【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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外伝 第29話 剥がれ始めた仮面――黒山の狼、笑う

外伝 第29話 剥がれ始めた仮面――黒山の狼、笑う

 

 

魏へ降った日。

 

時雨は。

 

一つの仮面を。

 

心へつけた。

 

忠臣の仮面ではない。

 

従順な将の仮面でもない。

 

笑顔を作るための仮面でもなかった。

 

誰にも。

 

自分の内側へ。

 

触れさせないためのもの。

 

怒り。

 

疲れ。

 

恐れ。

 

喪失。

 

諦め。

 

そして。

 

誰かを信じたいという。

 

最も弱い部分。

 

それらを。

 

全て。

 

隠すための仮面。

 

燕を解体した時。

 

時雨は。

 

王であることを捨てた。

 

百万の民を。

 

魏へ預け。

 

自分の国を。

 

自分の手で。

 

終わらせた。

 

それが。

 

正しかったか。

 

今も。

 

分からない。

 

だが。

 

少なくとも。

 

民は生きた。

 

生きている。

 

なら。

 

それでよい。

 

そう。

 

自分へ言い聞かせた。

 

そして。

 

曹操の前へ立った。

 

黒山の狼。

 

張燕。

 

降将。

 

危険な男。

 

信用できない男。

 

そう見られることを。

 

受け入れた。

 

むしろ。

 

その方が。

 

楽だった。

 

自分を。

 

必要以上に。

 

知ろうとする者が。

 

減る。

 

誰かへ。

 

期待しなければ。

 

失望しない。

 

誰かを。

 

大切にしなければ。

 

失った時。

 

苦しまない。

 

命令。

 

受ける。

 

策。

 

出す。

 

勝つ。

 

帰る。

 

それだけ。

 

そう。

 

決めていた。

 

だが。

 

魏へ降ってから。

 

長い時間が流れた。

 

春蘭は。

 

何度も。

 

時雨へ怒鳴った。

 

秋蘭は。

 

何も聞かず。

 

隣へ立った。

 

桂花は。

 

疑いながら。

 

策を認めた。

 

稟は。

 

時雨の言葉の奥を。

 

静かに読んだ。

 

風は。

 

眠そうに。

 

逃げ道を塞いだ。

 

華論は。

 

笑いながら。

 

黒狼隊へ混ざった。

 

栄華は。

 

財布を取り上げ。

 

茶を淹れ。

 

勝手に自分を削るなと。

 

怒った。

 

柳琳は。

 

傷へ薬を塗り。

 

戻ってきてほしいと。

 

何度も言った。

 

霞は。

 

昔と変わらぬ調子で。

 

時雨の横へ座った。

 

雪蓮は。

 

忘れられた婚約を抱え。

 

建業から。

 

自分でやって来た。

 

そして。

 

華琳。

 

曹操は。

 

時雨へ。

 

選べと言った。

 

生きろと言った。

 

帰れと言った。

 

自分の隣へ立てと言った。

 

仮面を。

 

外せとは。

 

言わなかった。

 

ただ。

 

仮面の奥にいる時雨も。

 

自分のものだと。

 

そういう顔で。

 

ずっと。

 

見ていた。

 

だから。

 

少しずつ。

 

仮面は。

 

剥がれ始めていた。

 

時雨自身も。

 

気づかないほど。

 

ゆっくり。

 

---

 

その朝。

 

許昌の王宮では。

 

南方軍議が。

 

開かれる予定だった。

 

魏呉同盟。

 

荊州。

 

劉備。

 

北郷一刀。

 

江陵。

 

水路。

 

兵站。

 

扱う内容は。

 

重い。

 

桂花は。

 

前夜から。

 

資料を整理していた。

 

稟は。

 

商人から得た報告を。

 

地域ごとに分け。

 

風は。

 

机へ突っ伏しながらも。

 

要点だけは。

 

正確にまとめていた。

 

華琳は。

 

日の出前から。

 

私室で。

 

国境図を見ていた。

 

春蘭と秋蘭も。

 

すでに。

 

朝の鍛錬を終えている。

 

全員。

 

軍議へ。

 

時間通り。

 

集まった。

 

時雨以外。

 

「遅い」

 

桂花が言った。

 

大広間。

 

時雨の席。

 

空。

 

「時雨が」

 

「遅刻?」

 

稟が。

 

僅かに眉を寄せる。

 

「珍しいですね」

 

「何か」

 

「起きたのでしょうか」

 

柳琳の顔へ。

 

心配。

 

浮かぶ。

 

「昨夜」

 

「疲れている様子は?」

 

「なかった」

 

華琳は。

 

王座から。

 

時雨の空席を見る。

 

「少なくとも」

 

「私の寝台を出た時は」

 

「いつも通りだったわ」

 

大広間。

 

一瞬。

 

静か。

 

桂花の頬。

 

僅かに赤い。

 

栄華の扇。

 

止まる。

 

柳琳。

 

目。

 

伏せる。

 

霞は。

 

すぐに笑う。

 

「朝から」

 

「何を堂々と言うとるんですか」

 

華琳の蒼い瞳が。

 

霞へ向く。

 

「事実よ」

 

「せやけど」

 

「言い方あるやろ」

 

「何か問題?」

 

「ないです」

 

霞は。

 

すぐに。

 

顔を逸らした。

 

春蘭が。

 

腕を組む。

 

「時雨め」

 

「華琳様を待たせるとは」

 

「後で」

 

「私が叱っておきます!」

 

秋蘭が。

 

姉を見る。

 

「姉者より」

 

「華琳様の方が」

 

「先に叱るだろう」

 

「ならば」

 

「その後に叱る!」

 

「二度も?」

 

風が。

 

眠そうに尋ねる。

 

「三度でもよい!」

 

「時雨さんが」

 

「さらに来なくなりそうですねー」

 

「何だと!」

 

その時。

 

大広間の外。

 

足音。

 

急がない。

 

ゆっくり。

 

一歩。

 

一歩。

 

扉。

 

開く。

 

時雨。

 

現れる。

 

黒い上衣。

 

深緑の帯。

 

髪。

 

少し。

 

乱れている。

 

手には。

 

包み。

 

竹の葉。

 

香り。

 

肉。

 

朝食。

 

串焼き。

 

時雨は。

 

全員を見る。

 

次。

 

自分の席へ歩く。

 

「遅いわよ」

 

華琳が言った。

 

「ああ」

 

時雨は。

 

返事。

 

短い。

 

だが。

 

いつもの。

 

無表情。

 

ではない。

 

少し。

 

