【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第五十四話 贈り物の正体

第五十四話 贈り物の正体

 

 

 冀州・鄴。

 

 冬を越えたばかりの空気はまだ冷たく、城壁の石は朝露を帯びて重々しく濡れていた。

 

 本来であれば、名門袁家の本拠として威厳に満ちた光景であるはずだった。

 

 しかし最近の鄴には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。

 

 原因は明白だった。

 

 張燕。

 

 黒山の賊将。

 

 その名は今や北方の戦場だけでなく、冀州の中枢にまで影を落としていた。

 

 そしてその影は、今日もまた届いていた。

 

「また……木箱ですの?」

 

 袁紹の声は、以前よりも明らかに弱々しくなっていた。

 

 執務室に運び込まれた巨大な荷車。

 

 そこにはいつものように無造作に積まれた木箱がある。

 

 だが今回は、明らかに違った。

 

 大きい。

 

 異様に。

 

 そして重い。

 

「……開けますわよ」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 家臣たちは誰も前に出ようとしない。

 

 もはや恒例行事だった。

 

 誰もが理解していた。

 

 この木箱の中身は、常識では説明できない。

 

 それでも開けるしかない。

 

 逃げることはできない。

 

 兵士がゆっくりと蓋を外す。

 

 ギギ……と嫌な音が響く。

 

 そして――

 

「っ……!」

 

 全員が息を呑んだ。

 

 中にいたのは。

 

 人間だった。

 

 いや。

 

 正確には“人間の形をした何か”だった。

 

 赤髪。

 

 赤い瞳。

 

 異常なまでの存在感。

 

 威圧。

 

 

 

 そして何より――

 

「呂布……?」

 

 誰かが呟いた。

 

 そう。

 

 天下最強と噂される武人。

 

 呂布だった。

 

 だがその姿は、信じがたい状態だった。

 

 巨大な木箱の中で、なぜか正座のような姿勢で座らされている。

 

 両手は縛られていない。

 

 だが動こうとしない。

 

 いや。

 

 動く必要がないかのように、ただそこにいる。

 

 そしてその隣に。

 

 一枚の紙。

 

 袁紹が震える手でそれを取る。

 

 そこにはこう書かれていた。

 

『新しい贈り物だ』

 

『腹が減っているらしいから飯をやれ』

 

『危害を加えたら俺が行く』

 

 張燕。

 

 たったそれだけ。

 

 袁紹は紙を握り潰した。

 

「ふざけてますの……?」

 

 声が震えている。

 

 家臣の一人が恐る恐る口を開く。

 

「し、しかし袁紹様……」

 

「何ですの!」

 

「この者……呂布では……」

 

 その通りだった。

 

 呂布。

 

 それはただの兵ではない。

 

 戦場そのものを変える存在だ。

 

 そんな人物が、木箱に入っている。

 

 意味が分からない。

 

 意味が分かってはいけない。

 

 その場の空気が完全に止まる。

 

 そして次の瞬間。

 

「腹減った」

 

 呂布が言った。

 

 あまりにも普通の声だった。

 

 全員が固まる。

 

「え?」

 

 袁紹が聞き返す。

 

「腹減った」

 

 もう一度言った。

 

 明確だった。

 

 理解できる。

 

 だが理解したくない。

 

「食べ物を……」

 

 家臣が慌てて用意させる。

 

 すると呂布は普通に食べ始めた。

 

 木箱の中で。

 

 その光景は異様だった。

 

 冀州の中枢で。

 

 天下最強と呼ばれる武人が。

 

 ただ飯を食っている。

 

 袁紹はその場に立ち尽くしていた。

 

「これが……」

 

 呟く。

 

「これが張燕の贈り物……?」

 

 理解できない。

 

 戦略でもない。

 

 威圧でもない。

 

 ただの嫌がらせ。

 

 いや。

 

 もっと悪質だった。

 

 “扱いに困る存在を送りつける”。

 

 それだけだった。

 

 その夜。

 

 鄴の城内は騒然としていた。

 

 呂布は普通に滞在している。

 

 追い出せない。

 

 傷つけることもできない。

 

 なぜなら紙には書いてあった。

 

『危害を加えたら俺が行く』

 

 それが意味するところは明白だった。

 

 張燕が来る。

 

 それだけは避けたい。

 

 そしてもう一つ問題があった。

 

「報告です!」

 

 兵士が駆け込んでくる。

 

「城内に不審者が!」

 

「何ですの!」

 

「商人を名乗っていますが……」

 

 袁紹は眉をひそめる。

 

 連れてこられた男は普通の商人に見えた。

 

 だが目が違う。

 

 訓練された目だった。

 

「何者ですの?」

 

「ただの行商です」

 

 男は頭を下げる。

 

 しかし。

 

 その日からだった。

 

 鄴の中で小さな変化が起こり始める。

 

 兵糧の流れ。

 

 城内の会話。

 

 軍の動き。

 

 なぜか外部に漏れている。

 

 誰かがいる。

 

 内部に。

 

 そしてそれは一人ではなかった。

 

 数日後。

 

 家臣が報告する。

 

「最近……城内で見かけない者が増えています」

 

「増えています?」

 

「はい」

 

 それは始まりだった。

 

 黒山の影。

 

 張燕の“暇潰し”。

 

 それは単なる嫌がらせではなくなっていた。

 

 冀州・鄴の内部に。

 

 少しずつ。

 

 静かに。

 

 人が入り込んでいた。

 

 目的は不明。

 

 命令も不明。

 

 ただ一つ確かなのは。

 

 張燕が関与しているということだけだった。

 

 その頃、黒山。

 

 時雨は酒を飲みながら言った。

 

「そろそろ混ざってきたな」

 

 星が呆れる。

 

「本気で何がしたいんだ」

 

「暇潰し」

 

「またそれか」

 

 霞が笑う。

 

「ほんまに悪趣味やな」

 

「褒め言葉として受け取る」

 

 時雨は笑う。

 

 帰ってきた呂布は横で肉を食べていた。

 

 特に気にしていない。

 

 星は溜息をつく。

 

「冀州はそのうち崩れるぞ」

 

「崩れねぇよ」

 

「なぜだ」

 

「まだ遊び足りない」

 

 その言葉に全員が黙った。

 

 冀州では今もなお混乱が続いている。

 

 袁紹は頭を抱えている。

 

 呂布は飯を食っている。

 

 そして見えない場所では黒山の影が広がっていた。

 

 戦ではない。

 

 侵略でもない。

 

 ただの“遊び”。

 

 それが最も恐ろしいことだと、まだ誰も気付いていなかった。




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