【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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外伝 第24話 狼の弱点――孫策、猛攻を開始する

外伝 第24話 狼の弱点――孫策、猛攻を開始する

 

 

 

孫策が許昌へ滞在する三日間。

 

その最初の朝は、まだ日が昇りきる前から騒がしかった。

 

王宮の客殿。

 

本来ならば、遠方から訪れた国賓が静かに身体を休めるための場所である。

 

広い寝室。

 

柔らかな寝台。

 

呉王の身分に相応しい調度品。

 

温かな湯。

 

香。

 

食事。

 

警備。

 

曹操は孫策を歓迎していない。

 

少なくとも、個人的には。

 

だが。

 

魏王として、客人への礼を欠くこともない。

 

必要なものは、全て用意されている。

 

不足はない。

 

不満を口にする余地もない。

 

それでも。

 

孫策は眠らなかった。

 

正確には。

 

一度は眠った。

 

だが、夜が明けるよりも早く目を覚ました。

 

寝台の上で身体を起こし、窓の外を見た。

 

許昌。

 

敵国の都。

 

婚約者が暮らす街。

 

曹操の国。

 

孫策は、昨夜のことを思い返す。

 

黒い髪。

 

鋭い目。

 

無愛想。

 

短い言葉。

 

自分との婚約を忘れていた男。

 

会った瞬間に婚約を破棄すると告げた男。

 

曹操を選んでいると言った男。

 

それなのに。

 

孫策を嫌っているわけではない。

 

知らないから分からない。

 

三日で知る。

 

そう言えば、逃げなかった。

 

拒絶しながら。

 

話すことは受け入れた。

 

謝るべきところでは、何度でも謝った。

 

自分の非を。

 

言葉で軽くしなかった。

 

面白い。

 

思っていたより、遥かに。

 

「さて」

 

孫策は寝台から降りた。

 

「どうしようかしら」

 

正攻法。

 

呉の利益。

 

婚姻同盟。

 

将軍としての地位。

 

江東の富。

 

どれも。

 

時雨には効かない。

 

地位へ興味がない。

 

金へ執着がない。

 

国土を与えると言っても動かない。

 

戦ならば。

 

乗るかもしれない。

 

勝負。

 

武。

 

孫策は強い。

 

だが。

 

時雨も。

 

夏侯惇を剣で倒した男。

 

弓では夏侯淵へ勝った。

 

軍略では魏の軍師三人を破った。

 

単純な勝負を挑めば、興味は向けられるだろう。

 

しかし。

 

それは。

 

女として見られることとは違う。

 

孫策が欲しいのは。

 

張燕という将の興味だけではない。

 

時雨という男の視線。

 

曹操へ向いているもの。

 

それを。

 

自分へも向けさせる。

 

三日。

 

短い。

 

なら。

 

迷っている暇はない。

 

「まずは」

 

孫策は。

 

用意されていた衣へ目を向けた。

 

呉から持参したもの。

 

王としての正装。

 

動きやすい軍装。

 

街を歩くための普段着。

 

そして。

 

侍女が念のために入れた。

 

少しだけ大胆な衣。

 

江東では。

 

珍しくない。

 

身体の線を隠しすぎない。

 

鮮やかな衣。

 

腕。

 

肩。

 

胸元。

 

北方の女が着る服より。

 

軽い。

 

「これね」

 

孫策は笑った。

 

正攻法で勝てないなら。

 

小覇王らしく。

 

正面から別の道を踏み潰す。

 

時雨が。

 

何へ弱いか。

 

まだ分からない。

 

なら。

 

一つずつ。

 

試せばよい。

 

---

 

同じ頃。

 

曹操の私室。

 

時雨は。

 

見慣れた天井を見ていた。

 

三日前。

 

休暇。

 

昨日。

 

孫策の歓迎。

 

今朝。

 

目を覚ます場所は。

 

また曹操の寝室。

 

時雨は。

 

隣を見る。

 

曹操は。

 

すでに起きている。

 

黄金の髪。

 

時雨から贈られた櫛で。

 

丁寧に整えられている。

 

寝衣ではない。

 

朝議へ出るための衣。

 

ただし。

 

まだ。

 

最後の外衣は着ていない。

 

侍女も下がらせている。

 

曹操は。

 

鏡の前に座り。

 

自分の髪へ触れていた。

 

「起きた?」

 

「ああ」

 

「よく眠れた?」

 

「ああ」

 

「夜中に」

 

「孫策のところへ行かなかったわね」

 

「行く理由がない」

 

「そう」

 

曹操の声へ。

 

僅かな満足。

 

時雨は。

 

寝台から降りる。

 

上衣。

 

帯。

 

剣。

 

いつもの順番。

 

だが。

 

剣へ手を伸ばしたところで。

 

曹操が言った。

 

「今日は要らないわ」

 

時雨の手が止まる。

 

「なぜ」

 

「孫策と街へ出るのでしょう?」

 

「ああ」

 

「護衛がいる」

 

「自分でも持つ」

 

「孫策と勝負を始める可能性があるわ」

 

「始めない」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「孫策が」

 

「剣を抜いても?」

 

「止める」

 

「どうやって」

 

「剣で」

 

曹操は。

 

深く息を吐いた。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「それを」

 

「勝負を始めると言うのよ」

 

時雨は。

 

剣を見る。

 

必要。

 

だが。

 

曹操の言い分も。

 

完全には間違っていない。

 

孫策。

 

戦を楽しむ女。

 

昨日。

 

宴の最中にも。

 

春蘭へ勝負を持ちかけた。

 

時雨が剣を持っていれば。

 

試す。

 

そう言い出す可能性は高い。

 

「短剣だけ」

 

時雨が言う。

 

「駄目」

 

「何かあれば」

 

「春蘭と秋蘭がいる」

 

「二人が」

 

「孫策と喧嘩したら」

 

「霞がいる」

 

「霞も」

 

「一緒に喧嘩する」

 

曹操が。

 

一瞬黙る。

 

否定できない。

 

「では」

 

曹操は。

 

時雨の前へ来る。

 

腰へ。

 

自分の手で帯を巻く。

 

武器を下げるための。

 

硬い帯ではない。

 

昨日。

 

栄華が用意した。

 

深緑。

 

普段着用。

 

「今日は」

 

「戦わない」

 

「軍議もしない」

 

「孫策へ」

 

「許昌と魏を見せる」

 

「その上で」

 

「婚約を破棄する話をする」

 

「ああ」

 

「だから」

 

曹操は。

 

時雨の帯を締める。

 

少し。

 

強い。

 

「余計なことはしない」

 

「ああ」

 

「孫策に」

 

「必要以上に近づかせない」

 

「ああ」

 

「身体へ」

 

「触れさせない」

 

「ああ」

 

「抱きつかせない」

 

時雨の眉が動く。

 

「抱きつくのか」

 

「分からない」

 

曹操は。

 

時雨を見上げる。

 

「分からないから」

 

「備えるのよ」

 

休暇中。

 

時雨が使った言葉。

 

また。

 

返される。

 

「孫策は」

 

曹操が言う。

 

「遠慮をしない女よ」

 

「ああ」

 

「昨日も」

 

「会ってすぐ」

 

「あなたへ触れようとした」

 

「ああ」

 

「止めた?」

 

「ああ」

 

「今日も止めなさい」

 

「ああ」

 

曹操は。

 

時雨の胸元を整える。

 

襟。

 

少し開いている。

 

閉じる。

 

「曹操」

 

「何?」

 

「近い」

 

曹操の手が止まる。

 

「嫌?」

 

「違う」

 

「なら」

 

「孫策も」

 

「同じことを言うかもしれない」

 

曹操の目が。

 

鋭くなる。

 

「私と孫策は違うわ」

 

「何が」

 

「私は」

 

曹操は。

 

時雨の襟を。

 

さらに引き寄せる。

 

顔。

 

近い。

 

吐息。

 

触れそうな距離。

 

「あなたに選ばれている」

 

時雨は。

 

蒼い瞳を見る。

 

「孫策は?」

 

「まだ」

 

「選ばれていない」

 

「ああ」

 

「だから」

 

曹操は。

 

僅かに笑う。

 

「私だけが」

 

「近づいてよいの」

 

「いつ決まった」

 

「今」

 

「横暴だな」

 

「王ですもの」

 

曹操は。

 

時雨から離れる。

 

満足そう。

 

「行きましょう」

 

「どこへ」

 

「朝食よ」

 

「孫策も?」

 

曹操の声が。

 

僅かに冷える。

 

「もう待っているそうよ」

 

「早いな」

 

「夜明け前から」

 

「あなたを呼びに来ようとして」

 

「春蘭に止められたらしいわ」

 

「春蘭が?」

 

「ああ」

 

「客殿の前で」

 

「一度」

 

「剣を抜きかけたそうよ」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「朝から元気だな」

 

曹操は。

 

額へ手を当てた。

 

「そこではないわ」

 

---

 

朝食の部屋。

 

孫策は。

 

すでに席へ着いていた。

 

正確には。

 

席へ座っていなかった。

 

窓辺。

 

外を見ている。

 

許昌の朝。

 

兵。

 

侍女。

 

役人。

 

働き始める者たち。

 

朝の光。

 

孫策の服は。

 

昨日とは違う。

 

王としての正装ではない。

 

街へ出るための衣。

 

鮮やかな赤を基調にした。

 

軽い服。

 

腕。

 

肩。

 

動きやすい。

 

江東らしい。

 

北方の衣より。

 

身体へ近い。

 

そして。

 

胸元が。

 

少しだけ。

 

開いていた。

 

過度ではない。

 

下品でもない。

 

だが。

 

孫策自身の。

 

豊かな身体つきを。

 

隠してはいない。

 

曹操が。

 

部屋へ入った瞬間。

 

その目が。

 

孫策の衣へ向く。

 

次。

 

時雨。

 

時雨は。

 

孫策の顔を見た。

 

そこまでは普通。

 

次に。

 

視線が。

 

ほんの一瞬。

 

下へ落ちた。

 

孫策の胸元。

 

すぐに。

 

戻る。

 

僅か。

 

本当に。

 

一瞬。

 

だが。

 

孫策は見逃さなかった。

 

曹操も。

 

見逃さなかった。

 

後ろから入った霞も。

 