面倒そう。

 

口元。

 

僅かに。

 

笑っている。

 

席へ座る。

 

包み。

 

開く。

 

串焼き。

 

一本。

 

取る。

 

食べる。

 

桂花の目が。

 

大きくなる。

 

「時雨!」

 

「何だ」

 

「軍議中よ!」

 

「まだ」

 

「始まってない」

 

「あなたを」

 

「待っていたの!」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「始めればよかっただろ」

 

大広間。

 

止まる。

 

春蘭の口。

 

開く。

 

稟。

 

目。

 

僅かに。

 

見開く。

 

風の帽子。

 

少し上がる。

 

霞。

 

すぐに。

 

口元。

 

上がる。

 

華琳だけ。

 

静かに。

 

時雨を見る。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「遅れた理由は?」

 

時雨は。

 

串焼き。

 

食べる。

 

飲み込む。

 

「市場」

 

「何をしていたの」

 

「肉を買った」

 

桂花の額へ。

 

青筋。

 

浮かぶ。

 

「それだけ!?」

 

「ああ」

 

「軍議より」

 

「串焼きを優先したの!?」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「腹が減ってた」

 

「食堂で」

 

「食べればよかったでしょう!」

 

「遠い」

 

「市場の方が」

 

「さらに遠いわよ!」

 

時雨は。

 

串を。

 

桂花へ向ける。

 

「細かいな」

 

桂花の顔。

 

真っ赤。

 

「あなたが!」

 

「雑すぎるのよ!」

 

霞が。

 

ついに。

 

声を上げて笑った。

 

「時雨」

 

「何や」

 

「今日」

 

「何か変やな」

 

「ああ」

 

「いつもなら」

 

「もっと」

 

「真面目な顔して」

 

「遅れたことを」

 

「適当に流すやろ」

 

「今も」

 

「流してる」

 

「せやけど」

 

霞は。

 

時雨の口元を見る。

 

「楽しそうや」

 

時雨は。

 

串焼き。

 

もう一口。

 

「そうか」

 

「ああ」

 

霞が言って。

 

自分で。

 

少し止まる。

 

時雨以外。

 

返事として。

 

その言葉。

 

使わない。

 

「せやな」

 

霞は。

 

言い直す。

 

時雨は。

 

僅かに。

 

笑う。

 

「気にするな」

 

「誰のせいや」

 

華琳は。

 

王座から。

 

時雨を見ている。

 

怒っている。

 

はず。

 

時雨が。

 

遅刻。

 

軍議中。

 

串焼き。

 

態度。

 

悪い。

 

普段なら。

 

叱る。

 

だが。

 

今。

 

華琳は。

 

すぐに。

 

声を荒らげない。

 

時雨の顔。

 

見ている。

 

この男。

 

少し。

 

違う。

 

仮面。

 

薄い。

 

無理に。

 

冷たく。

 

振る舞っていない。

 

面倒そう。

 

ふざける。

 

皆の反応を。

 

少し。

 

楽しんでいる。

 

「時雨」

 

華琳が呼ぶ。

 

「何だ」

 

「その串焼き」

 

「美味しい?」

 

「ああ」

 

「私の分は?」

 

時雨の手。

 

止まる。

 

包み。

 

見る。

 

残り。

 

三本。

 

一本。

 

取る。

 

華琳へ。

 

投げる。

 

春蘭が。

 

反射的に。

 

剣へ手をかける。

 

華琳は。

 

片手で。

 

串焼きを受け取る。

 

「時雨!」

 

春蘭が叫ぶ。

 

「華琳様へ!」

 

「食べ物を!」

 

「投げるな!」

 

「受け取った」

 

「そういう問題ではない!」

 

華琳は。

 

串焼きを見る。

 

熱。

 

まだ。

 

残る。

 

一口。

 

食べる。

 

大広間。

 

さらに。

 

静か。

 

「悪くないわね」

 

華琳が言う。

 

時雨の口元。

 

少し。

 

上がる。

 

「だろ」

 

華琳の蒼い瞳。

 

僅かに。

 

柔らかくなる。

 

「でも」

 

「遅刻は遅刻よ」

 

「ああ」

 

「罰は」

 

「後で決める」

 

「面倒だな」

 

「あなた」

 

華琳の笑み。

 

僅かに。

 

深くなる。

 

「その顔で」

 

「面倒と言うと」

 

「少し腹が立つわね」

 

「ああ」

 

「褒めていないのよ」

 

「知ってる」

 

華琳は。

 

串焼き。

 

もう一口。

 

「軍議を始めるわ」

 

桂花が。

 

信じられない顔で。

 

華琳を見る。

 

「華琳様!」

 

「何?」

 

「時雨は」

 

「遅刻を!」

 

「罰は後でと」

 

「言ったでしょう」

 

「ですが!」

 

華琳は。

 

時雨を見る。

 

「今は」

 

「少し」

 

「面白いものを」

 

「見ている途中よ」

 

時雨の眉が。

 

僅かに。

 

動く。

 

「見世物じゃない」

 

「ああ」

 

「知っているわ」

 

「でも」

 

華琳は。

 

楽しそう。

 

「続けなさい」

 

「何を」

 

「その」

 

「ふざけた態度」

 

「命令されると」

 

「やりたくない」

 

霞が。

 

腹を抱える。

 

「ほんまに」

 

「誰やお前!」

 

時雨は。

 

霞を見る。

 

「張燕」

 

「知っとるわ!」

 

「なら」

 

「聞くな」

 

「そういうことちゃう!」

 

大広間。

 

笑い。

 

少し。

 

広がる。

 

稟。

 

口元。

 

僅かに。

 

緩む。

 

風は。

 

眠そうに。

 

「これは」

 

「珍しいですねー」

 

栄華は。

 

時雨の串焼き。

 

見ている。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「朝から」

 

「脂の多いものを」

 

「食べすぎです」

 

「ああ」

 

「残りは」

 

「わたくしが」

 

「預かります」

 

時雨は。

 

包みを。

 

栄華から。

 

遠ざける。

 

「嫌だ」

 

栄華の目。

 

大きくなる。

 

「何ですって?」

 

「俺の」

 

「朝食」

 

「もう」

 

「二本食べたでしょう!」

 

「あと」

 

「一本」

 

「華琳様へ」

 

「一本渡しました」

 

「なら」

 

「残り一本は」

 

「わたくしが」

 

「管理します」

 

「管理?」

 

時雨は。

 

串焼き。

 

見る。

 

次。

 

栄華。

 

「食いたいのか」

 

栄華の顔。

 

