第三十四話 鬼神の居場所
黒山の朝は早い。
まだ空が白み始めたばかりの時間だというのに、山中には既に人の動く気配が満ちていた。
鍛錬する兵。
朝飯の支度をする女たち。
荷車を引く男たち。
山賊の拠点とは思えないほど生活感に溢れている。
その中でも、一際目立つ場所があった。
ドォン!!
轟音。
木が折れる。
「……ふん」
赤髪の少女が木槍を振るうたび、太い丸太が吹き飛んでいた。
「おぉ……」
「相変わらずすげぇ……」
黒山兵たちが若干引きながら見守っている。
恋。
元董卓軍最強。
天下無双の鬼神。
その武は黒山でも異常だった。
「……足りない」
恋は無表情のまま呟く。
そして。
また丸太を叩き潰した。
バキィ!!
「怖ぇぇぇ……」
兵たちが震える。
そこへ。
「朝から元気だな鬼神ちゃん」
酒瓶片手の男が現れた。
時雨。
黒山の頭領。
「……時雨」
恋が振り返る。
「飲んでる」
「朝だからな」
「意味分からない」
真顔で言われた。
時雨は笑う。
「で、筋トレ?」
「鍛錬」
「似たようなもんだろ」
恋は少し考え。
「違う」
「そう」
会話が妙に淡白だった。
だが不思議と噛み合っている。
周囲の黒山兵たちは遠巻きに見ていた。
「頭領すげぇな……」
「呂布相手に普通に喋ってる……」
「俺まだ目合わせるだけで怖ぇぞ……」
恋は本当に強い。
しかも無表情。
圧が凄い。
普通なら萎縮する。
だが時雨だけはいつも通りだった。
「で?」
時雨が岩へ腰掛ける。
「黒山慣れた?」
「……少し」
恋は正直だった。
最初は違和感だらけだった。
賊。
山奥。
騒がしい連中。
だが。
「変」
「知ってる」
「皆、笑ってる」
「まぁな」
黒山には妙な空気がある。
戦場の殺気とは違う。
もっと雑で。
荒っぽくて。
生きている感じがする。
「董卓軍は違った?」
恋は少し黙る。
「……もっと苦しかった」
ぽつりと漏れた言葉。
時雨は静かに酒を飲む。
「皆、怖がってた」
「誰を」
「色々」
董卓。
朝廷。
連合軍。
権力。
陰謀。
常に何かに追われていた。
恋は強かった。
だから戦うだけで良かった。
だが周囲は違う。
皆、余裕が無かった。
「ここは違う」
「そうか?」
「変だけど」
「褒めてる?」
「……少し」
時雨は笑った。
しばらく沈黙。
風だけが吹く。
恋は鍛錬を再開しようとした。
その時。
「なぁ恋」
「?」
「アンタ、戦以外に好きなもん無ぇの?」
恋の動きが止まった。
「……好き?」
「ああ」
「食べ物とか」
「肉」
「即答だな」
「あと犬」
「へぇ」
少し意外だった。
「小さい犬」
「何でまた」
「可愛い」
真顔だった。
時雨は吹き出した。
「アンタそういう感性あったんだ」
「失礼」
「鬼神が子犬好きとか笑うだろ」
「……駄目?」
「いや別に」
恋は少しだけ考え込む。
「時雨は?」
「あ?」
「好きなもの」
聞き返されるとは思っていなかった。
時雨は少し空を見る。
「酒」
「それだけ?」
「あと女」
「最低」
「酷ぇ」
だが。
少し考え。
「……仲間」
小さく呟く。
恋がじっと見る。
「黒山の奴ら」
「……」
「死なれると面倒臭ぇし」
「本当?」
「半分くらい」
恋は少しだけ目を細めた。
この男は素直じゃない。
だが。
嘘だけでもない。
「時雨」
「あ?」
「優しい」
「気のせい」
「違う」
即答だった。
「優しくない奴、皆に飯食わせない」
「そこ基準?」
「大事」
恋は真剣だった。
確かに黒山では、子供も女も普通に飯を食っている。
賊にしては珍しい。
「アンタ、思ってるより人見てんな」
「……?」
「自覚無しかよ」
恋は少し首を傾げる。
その仕草は、戦場の鬼神とは思えないほど幼かった。
「恋」
「ん?」
「アンタさ」
時雨は笑う。
「意外と普通の女だな」
一瞬。
恋が固まった。
「……女?」
「そこ驚く?」
「恋、鬼神ってよく言われる」
「強いしな」
「怖がられる」
「まぁな」
「でも女?」
どこか不思議そうだった。
時雨は酒を飲みながら笑う。
「当たり前だろ」
「……」
「飯食って、寝て、犬好きで」
赤い目が細まる。
「十分普通だ」
恋は黙る。
風が吹く。
赤髪が揺れる。
「……変なの」
「お互い様だろ」
少しだけ。
本当に少しだけ。
恋の口元が緩んだ。
笑ったのかどうかも分からない程度。
だが。
確かに柔らかかった。
その頃。
少し離れた場所。
「……何やあれ」
霞が呆然としていた。
隣には星。
「会話成立してるな」
「いやそこちゃうやろ」
霞は頭を抱える。
「恋が普通に雑談しとる……」
董卓軍時代では考えられなかった。
恋は基本無口だ。
戦う以外、ほとんど興味を示さない。
それが今。
普通に喋っている。
「時雨のせいだな」
星が苦笑する。
「あの男、人との距離感がおかしい」
「せやなぁ……」
霞は遠くの二人を見る。
酒飲み賊。
鬼神少女。
普通なら絶対噛み合わない。
だが。
何故か成立している。
「……まぁ」
霞は小さく笑う。
「悪ないか」
黒山の朝。
鬼神は少しずつ、この場所へ馴染み始めていた。
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