見逃さなかった。

 

「おはよう」

 

孫策が笑う。

 

「曹操」

 

「張燕」

 

「ああ」

 

時雨が答える。

 

曹操は。

 

孫策の服を。

 

もう一度見る。

 

「随分と」

 

「軽い格好ね」

 

孫策は。

 

自分の腕を広げる。

 

自然と。

 

胸元の布が。

 

僅かに動く。

 

時雨の視線。

 

また。

 

一瞬だけ。

 

落ちた。

 

今度は。

 

先ほどより短い。

 

だが。

 

確実。

 

孫策の目が。

 

楽しそうに細くなる。

 

「江東では」

 

孫策が言う。

 

「これくらい普通よ」

 

「北は」

 

「暑くないの?」

 

「今は」

 

「そこまで」

 

時雨が答える。

 

孫策は。

 

時雨へ一歩近づく。

 

「でも」

 

「私には少し暑い」

 

「そうか」

 

孫策は。

 

胸元を。

 

指で軽く扇ぐ。

 

風。

 

布。

 

僅かに揺れる。

 

時雨の顔は変わらない。

 

だが。

 

首が。

 

ほんの少しだけ。

 

別の方向へ向いた。

 

霞の目が。

 

大きくなる。

 

曹操の目が。

 

細くなる。

 

孫策は。

 

確信には。

 

まだ届いていない。

 

だが。

 

何か。

 

ある。

 

「張燕」

 

「何だ」

 

「どう?」

 

「何が」

 

「この服」

 

時雨は。

 

孫策の服を見る。

 

顔。

 

肩。

 

腕。

 

腰。

 

胸元へ。

 

近づきそうになった視線を。

 

自分で。

 

途中から横へずらす。

 

「動きやすそう」

 

「それだけ?」

 

「ああ」

 

「似合ってる?」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「孫策らしい」

 

「会って一日で」

 

「私らしさが分かるの?」

 

「昨日も赤かった」

 

霞が。

 

口元を押さえる。

 

笑いを堪えている。

 

孫策は。

 

時雨の正面へ。

 

さらに近づく。

 

「ほかには?」

 

「何が」

 

「何か」

 

「気になるところ」

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

視線。

 

真っ直ぐ。

 

絶対に。

 

下へ落とさない。

 

「ない」

 

返答。

 

早い。

 

孫策の笑みが。

 

深くなった。

 

曹操は。

 

もう理解している。

 

「孫策」

 

曹操が低く呼ぶ。

 

「何?」

 

「席へ座りなさい」

 

「朝食が冷めるわ」

 

孫策は。

 

時雨の横を通る。

 

その時。

 

肩が。

 

時雨の腕へ触れた。

 

軽い。

 

偶然を装える程度。

 

時雨の身体が。

 

僅かに固くなる。

 

孫策は。

 

完全に気づいた。

 

曹操の笑顔が。

 

冷え切った。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「私の隣へ座りなさい」

 

「ああ」

 

曹操。

 

時雨。

 

孫策。

 

昨夜と同じ。

 

だが。

 

今日は。

 

孫策の目が。

 

時雨を見る意味が違う。

 

獲物の弱点を。

 

見つけかけた。

 

戦う女の目。

 

朝食。

 

粥。

 

魚。

 

肉。

 

野菜。

 

果物。

 

孫策は。

 

普通に食べる。

 

話す。

 

許昌の街について尋ねる。

 

魏の税。

 

兵。

 

市場。

 

黒山の民。

 

涼州。

 

時雨も答える。

 

短い。

 

必要なだけ。

 

孫策は。

 

真面目に聞く。

 

ふざけているだけではない。

 

時雨が。

 

何を守り。

 

何を考え。

 

なぜ曹操を選んだのか。

 

知ろうとしている。

 

その姿勢。

 

時雨も。

 

少しずつ。

 

返す言葉が増える。

 

「燕を」

 

孫策が尋ねる。

 

「消した時」

 

「怖くなかった?」

 

「ああ」

 

「嘘ね」

 

「なぜ」

 

「怖くない人は」

 

「国を消す前に」

 

「百万の民が生きられる場所なんて」

 

「探さないもの」

 

時雨の箸が。

 

僅かに止まる。

 

孫策は続ける。

 

「怖かったから」

 

「全部用意した」

 

「違う?」

 

「……ああ」

 

曹操が。

 

孫策を見る。

 

ただ。

 

時雨を奪いに来た女。

 

それだけではない。

 

見ている。

 

時雨の言葉の。

 

奥。

 

一日で。

 

完全には分からない。

 

だが。

 

孫策は。

 

直感で。

 

踏み込む。

 

危険。

 

時折。

 

無遠慮。

 

それでも。

 

核心へ触れる。

 

時雨も。

 

孫策を。

 

少しだけ。

 

真面目に見始めていた。

 

だからこそ。

 

曹操は。

 

余計に面白くない。

 

「張燕」

 

孫策が言う。

 

「何だ」

 

「私が」

 

「燕王だったあなたに」

 

「会えていたら」

 

「何か変わった?」

 

時雨は。

 

考える。

 

過去。

 

孫策。

 

江東。

 

婚約。

 

もし。

 

会っていたら。

 

「分からない」

 

「私を」

 

「好きになったかもしれない?」

 

「分からない」

 

「呉へ」

 

「来たかもしれない?」

 

「それはない」

 

「早いわね」

 

「百万を」

 

「江東へ移せない」

 

孫策が。

 

少し笑う。

 

「やっぱり」

 

「あなたは」

 

「最後まで民なのね」

 

「ああ」

 

「でも」

 

孫策は。

 

果物を一つ取る。

 

指先で。

 

弄ぶ。

 

「今は」

 

「百万の民だけじゃない」

 

「曹操」

 

「魏の将たち」

 

「黒狼隊」

 

「許昌」

 

「ああ」

 

「それ全部を」

 

「捨てて呉へ来いと言っても」

 

「来ない」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「私が」

 

「それ全部ごと」

 

「欲しいと言ったら?」

 

朝食の部屋が。

 

静まる。

 

曹操の目が。

 

鋭くなる。

 

「全部?」

 

時雨が尋ねる。

 

孫策は笑う。

 

「あなたが」

 

「大切にしてるもの」

 

「全部」

 

「呉と魏」

 

「両方で守ればいい」

 

「魏と呉が」

 

「争わないようにして」

 

「荊州も」

 

「一緒に取る」

 

「あなたは」

 

「曹操の隣にも」

 

「私の隣にもいる」

 

曹操の声が。

 

冷える。

 

「随分と」

 

「都合のよい話ね」

 

「そう?」

 

「時雨を」

 

「半分ずつにするつもり?」

 

「時雨は一人よ」

 

孫策は。

 

曹操を見る。

 

「だから」

 

「私たちが」

 

「同じ側へ立てばいい」

 

曹操の目が。

 

僅かに細くなる。

 

一見。

 

冗談。

 

だが。

 

完全な冗談ではない。

 

魏と呉。

 

婚姻同盟。

 

荊州挟撃。

 

北郷一刀。

 

劉備。

 

南北。

 

時雨。

 

孫策は。

 

感情の話と。

 

国家の話を。

 

同じ卓へ置く。

 

実現可能性は低い。

 

だが。

 

最初から。

 

不可能と捨てるには。

 

大きすぎる構想。

 

「断る」

 

時雨が言った。

 

孫策が見る。

 

「どうして」

 

「曹操は」

 

「俺を半分にしない」

 

曹操の蒼い瞳が。

 

僅かに揺れる。

 

孫策は。

 

一瞬。

 

黙る。

 

次。

 

笑った。

 

「なるほど」

 

「独占されたいの?」

 

「違う」

 

「何が」

 

「曹操が」

 

「そういう女」

 

孫策は。

 

曹操を見る。

 

曹操は。

 

隠さず頷く。

 

「ええ」

 

「私は」

 

「欲しいものを」

 

「他人と分ける趣味はないわ」

 

孫策は。

 

楽しそうに笑う。

 

「私もよ」

 

「なら」

 

「同じ側には立てないわね」

 

「ああ」

 

「だから」

 

孫策は。

 

時雨の方へ身体を傾ける。

 

「張燕に」

 

「私を選んでもらうしかない」

 

その動き。

 

胸元。

 

時雨の腕へ。

 

僅かに近づく。

 

時雨は。

 

露骨ではない。

 

だが。

 

身体を。

 

ほんの少し。

 

曹操側へずらした。

 

孫策の目が。

 

輝く。

 

曹操の目が。

 

完全に据わる。

 

霞は。

 

後方で。

 

口元を押さえ。

 

肩を震わせている。

 

朝食が終わった後。

 

霞は。

 

春蘭と秋蘭を。

 

廊下の端へ呼んだ。

 

「何だ」

 

春蘭が尋ねる。

 

霞は。

 

時雨へ聞こえないよう。

 

声を落とす。

 

「時雨の弱点」

 

「見つけたかもしれん」

 

春蘭の顔が。

 

一瞬で真剣になる。

 

「敵に狙われる弱点か!」

 

「ああ」

 

「どこだ!」

 

「胸」

 

春蘭は。

 

自分の胸を見る。

 

次。

 

霞。

 

次。

 

秋蘭。

 

「心臓か?」

 

「ちゃう」

 

「肺か」

 

「ちゃう」

 

秋蘭が。

 

静かに霞を見る。

 

数秒。

 

理解。

 

「女性の胸か」

 

「ああ」

 

春蘭の顔が。

 

真っ赤になる。

 

「何を言っている!」

 

「見とったやろ!」

 

「何を!」

 

「孫策の胸元!」

 

「見ていない!」

 

「姉者」

 

秋蘭が。

 

落ち着いた声で言う。

 

「我らではない」

 

「ああ」

 

霞が頷く。

 

「時雨がや」

 

春蘭の動きが止まる。

 

「時雨が?」

 

「一瞬やけど」

 

「ああ」

 

秋蘭も。

 

僅かに頷く。

 

「視線を逸らしていた」

 

「嫌悪ではない」

 

「明らかに」

 

「意識していたな」

 

春蘭は。

 

時雨を見る。

 

少し離れた場所。

 

曹操。

 

孫策。

 

時雨。

 

三人。

 

街へ出る準備。

 