僅かに。

 

赤くなる。

 

「違います!」

 

「ああ」

 

「そうか」

 

「そこで」

 

「納得しないでください!」

 

時雨は。

 

残りの一本。

 

栄華へ。

 

差し出す。

 

「やる」

 

栄華の扇。

 

止まる。

 

「わたくしへ?」

 

「ああ」

 

「華琳様の次?」

 

「ああ」

 

栄華の目。

 

僅かに。

 

柔らかくなる。

 

受け取る。

 

「仕方ありませんわね」

 

柳琳が。

 

時雨を見る。

 

何も言わない。

 

だが。

 

目。

 

串焼き。

 

時雨。

 

移る。

 

時雨は。

 

柳琳を見る。

 

「柳琳」

 

「何でしょう」

 

「食いたい?」

 

柳琳の頬。

 

僅かに。

 

赤い。

 

「いいえ」

 

「ああ」

 

「ですが」

 

柳琳は。

 

少し。

 

微笑む。

 

「次は」

 

「私の分も」

 

「買ってきてください」

 

「ああ」

 

時雨は。

 

頷く。

 

「覚えてたら」

 

柳琳の笑み。

 

少し。

 

止まる。

 

「忘れないでください」

 

「努力する」

 

「時雨」

 

声。

 

穏やか。

 

だが。

 

厳しい。

 

時雨は。

 

僅かに。

 

笑う。

 

「冗談だ」

 

柳琳の目。

 

大きくなる。

 

大広間。

 

再び。

 

静か。

 

時雨。

 

冗談。

 

自分から。

 

言った。

 

柳琳の口元。

 

ゆっくり。

 

柔らかくなる。

 

「そうでしたか」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「楽しみにしています」

 

時雨は。

 

席へ。

 

深く。

 

背を預ける。

 

「軍議」

 

「早く終わらせよう」

 

桂花が。

 

すぐに。

 

怒鳴る。

 

「あなたが遅れたのよ!」

 

「ああ」

 

「なぜ!」

 

「そんなに!」

 

「他人事なの!」

 

「俺のことだから」

 

「余計に悪いわ!」

 

時雨は。

 

少し。

 

笑った。

 

今度。

 

誰も。

 

見逃さない。

 

---

 

軍議。

 

始まる。

 

荊州。

 

地図。

 

机。

 

華琳。

 

中央。

 

時雨。

 

いつもの席。

 

桂花。

 

説明。

 

「現在」

 

「荊州北部では」

 

「劉備軍が」

 

「新野」

 

「樊城」

 

「襄陽周辺へ」

 

「兵を集めています」

 

「兵数は」

 

「約七万」

 

「ただし」

 

「農民兵を」

 

「含む可能性があります」

 

稟が。

 

続ける。

 

「北郷一刀は」

 

「兵だけでなく」

 

「商人と」

 

「寺院」

 

「難民集団へ」

 

「接触しています」

 

「情報の流れが」

 

「異常に速い」

 

「我々が」

 

「動く前から」

 

「噂が」

 

「荊州全土へ」

 

「広がっているようです」

 

風が。

 

帽子の奥から。

 

「悪鬼さんはー」

 

「人の口を」

 

「兵より先に」

 

「動かしていますねー」

 

華琳が。

 

時雨を見る。

 

「どう思う」

 

時雨は。

 

椅子へ。

 

だらしなく。

 

背を預けている。

 

普段。

 

軍議。

 

姿勢。

 

崩さない。

 

今。

 

片肘。

 

机。

 

指。

 

地図。

 

軽く。

 

叩く。

 

「面倒」

 

桂花の目。

 

鋭くなる。

 

「感想を聞いているのではないわ!」

 

「だから」

 

「面倒」

 

「理由を言いなさい!」

 

時雨は。

 

地図。

 

見る。

 

「兵と戦う方が」

 

「早い」

 

「噂は」

 

「斬れない」

 

「商人を」

 

「全部捕まえれば?」

 

春蘭が言う。

 

「駄目」

 

時雨。

 

即答。

 

「なぜだ」

 

「本物の商人も」

 

「消える」

 

「市場」

 

「止まる」

 

「税」

 

「減る」

 

栄華が。

 

すぐに。

 

頷く。

 

「その通りです」

 

「商人全体を」

 

「敵視すれば」

 

「経済が」

 

「先に死にます」

 

春蘭は。

 

腕を組む。

 

「なら」

 

「どうする」

 

時雨は。

 

少し。

 

考える。

 

口元。

 

また。

 

僅かに。

 

上がる。

 

「噂を」

 

「増やす」

 

桂花の眉。

 

寄る。

 

「増やす?」

 

「ああ」

 

「北郷一刀が」

 

「何を流してるか」

 

「分からないなら」

 

「全部」

 

「流しにくくする」

 

稟の目が。

 

僅かに。

 

鋭くなる。

 

「偽の噂を」

 

「大量に流す」

 

「ああ」

 

「魏軍は」

 

「十万」

 

「二十万」

 

「三十万」

 

「三つ」

 

「呉軍も」

 

「五万」

 

「十五万」

 

「二十五万」

 

「進軍日は」

 

「三通り」

 

「目標は」

 

「襄陽」

 

「江陵」

 

「新野」

 

「全部」

 

桂花の目が。

 

大きくなる。

 

「情報を」

 

「濁らせるの?」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「民まで」

 

「混乱するわ」

 

「する」

 

「何を!」

 

「平然と!」

 

「認めているのよ!」

 

時雨は。

 

桂花を見る。

 

「だから」

 

「一つだけ」

 

「本当を入れる」

 

「何を」

 

「魏軍は」

 

「民の倉を」

 

「奪わない」

 

「ああ」

 

「呉軍も」

 

「略奪しない」

 

「ああ」

 

「兵数」

 

「進路」

 

「日付」

 

「全部」

 

「嘘」

 

「でも」

 

「民へ」

 

「何をしないか」

 

「そこだけ」

 

「本当」

 

稟が。

 

ゆっくり。

 

頷く。

 

「軍事情報は」

 

「混乱させる」

 

「しかし」

 

「統治姿勢だけは」

 

「一貫させる」

 

「ああ」

 

「北郷一刀が」

 

「魏は略奪する」

 

「呉は村を焼く」

 

「そう流しても」

 

「実際に」

 

「逆の行動を」

 

「続ければ」

 

「噂の信用が」

 

「崩れる」

 

「ああ」

 

風が。

 

眠そうに。

 

「悪い噂を」

 

「否定するよりー」

 

「もっと」

 

「面白い噂で」

 

