【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第三話 黒山の狩人

第三話 黒山の狩人

 

 

 夜の山に、火が揺れていた。

 

 黒山党の野営地。

 

 先ほどまで笑い声に包まれていた空気は、今や鋭い緊張に変わっている。

 

 男たちは武器を手に取り、女たちは子供を奥へ避難させていた。

 

 誰も騒がない。

 

 慣れているのだ。

 

 官軍襲来など、黒山党にとって日常でしかない。

 

「頭領、どうします?」

 

 大柄な賊が尋ねる。

 

 時雨は焚火の前にしゃがみ込み、枝で火を弄っていた。

 

「どうするも何もねぇよ」

 

 赤い火の粉が舞う。

 

「いつも通りだ」

 

 軽い口調。

 

 だが、その場の誰もが理解していた。

 

 頭領がこういう顔をしている時が、一番危険だと。

 

 時雨は立ち上がる。

 

「敵は三百。山道を進軍中」

 

「はい」

 

「指揮官は?」

 

「河東から来た官軍の校尉らしいです。名前は李蒙とか」

 

「知らねぇな」

 

 時雨は欠伸をした。

 

 まるで興味がない。

 

「姉ちゃん」

 

 不意に、彼は趙雲へ振り返る。

 

「見るか?」

 

「……何をだ」

 

「黒山党の戦」

 

 周囲の空気が少し変わる。

 

 賊たちがニヤニヤと笑った。

 

 趙雲は眉を寄せる。

 

「自分から手の内を見せるのか?」

 

「別に減るモンでもねぇし」

 

「……」

 

「それとも怖いか?」

 

 挑発するような笑み。

 

 趙雲の眉がぴくりと動く。

 

「誰に言っている」

 

「だよな」

 

 時雨は楽しそうに笑った。

 

「じゃ、行こうぜ」

 

 その目は、獣そのものだった。

 

 官軍側は苛立っていた。

 

「ええい、まだ着かんのか!」

 

 馬上の男が怒鳴る。

 

 河東から派遣された校尉、李蒙。

 

 肥えた身体に派手な鎧。

 

 典型的な“安全な場所で威張るタイプ”だった。

 

「斥候は何をしている!」

 

「はっ! 黒山賊の野営地はこの先とのことですが……」

 

「ですが何だ!」

 

「……妙に静かです」

 

「山賊風情が我らに勝てるものか!」

 

 李蒙は鼻で笑う。

 

「賊など所詮は烏合の衆よ!」

 

 兵士たちは口を閉ざした。

 

 彼らは知っている。

 

 黒山党討伐に向かった軍が何度消えたかを。

 

 だが逆らえない。

 

 逆らえば斬られるのは自分たちだからだ。

 

 進軍は続く。

 

 狭い山道。

 

 左右は崖。

 

 木々が月光を遮り、視界は悪い。

 

「……嫌な道だ」

 

 老兵が小さく呟いた。

 

 その瞬間。

 

 ヒュッ――!!

 

「ぐぇっ!?」

 

 先頭の兵の喉に矢が突き刺さる。

 

「敵襲ッ!!」

 

 怒号。

 

 だが矢は一本だけだった。

 

 静寂。

 

「どこだ!? 敵は!」

 

 誰も答えない。

 

 風だけが吹いている。

 

 李蒙が顔を真っ赤にした。

 

「たった一人だ! 進め!!」

 

 兵たちは恐る恐る進軍を再開する。

 

 その背後を。

 

 山の上から、赤い目が見下ろしていた。

 

「……チョロいな」

 

 時雨は木の枝に座りながら笑う。

 

 隣では趙雲が無言で下を見ていた。

 

「一撃で終わらせないのか」

 

「もったいねぇだろ」

 

「何?」

 

「恐怖ってのはな、“育てる”方が効く」

 

 時雨の口元が歪む。

 

「一人死ぬ。次に二人。そしたら残りは勝手に怯え始める」

 

「……」

 

「疑心暗鬼になった軍は弱ぇ」

 

 趙雲は黙っていた。

 

 理屈は理解できる。

 

 だが、そのやり方は武人の戦ではない。

 

「汚い戦いだな」

 

「綺麗な戦って何だ?」

 

 時雨は笑った。

 

「正面から名乗り合って斬り合うことか?」

 

「それが武だ」

 

「へぇ」

 

 赤い目が細まる。

 

「じゃあ聞くけどよ。飢えたガキの前で“武人の誇り”って腹膨れるのか?」

 

 趙雲は答えられない。

 

 時雨は続ける。

 

「俺は勝つためにやる。仲間を死なせねぇためにやる」

 

 軽い口調。

 

 だが、その言葉には妙な重みがあった。

 

「正々堂々なんざ、余裕ある奴の遊びだ」

 

 その瞬間だった。

 

 ゴオォォォ――ッ!!