時雨。

 

いつも通り。

 

無表情。

 

「まさか」

 

春蘭が。

 

信じられないように呟く。

 

「時雨にも」

 

「女の身体へ」

 

「弱いところがあるのか」

 

「男やからな」

 

霞が言う。

 

「時雨だぞ?」

 

「男や」

 

「だが」

 

「時雨だぞ?」

 

「姉者」

 

秋蘭が。

 

静かに言う。

 

「人だ」

 

春蘭は。

 

大きな衝撃を受けた顔。

 

時雨。

 

剣。

 

弓。

 

軍略。

 

外道。

 

非道。

 

百万を背負う。

 

女から迫られても。

 

鈍い。

 

曹操へ。

 

好きと言われても。

 

ようやく意味を理解した。

 

そんな男にも。

 

女性の胸へ。

 

視線を奪われることがある。

 

「華琳様は」

 

春蘭が尋ねる。

 

「気づいておられるのか」

 

霞と秋蘭。

 

同時に。

 

曹操を見る。

 

孫策が。

 

時雨へ少し近づく。

 

曹操が。

 

時雨の腕を掴み。

 

自分側へ引く。

 

笑顔。

 

だが。

 

周囲の温度。

 

下がっている。

 

「気づいとるな」

 

霞が言った。

 

「ああ」

 

秋蘭も頷く。

 

春蘭は。

 

拳を握る。

 

「ならば」

 

「どうする」

 

「時雨を守る!」

 

「何から」

 

「孫策の胸からだ!」

 

廊下へ。

 

春蘭の声が響いた。

 

時雨。

 

曹操。

 

孫策。

 

全員が。

 

春蘭を見る。

 

「姉者」

 

秋蘭が目を閉じる。

 

霞は。

 

壁へ手をつき。

 

笑いを堪える。

 

曹操の顔。

 

静か。

 

孫策。

 

口元。

 

ゆっくり上がる。

 

時雨だけが。

 

意味を理解していない。

 

「何を言ってる」

 

時雨が尋ねる。

 

春蘭の顔が。

 

さらに赤くなる。

 

「貴様!」

 

「自分の胸へ聞け!」

 

「俺の胸?」

 

「違う!」

 

「どっちだ」

 

「姉者」

 

秋蘭が。

 

春蘭の肩を掴む。

 

「もう話すな」

 

「だが!」

 

「致命傷が広がる」

 

「時雨のか?」

 

「姉者のだ」

 

孫策が。

 

声を上げて笑った。

 

「そういうこと!」

 

「何が」

 

時雨が見る。

 

孫策は。

 

自分の胸元へ。

 

わざと指を置く。

 

「張燕」

 

「何だ」

 

「あなた」

 

「胸が好きなの?」

 

時雨の動きが。

 

止まった。

 

僅か。

 

だが。

 

明確。

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

次。

 

曹操。

 

次。

 

春蘭。

 

秋蘭。

 

霞。

 

逃げ道。

 

ない。

 

「分からない」

 

時雨が答えた。

 

「嘘」

 

孫策は即答する。

 

「なぜ」

 

「今」

 

「考えたでしょう?」

 

「ああ」

 

「何を」

 

「好きか」

 

「それで?」

 

時雨は。

 

考える。

 

女性の胸。

 

普段。

 

意識しない。

 

正確には。

 

意識しないようにしている。

 

戦場。

 

軍議。

 

仕事。

 

必要ない。

 

相手は。

 

将。

 

軍師。

 

王。

 

胸を見る理由がない。

 

だから。

 

見ない。

 

だが。

 

見えてしまえば。

 

視線が。

 

僅かに引かれることがある。

 

柔らかそう。

 

そう思う。

 

それ以上。

 

考えない。

 

考えれば。

 

相手に失礼。

 

必要もない。

 

だから。

 

すぐ忘れる。

 

「嫌いではない」

 

時雨が言った。

 

廊下。

 

凍る。

 

霞。

 

ついに。

 

声を上げて笑う。

 

孫策の目が。

 

完全に輝く。

 

曹操の笑みが。

 

消える。

 

春蘭は。

 

口を開けたまま。

 

固まっている。

 

秋蘭も。

 

普段より。

 

僅かに目を見開いていた。

 

「嫌いではない?」

 

孫策が。

 

時雨へ近づく。

 

「ああ」

 

「大きい方が?」

 

時雨が。

 

また。

 

僅かに止まる。

 

曹操の声。

 

低い。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「答えなくてよいわ」

 

孫策が笑う。

 

「どうして?」

 

「必要のない質問だからよ」

 

「でも」

 

孫策は。

 

自分の身体へ。

 

視線を落とす。

 

豊かな胸元。

 

次。

 

曹操。

 

曹操も。

 

決して小さくはない。

 

ただ。

 

孫策の方が。

 

衣も。

 

見せ方も。

 

堂々としている。

 

「大事でしょう?」

 

「何が」

 

曹操の目が鋭い。

 

「女として」

 

「どこへ惹かれるか」

 

「知りたいもの」

 

「時雨は」

 

曹操が言う。

 

「そのような表面的なもので」

 

「相手を選ばないわ」

 

「ああ」

 

時雨が頷く。

 

孫策は。

 

時雨を見る。

 

「でも」

 

「好き?」

 

「ああ」

 

曹操が。

 

時雨へ顔を向ける。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「なぜ」

 

「そこだけ」

 

「素直なの?」

 

「聞かれた」

 

「いつも」

 

「聞かれても」

 

「分からないと答えるでしょう!」

 

「今」

 

「考えた」

 

「考えなくてよいの!」

 

孫策は。

 

腹を抱えて笑う。

 

「最高!」

 

「曹操!」

 

「この男」

 

「本当に面白い!」

 

「あなたへ」

 

「面白がらせるために」

 

「置いているのではないわ!」

 

「置いてるんだ?」

 

「言葉尻を取らないで!」

 

時雨は。

 

二人を見る。

 

「街へ行かないのか」

 

曹操と孫策。

 

同時に。

 

時雨を睨む。

 

「何だ」

 

「あなたのせいよ!」

 

「張燕のせい!」

 

また。

 

声が揃う。

 

「似てるな」

 

「似てない!」

 

今度も。

 

声が揃った。

 

---

 

許昌の街へ出る頃には。

 

時雨が女性の胸に弱い。

 

その情報は。

 

同行する者のほぼ全員へ広がっていた。

 

原因。

 

霞。

 

正確には。

 

春蘭の大声。

 

王宮の廊下。

 

侍女。

 

兵。

 

役人。

 

口止め。

 

間に合わない。

 

ただし。

 

街の民まで。

 

広がってはいない。

 

まだ。

 

魏の主要な将たち。

 

内部だけ。

 

それでも。

 

十分に。

 

時雨へ向く視線が。

 

変わっている。

 

桂花は。

 

時雨を見るたび。

 

自分の胸元へ。

 

一度だけ視線を落とす。

 

次。

 

すぐに。

 

顔を赤くし。

 

時雨を睨む。

 

栄華は。

 

扇で口元を隠しながら。

 

普段より。

 

衣の襟を。

 

少しだけ。

 

整える回数が多い。

 

柳琳は。

 

困ったように。

 

微笑んでいる。

 

流琉は。

 

耳まで赤くして。

 

時雨と目を合わせない。

 

季衣は。

 

よく分かっていない。

 

「胸が好きって」

 

「何が悪いの?」

 

流琉が。

 

さらに赤くなる。

 

「姉様!」

 

「だって」

 

「女の人は」

 

「皆あるよ?」

 

「そういう話ではありません!」

 

華論は。

 

時雨の肩へ。

 

同情するように手を置く。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「男として」

 

「気持ちは分かるっす」

 

「華論も女だろ」

 

「ああ」

 

「そうだったっす」

 

「忘れるな」

 

「でも」

 

華論は。

 

自分の胸元を見る。

 

「私じゃ」

 

「孫策に勝てないっすね」

 

栄華の扇が。

 

華論の頭を叩く。

 

「何の勝負を始めるつもりですの!」

 

「痛いっす!」

 

「下品です!」

 

「栄華も」

 

「さっきから」

 

「襟を気にしてるっす!」

 

「気にしておりません!」

 

「六回触ったっす!」

 

「数えないでくださいませ!」

 

時雨は。

 

全員から。

 

少し離れる。

 

面倒。

 

ただ。

 

逃げるわけにはいかない。

 

孫策との三日。

 

約束。

 

曹操へ。

 

相談。

 

逃げない。

 

孫策は。

 

時雨の横。

 

曹操は。

 

反対側。

 

左右。

 

二人の王。

 

さらに。

 

後ろ。

 

魏の将たち。

 

街の案内というより。

 

護送。

 

「張燕」

 

孫策が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「さっきの話」

 

「まだ続けていい?」

 

「駄目よ」

 

曹操が答える。

 

孫策は。

 

曹操を無視する。

 

「柔らかそうなのが好き?」

 

時雨は。

 

前を見る。

 

「分からない」

 

「触ったことは?」

 

曹操の足が止まる。

 

時雨も。

 

僅かに止まる。

 

周囲。

 

全員。

 

止まる。

 

「孫策」

 

曹操の声。

 

冷たい。

 

「次に」

 

「その質問をしたら」

 

「国賓としての予定を」

 

「全て取り消すわ」

 

「怖い」

 

孫策は笑う。

 

「でも」

 

「答え」

 

「気になるでしょう?」

 

曹操は。

 

何も言わない。

 

その沈黙。

 

肯定に近い。

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「ない」

 

全員の視線が。

 

時雨へ向く。

 

「何が」

 

孫策が尋ねる。

 

「触ったこと」

 

霞が。

 

口笛を吹く。

 

春蘭の顔が。

 

また赤くなる。

 

桂花は。

 

声にならない声を出す。

 

栄華の扇が。

 

震える。

 

曹操の蒼い瞳。

 

僅かに。

 

落ち着く。

 

「そう」

 

孫策が言う。

 

「なら」

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

「何だ」

 

「最初になれるわね」

 

空気。

 

凍結。

 

曹操の手が。

 

時雨の腕を掴む。

 

強い。

 

孫策は笑う。

 

春蘭の剣が抜かれる。

 

秋蘭が押さえる。

 

