第五十三話 黒山から届く贈り物
冀州、鄴。
かつて北方最大の勢力を誇った袁紹軍の本拠地は、今も変わらず巨大な城壁に守られ、多くの兵士が巡回していた。
本来ならば盤石であるはずだった。
本来ならば。
しかし今の鄴には、目に見えない不安が漂っていた。
原因はたった一人。
張燕。
黒山賊の頭領。
幽州戦以来、その存在は袁紹の心に深く食い込んでいた。
そして何より厄介なのは、張燕自身が何か大規模な軍事行動を起こしているわけではないことだった。
黒山軍は動いていない。
幽州も平穏だ。
公孫瓚も復興に忙しい。
それなのに。
袁紹だけが追い詰められていた。
理由は単純だった。
贈り物である。
定期的に届く木箱。
それが全ての原因だった。
最初の木箱が届いたのは、同盟使者の一件から数日後だった。
城門前に荷車が現れる。
差出人はない。
だが誰の仕業かはすぐ分かった。
「ま、またですの……?」
報告を受けた袁紹は顔を青くした。
家臣たちも嫌そうな顔をしている。
兵士たちも近付きたがらない。
誰もが嫌な予感しかしなかった。
そして木箱が開かれる。
中に入っていたのは――
人形だった。
袁紹を模した人形。
見事な出来栄えである。
縦ロール。
豪華な衣装。
高飛車そうな顔。
誰がどう見ても袁紹だった。
だが問題はそこではない。
人形はバラバラだった。
頭。
胴体。
腕。
足。
綺麗に分解され、それぞれ丁寧に並べられている。
そして一枚の紙。
『組み立て方を間違えるな』
『頭は上だ』
張燕。
その名前だけが書かれていた。
「な、な、な……」
袁紹は震えた。
「何なんですのこれぇ!?」
絶叫が城内に響いた。
家臣たちも反応に困る。
脅迫なのか。
嫌がらせなのか。
冗談なのか。
全く分からない。
それが余計に恐ろしかった。
さらに数日後。
また木箱が届く。
今度は何だと全員が警戒した。
中を開く。
そこには大量の蜂蜜が入っていた。
「蜂蜜……?」
家臣たちが首を傾げる。
紙が入っている。
『違う奴と間違えた』
『返せ』
張燕。
「意味が分かりませんわ!」
袁紹が叫ぶ。
誰にも分からない。
どうやら別の誰かへ送る予定だったらしい。
だがそれも本当かどうか分からない。
それからも木箱は届いた。
ある時は大量の石。
『綺麗だったから送る』
ある時は木の枝。
『城の飾りに使え』
ある時は干からびた魚。
『美味そうだった』
どれも意味不明だった。
だが。
だからこそ怖かった。
普通の脅迫なら分かる。
怒りも向けられる。
対策も立てられる。
しかし張燕の場合は違う。
本気なのか冗談なのか。
敵意なのか暇潰しなのか。
全く分からない。
そしてある夜。
袁紹は一人で書状を眺めていた。
最近届いた手紙である。
木箱の中に入っていたものだ。
内容は短い。
『暇だ』
それだけ。
別の日。
『今日は雨だった』
さらに別の日。
『昼寝した』
また別の日。
『酒が不味かった』
袁紹は机に突っ伏した。
「何故わたくしに送りますの……」
本気で意味が分からなかった。
まるで日記である。
しかも一方通行。
返事を書く相手ではない。
そもそも返事を書く気もない。
だが向こうは気にしない。
勝手に送り続ける。
完全な嫌がらせだった。
一方その頃。
幽州。
黒山軍の駐屯地。
時雨は酒を飲みながら笑っていた。
「また送ったのか」
星が呆れた顔で聞く。
「ああ」
「今度は何だ」
「木彫りの熊」
「何故だ」
「出来が良かった」
星は頭を押さえた。
霞も苦笑している。
「お前なぁ……」
「何だよ」
「それで何がしたいんや」
時雨は少し考える。
「別に」
「別に?」
「暇潰し」
あっさり言った。
全員が黙る。
予想通りの答えだった。
幽州戦は終わった。
黒山も平和だ。
大きな戦もない。
だから暇なのだ。
「白蓮にやれ」
星が言う。
「怒られる」
「当然だ」
霞が笑う。
「せやけど、ほんまに嫌な性格しとるなぁ」
「今更か?」
「今更やな」
全員が納得した。
それから数日後。
鄴。
また木箱が届いた。
袁紹は半泣きだった。
「今度は何ですの……」
兵士たちも嫌そうな顔をしている。
開ける。
中には紙だけが入っていた。
たった一枚。
袁紹は恐る恐る読む。
『最近届いた蜂蜜は美味かったか』
『あれは本当に間違えた』
『返せ』
張燕。
「だから意味が分かりませんわぁぁぁっ!!」
絶叫が響く。
家臣たちは顔を伏せた。
最近の袁紹は以前にも増して苦労人に見える。
戦ではない。
外交でもない。
ただ一人の男の悪ふざけによって消耗しているのだ。
そしてその夜。
袁紹は天井を見上げながら呟いた。
「もう嫌ですわ……」
冀州の名門諸侯。
四世三公の袁家当主。
その心を最も追い詰めている存在は、曹操でも孫堅でも公孫瓚でもない。
黒山に住む一人の賊だった。
その頃、当の本人は黒山で昼寝をしていた。
恐怖を振り撒いている自覚すらなく。
ただ暇潰しの続きを考えながら。
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