「埋めるのですねー」

 

時雨は。

 

風を見る。

 

「面白い?」

 

「ああ」

 

「何を流すの」

 

風の目。

 

少し。

 

開く。

 

時雨は。

 

地図を。

 

指で叩く。

 

「曹操が」

 

「江陵へ」

 

「金の城を」

 

「建てる」

 

大広間。

 

止まる。

 

華琳の眉。

 

僅かに。

 

動く。

 

栄華の顔。

 

引きつる。

 

「金の城!?」

 

「ああ」

 

「華琳が」

 

「南方の美女を」

 

「全部」

 

「集める」

 

桂花の顔。

 

一気に。

 

赤くなる。

 

「何を言っているの!」

 

「ああ」

 

「春蘭が」

 

「一人で」

 

「長江を」

 

「泳いで渡る」

 

春蘭が。

 

胸を張る。

 

「可能だ!」

 

秋蘭が。

 

静かに言う。

 

「姉者」

 

「無理だ」

 

「なぜだ!」

 

「鎧を脱いでも」

 

「途中で疲れる」

 

「やってみなければ」

 

「分からん!」

 

時雨は。

 

続ける。

 

「霞が」

 

「呉の船を」

 

「全部」

 

「奪う」

 

霞が笑う。

 

「それは」

 

「ちょっと」

 

「やってみたいな」

 

「柳琳が」

 

「虎豹騎へ」

 

「翼をつける」

 

柳琳の目。

 

僅かに。

 

大きくなる。

 

「飛ぶのですか」

 

「ああ」

 

「無理です」

 

「分かってる」

 

「栄華が」

 

「税を」

 

「十年」

 

「無料にする」

 

栄華の扇が。

 

勢いよく。

 

閉じる。

 

「絶対に!」

 

「その噂だけは!」

 

「流さないでくださいませ!」

 

時雨の口元。

 

さらに。

 

上がる。

 

「食いついた」

 

「時雨!」

 

霞が。

 

机へ。

 

突っ伏して。

 

笑い始める。

 

風も。

 

口元。

 

扇で隠す。

 

稟。

 

珍しく。

 

目を逸らし。

 

笑いを堪える。

 

華琳は。

 

時雨を見る。

 

完全に。

 

ふざけている。

 

だが。

 

策。

 

本筋。

 

ある。

 

真面目だけでは。

 

人の口は。

 

動かない。

 

くだらない。

 

笑える。

 

あり得ない。

 

そういう噂ほど。

 

広がる。

 

その中へ。

 

本当。

 

混ぜる。

 

北郷一刀の。

 

恐怖。

 

煽動。

 

それを。

 

笑いで薄める。

 

悪辣。

 

だが。

 

有効。

 

「採用するわ」

 

華琳が言った。

 

桂花の目。

 

大きくなる。

 

「華琳様!?」

 

「全てではない」

 

華琳は。

 

時雨を見る。

 

「金の城も」

 

「美女も」

 

「税の免除も」

 

「流さない」

 

「春蘭の長江横断だけ」

 

「流す?」

 

時雨が尋ねる。

 

春蘭の顔。

 

明るくなる。

 

「華琳様!」

 

「許可を!」

 

「出さないわ」

 

春蘭の顔。

 

沈む。

 

華琳は。

 

僅かに笑う。

 

「でも」

 

「時雨の考え方は」

 

「使える」

 

「軍事情報へ」

 

「複数の偽情報を混ぜる」

 

「その一方」

 

「民への保護方針だけは」

 

「全ての噂へ共通させる」

 

「ああ」

 

「それで」

 

「北郷一刀の情報網を」

 

「疲れさせる」

 

「ああ」

 

「面白いわ」

 

華琳が言う。

 

時雨は。

 

椅子へ。

 

さらに。

 

深く座る。

 

「なら」

 

「後は」

 

「任せた」

 

桂花の目。

 

鋭くなる。

 

「何を!」

 

「すぐ!」

 

「人へ投げるのよ!」

 

「策は」

 

「出した」

 

「実行は」

 

「軍師」

 

「あなたも軍師でしょう!」

 

「違う」

 

「将」

 

「詭弁よ!」

 

時雨は。

 

桂花を見る。

 

「桂花」

 

「何よ!」

 

「頑張れ」

 

桂花の顔。

 

固まる。

 

次。

 

真っ赤。

 

「誰のせいで!」

 

「仕事が!」

 

「増えたと思ってるの!」

 

「俺」

 

「ああ」

 

「分かってるなら!」

 

「手伝いなさい!」

 

時雨は。

 

少し。

 

笑う。

 

「嫌だ」

 

桂花の怒声。

 

大広間。

 

響く。

 

---

 

軍議。

 

終わった後。

 

時雨は。

 

廊下へ出た。

 

伸び。

 

一つ。

 

大きく。

 

する。

 

霞が。

 

後ろから。

 

ついてくる。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「ほんま」

 

「今日」

 

「どうしたん?」

 

「何が」

 

「ふざけすぎや」

 

「そうか」

 

「前から」

 

「めんどくさがりやったけど」

 

「隠しとったやろ」

 

時雨は。

 

歩く。

 

ゆっくり。

 

「隠してた?」

 

「ああ」

 

霞は。

 

言いかけ。

 

止める。

 

「隠しとった」

 

「そうか」

 

「自覚ないんか」

 

「面倒」

 

「何が」

 

「考えるの」

 

霞は。

 

少し。

 

時雨を見る。

 

昔。

 

黒山。

 

燕。

 

王。

 

時雨。

 

当時も。

 

今ほど。

 

無表情ではなかった。

 

笑う。

 

こともあった。

 

兵へ。

 

くだらない冗談。

 

言う。

 

敵将を。

 

からかう。

 

食事を。

 

勝手に取る。

 

面倒な会議から。

 

逃げる。

 

だが。

 

燕の終わり。

 

近づくほど。

 

それは。

 

消えた。

 

魏へ降った時。

 

完全に。

 

なくなった。

 

「昔の」

 

「自分に」

 

「戻ったんちゃう」

 

時雨の足。

 

僅かに。

 

止まる。

 

「昔?」

 

「ああ」

 

今度。

 

霞。

 

返事として。

 

言わない。

 

「昔や」

 

「あの頃の自分」

 

時雨は。

 

前を見る。

 

廊下。

 

窓。

 

許昌。

 

庭。

 

兵。

 

侍女。

 

役人。

 

皆。

 

時雨を見ても。

 

怯えない。

 

頭。

 

下げる。

 

笑う者。

 

いる。

 