桂花が怒鳴る。

 

「何を言っているのよ!」

 

栄華も続く。

 

「国賓でなければ!」

 

「今すぐ!」

 

「客殿へ閉じ込めておりますわ!」

 

孫策は。

 

全く怯まない。

 

「だって」

 

「婚約者よ?」

 

「破棄すると」

 

「本人が言っているでしょう!」

 

「私は認めてない」

 

「認めなさい!」

 

「嫌」

 

「子供ですの!?」

 

霞は。

 

笑いながら。

 

孫策へ言う。

 

「やりすぎると」

 

「時雨に嫌われるで」

 

孫策の目が。

 

僅かに変わる。

 

笑み。

 

残る。

 

だが。

 

時雨を見る目は。

 

真面目。

 

「嫌?」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

孫策の言葉。

 

大胆。

 

近い。

 

困る。

 

面倒。

 

ただ。

 

不快か。

 

嫌か。

 

「分からない」

 

孫策の眉が上がる。

 

曹操の手へ。

 

さらに力。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「そこは」

 

「嫌だと言いなさい」

 

「嘘になる」

 

曹操の目が。

 

大きくなる。

 

孫策の笑みが。

 

深くなる。

 

魏の将たち。

 

全員。

 

大混乱。

 

「嘘になる?」

 

孫策が確認する。

 

「ああ」

 

「じゃあ」

 

「嫌じゃない?」

 

「孫策が」

 

「どういうつもりか」

 

「分からない」

 

「口説いてる」

 

「知ってる」

 

「なら」

 

「嫌?」

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

逃げず。

 

考える。

 

「困る」

 

孫策の目が。

 

僅かに柔らかくなる。

 

「どうして」

 

「曹操を選んでる」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「孫策を」

 

「嫌いではない」

 

孫策の笑顔が。

 

少しだけ。

 

止まる。

 

曹操も。

 

時雨を見る。

 

「まだ」

 

時雨は続ける。

 

「知らない」

 

「でも」

 

「嫌う理由もない」

 

「だから」

 

「困る」

 

孫策は。

 

しばらく。

 

時雨を見た。

 

先ほどまで。

 

胸。

 

身体。

 

大胆な言葉。

 

遊び。

 

攻め。

 

それだけではない。

 

時雨は。

 

自分を。

 

軽く扱っていない。

 

孫策が。

 

呉王だからではない。

 

婚約者だからでもない。

 

人として。

 

まだ知らない。

 

だから。

 

嫌いとも。

 

好きとも。

 

簡単には決めない。

 

それが。

 

孫策にとって。

 

嬉しくもあり。

 

悔しくもある。

 

「分かった」

 

孫策が言った。

 

曹操の眉が。

 

僅かに動く。

 

「何が」

 

「少し」

 

「やり方を変える」

 

「少し?」

 

曹操が問う。

 

「ああ」

 

「全部やめるとは」

 

「言ってない」

 

「孫策」

 

「だって」

 

孫策は。

 

時雨へ笑う。

 

「困らせるくらいなら」

 

「嫌われてないのでしょう?」

 

「そうだな」

 

「時雨!」

 

曹操の声が響く。

 

「何だ」

 

「あなたは」

 

「少し」

 

「私の立場を」

 

「考えなさい!」

 

「考えてる」

 

「どこが!」

 

「孫策へ」

 

「触らせてない」

 

曹操の動きが。

 

僅かに止まる。

 

確かに。

 

時雨は。

 

孫策が近づけば。

 

距離を取る。

 

身体へ触れようとすれば。

 

止める。

 

嫌いではない。

 

胸へ弱い。

 

それでも。

 

境界は。

 

守っている。

 

曹操が。

 

言ったから。

 

だけではない。

 

時雨自身。

 

今は。

 

曹操を選んでいる。

 

「……そう」

 

曹操の声が。

 

僅かに和らぐ。

 

「それは」

 

「よろしい」

 

孫策が。

 

二人を見る。

 

「本当に」

 

「二人の間へ入るの」

 

「大変ね」

 

「入らなければよいのよ」

 

曹操が即答する。

 

「嫌」

 

「なら」

 

「苦労しなさい」

 

「ええ」

 

孫策は笑う。

 

「楽しむわ」

 

---

 

最初に向かったのは。

 

許昌の市場。

 

孫策の希望。

 

昨日。

 

通った道。

 

だが。

 

今日は。

 

時雨と。

 

もっとゆっくり歩きたい。

 

そう言った。

 

曹操も同行。

 

当然。

 

ほか。

 

春蘭。

 

秋蘭。

 

霞。

 

桂花。

 

稟。

 

風。

 

栄華。

 

柳琳。

 

華論。

 

季衣。

 

流琉。

 

ほぼ全員。

 

これでは。

 

街歩きではなく。

 

行列。

 

孫策は。

 

それを見て笑う。

 

「皆」

 

「暇なの?」

 

「暇ではないわ!」

 

桂花が答える。

 

「あなたが」

 

「時雨へ」

 

「何をするか分からないから」

 

「見張っているのよ!」

 

「魏の軍師は」

 

「婚約者の逢瀬を」

 

「監視するのも仕事なの?」

 

「逢瀬ではない!」

 

桂花の声。

 

市場へ響く。

 

民。

 

振り返る。

 

噂。

 

また。

 

広がる。

 

孫策。

 

楽しそう。

 

時雨。

 

面倒そう。

 

曹操。

 

笑顔。

 

怖い。

 

市場の店主たち。

 

今日は。

 

商売どころではない。

 

呉王。

 

魏王。

 

張燕。

 

三人。

 

その後ろ。

 

魏の主要人物。

 

店先。

 

皆。

 

姿勢を正す。

 

「これでは」

 

時雨が言う。

 

「普通に見られない」

 

「誰のせい?」

 

曹操が言う。

 

「孫策」

 

「半分は正解ね」

 

「残りは」

 

「あなたよ」

 

「何もしてない」

 

孫策が笑う。

 

「それ」

 

「霞が言ってた」

 

「何を」

 

「何もしないのが」

 

「一番悪い時があるって」

 

「ああ」

 

霞が手を上げる。

 

「言うた」

 

「なぜ」

 

「今がそうや」

 

「分からない」

 

「知っとる」

 

市場。

 

最初の店。

 

装飾品。

 

孫策は。

 

髪飾りを手に取る。

 

赤い石。

 

金。

 

派手。

 

「似合う?」

 

時雨へ見せる。

 

「ああ」

 

「どこが」

 

「孫策は」

 

「赤が多い」

 

「それだけ?」

 

「ああ」

 

孫策は。

 

次。

 

少し落ち着いた。

 

黒い髪飾り。

 

銀の線。

 

時雨が曹操へ贈った櫛に。

 

少し似ている。

 

「これは?」

 

時雨は。

 

僅かに見る。

 

「曹操の方が似合う」

 

孫策の笑みが。

 

止まる。

 

曹操の口元が。

 

上がる。

 

「そう」

 

「では」

 

「私には?」

 

「赤」

 

「即答ね」

 

「ああ」

 

孫策は。

 

赤い方を買った。

 

「張燕」

 

「何だ」

 

「つけて」

 

「自分で」

 

「婚約者でしょう?」

 

「違う」

 

「三日間だけ」

 

「仮の婚約者」

 

「ない」

 

孫策は。

 

髪飾りを持ったまま。

 

時雨の前へ立つ。

 

「一回だけ」

 

「嫌だ」

 

「どうして」

 

「できない」

 

「髪飾りくらい」

 

「使ったことない」

 

孫策は。

 

一瞬。

 

黙る。

 

次。

 

笑う。

 

「じゃあ」

 

「教える」

 

「必要ない」

 

「あるわ」

 

孫策は。

 

時雨の手を取ろうとする。

 

時雨が。

 

避ける。

 

曹操が。

 

先に髪飾りを取る。

 

「私がつけてあげる」

 

孫策が。

 

曹操を見る。

 

「あなたが?」

 

「時雨へ」

 

「触らせるよりましよ」

 

「それ」

 

「私のため?」

 

「時雨のため」

 

「ああ」

 

曹操は。

 

孫策の赤い髪へ。

 

髪飾りをつける。

 

指。

 

丁寧。

 

だが。

 

少し強い。

 

「痛い」

 

孫策が言う。

 

「気のせいよ」

 

「引っ張ったでしょう?」

 

「王が」

 

「気のせいと言っているの」

 

「横暴ね」

 

「王ですもの」

 

時雨が。

 

二人を見る。

 

「やはり似てる」

 

二人が。

 

同時に睨む。

 

「似てない!」

 

市場の店主。

 

笑いを。

 

必死に堪える。

 

孫策は。

 

髪飾りをつけた姿で。

 

時雨の前へ戻る。

 

「どう?」

 

時雨は。

 

今度。

 

少し長く見る。

 

赤い髪。

 

赤い石。

 

笑み。

 

「似合う」

 

孫策の目が。

 

僅かに柔らかくなる。

 

「ありがとう」

 

素直。

 

時雨は。

 

頷く。

 

曹操の目が。

 

僅かに。

 

面白くなさそう。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「私の櫛は?」

 

「似合ってる」

 

「今見ていないでしょう」

 

時雨は。

 

曹操を見る。

 

黄金の髪。

 

黒い櫛。

 

銀。

 

「似合う」

 

曹操の機嫌が。

 

少し戻る。

 

孫策は。

 

その様子を見て。

 

小さく笑う。

 

簡単ではない。

 

時雨だけではなく。

 

曹操も。

 

同時に相手。

 

だが。

 

孫策は。

 

そういう勝負を。

 

嫌いではなかった。

 

---

 

次。

 

布の店。

 

孫策は。

 

様々な衣を見る。

 

許昌の衣。

 

呉とは違う。

 

厚い。

 

重い。

 

隠す。

 

「張燕」

 

「何だ」

 

「北方の男は」

 

「こういう服が好きなの?」

 

「分からない」

 

「女の服」

 

「どんなのが好き?」

 

時雨は。

 

また。

 

少し考える。

 

曹操の目が。

 

時雨へ向く。

 

周囲の女たちも。

 

一斉に。

 

耳を傾ける。

 

「動きやすい」

 

時雨が答える。

 

「ほかは?」

 

「武器を隠せる」

 

