第四十九話 受け継がれる想い
宴会が終わった翌日。
幽州の城は久しぶりに静けさを取り戻していた。
昨夜は大騒ぎだった。
黒山兵たちは酒を飲み。
鈴々は肉の山を築き。
霞はいつの間にか宴会を仕切り。
恋は大量の肉まんを消費し。
白蓮は頭を抱え。
星は酒を飲みながら眺めていた。
そして時雨は途中から寝ていた。
いつものことである。
そんな賑やかな時間も終わり、朝を迎えた城はどこか穏やかだった。
だが、その中で一人だけ浮かない顔をしている人物がいた。
桃香だった。
城壁の上。
朝日が昇り始めた空を見つめながら、彼女は一人で考え込んでいた。
風が吹く。
長い髪が揺れる。
だが、その表情は晴れない。
「難しい顔してるな」
不意に声がした。
振り返る。
そこには酒瓶を片手にした男が立っていた。
「時雨さん」
「朝から悩み事か?」
桃香は少し苦笑した。
「分かる?」
「顔に書いてある」
「そんなに?」
「ああ」
時雨は隣へ腰を下ろした。
しばらく二人で景色を眺める。
幽州の街並み。
復興途中の町。
働く人々。
戦が終わった後の日常だった。
「話してみろ」
時雨が言った。
「少しは楽になる」
桃香は少し迷った。
だが。
やがて口を開く。
「実はね」
「うん」
「徐州のことなんだ」
時雨は黙って聞いた。
桃香は続ける。
「陶謙さんがね」
「ああ」
「徐州を任せたいって」
風が吹いた。
時雨は表情を変えない。
だが。
その意味は理解していた。
徐州。
豊かな土地。
交通の要衝。
多くの民が暮らす大国。
それを任せたい。
つまり。
後継者になってほしいということだ。
「断ったのか?」
「まだ」
桃香は首を横に振る。
「返事できてない」
「なるほど」
時雨は酒を飲む。
桃香は続けた。
「私ね」
拳を握る。
「分からないんだ」
「何が」
「私なんかでいいのかなって」
その声は小さかった。
いつも明るい桃香らしくない。
不安に満ちた声だった。
「徐州には沢山の人がいる」
「うん」
「兵士もいる」
「うん」
「民もいる」
そして。
「私が治めるなんて本当にできるのかな」
桃香は俯いた。
旅をしてきた。
沢山の人と出会った。
仲間も増えた。
だが。
それと国を治めることは違う。
誰かの人生を背負う。
民を守る。
国を導く。
その責任はあまりにも重い。
「愛紗ちゃんは受けるべきだって言う」
「だろうな」
「鈴々ちゃんは楽しそうだからやろうって言う」
「だろうな」
思わず二人とも笑った。
想像できる。
あまりにも。
「でも」
桃香は空を見る。
「怖いんだ」
その言葉は本音だった。
「失敗したら?」
「うん」
「間違えたら?」
「うん」
「誰かを不幸にしたら?」
その声は震えていた。
時雨は何も言わない。
しばらく沈黙が続く。
そして。
「桃香」
「うん」
「お前は王になりたいのか」
突然の問いだった。
桃香は目を瞬く。
「え?」
「王だ」
時雨は真っ直ぐ前を見る。
「国を持ちたいか」
「それは……」
桃香は言葉に詰まる。
考えたことはある。
だが。
「分からない」
正直に答えた。
「そうか」
時雨は頷いた。
そして。
「じゃあ違う質問だ」
「?」
「民を守りたいか」
桃香は即答した。
「守りたい」
「困ってる人を助けたいか」
「助けたい」
「戦を終わらせたいか」
「終わらせたい」
迷いはない。
その答えだけは。
時雨は小さく笑った。
「なら受けろ」
「え?」
桃香が目を見開く。
「でも私」
「王になりたいかどうかはどうでもいい」
時雨は言った。
「大事なのはその先だ」
桃香は黙る。
「王様になりたい奴なんて腐るほどいる」
「……」
「だが民を守りたい奴は少ない」
それが時雨の考えだった。
野心家は多い。
権力を求める者も多い。
だが。
誰かのために立てる者は少ない。
「お前は向いてるよ」
「そんなこと」
「ある」
時雨は即答した。
「少なくとも俺よりは」
「それはそうかも」
「おい」
桃香が笑う。
久しぶりに自然な笑顔だった。
「でもね」
少し考える。
「本当にできるかな」
「知らん」
「えぇ……」
「やってみなきゃ分からんだろ」
時雨らしい答えだった。
「失敗したら?」
「その時考えろ」
「無責任だよ」
「人生なんてそんなもんだ」
時雨は肩を竦める。
「誰だって最初から上手くできるわけじゃない」
それは本心だった。
白蓮だって失敗した。
袁紹も失敗した。
自分だって失敗している。
だから。
「失敗するなとは言わん」
時雨は言う。
「失敗したら立ち上がれ」
桃香は静かに聞いていた。
「それだけだ」
風が吹く。
朝日が昇る。
少しずつ世界が明るくなる。
「時雨さん」
「何だ」
「ありがとう」
桃香は笑った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
迷いが晴れた気がした。
まだ答えは出ていない。
だが。
前よりは進めそうだった。
その頃。
城の下では愛紗と鈴々が桃香を探していた。
「姉者ー!」
「お姉ちゃんー!」
元気な声が響く。
桃香は苦笑する。
「行かなきゃ」
「だな」
「時雨さん」
「ん?」
「もう少し考えてみる」
「ああ」
「ちゃんと自分で決める」
その言葉に時雨は頷いた。
誰かに決めてもらうことではない。
桃香自身が決めるべきことだ。
そして。
その答えがどちらであっても。
きっと彼女は前に進むのだろう。
時雨はそんな気がしていた。
城壁の上。
朝日に照らされながら。
未来の王かもしれない少女は静かに歩き出した。
徐州の行く末。
そして自らの運命を決めるために。
感想、評価、お気に入りよろしくお願い致します!