声。

 

かける者。

 

いる。

 

帰る場所。

 

「分からない」

 

時雨が言う。

 

霞は。

 

時雨の横へ並ぶ。

 

「ええんちゃう」

 

「何が」

 

「昔に戻っても」

 

「今のままでも」

 

「時雨は時雨や」

 

「華琳様も」

 

「皆も」

 

「その方が」

 

「面白いやろ」

 

時雨は。

 

霞を見る。

 

「面白い?」

 

「そうや」

 

「今日の桂花」

 

「顔」

 

「真っ赤やったで」

 

時雨の口元。

 

また。

 

僅かに。

 

上がる。

 

「見た」

 

「楽しんどったやろ」

 

「ああ」

 

「悪い男やな」

 

「ああ」

 

「褒めてない」

 

「知ってる」

 

霞は。

 

声を上げて笑う。

 

「やっぱり」

 

「昔の時雨や」

 

---

 

昼。

 

時雨は。

 

食堂へ。

 

行かなかった。

 

代わりに。

 

王宮の屋根。

 

上。

 

座っていた。

 

どうやって。

 

上がった。

 

分からない。

 

誰にも。

 

見つからず。

 

高い屋根。

 

端。

 

足。

 

下へ垂らす。

 

手。

 

干し肉。

 

朝。

 

市場で。

 

買った残り。

 

串焼き。

 

全部。

 

食べた。

 

別の包み。

 

まだ。

 

持っていた。

 

風。

 

強い。

 

許昌。

 

見える。

 

「時雨!」

 

下。

 

声。

 

栄華。

 

見上げる。

 

扇。

 

片手。

 

顔。

 

怒り。

 

「何を!」

 

「していますの!」

 

時雨は。

 

干し肉。

 

口へ。

 

入れる。

 

「昼飯」

 

「なぜ!」

 

「屋根の上で!」

 

「静か」

 

「降りてきなさい!」

 

「嫌だ」

 

栄華の顔。

 

僅かに。

 

引きつる。

 

男。

 

命令。

 

逆らう。

 

嫌い。

 

だが。

 

時雨。

 

怒りながら。

 

心配。

 

先。

 

「落ちますわよ!」

 

「落ちない」

 

「あなたは!」

 

「自分が!」

 

「何をしても!」

 

「大丈夫だと!」

 

「思いすぎです!」

 

時雨は。

 

栄華を見る。

 

「栄華も」

 

「来るか」

 

栄華の扇。

 

止まる。

 

「屋根へ?」

 

「ああ」

 

「わたくしが?」

 

「ああ」

 

「その衣で」

 

「登れると思いますの?」

 

「無理だな」

 

「では!」

 

「なぜ誘ったのです!」

 

「一応」

 

栄華の顔。

 

さらに。

 

赤い。

 

「一応で!」

 

「女を!」

 

「屋根へ誘わないでくださいませ!」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「柳琳なら」

 

「登れそう」

 

栄華の目。

 

鋭くなる。

 

「なら!」

 

「柳琳を!」

 

「呼べばよろしいでしょう!」

 

「怒った?」

 

「怒っていません!」

 

「そうか」

 

「怒っています!」

 

時雨の口元。

 

少し。

 

笑う。

 

栄華は。

 

それを見る。

 

また。

 

違う。

 

以前。

 

時雨は。

 

こういう。

 

意地の悪い顔を。

 

しなかった。

 

少なくとも。

 

魏では。

 

栄華の反応。

 

楽しむ。

 

わざと。

 

言う。

 

「時雨」

 

栄華が。

 

少し。

 

声を落とす。

 

「今日は」

 

「妙ですわ」

 

「ああ」

 

「何か」

 

「ありましたの?」

 

「ない」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

栄華は。

 

時雨を見る。

 

仮面。

 

薄い。

 

冷たい。

 

壁。

 

少ない。

 

「……なら」

 

「よいです」

 

声。

 

僅かに。

 

柔らかい。

 

「ですが」

 

「降りてきなさい」

 

「嫌だ」

 

「時雨!」

 

「栄華」

 

「何ですの!」

 

「受け取れ」

 

包み。

 

投げる。

 

栄華。

 

反射。

 

両手。

 

受け取る。

 

中。

 

干し肉。

 

甘辛い。

 

市場。

 

人気。

 

「何ですの」

 

「昼飯」

 

「わたくしへ?」

 

「ああ」

 

栄華の目。

 

僅かに。

 

柔らかくなる。

 

「また」

 

「食事で」

 

「誤魔化すつもりですの?」

 

「ああ」

 

「認めないでください!」

 

「でも」

 

「食うだろ」

 

栄華は。

 

包み。

 

見る。

 

香り。

 

悪くない。

 

「……食べます」

 

「ああ」

 

「ただし」

 

「時雨も」

 

「降りてきて」

 

「一緒に」

 

「食べなさいませ」

 

「面倒」

 

栄華の扇。

 

強く。

 

開く。

 

「時雨!」

 

その時。

 

別の声。

 

「何をしているのですか」

 

柳琳。

 

現れる。

 

栄華。

 

柳琳を見る。

 

「ちょうどよいところへ!」

 

「時雨を!」

 

「屋根から!」

 

「降ろしてください!」

 

柳琳は。

 

屋根。

 

時雨。

 

見る。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「そこは」

 

「危険です」

 

「危険じゃない」

 

「風があります」

 

「落ちたら」

 

「怪我をします」

 

「落ちない」

 

柳琳の目。

 

少し。

 

厳しくなる。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「降りてください」

 

「ああ」

 

時雨は。

 

立つ。

 

栄華の顔。

 

固まる。

 

「なぜ!」

 

「柳琳の言葉には!」

 

「すぐ従いますの!」

 

時雨は。

 

屋根から。

 

隣の低い屋根。

 

さらに。

 

廊下の欄干。

 

軽く。

 

降りる。

 

「医者だから」

 

「わたくしは!」

 

「財務官です!」

 

「ああ」

 

「何ですの!」

 

「その差は!」

 

「怪我すると」

 

「柳琳が」

 

「面倒」

 

柳琳の眉が。

 

僅かに。

 

動く。

 

「私が?」

 

「ああ」

 

「怒る」

 

柳琳の目。

 

柔らかくなる。

 

「分かっているのですね」

 

「ああ」

 

栄華。

 

扇。

 

震える。

 

「わたくしも!」

 

「怒っています!」

 

時雨は。

 

栄華を見る。

 

「知ってる」

 

「なら!」

 

「最初から!」

 

「降りてきてくださいませ!」

 