「ほか」

 

「寒くない」

 

「女の服として聞いてるの!」

 

「同じだろ」

 

「違うわよ!」

 

孫策は。

 

店に置かれた。

 

一着の衣を取る。

 

胸元。

 

広い。

 

腰。

 

細く見える。

 

江東の舞姫が。

 

好む形に近い。

 

「こういうのは?」

 

時雨は。

 

衣を見る。

 

孫策へ合わせる。

 

想像。

 

一瞬。

 

孫策の胸元。

 

再び。

 

視線が。

 

僅かに止まる。

 

曹操が。

 

時雨の足を踏んだ。

 

「痛い」

 

「気のせいよ」

 

「今踏んだ」

 

「王が」

 

「気のせいと言っているわ」

 

孫策は。

 

笑いを堪える。

 

「張燕」

 

「何だ」

 

「似合いそう?」

 

時雨は。

 

曹操を見る。

 

曹操。

 

笑顔。

 

危険。

 

「分からない」

 

「さっき」

 

「見たでしょう?」

 

「見てない」

 

「見た」

 

「見てない」

 

「見たわよ」

 

「孫策」

 

曹操が。

 

冷たく呼ぶ。

 

「何?」

 

「その衣を買うなら」

 

「客殿で着なさい」

 

「張燕へ」

 

「見せるけど?」

 

「予定を」

 

「全て取り消すわ」

 

「国賓への」

 

「礼を欠くわよ」

 

「外交問題にする?」

 

孫策と曹操。

 

笑顔。

 

言葉。

 

鋭い。

 

時雨は。

 

衣を店主へ戻す。

 

「買わない」

 

孫策が見る。

 

「どうして」

 

「喧嘩になる」

 

「もうなってる」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「変わらないでしょう?」

 

「曹操が怒る」

 

「私が怒るのは?」

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

「なぜ怒る」

 

孫策の動きが。

 

一瞬。

 

止まる。

 

「あなたが」

 

「私を見ないから」

 

「見てる」

 

「胸だけ?」

 

時雨の顔が。

 

ほんの僅かに。

 

固まる。

 

孫策。

 

笑う。

 

曹操。

 

殺気。

 

「孫策」

 

「冗談」

 

「次はないわ」

 

「怖いわね」

 

「試す?」

 

「今日はやめておく」

 

春蘭が。

 

小声で霞へ言う。

 

「孫策は」

 

「本当に」

 

「時雨の弱点を」

 

「使っているな」

 

「ああ」

 

「卑怯だ」

 

「時雨が」

 

「涼州でやったことに比べたら」

 

「可愛いもんや」

 

「それとこれとは違う!」

 

「どこが」

 

「時雨が困っている!」

 

霞は。

 

時雨を見る。

 

確かに。

 

困っている。

 

戦場で。

 

涼州軍四万を前にしても。

 

見せなかった顔。

 

僅かな。

 

戸惑い。

 

逃げたい。

 

だが。

 

逃げれば。

 

孫策を傷つける。

 

曹操も。

 

怒る。

 

だから。

 

耐えている。

 

「姉者」

 

秋蘭が言う。

 

「今は」

 

「孫策だけを警戒する場合ではない」

 

「何?」

 

秋蘭の視線。

 

魏の女たち。

 

桂花。

 

栄華。

 

流琉。

 

華論。

 

柳琳。

 

皆。

 

時雨の弱点を知った。

 

そして。

 

程度は違うが。

 

自分の胸元を。

 

一度は確認している。

 

春蘭の顔が。

 

また赤くなる。

 

「まさか」

 

「魏の中でも」

 

「戦が始まると?」

 

「可能性はある」

 

「止めなければ!」

 

「姉者は」

 

「どうするつもりだ」

 

春蘭は。

 

自分の胸を見る。

 

十分。

 

豊か。

 

鎧。

 

普段。

 

隠れている。

 

「私は」

 

「華琳様のために」

 

「時雨を守る!」

 

「答えになっていない」

 

---

 

市場を歩いた後。

 

一行は。

 

許昌の訓練場へ向かった。

 

孫策の希望。

 

「張燕の強さを見たい」

 

そう言った。

 

曹操は。

 

最初。

 

拒もうとした。

 

だが。

 

孫策は。

 

女としての猛攻だけではない。

 

王。

 

将。

 

戦士。

 

自分が持つものを。

 

全て。

 

時雨へ見せようとしている。

 

その姿勢を。

 

完全に止めることは。

 

逆に。

 

時雨の判断を。

 

妨げることになる。

 

三日。

 

時雨が孫策を知る。

 

その約束。

 

曹操も認めた。

 

だから。

 

訓練場。

 

許可。

 

ただし。

 

時雨は戦わない。

 

見学。

 

孫策と春蘭。

 

軽い試合。

 

そう。

 

決まった。

 

「なぜ私だ!」

 

春蘭は。

 

嬉しそうに叫んだ。

 

「嫌なの?」

 

孫策が尋ねる。

 

「まさか!」

 

春蘭は。

 

大剣を抜く。

 

「呉王が」

 

「どれほどのものか」

 

「見せてもらう!」

 

孫策も。

 

剣を抜く。

 

赤い髪。

 

笑み。

 

「いいわ」

 

「夏侯惇」

 

「春蘭と呼ぶな!」

 

「真名を預けられてないから」

 

「呼んでないでしょう?」

 

「そうだった!」

 

霞が。

 

腹を抱えて笑う。

 

「春蘭」

 

時雨が言う。

 

「何だ」

 

「落ち着け」

 

「落ち着いている!」

 

「声が大きい」

 

「これは普通だ!」

 

孫策は。

 

剣を構える。

 

先ほどまで。

 

時雨へ。

 

胸元を見せ。

 

からかい。

 

笑っていた女。

 

今。

 

空気。

 

変わる。

 

鋭い。

 

だが。

 

固くない。

 

剣を持っているのに。

 

全身。

 

楽しんでいる。

 

春蘭は。

 

真正面。

 

力。

 

速さ。

 

忠誠。

 

孫策は。

 

横。

 

斜め。

 

流れ。

 

笑いながら。

 

危険へ入る。

 

「始め!」

 

秋蘭の声。

 

春蘭が。

 

一気に踏み込む。

 

大剣。

 

重い。

 

速い。

 

孫策は。

 

正面で受けない。

 

身体を。

 

半歩ずらし。

 

剣の腹へ。

 

自分の剣を沿わせる。

 

力を。

 

横へ流す。

 

春蘭の剣。

 

地面へ。

 

僅かに下がる。

 

孫策は。

 

そのまま。

 

春蘭の横へ入る。

 

斬る。

 

春蘭。

 

柄。

 

受ける。

 

肘。

 

打つ。

 

孫策。

 

避ける。

 

距離。

 

離れる。

 

笑う。

 

「強い!」

 

「貴様もな!」

 

二人。

 

再び。

 

ぶつかる。

 

剣。

 

音。

 

訓練場。

 

響く。

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

胸ではない。

 

足。

 

肩。

 

剣。

 

間合い。

 

呼吸。

 

孫策。

 

強い。

 

春蘭ほど。

 

純粋な力はない。

 

秋蘭ほど。

 

正確ではない。

 

霞ほど。

 

武器と身体が。

 

一つになっているわけでもない。

 

だが。

 

勘。

 

瞬間。

 

危険を。

 

楽しむ。

 

相手の。

 

最も強い攻撃を。

 

避けるのではなく。

 

近くで見る。

 

その上で。

 

壊す。

 

「どう?」

 

曹操が。

 

時雨へ尋ねる。

 

「強い」

 

「春蘭とどちらが?」

 

「今は」

 

「春蘭」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「孫策は」

 

「戦場なら」

 

「別」

 

曹操の目が。

 

僅かに細くなる。

 

「どうして」

 

「自分だけで」

 

「勝つ気がない」

 

「ああ」

 

「周りを」

 

「巻き込む」

 

「敵も」

 

「味方も」

 

「孫策の動きへ」

 

「合わせたくなる」

 

「危険?」

 

「ああ」

 

「気に入った?」

 

時雨は。

 

曹操を見る。

 

「強さは」

 

「嫌いじゃない」

 

曹操の眉が。

 

僅かに動く。

 

「強さは?」

 

「ああ」

 

「女としては?」

 

「まだ知らない」

 

孫策。

 

試合中。

 

聞こえたのか。

 

春蘭の剣を。

 

紙一重で避けながら。

 

時雨へ声を上げる。

 

「じゃあ!」

 

「もっと見て!」

 

その瞬間。

 

春蘭の大剣が。

 

孫策の肩近くへ迫る。

 

孫策。

 

無理に避ける。

 

足。

 

僅かに崩れる。

 

時雨の身体が動いた。

 

訓練場へ。

 

一歩。

 

だが。

 

孫策は。

 

自分で立て直す。

 

剣。

 

春蘭の手首へ。

 

寸止め。

 

同時。

 

春蘭の大剣も。

 

孫策の首。

 

寸前。

 

互い。

 

止まる。

 

「引き分けだ」

 

秋蘭が言った。

 

春蘭は。

 

不満そう。

 

「まだやれる!」

 

「ああ」

 

孫策も。

 

笑っている。

 

「私も」

 

「終わり」

 

時雨が言った。

 

二人が。

 

同時に見る。

 

「なぜだ!」

 

「どうして?」

 

「春蘭の剣」

 

「次」

 

「肩へ入る」

 

「孫策も」

 

「足が崩れた」

 

「続ければ」

 

「怪我」

 

「訓練だ」

 

「必要ない」

 

孫策は。

 

自分の足を見る。

 

確かに。

 

少し。

 

力が入りにくい。

 

春蘭も。

 

自分の手首。

 

僅かに。

 

痺れている。

 

「よく見てる」

 

孫策が言う。

 

「ああ」

 

「私だけ?」

 

「春蘭も」

 

「そう」

 

孫策は。

 

少し。

 

残念そう。

 

「でも」

 

時雨が言う。

 

「孫策」

 

「何?」

 

「強い」

 

孫策の顔へ。

 

素直な笑み。

 

「ありがとう」

 

「次は」

 

「俺とやる?」

 

曹操が。

 

即座に。

 

時雨を見る。

 

春蘭も。

 

霞も。

 

