【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

45 / 53
第四十五話 白馬将軍の涙

第四十五話 白馬将軍の涙

 

 

 袁紹軍が完全に撤退したという報せが幽州全土へ広がったのは、それから数日後のことだった。

 

 北方最大勢力とまで言われた冀州軍。

 

 その大軍を相手に、公孫瓚軍は一度は壊滅寸前まで追い込まれた。

 

 だが最後に戦場をひっくり返したのは黒山軍だった。

 

 張燕。

 

 時雨。

 

 黒山の狼。

 

 その名は今や幽州中で語られていた。

 

 賛辞ではない。

 

 畏怖だった。

 

 敵味方問わず、誰もが口を揃えて言う。

 

「あんな戦い方をする奴は二度と敵に回したくない」

 

 と。

 

 その頃。

 

 公孫瓚の居城では静かな空気が流れていた。

 

 勝った。

 

 いや、生き残った。

 

 それが正しい。

 

 城内の兵たちは喜んでいたが、城主である白蓮だけは違った。

 

 執務室。

 

 机の上には戦死者名簿が積まれている。

 

 一枚。

 

 また一枚。

 

 目を通すたびに胸が痛んだ。

 

「……」

 

 白蓮は無言だった。

 

 普段なら軽口の一つも出る。

 

 だが今は違う。

 

 自分の判断が間違っていた。

 

 その事実が重くのしかかっていた。

 

 黒山へ援軍を頼むべきだった。

 

 最初から。

 

 意地など張らず。

 

 誇りだの正々堂々だのと言わず。

 

 そうしていれば、死なずに済んだ兵もいたはずだった。

 

「私が……」

 

 拳を握る。

 

「私が馬鹿だったんだよなぁ……」

 

 その時。

 

 扉が開いた。

 

「失礼します」

 

 兵士が頭を下げる。

 

「白蓮様」

 

「ん?」

 

「張燕殿が到着されました」

 

 一瞬。

 

 白蓮の表情が固まった。

 

「……来たのか」

 

「はい」

 

 兵士が苦笑する。

 

「何か酒樽抱えてます」

 

「アイツらしいな……」

 

 白蓮も少しだけ笑った。

 

 だがその笑顔はすぐ消える。

 

「通してくれ」

 

「はっ」

 

 数分後。

 

 時雨が部屋へ入ってきた。

 

 相変わらずだった。

 

 無精髭。

 

 酒臭い。

 

 やる気のない目。

 

 まるで戦の英雄には見えない。

 

「よう」

 

「ようじゃないだろ」

 

 白蓮は苦笑した。

 

「助かった」

 

「知ってる」

 

「普通もう少し感動する場面じゃないか?」

 

「面倒臭い」

 

「お前なぁ……」

 

 だが。

 

 その軽いやり取りが逆にありがたかった。

 

 肩の力が抜ける。

 

 しばらく沈黙が続く。

 

 そして。

 

 白蓮が口を開いた。

 

「時雨」

 

「あ?」

 

「私は負けた」

 

 静かな声だった。

 

 時雨は何も言わない。

 

「完全に負けた」

 

 白蓮は続ける。

 

「判断を誤った」

 

 戦死者名簿を見る。

 

「沢山死なせた」

 

 声が震える。

 

「助けを求めるべきだった」

 

 時雨は黙って聞いていた。

 

「なのに意地を張った」

 

 白蓮は俯く。

 

「将失格だ」

 

 その顔は苦しそうだった。

 

 北方の英雄。

 

 白馬将軍。

 

 そんな肩書など今は無意味だった。

 

 あるのは敗北だけ。

 

「だから」

 

 白蓮は顔を上げる。

 

「幽州をお前に譲る」

 

 静寂。

 

 空気が止まる。

 

「お前の方が上だ」

 

 白蓮は真っ直ぐ時雨を見る。

 

「私より強い」

 

「……」

 

「私より賢い」

 

「……」

 

「私より人を生かせる」

 

 苦笑する。

 

「だから幽州はお前が治めろ」

 

 本気だった。

 

 冗談ではない。

 

 今の白蓮は本気でそう思っていた。

 

 自分より時雨の方が優れている。

 

 なら任せた方がいい。

 

 民のためにも。

 

 兵のためにも。

 

 そう考えていた。

 

 だが。

 

 次の瞬間だった。

 

 パァン!

