他の男へは。

 

決して向けない。

 

甘く。

 

穏やかな声。

 

時雨は。

 

気づいている。

 

だが。

 

何も言わない。

 

言えば。

 

また。

 

甘くないと怒る。

 

喧嘩になる。

 

それも。

 

悪くないかもしれない。

 

そう思った。

 

「栄華」

 

「何ですの」

 

「今日の喧嘩」

 

「何です」

 

「悪くなかった」

 

栄華の目が。

 

僅かに大きくなる。

 

次。

 

扇で。

 

口元を隠す。

 

「次は」

 

「もう少し」

 

「穏やかに話してくださいませ」

 

「栄華が」

 

「最初に怒鳴った」

 

「時雨!」

 

「やはり」

 

「甘くないな」

 

「甘くありません!」

 

夜の王宮。

 

栄華の声が。

 

時雨の部屋へ響く。

 

だが。

 

廊下を通る者は。

 

誰も。

 

険悪な喧嘩とは思わなかった。

 

帳簿の向こう。

 

数字では。

 

表せないもの。

 

怒り。

 

信頼。

 

心配。

 

甘さ。

 

それらが。

 

少しずつ。

 

二人の間へ。

 

積み上がっていた。

 

黒山の狼が。

 

財布を空にしないため。

 

男嫌いの女は。

 

今日も。

 

厳しく。

 

甘く。

 

その手を。

 

離さなかった。




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次の作品の主人公とルートは誰がいい?

  • 高順呂布ルート(ヒロイン恋、霞)
  • 朱霊曹操ルート(ヒロイン華琳、柳琳)
  • 周倉関羽ルート(ヒロイン愛紗)
  • 孫瑜孫権ルート(ヒロイン蓮華、粋怜)
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