反応。

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「婚約の話が」

 

「終わった後」

 

孫策の目が。

 

光る。

 

「終わらせたくなくなった」

 

「なぜ」

 

「婚約が終わった後だと」

 

「勝負を先に延ばせば」

 

「婚約を長引かせられるでしょう?」

 

「それなら」

 

「勝負しない」

 

「嘘!」

 

「終わらせろ」

 

「嫌」

 

「孫策」

 

「張燕」

 

二人。

 

睨む。

 

だが。

 

険悪ではない。

 

孫策。

 

楽しそう。

 

時雨。

 

少し。

 

面倒そう。

 

それでも。

 

会った時より。

 

言葉が。

 

増えている。

 

曹操は。

 

それを見ている。

 

心。

 

穏やかではない。

 

時雨が。

 

孫策の強さを。

 

認めた。

 

勝負を。

 

未来へ置いた。

 

次。

 

また会う。

 

その可能性を。

 

自然に口へした。

 

孫策は。

 

一歩。

 

時雨へ近づいた。

 

女としてではなく。

 

戦士として。

 

「張燕」

 

孫策が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「汗」

 

孫策は。

 

自分の額を指す。

 

「拭いて」

 

「自分で」

 

「手が痺れてる」

 

時雨は。

 

春蘭を見る。

 

春蘭も。

 

手首。

 

痺れ。

 

だが。

 

秋蘭が。

 

布を渡している。

 

孫策の側近も。

 

いる。

 

「側近へ」

 

時雨が言う。

 

「頼め」

 

「婚約者へ」

 

「頼んでる」

 

「違う」

 

「まだ婚約中」

 

「半分終わってる」

 

「半分残ってる」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

孫策。

 

本当に。

 

手。

 

僅かに震えている。

 

訓練。

 

怪我。

 

放置。

 

よくない。

 

時雨は。

 

布を取る。

 

孫策の額へ。

 

伸ばす。

 

曹操の目が。

 

大きくなる。

 

魏の将たち。

 

全員。

 

固まる。

 

孫策自身も。

 

一瞬。

 

意外そうな顔。

 

時雨は。

 

汗を拭く。

 

額。

 

髪。

 

頬の近く。

 

触れないように。

 

布だけ。

 

「終わり」

 

短い。

 

孫策は。

 

時雨を見つめる。

 

「優しいのね」

 

「怪我人に」

 

「普通」

 

「私は」

 

「怪我人?」

 

「手が痺れてる」

 

「ああ」

 

孫策は。

 

自分の手を見る。

 

次。

 

時雨。

 

「なら」

 

「もう少し」

 

「看病してもらおうかしら」

 

「柳琳」

 

時雨が呼ぶ。

 

「はい」

 

柳琳が。

 

すぐに来る。

 

孫策の顔が。

 

僅かに引きつる。

 

「そう来るの?」

 

「専門」

 

「ああ」

 

柳琳は。

 

穏やかに。

 

孫策の手を取る。

 

「少し」

 

「筋を痛めています」

 

「冷やしましょう」

 

「分かった」

 

孫策は。

 

時雨を見ながら。

 

柳琳へ手当てされる。

 

汗を拭いた。

 

一瞬。

 

時雨が。

 

自分へ。

 

自分の手を伸ばした。

 

それだけで。

 

孫策の胸の内。

 

予想以上に。

 

動いた。

 

胸元を見せて。

 

困らせるより。

 

ずっと。

 

「ああ」

 

孫策が。

 

小さく笑う。

 

「これは」

 

「厄介ね」

 

「何が」

 

柳琳が尋ねる。

 

「何でもない」

 

孫策は。

 

時雨を見る。

 

女として。

 

猛攻する。

 

そのつもり。

 

変わらない。

 

だが。

 

時雨が。

 

自然に見せる。

 

不器用な優しさ。

 

それへ。

 

自分が。

 

引かれ始めている。

 

攻める側だけでは。

 

いられない。

 

---

 

訓練後。

 

孫策は。

 

湯浴みを希望した。

 

当然。

 

客殿。

 

呉の侍女。

 

用意。

 

問題ない。

 

だが。

 

孫策は。

 

時雨へ言った。

 

「背中」

 

「流して」

 

その場。

 

訓練場。

 

全員。

 

聞いている。

 

曹操の顔から。

 

表情が消える。

 

春蘭が。

 

剣を抜く。

 

桂花が。

 

叫ぶ。

 

栄華の扇が。

 

飛ぶ。

 

霞が。

 

膝をついて笑う。

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

「嫌だ」

 

即答。

 

孫策の眉が上がる。

 

「どうして」

 

「裸だろ」

 

「ああ」

 

「見る必要がない」

 

「胸は好きなのに?」

 

「孫策」

 

曹操の声。

 

低い。

 

静か。

 

完全に。

 

危険。

 

孫策は。

 

両手を上げる。

 

「冗談」

 

「本当に?」

 

「半分」

 

「残り半分を」

 

「今すぐ捨てなさい」

 

「ああ」

 

孫策は笑う。

 

「分かった」

 

時雨は。

 

曹操を見る。

 

「怒りすぎだ」

 

「誰のせい?」

 

「孫策」

 

「あなたもよ!」

 

「断った」

 

「胸が好きだと」

 

「素直に認めたでしょう!」

 

「嘘を言うよりいい」

 

「時と場合を考えなさい!」

 

「曹操の胸も」

 

「嫌いではない」

 

曹操の動きが。

 

止まった。

 

全員。

 

止まった。

 

時雨は。

 

自分が。

 

何を言ったか。

 

理解している。

 

少なくとも。

 

質問の流れ。

 

曹操が。

 

自分の好みへ怒っている。

 

なら。

 

曹操も。

 

対象。

 

嫌いではない。

 

そう。

 

伝えた。

 

それだけ。

 

曹操の頬へ。

 

ゆっくり。

 

赤み。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「今」

 

「何を」

 

「言ったか」

 

「分かっている?」

 

「ああ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「孫策より?」

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

孫策。

 

期待するような。

 

面白がるような。

 

目。

 

「比べない」

 

時雨が答える。

 

曹操の眉が。

 

僅かに寄る。

 

「なぜ」

 

「曹操を選んだ後に」

 

「比べる必要がない」

 

昨日。

 

孫策へ言った。

 

同じ言葉。

 

曹操の表情が。

 

ゆっくり和らぐ。

 

孫策は。

 

胸へ手を当て。

 

大きく息を吐く。

 

「強いわね」

 

「何が」

 

「曹操」

 

「ああ」

 

「胸の話で」

 

「そこへ戻る?」

 

「聞かれた」

 

孫策は。

 

笑う。

 

「いいわ」

 

「今日は」

 

「私の負け」

 

曹操の目が。

 

僅かに細くなる。

 

「今日は?」

 

「ああ」

 

「まだ一日目だもの」

 

孫策は。

 

時雨へ。

 

挑むように笑う。

 

「胸が好きなら」

 

「明日は」

 

「もっと」

 

「意識させてあげる」

 

曹操の殺気。

 

春蘭の剣。

 

桂花の怒声。

 

栄華の扇。

 

同時。

 

「孫策!」

 

「冗談!」

 

孫策は。

 

笑いながら。

 

客殿へ逃げる。

 

呉王。

 

国賓。

 

江東の小覇王。

 

逃げ足。

 

速い。

 

春蘭が追う。

 

「待て!」

 

「姉者!」

 

秋蘭が追う。

 

霞も。

 

笑いながら続く。

 

「面白そうや!」

 

「霞まで行かないでください!」

 

栄華が叫ぶ。

 

訓練場。

 

混乱。

 

時雨は。

 

一人。

 

立つ。

 

曹操が。

 

隣。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「今日は」

 

「私と湯へ入るわよ」

 

時雨の眉が動く。

 

「なぜ」

 

「対抗ではないわ」

 

「ああ」

 

「孫策より先に」

 

「あなたへ」

 

「私を意識させようなどと」

 

「考えていない」

 

「ああ」

 

「全く」

 

「考えていないわ」

 

「ああ」

 

曹操の笑み。

 

不自然。

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「嫌なら」

 

「入らなくていい」

 

曹操の笑みが。

 

止まる。

 

「嫌ではないわ!」

 

「なら」

 

「入る」

 

「ああ」

 

曹操は。

 

自分で言って。

 

自分で。

 

僅かに赤くなる。

 

「でも」

 

「何だ」

 

「見すぎないこと」

 

「何を」

 

「……もうよいわ」

 

---

 

客殿。

 

湯浴みを終えた孫策は。

 

髪を下ろし。

 

薄い内衣を着て。

 

椅子へ座っていた。

 

手。

 

柳琳の処置。

 

布。

 

軽い痛み。

 

呉の側近。

 

少し離れて待つ。

 

孫策は。

 

鏡を見る。

 

胸元。

 

自分の武器。

 

時雨の弱点。

 

使える。

 

確かに。

 

時雨は。

 

女性の胸へ。

 

弱い。

 

視線を。

 

僅かに奪われる。

 

近づけば。

 

身体が固くなる。

 

大胆な言葉へ。

 

困る。

 

だが。

 

それだけでは。

 

奪えない。

 

時雨は。

 

弱いからこそ。

 

距離を取る。

 

見ないようにする。

 

触れない。

 

自分を律する。

 

胸元を見せれば。

 

近づく男ではない。

 

逆。

 

逃げる。

 

そして。

 

曹操を選んでいる。

 

身体の好みと。

 

心の選択。

 

時雨の中では。

 

完全に別。

 

「難しいわね」

 

孫策が呟く。

 

側近が尋ねる。

 

「何がでしょう」

 

「張燕」

 

「やはり」

 

「呉へ連れ帰りますか」

 

孫策は。

 

少し考える。

 

「無理に?」

 

「ああ」

 

「しない」

 

「なぜ」

 

「嫌われる」

 

即答。

 

側近は。

 

僅かに驚く。

 

江東の小覇王。

 

欲しいものは。

 

力で掴む。

 

そう。

 

言われる。

 

だが。

 

本当に欲しいものほど。

 

壊さない。

 

孫策は。

 

時雨を。

 

男として。

 

面白いと思い始めた。

 

将として。

 

欲しい。

 

魏との外交にも。

 

必要。

 