時雨は。

 

少し。

 

笑う。

 

「栄華は」

 

「反応が」

 

「面白い」

 

栄華の顔。

 

完全に。

 

赤い。

 

柳琳の目。

 

僅かに。

 

大きくなる。

 

次。

 

口元。

 

柔らかい。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「少し」

 

「意地悪です」

 

「ああ」

 

「否定しないのですね」

 

「ああ」

 

栄華は。

 

扇で。

 

時雨の肩。

 

軽く。

 

叩く。

 

「本当に!」

 

「性格が!」

 

「悪いですわ!」

 

「知ってる」

 

「自覚が!」

 

「あるなら!」

 

「直しなさい!」

 

「嫌だ」

 

栄華は。

 

言葉を。

 

失う。

 

次。

 

柳琳を見る。

 

「柳琳!」

 

「何でしょう」

 

「何とか!」

 

「言ってくださいませ!」

 

柳琳は。

 

時雨を見る。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「栄華を」

 

「困らせすぎてはいけません」

 

「ああ」

 

「ですが」

 

柳琳は。

 

少し。

 

笑う。

 

「私も」

 

「今の時雨は」

 

「少し」

 

「面白いと思います」

 

栄華の顔。

 

驚き。

 

「柳琳まで!」

 

時雨の口元。

 

また。

 

上がる。

 

---

 

午後。

 

華琳の私室。

 

時雨は。

 

長椅子へ。

 

寝転んでいた。

 

靴。

 

脱いでいない。

 

片脚。

 

肘掛け。

 

越える。

 

行儀。

 

悪い。

 

華琳は。

 

机。

 

書類。

 

読む。

 

時折。

 

時雨を見る。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「足を下ろしなさい」

 

「嫌だ」

 

「ここは」

 

「私の私室よ」

 

「ああ」

 

「王の前で」

 

「その態度?」

 

「曹操だけ」

 

華琳の筆。

 

止まる。

 

「私だけ?」

 

「ああ」

 

「どういう意味」

 

「他では」

 

「やらない」

 

華琳の目。

 

僅かに。

 

柔らかくなる。

 

「なぜ」

 

「怒るだけ」

 

「追い出さない」

 

「ああ」

 

「信頼されていると」

 

「受け取ってよいのかしら」

 

「好きにしろ」

 

「随分と」

 

「偉そうね」

 

「ああ」

 

華琳は。

 

少し。

 

笑う。

 

「本当に」

 

「今日は」

 

「どうしたの」

 

「皆」

 

「聞くな」

 

「気になるもの」

 

華琳は。

 

筆を置く。

 

時雨の近くへ。

 

歩く。

 

長椅子の端。

 

座る。

 

時雨の脚。

 

自分の膝。

 

軽く。

 

叩く。

 

「下ろしなさい」

 

時雨は。

 

脚を。

 

少し動かし。

 

華琳の膝へ。

 

置く。

 

華琳の目。

 

大きくなる。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「何をしているの」

 

「下ろした」

 

「私の膝へ」

 

「置けとは」

 

「言っていないわ」

 

「面倒」

 

華琳は。

 

時雨の脚。

 

見る。

 

次。

 

顔。

 

「退かす?」

 

時雨が尋ねる。

 

華琳は。

 

少し。

 

考える。

 

「このままでよいわ」

 

「ああ」

 

「でも」

 

華琳は。

 

時雨の足首へ。

 

手を置く。

 

「今日は」

 

「本当に」

 

「仮面が薄いのね」

 

時雨の目。

 

僅かに。

 

変わる。

 

「仮面?」

 

「ああ」

 

「魏へ降った時から」

 

「あなたが」

 

「つけていたもの」

 

時雨は。

 

天井を見る。

 

「分からない」

 

「そうでしょうね」

 

華琳は。

 

時雨の足首を。

 

指で。

 

ゆっくり。

 

撫でる。

 

「冷静」

 

「冷酷」

 

「無関心」

 

「自分のことは」

 

「どうでもよい」

 

「誰にも」

 

「期待しない」

 

「そういう顔を」

 

「ずっと」

 

「していた」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「今日のあなたは」

 

「遅刻する」

 

「串焼きを食べる」

 

「桂花をからかう」

 

「栄華を屋根の下から怒らせる」

 

「軍議を」

 

「人へ投げる」

 

「霞と」

 

「くだらない話をする」

 

「とても」

 

「王だった男には」

 

「見えないわ」

 

時雨の口元。

 

僅かに。

 

上がる。

 

「元王」

 

「今は」

 

「曹操の将」

 

「ああ」

 

「私のもの」

 

「ああ」

 

「そこは」

 

「素直ね」

 

華琳は。

 

時雨を見る。

 

「この方が」

 

「楽?」

 

時雨は。

 

少し。

 

考える。

 

「面倒じゃない」

 

「何が」

 

「真面目な顔」

 

華琳の目。

 

僅かに。

 

揺れる。

 

「作っていたの?」

 

「たぶん」

 

「なぜ」

 

「降将が」

 

「笑うと」

 

「信用されない」

 

華琳は。

 

黙る。

 

時雨は。

 

天井。

 

見る。

 

「国を」

 

「捨てた後」

 

「楽しそうに」

 

「していたら」

 

「民に」

 

「悪い」

 

「ああ」

 

「仲間が」

 

「死んだ後」

 

「笑ったら」

 

「忘れたように」

 

「見える」

 

「ああ」

 

「曹操のところで」

 

「ふざけたら」

 

「燕を」

 

「軽くしたみたいになる」

 

「ああ」

 

「だから」

 

華琳が。

 

静かに。

 

聞く。

 

「仮面をつけた」

 

「たぶん」

 

時雨の声。

 

軽い。

 

だが。

 

奥。

 

重い。

 

華琳は。

 

時雨の足首へ。

 

置いた手。

 

止める。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「笑うことは」

 

「忘れることではないわ」

 

「ああ」

 

「楽しむことは」

 

「死者を」

 

「裏切ることではない」

 

「ああ」

 

「魏に慣れることは」

 

「燕を捨てることでもない」

 

時雨は。

 

華琳を見る。

 

蒼い瞳。

 

真っ直ぐ。

 

「分かっている?」

 

「ああ」

 

「本当に?」

 

「今」

 

「少し」

 

華琳の表情。

 

柔らかい。

 

「なら」

 

「今日のあなたを」

 

「私は」

 

「歓迎するわ」

 

「ああ」

 

「めんどくさがりで」

 

「意地が悪く」

 

「人をからかい」

 

「すぐ仕事を投げ」

 