 

 乾いた音が響く。

 

 白蓮の顔が横を向いた。

 

「……え?」

 

 何が起きたのか分からない。

 

 時雨に平手打ちされた。

 

 理解したのは数秒後だった。

 

「お、お前……」

 

 白蓮が目を見開く。

 

 時雨は怒っていた。

 

 珍しく。

 

 本気で。

 

「馬鹿かお前」

 

 低い声だった。

 

「は……?」

 

「馬鹿かって聞いてんだよ」

 

 白蓮は呆然とする。

 

 時雨がこんな顔をするのは珍しい。

 

「何で幽州譲る話になる」

 

「だって私は」

 

「負けた?」

 

 時雨が鼻で笑う。

 

「戦なんか負ける時は負ける」

 

「でも」

 

「俺だって負けたことある」

 

 白蓮は言葉を失う。

 

「お前だけじゃねぇ」

 

 時雨は机を叩いた。

 

「一回負けたくらいで全部投げ出すな」

 

「……」

 

「死んだ奴に失礼だろうが」

 

 白蓮は俯く。

 

 反論できなかった。

 

 時雨は続ける。

 

「お前は何だ」

 

「……」

 

「幽州の主だろ」

 

「……ああ」

 

「なら最後まで責任取れ」

 

 その言葉は厳しかった。

 

 だが不思議と胸に響いた。

 

 白蓮は歯を食いしばる。

 

 悔しい。

 

 情けない。

 

 だが。

 

 どこか救われた気もした。

 

「私は……」

 

 声が震える。

 

「私は間違えたんだぞ」

 

「ああ」

 

「兵を死なせた」

 

「ああ」

 

「将失格だ」

 

「そうだな」

 

 即答だった。

 

「おい」

 

「でも」

 

 時雨は肩を竦める。

 

「だから何だ」

 

 白蓮は目を瞬かせる。

 

「失格なら次は失敗するな」

 

「……」

 

「兵死なせたなら次は守れ」

 

「……」

 

「それで終わりだろ」

 

 時雨らしい言葉だった。

 

 綺麗事じゃない。

 

 慰めでもない。

 

 ただ前を見るだけ。

 

 白蓮の目から涙が零れた。

 

「……っ」

 

 気付けば泣いていた。

 

 ずっと我慢していた。

 

 負けた時から。

 

 兵が死んだ時から。

 

 城に籠った時から。

 

 ずっと。

 

「くそ……」

 

 涙を拭う。

 

「格好悪いな私」

 

「今更だろ」

 

「うるさい」

 

 少しだけ笑った。

 

 すると。

 

 時雨が酒瓶を置く。

 

「白馬娘」

 

「何だ」

 

「困ったら頼れ」

 

 白蓮が顔を上げる。

 

 時雨は真っ直ぐ見ていた。

 

「一人で抱え込むな」

 

「……」

 

「俺を使え」

 

 静かな声だった。

 

「黒山を使え」

 

「……」

 

「仲間だろうが」

 

 その瞬間。

 

 白蓮は完全に涙腺が決壊した。

 

「馬鹿野郎……」

 

 涙を流しながら笑う。

 

「そんな格好良いこと言う顔じゃないだろ……」

 

「失礼な」

 

「酒臭いんだよ」

 

「褒めるな」

 

「褒めてない!」

 

 久しぶりに声を出して笑った。

 

 そして思った。

 

 ああ。

 

 まだ終わっていない。

 

 負けた。

 

 失敗した。

 

 だが立ち上がれる。

 

 隣には頼れる仲間がいる。

 

 黒山の狼。

 

 最低で。

 

 外道で。

 

 卑劣で。

 

 それでも。

 

 誰よりも頼もしい男が。

 

 こうして幽州は滅亡を免れた。

 

 そして白馬将軍、公孫瓚は再び立ち上がる。

 

 来たるべき北方の大乱へ向けて。

 

 黒山と幽州。

 

 二つの勢力は以前にも増して強く結び付いていくのだった。




感想、評価、お気に入りよろしくお願い致します!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。