それだけなら。

 

力。

 

策。

 

婚約書。

 

使える。

 

だが。

 

時雨自身に。

 

自分を見てほしい。

 

選んでほしい。

 

そう思うなら。

 

無理は使えない。

 

「でも」

 

孫策は。

 

鏡の中。

 

自分へ笑う。

 

「攻めるのは」

 

「やめない」

 

胸。

 

強さ。

 

国。

 

笑い。

 

言葉。

 

自分が持つもの。

 

全て。

 

時雨へ見せる。

 

その上で。

 

選ばれないなら。

 

少なくとも。

 

忘れられない女にはなる。

 

婚約を。

 

塩より軽く扱った男の中へ。

 

孫策という女を。

 

刻む。

 

---

 

一方。

 

曹操の浴室。

 

湯気。

 

広い湯船。

 

侍女は下がっている。

 

時雨。

 

曹操。

 

二人。

 

時雨は。

 

普段より。

 

明らかに。

 

視線の置き場へ困っていた。

 

以前。

 

一緒に湯へ入ったことはある。

 

曹操が。

 

時雨を。

 

強引に休ませた時。

 

傷を確認した時。

 

だが。

 

今日は。

 

女性の胸が好きか。

 

そう。

 

公の場で。

 

聞かれた後。

 

自分で。

 

嫌いではないと。

 

答えた後。

 

意識。

 

している。

 

湯気。

 

曹操の身体。

 

白い肌。

 

黄金の髪。

 

胸元。

 

見ない。

 

壁。

 

湯。

 

天井。

 

どこか。

 

「時雨」

 

曹操が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「こちらを見なさい」

 

「見てる」

 

「壁を?」

 

「ああ」

 

「私は壁ではないわ」

 

「知ってる」

 

「なら」

 

曹操は。

 

湯船の中。

 

時雨へ近づく。

 

水音。

 

時雨の肩が。

 

僅かに固くなる。

 

曹操は。

 

それを見逃さない。

 

孫策だけが。

 

見つけた弱点ではない。

 

今。

 

曹操も。

 

はっきり理解する。

 

時雨。

 

本当に。

 

女性の胸へ弱い。

 

ただ。

 

欲望を。

 

表へ出さない。

 

見ない。

 

触れない。

 

近づかない。

 

逃げる。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「私の胸も」

 

「嫌いではないと言ったわね」

 

「ああ」

 

「好き?」

 

時雨は。

 

曹操を見る。

 

顔だけ。

 

視線。

 

下へ落とさない。

 

「好きだと思う」

 

曹操の頬へ。

 

僅かな赤み。

 

自分から聞いた。

 

それでも。

 

直接言われれば。

 

響く。

 

「思う?」

 

「ああ」

 

「なぜ」

 

「触ったことない」

 

曹操の動きが。

 

止まる。

 

湯気。

 

水音。

 

静か。

 

「触れば」

 

曹操が。

 

少しだけ。

 

声を落とす。

 

「分かる?」

 

時雨は。

 

完全に。

 

固まった。

 

戦場。

 

敵。

 

罠。

 

毒。

 

どれでもない。

 

逃げ道。

 

湯船。

 

裸。

 

曹操。

 

近い。

 

「曹操」

 

「何?」

 

「孫策と」

 

「同じことをしてる」

 

曹操の眉が。

 

僅かに動く。

 

「違うわ」

 

「何が」

 

「私は」

 

曹操は。

 

時雨へ。

 

さらに近づく。

 

「選ばれている」

 

「ああ」

 

「だから」

 

「少しくらい」

 

「あなたを困らせてもよいの」

 

「よくない」

 

「嫌?」

 

時雨は。

 

すぐに答えない。

 

曹操。

 

待つ。

 

時雨は。

 

正直に考える。

 

嫌。

 

ではない。

 

困る。

 

意識する。

 

身体。

 

熱。

 

湯のせいだけではない。

 

だが。

 

触れる。

 

それは。

 

今までと違う。

 

将と王。

 

仲間。

 

隣。

 

そこから。

 

一歩。

 

「嫌ではない」

 

時雨が答える。

 

曹操の蒼い瞳が。

 

柔らかくなる。

 

「なら」

 

「でも」

 

時雨が続ける。

 

「今は」

 

「触らない」

 

曹操の動きが止まる。

 

怒り。

 

ではない。

 

「なぜ」

 

「分からないまま」

 

「触りたくない」

 

「何が分からない」

 

「曹操の夫に」

 

「なるか」

 

「ああ」

 

「曹操を」

 

「どこまで」

 

「欲しいか」

 

曹操の目が。

 

僅かに揺れる。

 

時雨は。

 

視線を逸らさない。

 

今度は。

 

顔。

 

しっかり見る。

 

「胸が好きでも」

 

「それだけで」

 

「触るのは違う」

 

「曹操は」

 

「曹操だから」

 

「決める」

 

曹操は。

 

しばらく。

 

何も言わなかった。

 

孫策の猛攻。

 

胸。

 

時雨の弱点。

 

それへ。

 

曹操も。

 

対抗しようとした。

 

だが。

 

時雨は。

 

流されなかった。

 

身体へ。

 

反応はする。

 

弱い。

 

困る。

 

それでも。

 

曹操を。

 

胸だけで見ない。

 

王。

 

女。

 

自分が選んだ相手。

 

触れるなら。

 

意味を。

 

自分で決めたい。

 

「そう」

 

曹操の声が。

 

ゆっくり。

 

柔らかくなる。

 

「よい答えね」

 

「ああ」

 

「でも」

 

曹操は。

 

時雨の肩へ。

 

そっと頭を預ける。

 

胸。

 

触れない。

 

ただ。

 

隣。

 

「孫策には」

 

「絶対に触れさせないこと」

 

「ああ」

 

「私にも?」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「今は」

 

曹操の口元へ。

 

小さな笑み。

 

「今は、ね」

 

「ああ」

 

「その答え」

 

「忘れないわ」

 

「そうか」

 

「ええ」

 

「そして」

 

曹操は。

 

時雨の腕を掴む。

 

「今夜は」

 

「私の寝室で寝ること」

 

「またか」

 

「孫策の猛攻を受けたあなたを」

 

「一人へするわけにはいかないもの」

 

「何をする」

 

「何もしないわ」

 

曹操は。

 

微笑む。

 

「ただ」

 

「私の隣が」

 

「どこか」

 

「忘れさせないだけ」

 

---

 

夕方。

 

三日間の初日。

 

最後の食事。

 

孫策は。

 

朝より。

 

少し落ち着いた衣を着ていた。

 

胸元も。

 

隠れている。

 

時雨は。

 

僅かに。

 

気づく。

 

「服」

 

孫策が尋ねる。

 

「何だ」

 

「朝と違うでしょう」

 

「ああ」

 

「残念?」

 

「違う」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

孫策は。

 

少し笑う。

 

「朝」

 

「やりすぎたと思った」

 

曹操の眉が。

 

僅かに動く。

 

時雨は。

 

孫策を見る。

 

「そうか」

 

「怒らないの?」

 

「何に」

 

「胸を使って」

 

「困らせた」

 

「困った」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「嫌ではないと言った」

 

「ああ」

 

「だから」

 

孫策は。

 

机へ肘をつかず。

 

真っ直ぐ座る。

 

王として。

 

女として。

 

時雨を見る。

 

「次は」

 

「別のやり方で」

 

「私を見てもらう」

 

曹操の目が。

 

警戒へ変わる。

 

「何をするつもり」

 

「まだ秘密」

 

「危険なことなら」

 

「止めるわ」

 

「危険かもしれない」

 

「孫策」

 

「戦ではないわ」

 

孫策は。

 

時雨へ笑う。

 

「明日」

 

「私と」

 

「許昌の外へ出て」

 

「駄目よ」

 

曹操が即答する。

 

「まだ」

 

「何も言ってない」

 

「外へ出る時点で駄目」

 

「曹操も一緒でいい」

 

曹操の眉が。

 

僅かに動く。

 

「何をするの」

 

「馬」

 

「張燕と」

 

「馬で競う」

 

時雨の目が。

 

僅かに変わる。

 

興味。

 

孫策は。

 

見逃さない。

 

「どう?」

 

「いい」

 

曹操が。

 

時雨を見る。

 

「早いわね」

 

「馬なら」

 

「問題ない」

 

「孫策が」

 

「何かするかもしれない」

 

「馬上で?」

 

孫策は。

 

自分の胸元へ。

 

軽く手を置く。

 

「揺れるかも」

 

曹操の笑みが。

 

凍る。

 

時雨の顔が。

 

固まる。

 

霞が。

 

酒を吹いた。

 

春蘭が。

 

机を叩く。

 

桂花が叫ぶ。

 

栄華の扇が飛ぶ。

 

孫策は。

 

大笑い。

 

「冗談!」

 

「半分か」

 

時雨が尋ねる。

 

孫策は。

 

一瞬。

 

止まる。

 

次。

 

さらに笑う。

 

「覚えたのね!」

 

「ああ」

 

「でも」

 

孫策は。

 

時雨へ。

 

挑むように言う。

 

「明日は」

 

「胸じゃなく」

 

「速さで」

 

「私を見せる」

 

「ああ」

 

「負けた方は」

 

「勝った方の願いを」

 

「一つ聞く」

 

曹操が。

 

即座に口を挟む。

 

「婚約に関する願いは禁止」

 

「分かってる」

 

「呉へ来いも禁止」

 

「ああ」

 

「身体へ触れさせる願いも禁止」

 

孫策が。

 

少し。

 

残念そうな顔。

 

「分かった」

 

「今」

 

「本当に残念そうにしたわね」

 

「気のせい」

 

「王が」

 

「見たと言っているわ」

 

「呉王も」

 

「気のせいと言ってる」

 

二人。

 

睨む。

 

時雨は。

 

孫策へ尋ねる。

 

「勝ったら」

 

「何を望む」

 

「秘密」

 

「なら」

 

「受けない」

 

「張燕」

 

「何だ」

 

「怖い?」

 

時雨の目が。

 

僅かに細くなる。

 

挑発。

 

単純。

 

だが。

 

孫策らしい。

 

「怖くない」

 

「なら」

 

「勝負」

 

「ああ」

 

曹操が。

 

