第三十二話 黒山の新たな風
幽州。
北方の冷たい風が吹き抜ける大地。
長い遠征を終えた公孫瓚軍は、ようやく故郷へ戻ってきていた。
虎牢関。
洛陽。
反董卓連合。
あまりにも濃すぎる日々。
兵たちの顔には疲労が滲んでいたが、それでも帰還した安堵感の方が大きかった。
「帰ってきたぁぁ……」
白蓮は馬上で空を見上げながら呟く。
「もう連合軍なんて二度とやりたくない……」
「お疲れ白馬娘」
「誰のせいだと思ってんだ!!」
即座に怒鳴る。
だが時雨は酒を飲みながら笑うだけだった。
いつもの調子。
まるで大戦を終えた直後とは思えない。
「それにしても」
白蓮が後ろを見る。
そこには。
赤髪の少女。
そして紫髪の女。
恋と霞。
元董卓軍の武将たちだった。
「未だに実感ねぇ……」
「ウチもや」
霞が深い溜息を吐く。
「何で賊側来とるんやろなぁ……」
「流れ?」
「軽っ」
だが。
もう決めたことだ。
行き場の無い二人は黒山へ加わる。
それが現在の結論だった。
恋は相変わらず無表情で周囲を見ている。
「……広い」
「幽州だからな」
星が答える。
「寒い地域だが、その分馬は育つ」
「へぇー」
霞は辺りを見回した。
広大な草原。
冷たい風。
中央とはまるで違う空気。
「何か董卓軍ん時と全然違うな」
「まぁ北だからな」
時雨は気楽に答える。
そして。
数日後。
一行は幽州の公孫瓚領へ到着した。
「で?」
城門前。
白蓮が腕を組みながら時雨を見る。
「本当に帰るのか」
「ああ」
時雨は軽く頷く。
目的地は違う。
白蓮は幽州。
時雨は黒山。
「少し休んでいけばいいだろ」
「落ち着かねぇ」
「賊だから?」
「賊だから」
即答だった。
白蓮は呆れる。
「お前ほんと堂々としてるよな……」
「今更隠してもしゃーねぇし」
実際その通りだった。
連合軍で散々暴れたせいで、張燕の名は広まっている。
今さら善人ぶる意味も無い。
「まぁ……」
白蓮は少し笑う。
「何だかんだ助かったよ」
「あ?」
「お前がいなきゃ、私らとっくに死んでた」
珍しく真面目な声だった。
時雨は少しだけ目を細める。
「らしくねぇな白馬娘」
「うるさい」
だがその表情は穏やかだった。
「また困ったら呼べ」
「絶対ロクなことにならねぇ……」
「酷ぇ」
時雨が笑う。
そして。
「じゃあな」
「ああ」
短い別れ。
だが。
乱世ではそれが普通だった。
次に会う時は味方か敵か。
それすら分からない。
白蓮は手を振る。
「死ぬなよ時雨!」
「そっちこそ」
そして。
黒山組は再び北へ進み始めた。
山道。
険しい崖。
獣道のような細い道。
「うわぁ……」
霞が若干引いていた。
「ホンマにこんなとこ住んどるん?」
「ああ」
「賊っぽいなぁ……」
「賊だからな」
時雨は笑う。
黒山。
天然の要害。
正規軍では攻めにくい山岳地帯。
だからこそ賊たちはここを根城にしている。
「……すごい」
恋が静かに呟く。
視線の先。
山中には大量の人影があった。
兵。
女。
子供。
老人。
黒山は単なる盗賊団ではない。
一つの共同体だった。
「頭領!!」
「おかえりですぜ!」
「帰ってきたぁ!」
黒山兵たちが歓声を上げる。
時雨は片手を上げるだけだった。
「相変わらず人気あるなぁ」
霞が感心する。
「怖がられてるだけだろ」
「それだけやないやろ」
霞は周囲を見る。
皆、本当に嬉しそうだった。
賊。
だが。
ここには妙な一体感がある。
「ん?」
その時。
黒山兵たちが恋と霞へ気付いた。
「……誰だ?」
「新入り?」
「女だ!」
「美人!」
「頭領また増やした!?」
騒がしくなる。
「増やした言うな」
「事実やろ!」
霞がツッコむ。
恋はきょろきょろしていた。
「……賑やか」
「騒がしいだけだ」
星が呆れる。
だが。
その空気はどこか暖かかった。
夜。
歓迎の宴が開かれた。
酒。
肉。
笑い声。
黒山は今日も騒がしい。
「乾杯だぁぁ!」
「頭領帰還!」
「鬼神捕まえた!」
「呂布ちゃん可愛い!」
「張遼姐さん酒飲めー!」
「誰が姐さんや!」
大騒ぎだった。
恋は肉をもぐもぐ食べている。
霞は既に酒を飲まされていた。
「うわ、強っ」
時雨が感心する。
「アンタも大概やろ」
二人で酒を飲む。
星は少し笑っていた。
「馴染むのが早いな」
「まぁ悪い場所ちゃうし」
霞は周囲を見る。
確かに賊だ。
ガラも悪い。
口も悪い。
だが。
妙に居心地が悪くない。
「で」
時雨が酒を飲みながら言う。
「そろそろ真名教えろよ」
空気が少し変わる。
真名。
それは特別なもの。
心を許した相手にしか教えない。
霞が少し黙る。
「……ホンマにええんか?」
「嫌なら別にいい」
時雨は軽く答える。
無理強いはしない。
その態度に、霞は少し笑った。
「しゃーないなぁ」
紫髪を揺らしながら、霞は言う。
「ウチの真名は霞」
空気が静かになる。
真名。
それは信頼の証。
「よろしくな、時雨」
時雨は少しだけ目を細めた。
「ああ」
そして。
視線は恋へ向く。
赤髪少女は肉を食べ終え、静かに口を開いた。
「……恋」
「ん?」
「恋が真名」
短い。
だが。
そこには確かな意思があった。
時雨は笑う。
「よろしく鬼神ちゃん」
「……恋」
「はいはい恋」
恋が少しだけ満足そうに頷く。
星はその様子を見ながら、小さく笑った。
「また家族が増えたな」
「家族ぅ?」
時雨が嫌そうな顔をする。
「照れるな頭領!」
「うるせぇ」
黒山の宴は続く。
笑い声。
酒。
騒ぎ。
乱世の中とは思えないほど平和な夜だった。
だが。
その北の空では。
新たな戦乱の火種が、静かに燃え始めていた。
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