「串焼きを」

 

「軍議へ持ち込む」

 

「それは」

 

「言いすぎ」

 

「事実でしょう?」

 

「ああ」

 

「認めるのね」

 

「ああ」

 

華琳は。

 

声を立てず。

 

笑う。

 

「でも」

 

「一つだけ」

 

「何だ」

 

「遅刻は」

 

「許さない」

 

「面倒」

 

「罰を」

 

「増やすわよ」

 

「何を」

 

華琳は。

 

少し考える。

 

「今夜」

 

「私の髪を」

 

「梳かしなさい」

 

「ああ」

 

「それだけ?」

 

「あと」

 

「明日の朝」

 

「一緒に食事」

 

「ああ」

 

「それから」

 

「私の私室で」

 

「一日」

 

「書類整理」

 

時雨の顔。

 

曇る。

 

「嫌だ」

 

華琳の目。

 

楽しそう。

 

「なら」

 

「遅刻しないことね」

 

「ああ」

 

「今」

 

「本当に」

 

「嫌そうな顔をしたわね」

 

「ああ」

 

「面白い」

 

「見世物じゃない」

 

「私のものですもの」

 

「好きにするわ」

 

時雨は。

 

少し。

 

笑う。

 

「横暴」

 

「王ですもの」

 

---

 

夕方。

 

時雨は。

 

黒狼隊の宿舎へ。

 

顔を出した。

 

休日。

 

ではない。

 

ただ。

 

歩いていたら。

 

近く。

 

通った。

 

華論が。

 

帳簿。

 

見ながら。

 

頭を抱えている。

 

「時雨!」

 

「何だ」

 

「ちょうどよかったっす!」

 

「嫌だ」

 

「まだ何も!」

 

「言ってないっす!」

 

「仕事だろ」

 

「そうっすけど!」

 

「嫌だ」

 

華論は。

 

机へ。

 

両手。

 

つく。

 

「国境市場へ送る!」

 

「装備の数が!」

 

「合わないっす!」

 

時雨は。

 

華論の机。

 

見る。

 

竹簡。

 

武器。

 

矢。

 

馬具。

 

帳簿。

 

「栄華へ」

 

「持ってけ」

 

「栄華に!」

 

「持っていったら!」

 

「私が!」

 

「怒られるっす!」

 

「なら」

 

「やめろ」

 

「何をっすか!」

 

「仕事」

 

「できないっす!」

 

時雨は。

 

華論の肩。

 

叩く。

 

「頑張れ」

 

桂花と。

 

同じ。

 

言葉。

 

華論の顔。

 

引きつる。

 

「時雨!」

 

「何っすか!」

 

「今日!」

 

「皆に!」

 

「仕事投げてないっすか!」

 

「ああ」

 

「悪びれてないっす!」

 

「ああ」

 

「手伝ってほしいっす!」

 

時雨は。

 

帳簿。

 

見る。

 

少し。

 

数字。

 

追う。

 

矢。

 

一箱。

 

馬具。

 

二組。

 

不足。

 

原因。

 

別倉。

 

移送。

 

書類。

 

記録。

 

漏れ。

 

すぐ。

 

分かる。

 

「第三倉」

 

「何が」

 

「移した」

 

「誰が」

 

「お前」

 

華論の目。

 

大きくなる。

 

「あ」

 

思い出す。

 

「そうだったっす!」

 

時雨は。

 

踵を返す。

 

「終わり」

 

「待ってほしいっす!」

 

「まだ」

 

「何か」

 

「あるっす!」

 

「面倒」

 

「時雨!」

 

「明日」

 

「飯」

 

「奢るっすから!」

 

時雨の足。

 

止まる。

 

振り返る。

 

「何」

 

「食わせる」

 

華論の目。

 

僅かに。

 

明るくなる。

 

「肉!」

 

「ああ」

 

「手伝う」

 

「そこっすか!?」

 

時雨は。

 

机へ戻る。

 

椅子。

 

座る。

 

華論は。

 

呆れ。

 

次。

 

笑う。

 

「でも」

 

「今の時雨」

 

「ちょっと」

 

「昔の霞みたいっす」

 

「霞?」

 

「あの人も」

 

「面倒な仕事」

 

「全部」

 

「飯と酒で」

 

「釣られるっす」

 

時雨は。

 

少し。

 

考える。

 

「一緒にするな」

 

「同じっす」

 

「違う」

 

「どこが」

 

「俺は」

 

「酒より肉」

 

「そこだけっすか!」

 

黒狼隊。

 

周囲。

 

笑い。

 

広がる。

 

時雨も。

 

僅かに。

 

笑う。

 

兵たち。

 

驚く。

 

だが。

 

嬉しそう。

 

黒山。

 

昔。

 

時雨が。

 

まだ。

 

王になる前。

 

こうだった。

 

無茶。

 

強い。

 

怖い。

 

だが。

 

兵の飯を。

 

勝手に取る。

 

負けた奴へ。

 

くだらないあだ名。

 

つける。

 

敵の陣を。

 

燃やした後。

 

面倒だから。

 

次は。

 

降伏しろと。

 

笑う。

 

それでも。

 

誰より。

 

先頭。

 

立つ。

 

そういう。

 

張燕。

 

少し。

 

戻っている。

 

---

 

夜。

 

華琳の私室。

 

時雨は。

 

華琳の後ろへ座る。

 

黒い櫛。

 

手。

 

黄金の髪。

 

ゆっくり。

 

梳かす。

 

華琳は。

 

鏡。

 

時雨。

 

見る。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「今日」

 

「楽しかった?」

 

時雨は。

 

櫛。

 

止めない。

 

「悪くない」

 

「ああ」

 

「それなら」

 

「よかったわ」

 

「でも」

 

「何だ」

 

「明日も」

 

「軍議へ」

 

「串焼きを持ち込んだら」

 

「没収する」

 

「ああ」

 

「栄華へ?」

 

「私が食べる」

 

「ああ」

 

「反省してないでしょう」

 

「ああ」

 

華琳は。

 

鏡の中。

 

笑う。

 

「本当に」

 

「性格が悪くなったわね」

 

「元から」

 

「ああ」

 

「そうかもしれない」

 

時雨は。

 

華琳の髪。

 

梳かす。

 

「曹操」

 

「何?」

 

「嫌か」

 

「何が」

 

「今の俺」

 

華琳の目。

 

僅かに。

 

柔らかくなる。

 

「嫌ではないわ」

 

「ああ」

 

「むしろ」

 

「好きよ」

 

時雨の手。

 

