第三十八話 白馬将軍の夜
幽州。
北方の冷たい風が城壁を叩いていた。
空は灰色。
冬が近い。
その空気のように、公孫瓚の居城にも重苦しい緊張が漂っていた。
「はぁ……」
執務室。
白蓮は机へ突っ伏していた。
乱雑に積まれた書簡。
地図。
兵糧計算。
どれもこれも胃が痛くなるものばかり。
「嫌だぁ……」
情けない声が漏れる。
だが無理もない。
机の中央には、一通の書状が置かれていた。
袁紹。
冀州より届いた正式な檄文。
内容は簡潔。
――幽州を明け渡せ。
つまり。
宣戦布告だった。
「何なんだよアイツぅ……」
白蓮は頭を抱える。
反董卓連合解散からまだそれほど経っていない。
だが袁紹は既に動き始めていた。
狙いは北。
幽州。
「いや分かるよ!?」
白蓮が一人で叫ぶ。
「幽州欲しいのは分かる!」
地理的に重要。
騎馬民族への備え。
北方交易。
そして何より、公孫瓚自身が邪魔だ。
袁紹からすれば、幽州は喉から手が出るほど欲しい土地だった。
「でも普通もっと間を置くだろ!?」
置かない。
乱世だから。
敵が弱っているなら噛み付く。
それが当然。
「はぁ……」
再び沈む。
兵力差は厳しい。
冀州は豊かだ。
兵も物資も多い。
対して幽州は北の辺境。
白馬義従は強い。
だが数が足りない。
「正面からやったらキツいよなぁ……」
白蓮は地図を見る。
幽州各地。
防衛線。
街道。
補給。
考えれば考えるほど胃が痛い。
コンコン。
「失礼します」
扉が開く。
現れたのは側近の将。
「公孫瓚様、各地の守備隊より報告です」
「あー……うん」
白蓮は気力無く顔を上げる。
「冀州軍の動きが活発化しています」
「だろうなぁ……」
「国境付近で兵糧の集積も確認されました」
「うん、知ってた」
「戦は避けられないかと」
「知ってたぁ……」
白蓮は本気で嫌そうだった。
将は苦笑する。
「ですが我らも白馬義従があります」
「まぁな」
白馬義従。
公孫瓚軍最強の騎馬隊。
北方でも名高い精鋭。
真正面からならそう簡単には負けない。
だが。
「数がなぁ……」
袁紹軍は多い。
しかも物量戦が可能。
長引けば不利になる。
「……援軍を頼りますか?」
その言葉に。
白蓮の動きが止まった。
「援軍……」
「はい」
将も言いにくそうだった。
「黒山です」
沈黙。
部屋の空気が少し重くなる。
黒山。
張燕。
時雨。
外道。
卑劣。
最低。
だが。
強い。
「……アイツかぁ」
白蓮は遠い目をした。
脳裏に浮かぶ。
虎牢関。
汜水関。
あの最低な戦い方。
「絶対嫌なんだけど……」
本音だった。
頼りたくない。
正直怖い。
何やるか分からない。
だが。
「強いんだよなぁ……」
それが厄介だった。
張燕は戦を知っている。
正面から勝てないなら、勝てる形に持っていく。
その発想が異常だ。
「でもなぁ……」
白蓮は立ち上がる。
窓の外。
幽州の空。
冷たい風。
「黒山を頼ったら」
静かな声。
「幽州の連中、どう思うかな」
賊。
黒山賊。
民から恐れられる存在。
その力を借りる。
つまり。
公孫瓚自身が“賊に頼る”ということだ。
「正々堂々戦うべきか……」
白馬将軍として。
幽州の支配者として。
誇りはある。
「でも負けたら意味無いし……」
そこが現実だった。
袁紹は甘くない。
負ければ終わる。
幽州は奪われる。
民も苦しむ。
「くっそぉぉ……」
白蓮は頭を掻きむしる。
「何で乱世ってこう面倒臭ぇんだよ!」
将は何も言えなかった。
夜。
城壁の上。
白蓮は一人で夜空を見ていた。
寒い。
だが頭を冷やしたかった。
「……時雨かぁ」
ぽつりと呟く。
張燕。
時雨。
あの男を思い出すだけで胃が痛くなる。
「最低なんだよなぁ……」
本当に最低だ。
外道。
卑劣。
武人の風上にも置けない。
だが。
「生き残るんだよな」
それが現実。
白蓮は戦場で見た。
時雨のやり方で、多くが生き残っていたことを。
綺麗ではない。
誇れもしない。
だが結果は出る。
「……私は」
白蓮は拳を握る。
「どっちを選ぶべきなんだ」
誇りか。
勝利か。
白馬将軍として正々堂々戦うか。
それとも。
黒山の狼を呼び込むか。
風が吹く。
遠く北の山々。
その向こうに黒山がある。
「絶対面倒なことになる……」
白蓮は確信していた。
時雨を呼べば、戦は滅茶苦茶になる。
袁紹軍は悲惨な目に遭うだろう。
だが同時に。
幽州の評判も荒れる。
賊を使ったと。
卑怯だと。
言われるかもしれない。
「でもなぁ……」
白蓮は空を見る。
乱世。
綺麗事だけでは勝てない。
それを誰より理解しているのもまた、公孫瓚だった。
「……嫌だなぁ」
小さく笑う。
「アイツのこと、信用したくないのに」
不思議と。
背中を預けられる気もしていた。
最低なのに。
外道なのに。
何故か。
「ほんと変な奴」
その夜。
白馬将軍は答えを出せなかった。
だが。
戦はもう始まろうとしていた。
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