【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第三十三話 紫煙の夜

第三十三話 紫煙の夜

 

 黒山の夜は騒がしい。

 

 酒盛り。

 

 喧嘩。

 

 笑い声。

 

 怒鳴り声。

 

 山奥の賊の根城とは思えないほど活気に満ちている。

 

 だが、その喧騒から少し離れた崖の上は静かだった。

 

 冷たい夜風が吹く。

 

 空には星。

 

 その下で。

 

「……ホンマにおる」

 

 霞は呆れたように溜息を吐いた。

 

 崖の先端。

 

 危なっかしい場所に座り、時雨は酒を飲んでいた。

 

「何やっとるんアンタ」

 

「あ?」

 

 時雨が振り返る。

 

「別に」

 

「別にちゃうわ。落ちたら死ぬで」

 

「落ちねぇよ」

 

「その自信どっから来るんや……」

 

 霞は肩を竦めながら隣へ座る。

 

 少し距離を空けて。

 

 夜風が紫髪を揺らした。

 

「で?」

 

 時雨が酒瓶を傾ける。

 

「何の用だ紫髪」

 

「その呼び方まだやっとるんか」

 

「じゃあ霞?」

 

「……ま、ええわ」

 

 少しだけ照れ臭そうだった。

 

 真名を教えた。

 

 つまり。

 

 ある程度は認めたということだ。

 

 時雨は横目で霞を見る。

 

「馴染んでんな」

 

「まぁなぁ」

 

 霞は黒山の灯りを見る。

 

 山の中に広がる賊たちの拠点。

 

 宴はまだ続いている。

 

「思っとったより悪ない」

 

「だろ?」

 

「賊の癖に」

 

「偏見だ」

 

「アンタらが言うな」

 

 だが。

 

 霞は少し驚いていた。

 

 黒山賊。

 

 もっと殺伐としていると思っていた。

 

 奪い合い。

 

 裏切り。

 

 暴力。

 

 そういう集団だと。

 

 だが実際は違う。

 

 荒っぽい。

 

 ガラも悪い。

 

 しかし。

 

 妙に“人間臭い”。

 

「……変な場所や」

 

「そうか?」

 

「女も子供も普通におるし」

 

「ああ」

 

「賊の拠点やろ?」

 

「賊だからって山で唸ってる訳じゃねぇし」

 

 時雨は笑う。

 

「食うために集まって、生きるために群れてるだけだ」

 

 その言葉は妙に現実的だった。

 

 霞は少し黙る。

 

「アンタってさ」

 

「あ?」

 

「もっと冷たい奴やと思っとった」

 

「失礼な」

 

「いや冷たいのは冷たいで?」

 

「おう」

 

「そこ否定せぇや!」

 

 時雨はケラケラ笑う。

 

 霞も少し笑った。

 

 こういう空気は嫌いじゃない。

 

「でもなぁ」

 

 霞が夜空を見る。

 

「未だに分からへん」

 

「何が」

 

「アンタ」

 

 時雨は酒を飲む。

 

「どこが?」

 

「全部や」

 

 霞は本気だった。

 

 この男は矛盾している。

 

 外道。

 

 卑劣。

 

 平気で汚い策を使う。

 

 華雄を磔にした時など、本気で最低だと思った。

 

 呂布ですら眠らせて捕縛。

 

 武人としては最悪だ。

 

 だが。

 

「何でそんなに兵が慕っとるん?」

 

 そこが分からない。

 

 黒山兵たちは時雨を恐れている。

 

 だがそれだけじゃない。

 

 信頼もしている。

 

 慕ってもいる。

 

「普通、ああいう奴って嫌われるやろ」

 

「嫌われてるぞ」

 

「絶対嘘や」

 

 時雨は笑う。

 

「怖がられてるだけだ」

 

「ちゃうな」

 

 霞は静かに言った。

 

「皆、アンタ見とる時楽しそうや」

 

「気のせい」

 

「アンタ、自分のこと分かっとらんなぁ」

 

 時雨は少し黙る。

 

 そして。

 

「別にどうでもいい」

 

 静かな声だった。

 

「生き残れりゃそれで」

 

 霞はその横顔を見る。

 

 赤い目。

 

 どこか乾いた目。

 

「……生き残るためだけに戦っとるん?」

 

「まぁな」

 

「天下とか興味無いんか」

 

「無い」

 

「即答やな」

 

 時雨は本当に興味無さそうだった。

 

 国。

 

 覇道。

 

 皇帝。

 

 そんなものより。

 

 目の前の現実。

 

 今日生きること。

 

 明日を迎えること。

 

 そちらを優先している。

 

「変わっとる」

 

「よく言われる」

 

「普通は天下欲しがるやろ」

 

「面倒臭ぇ」

 

「アンタほんま……」

 

 霞は呆れる。

 

 だが。

 

 その気楽さは少し羨ましかった。

 

 董卓軍は重かった。

 

 権力。

 

 陰謀。

 

 責任。

 

 常に何かを背負っていた。

 

 だが黒山は違う。

 

 もっと単純だ。

 

 生きる。

 

 食う。

 

 笑う。

 

 それだけ。

 

「……気楽やな」

 

「気楽だぞ」

 

「羨ましいわ」

 

 ぽつりと漏れる。

 

 時雨は少しだけ目を細めた。

 

「董卓軍しんどかった?」

 

「まぁなぁ」

 

 霞は苦笑する。

 

「恋は強すぎるし」

 

「うん」

 

「華雄は真面目やし」

 

「うん」

 

「李儒は怖いし」

 

「最後だけ分かる」

 

「分かるんかい」

 

 二人で少し笑う。

 

 風が吹く。

 

 夜は静かだった。

 

「なぁ時雨」

 

「あ?」

 

「アンタ、怖ないん?」

 

「何が」

 

「裏切りとか」

 

 その言葉に。

 

 時雨は少しだけ空を見る。

 

「別に」

 

「即答やな」

 

「裏切る奴は裏切る」

 

 淡々としていた。

 

「信じすぎる方が悪ぃ」

 

 霞は目を細める。

 

 どこか寂しい言葉だった。

 

「……過去に何かあったん?」

 

「さぁ」

 

「誤魔化したな」

 

「別に面白い話じゃねぇ」

 

 それ以上は聞かなかった。

 

 時雨には時雨の過去がある。

 

 それくらい霞にも分かる。

 

 この男は、最初からこうだった訳ではない。

 

 乱世が。

 

 戦が。

 

 人をこう変えた。

 

「でも」

 

 霞が笑う。

 

「アンタみたいなん、嫌いやないで」

 

「告白?」

 

「違うわ!」

 

 即座にツッコむ。

 

 時雨はケラケラ笑った。

 

「顔はええんやけどなぁ……」

 

「性格終わってる?」

 

「終わっとる」

 

「知ってる」

 

「開き直んなや!」

 

 夜空に笑い声が響く。

 

 黒山の風は冷たい。

 

 だが。

 

 不思議と悪くなかった。

 

「……ま」

 

 霞が立ち上がる。

 

「これからよろしく頼むわ、頭領さん」

 

「おう」

 

 短い返事。

 

 だが。

 

 それで十分だった。

 

 紫髪の女は、もう黒山の一員だった。




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