僅かに。

 

止まる。

 

「どこが」

 

「全部」

 

時雨の眉。

 

僅かに。

 

動く。

 

「真似するな」

 

「あなたが」

 

「柳琳へ」

 

「言ったのでしょう?」

 

「ああ」

 

「私にも」

 

「言いなさい」

 

「何を」

 

「好きだと」

 

時雨は。

 

華琳を見る。

 

鏡越し。

 

黄金。

 

蒼。

 

黒い櫛。

 

「面倒」

 

華琳の笑み。

 

冷える。

 

「時雨」

 

「冗談」

 

華琳の目。

 

大きくなる。

 

時雨の口元。

 

僅かに。

 

上がる。

 

華琳は。

 

鏡越し。

 

時雨を。

 

じっと見る。

 

次。

 

笑う。

 

「本当に」

 

「覚えたのね」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「もう一度」

 

「何を」

 

「好きだと」

 

「まだ」

 

「言わない」

 

「どうして」

 

「言ったら」

 

「曹操が」

 

「勝った顔する」

 

華琳の眉。

 

上がる。

 

「勝っているわ」

 

「何に」

 

「あなたに」

 

時雨は。

 

少し。

 

笑う。

 

「そうか」

 

「ああ」

 

「なら」

 

「言わなくても」

 

「同じ」

 

華琳の笑み。

 

止まる。

 

次。

 

さらに。

 

深くなる。

 

「時雨」

 

「何だ」

 

「今の言い方」

 

「ずるいわ」

 

「ああ」

 

「知ってる」

 

華琳は。

 

振り返る。

 

時雨の胸元。

 

掴む。

 

「その顔」

 

「誰に教わったの」

 

「分からない」

 

「昔から?」

 

「たぶん」

 

「なら」

 

華琳は。

 

時雨へ。

 

顔を近づける。

 

「今まで」

 

「隠していた分」

 

「これから」

 

「全部」

 

「見せなさい」

 

「面倒」

 

「拒否は」

 

「認めない」

 

「ああ」

 

「私だけに?」

 

時雨は。

 

少し考える。

 

「皆にも」

 

華琳の目。

 

鋭くなる。

 

「時雨」

 

「冗談」

 

「今のは」

 

「嘘でしょう」

 

「ああ」

 

「どちらが?」

 

「分からない」

 

華琳は。

 

時雨を。

 

睨む。

 

次。

 

笑う。

 

「悪い男」

 

「ああ」

 

「でも」

 

「嫌いではない」

 

「ああ」

 

「そこは」

 

「嬉しそうにしなさい」

 

「面倒」

 

華琳は。

 

時雨の胸元を。

 

さらに。

 

引く。

 

時雨は。

 

抵抗しない。

 

仮面。

 

剥がれ始める。

 

冷たい。

 

無関心な。

 

黒山の狼。

 

その奥。

 

面倒を嫌い。

 

人をからかい。

 

笑い。

 

気まぐれ。

 

乱暴。

 

悪辣。

 

それでも。

 

自分のものと決めた相手を。

 

決して。

 

簡単には。

 

捨てない男。

 

魏の者たちは。

 

少しずつ。

 

本当の時雨を。

 

知り始めていた。

 

そして。

 

誰も。

 

離れなかった。

 

むしろ。

 

その方が。

 

よいと。

 

笑った。

 

仮面は。

 

必要だった。

 

燕を終わらせた男が。

 

壊れずに。

 

立つため。

 

誰にも。

 

弱みを。

 

見せないため。

 

だが。

 

今。

 

許昌では。

 

その仮面が。

 

少しずつ。

 

流れ落ちている。

 

春蘭に。

 

怒鳴られ。

 

桂花を。

 

からかい。

 

栄華へ。

 

食べ物を投げ。

 

柳琳を。

 

困らせ。

 

霞と。

 

笑い。

 

華琳の膝へ。

 

脚を置く。

 

誰かが。

 

見れば。

 

以前より。

 

だらしない。

 

以前より。

 

悪い。

 

以前より。

 

王らしくない。

 

そう。

 

言うだろう。

 

だが。

 

時雨は。

 

少しだけ。

 

人間らしくなった。

 

守るだけではない。

 

生きる。

 

笑う。

 

面倒と言う。

 

ふざける。

 

自分の気分で。

 

動く。

 

それを。

 

許せる場所が。

 

できた。

 

魏。

 

許昌。

 

華琳の隣。

 

翌朝。

 

時雨は。

 

また。

 

軍議へ。

 

少し。

 

遅れてきた。

 

今度。

 

串焼きは。

 

持っていない。

 

代わりに。

 

桂花の机へ。

 

一輪の花を。

 

置いた。

 

「何よ」

 

桂花が尋ねる。

 

時雨は。

 

席へ座る。

 

「遅刻の」

 

「賄賂」

 

桂花の顔。

 

真っ赤。

 

「誰が!」

 

「花一輪で!」

 

「許すと言ったの!」

 

「許さない?」

 

「……花は」

 

「没収するわ」

 

「ああ」

 

「それから!」

 

「遅刻は!」

 

「別に叱る!」

 

「面倒」

 

「時雨!」

 

大広間。

 

笑い。

 

広がる。

 

華琳は。

 

王座。

 

時雨を見る。

 

仮面のない。

 

完全ではない。

 

だが。

 

昨日より。

 

少し。

 

薄い顔。

 

口元。

 

僅かな笑み。

 

華琳も。

 

笑う。

 

荊州。

 

北郷一刀。

 

戦。

 

近づく。

 

この先。

 

時雨は。

 

また。

 

冷たい顔を。

 

する。

 

外道な策を。

 

使う。

 

敵から。

 

恐れられる。

 

だろう。

 

だが。

 

帰れば。

 

面倒だと。

 

言う。

 

串焼きを食べ。

 

皆を。

 

からかう。

 

それでよい。

 

黒山の狼は。

 

悪辣で。

 

気まぐれで。

 

笑う男。

 

その本性を。

 

魏の者たちは。

 

ようやく。

 

知り始めていた。

 

そして。

 

時雨自身も。

 

ようやく。

 

気づき始めていた。

 

仮面を外しても。

 

誰も。

 

自分を。

 

見捨てないことを。




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次の作品の主人公とルートは誰がいい?

  • 高順呂布ルート(ヒロイン恋、霞)
  • 朱霊曹操ルート(ヒロイン華琳、柳琳)
  • 周倉関羽ルート(ヒロイン愛紗)
  • 孫瑜孫権ルート(ヒロイン蓮華、粋怜)
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