額を押さえる。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「簡単に」

 

「挑発へ乗らないで」

 

「馬だ」

 

「分かっているわ!」

 

「私も行く」

 

「ああ」

 

「春蘭と秋蘭も」

 

「ああ」

 

「霞も」

 

「おう」

 

霞が即答する。

 

「うちも走る?」

 

「護衛よ」

 

「残念」

 

孫策は。

 

時雨へ。

 

手を差し出す。

 

「約束」

 

時雨は。

 

その手を見る。

 

昨日。

 

庭。

 

握手。

 

今日は。

 

触れさせないよう。

 

曹操から言われている。

 

「口でいい」

 

孫策の眉が。

 

上がる。

 

曹操の目が。

 

僅かに柔らかくなる。

 

「約束する」

 

時雨が言う。

 

孫策は。

 

差し出した手を。

 

少しだけ見つめる。

 

次。

 

引く。

 

「分かった」

 

笑う。

 

少し。

 

悔しそう。

 

だが。

 

不満ではない。

 

時雨は。

 

自分で境界を決めた。

 

孫策も。

 

それを尊重する。

 

「明日」

 

孫策が言う。

 

「負けないでね」

 

「負けない」

 

「私もよ」

 

二人。

 

視線。

 

今度は。

 

女と男。

 

だけではない。

 

戦士。

 

王。

 

将。

 

勝負。

 

曹操は。

 

その間へ。

 

自分の手を入れない。

 

止めたい。

 

だが。

 

孫策が。

 

胸を使って。

 

時雨を困らせるだけなら。

 

止める。

 

しかし。

 

自分の強さ。

 

速さ。

 

生き方。

 

それを見せるなら。

 

曹操にも。

 

止める権利はない。

 

時雨が。

 

孫策を知るための三日。

 

約束。

 

「ただし」

 

曹操が言う。

 

「勝負の前に」

 

「馬と道を」

 

「秋蘭が確認する」

 

「ああ」

 

孫策が頷く。

 

「不正はなし」

 

「当然」

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「孫策の胸ではなく」

 

「道を見ること」

 

食卓。

 

一瞬。

 

静か。

 

孫策が吹き出す。

 

霞も。

 

腹を抱える。

 

時雨の眉が。

 

大きく寄る。

 

「見ない」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

孫策が。

 

楽しそうに言う。

 

「見てもいいわよ」

 

「孫策!」

 

曹操の声が。

 

食堂へ響いた。

 

---

 

夜。

 

孫策は客殿。

 

時雨は曹操の寝室。

 

魏の将たちは。

 

それぞれの部屋へ戻った。

 

だが。

 

誰も。

 

完全には。

 

落ち着いていない。

 

桂花の部屋。

 

大量の荊州資料。

 

開いたまま。

 

本人は。

 

文字を見ていない。

 

「胸……」

 

小さく。

 

呟く。

 

すぐに。

 

自分の頬を叩く。

 

「何を考えているのよ!」

 

次。

 

栄華の部屋。

 

帳簿。

 

衣服の費用。

 

呉の滞在費。

 

時雨の俸給。

 

全て。

 

整理。

 

だが。

 

時折。

 

手が止まる。

 

時雨が。

 

自分の胸を。

 

見たことがあるか。

 

考える。

 

「職務上」

 

「必要のない思考ですわ」

 

自分へ言う。

 

それでも。

 

襟を。

 

一度整える。

 

柳琳は。

 

穏やかに。

 

薬草を分ける。

 

時雨が。

 

胸を好きでも。

 

それだけで。

 

人を傷つける男ではない。

 

むしろ。

 

意識しすぎて。

 

自分から距離を取る。

 

それが。

 

少し。

 

可笑しい。

 

華論は。

 

自分の部屋。

 

鏡。

 

胸。

 

「装甲を」

 

「厚く見せる服とか」

 

「ないっすかね」

 

次の瞬間。

 

自分で。

 

頭を抱える。

 

「何を」

 

「張り合ってるんすか、私」

 

春蘭は。

 

剣の手入れ。

 

いつも以上に。

 

力が入る。

 

時雨の弱点。

 

孫策の胸。

 

守る。

 

だが。

 

どう守る。

 

胸を。

 

見せないよう。

 

孫策の前へ立つ。

 

それなら。

 

自分の胸が。

 

時雨の前へ来る。

 

「……問題ない」

 

春蘭は。

 

自分へ言う。

 

「私は」

 

「護衛だ」

 

秋蘭は。

 

姉の部屋の外で。

 

その独り言を聞き。

 

静かに。

 

空を見た。

 

「姉者」

 

「明日」

 

「さらに面倒になるな」

 

霞は。

 

酒を飲みながら。

 

一人。

 

笑っている。

 

「時雨が」

 

「女の胸に弱い」

 

何度思い出しても。

 

面白い。

 

だが。

 

笑いの奥。

 

少しだけ。

 

自分の胸元を見る。

 

「うちも」

 

「女やけどな」

 

小声。

 

誰も。

 

聞かない。

 

そして。

 

曹操の寝室。

 

時雨は。

 

寝台へ横になっている。

 

曹操は。

 

隣。

 

まだ。

 

眠っていない。

 

時雨も。

 

目を閉じているが。

 

眠っていない。

 

「時雨」

 

曹操が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「本当に」

 

「胸が好きなのね」

 

「ああ」

 

「少しは」

 

「否定しなさい」

 

「なぜ」

 

「私が」

 

「複雑だからよ」

 

時雨は。

 

目を開ける。

 

「嫌なのか」

 

「あなたが」

 

「他の女の胸を見るのは」

 

「嫌」

 

「ああ」

 

「私を見るのは」

 

「嫌ではない」

 

「ああ」

 

「むしろ」

 

曹操は。

 

時雨へ背を向ける。

 

「見てほしい時もある」

 

「いつ」

 

曹操の耳が。

 

僅かに赤い。

 

「自分で考えなさい」

 

「面倒だ」

 

「時雨」

 

曹操が振り返る。

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「今?」

 

曹操の動きが止まる。

 

「今」

 

「見てほしいのか」

 

「……あなた」

 

「本当に」

 

「そういう時だけ」

 

「妙に鋭いわね」

 

「違う?」

 

曹操は。

 

しばらく。

 

時雨を見る。

 

寝衣。

 

胸元。

 

孫策のように。

 

大胆ではない。

 

だが。

 

隣。

 

近い。

 

「見て」

 

曹操が言う。

 

時雨は。

 

曹操を見る。

 

顔。

 

髪。

 

目。

 

そして。

 

ゆっくり。

 

視線。

 

下。

 

胸元。

 

一瞬。

 

長くはない。

 

だが。

 

逃げない。

 

次。

 

曹操の顔へ戻る。

 

「どう?」

 

「綺麗だ」

 

曹操の頬が。

 

一気に赤くなる。

 

聞いたのは自分。

 

見ろと言ったのも自分。

 

それでも。

 

時雨が。

 

真っ直ぐ。

 

綺麗。

 

そう言う。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「今夜は」

 

「もう眠りなさい」

 

「なぜ」

 

「いいから」

 

曹操は。

 

時雨へ背を向ける。

 

顔。

 

熱い。

 

胸。

 

音。

 

速い。

 

時雨は。

 

曹操の背を見る。

 

「怒った?」

 

「怒ってない」

 

「なら」

 

「寝なさい」

 

「ああ」

 

少しして。

 

時雨の呼吸。

 

静か。

 

眠り。

 

曹操は。

 

ゆっくり振り返る。

 

時雨。

 

眠っている。

 

無防備。

 

「本当に」

 

曹操が。

 

小さく呟く。

 

「反則なのは」

 

「あなたの方よ」

 

孫策の猛攻。

 

胸。

 

笑み。

 

強さ。

 

挑発。

 

時雨は。

 

確かに。

 

困った。

 

弱かった。

 

視線を奪われた。

 

だが。

 

流されなかった。

 

曹操を。

 

選んでいる。

 

その境界を。

 

守った。

 

それでも。

 

孫策を。

 

嫌いではないと認めた。

 

知ろうとした。

 

勝負を約束した。

 

三日間。

 

初日。

 

孫策は。

 

張燕の弱点を見つけた。

 

女性の胸。

 

戦場では。

 

決して使われない。

 

黒山の狼の。

 

あまりにも。

 

人間らしい弱点。

 

だが。

 

同時に。

 

孫策も知った。

 

胸元を見せれば。

 

心まで手に入るわけではない。

 

時雨は。

 

身体に弱くても。

 

選択には強い。

 

欲へ反応しても。

 

約束を裏切らない。

 

そして。

 

孫策自身も。

 

気づき始めていた。

 

自分が。

 

張燕を攻めているつもりで。

 

少しずつ。

 

時雨の言葉と。

 

不器用な優しさへ。

 

引き込まれている。

 

江東の小覇王の猛攻は。

 

まだ。

 

始まったばかり。

 

次の日。

 

馬上。

 

速さ。

 

勝負。

 

胸ではなく。

 

自分の強さで。

 

時雨の視線を奪う。

 

孫策は。

 

そう決めた。

 

だが。

 

孫策は知らない。

 

時雨が。

 

女性の胸へ弱いこと以上に。

 

自分の背を預けられるほど。

 

強い相手へ。

 

弱いことを。

 

そして。

 

曹操も。

 

許昌の将たちも。

 

孫策へ。

 

簡単に。

 

時雨の隣を。

 

譲るつもりはなかった。

 

一人の男。

 

二人の王。

 

三日間。

 

初日の終わり。

 

許昌の夜。

 

黒山の狼は。

 

自分の弱点が。

 

魏の中枢へ。

 

ほぼ全て知られたことも。

 

明日から。

 

孫策だけではなく。

 

魏の女たちまで。

 

妙に胸元を意識し始めることも。

 

まだ。

 

知らない。

 

翌朝。

 

時雨にとって。

 

涼州征伐より。

 

遥かに逃げ場のない戦が。

 

始まることになる。




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  • 高順呂布ルート(ヒロイン恋、霞)
  • 朱霊曹操ルート(ヒロイン華琳、柳琳)
  • 周倉関羽ルート(ヒロイン愛紗)
  • 孫瑜孫権ルート(ヒロイン蓮華、粋怜)
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