 

 山道の後方で炎が上がった。

 

「なっ!?」

 

「火だ!!」

 

 官軍が騒ぎ始める。

 

 退路側の森が燃えている。

 

「慌てんな! ただの火だ!」

 

 李蒙が怒鳴る。

 

 だが兵たちの顔は青ざめていた。

 

 狭い山道。

 

 逃げ場はない。

 

 煙が流れ込む。

 

「頭領、頃合いです」

 

 黒山党の男が囁く。

 

 時雨はニヤリと笑った。

 

「始めるか」

 

 次の瞬間。

 

 山の上から無数の石が落ちた。

 

「ぎゃああっ!!」

 

「うわぁぁぁ!?」

 

 悲鳴。

 

 隊列崩壊。

 

 さらに矢。

 

 四方八方から飛んでくる。

 

「敵が見えん!!」

 

「どこだ!? どこにいる!?」

 

 混乱が広がる。

 

 趙雲は息を呑んだ。

 

 黒山党は姿を見せない。

 

 徹底的に隠れ、恐怖だけを植え付けている。

 

「……これが、お前の戦か」

 

「そうだ」

 

 時雨は楽しそうに笑う。

 

「獣狩りみてぇなモンだよ」

 

 官軍は既に半壊していた。

 

 だが時雨はまだ動かない。

 

 ただ見ている。

 

 兵たちの恐怖が限界まで膨れ上がるのを。

 

「ひ、ひぃ……!」

 

「助けてくれ……!」

 

「逃げろぉぉ!!」

 

 ついに兵の一人が逃げ出した。

 

 それが崩壊の始まりだった。

 

 恐怖は伝染する。

 

 一人が逃げれば、二人、三人と続く。

 

 統率は消えた。

 

 軍ではなく、ただの群衆になる。

 

 時雨は立ち上がる。

 

「――狩れ」

 

 その声と同時。

 

 黒山党が山から飛び出した。

 

「殺せぇぇぇ!!」

 

「逃がすな!!」

 

 獣の群れだった。

 

 怒号を上げながら官軍へ襲いかかる。

 

 完全な奇襲。

 

 官軍はまともに抵抗できない。

 

「ぎゃああ!!」

 

「た、助け――」

 

 血が飛ぶ。

 

 剣が肉を裂く。

 

 時雨はその中央をゆっくり歩いていた。

 

 まるで散歩でもしているように。

 

 李蒙が震えながら剣を向ける。

 

「き、貴様が張燕か……!」

 

「ああ」

 

「私は官軍校尉、李――」

 

「興味ねぇ」

 

 瞬間。

 

 時雨の姿が消えた。

 

「え――」

 

 ザンッ。

 

 血が舞う。

 

 李蒙の腕が宙を飛んだ。

 

「ぎゃああああああっ!?」

 

 絶叫。

 

 時雨は笑っていた。

 

「うるせぇな」

 

 ドスッ。

 

 短剣が腿に刺さる。

 

「がっ!?」

 

「なぁ校尉様」

 

 時雨はしゃがみ込む。

 

 赤い目が愉快そうに歪む。

 

「民から奪った飯、美味かったか?」

 

「な、何を……」

 

「この辺の村、税で何人死んだと思う?」

 

 李蒙の顔が引き攣る。

 

 時雨は笑みを深めた。

 

「覚えてねぇよなぁ」

 

 次の瞬間。

 

 時雨の拳が李蒙の顔面に叩き込まれた。

 

 歯が飛ぶ。

 

「弱ぇ奴から奪う奴が、一番嫌いなんだよ」

 

 殺気。

 

 それは趙雲でさえ寒気を覚えるほどだった。

 

 時雨は本気で怒っていた。

 

 だがその怒りは、静かだ。

 

 燃えるというより凍るような怒気。

 

 李蒙は完全に怯えていた。

 

「ひ、ひぃ……!」

 

「安心しろ」

 

 時雨は笑った。

 

「殺しはしねぇ」

 

 周囲の黒山党たちがニヤニヤする。

 

 嫌な笑みだ。

 

 趙雲は察した。

 

(……まさか)

 

「両腕だけで勘弁してやる」

 

「や、やめ――」

 

 絶叫が山へ響いた。

 

 戦いは、一方的だった。

 

 官軍は壊滅。

 

 生き残った兵たちは武器を捨てて逃げていく。

 

 黒山党が勝鬨を上げる中、趙雲は時雨を見つめていた。

 

 血塗れの男。

 

 笑う悪党。

 

 だが。

 

 彼は略奪を許さなかった。

 

「村のモンには手ぇ出すな」

 

「女攫った奴は殺すぞ」

 

「食料だけ回収しろ」

 

 冷酷で、残忍で、外道。

 

 なのに妙な筋がある。

 

 趙雲には理解できなかった。

 

「どうした姉ちゃん」

 

 時雨が近付いてくる。

 

 血の匂いを纏いながら。

 

「幻滅したか?」

 

「……分からん」

 

「何が?」

 

「お前が悪なのか、そうでないのか」

 

 その言葉に、時雨は一瞬だけ目を丸くした。

 

 そして。

 

 腹を抱えて笑い出した。

 

「クハハハハッ!!」

 

「何がおかしい!」

 

「いやぁ、面白ぇなアンタ!」

 

 時雨は涙を拭う。

 

「そんなこと考えてる時点で、この乱世じゃ生き辛ぇぞ」

 

「……」

 

「善悪なんざ立場で変わる」

 

 彼は空を見上げた。

 

 夜明けが近い。

 

 東の空が白み始めている。

 

「官軍から見りゃ俺は悪党だ。けど村の連中から見りゃ英雄かもしれねぇ」

 

 赤い目が細くなる。

 

「だから俺は気にしねぇよ」

 

「……」

 

「俺は、俺のやりてぇように生きるだけだ」

 

 その姿は。

 

 まるで狼だった。

 

 誰にも従わず、ただ自分の牙だけを信じる獣。

 

 趙雲は気付く。

 

 自分は今、この男から目を離せなくなっていることに。




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