【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第六十話 届くはずのない手紙

第六十話 届くはずのない手紙

 

 

 青州。

 

 袁紹は今日も執務室にいた。

 

 机の上には山のような書類が積まれている。

 

 青州へ移ってからというもの、仕事は増えた。

 

 冀州ほど豊かではない。

 

 地盤も盤石ではない。

 

 新たな統治体制を築かなければならない。

 

 本来ならば忙しさに追われているはずだった。

 

 だが。

 

「……」

 

 袁紹は窓の外を見ていた。

 

 昼過ぎ。

 

 ちょうど使者や商人が城へやって来る時間帯。

 

 何となく外を見る。

 

 そして数秒後、自分で自分の行動に気付いた。

 

「何をやっていますの……」

 

 額を押さえる。

 

 嫌な予感がした。

 

 非常に嫌な予感だった。

 

 数日前までは違った。

 

 張燕から送られてくる意味不明な恋文。

 

 あれを見るたびに頭痛がしていた。

 

 燃やしたこともある。

 

 破り捨てたこともある。

 

 呪いの手紙だと思っていた。

 

 だが。

 

 ここ数日。

 

 手紙が届いていない。

 

 一通も。

 

「別に気にしていませんわ」

 

 誰もいない部屋で言う。

 

「気にしていませんわよ?」

 

 もう一度言う。

 

 当然だ。

 

 あんなものが来ない方が平和に決まっている。

 

 それなのに。

 

 なぜか落ち着かなかった。

 

 その日の夕方。

 

 家臣が報告に来た。

 

「本日の書状です」

 

「そこに置いておきなさい」

 

 袁紹は平静を装う。

 

 家臣が去る。

 

 書状を確認する。

 

 商人から。

 

 役人から。

 

 各地の報告。

 

 そして。

 

 終わり。

 

「……」

 

 ない。

 

 いつもの手紙がない。

 

「別に構いませんわ」

 

 そう呟く。

 

 だが何となく書類をもう一度確認した。

 

 やはりない。

 

 その夜。

 

 袁紹は寝付けなかった。

 

 理由は分からない。

 

 いや。

 

 分かっていた。

 

 認めたくないだけだった。

 

 翌日。

 

 朝から落ち着かない。

 

 昼になる。

 

 使者が来る。

 

 書状が届く。

 

 確認する。

 

 ない。

 

「……」

 

 三日目。

 

 ない。

 

 四日目。

 

 ない。

 

 五日目。

 

 ない。

 

「何なんですの!」

 

 ついに袁紹は机を叩いた。

 

 執務室にいた家臣たちがびくりと震える。

 

「どうなさったのですか?」

 

「何でもありませんわ!」

 

 即答だった。

 

 だが家臣たちは気付いていた。

 

 最近の袁紹の様子がおかしい。

 

 昼頃になると妙に窓の外を見る。

 

 使者が来ると反応する。

 

 書状が届くと真っ先に確認する。

 

 そして落胆している。

 

 何を待っているのかは分からない。

 

 だが。

 

 一人だけ察している家臣がいた。

 

「まさか……」

 

 その家臣は呟く。

 

「いや、そんなはずは……」

 

 そして一週間後。

 

 ついに手紙が届いた。

 

 見慣れた紙。

 

 見慣れた封。

 

 そして。

 

 差出人のない書状。

 

 袁紹は一瞬で分かった。

 

「……」

 

 無言で開封する。

 

 内容は短い。

 

『忙しかった』

 

 それだけだった。

 

 たった四文字。

 

 だが。

 

「……」

 

 袁紹は数秒固まる。

 

 そして。

 

 なぜか安心している自分に気付いた。

 

「何ですのこれ」

 

 本気で意味が分からない。

 

 だが妙に腹が立った。

 

 八日も待たせておいて。

 

 内容はたった四文字。

 

 ふざけている。

 

 完全にふざけている。

 

 さらに翌日。

 

 また届く。

 

『今日は暇だった』

 

『青州はどうだ』

 

 さらに翌日。

 

『最近酒が美味い』

 

『お前も飲め』

 

 そして翌々日。

 

『そういえば返事がないな』

 

『照れているのか』

 

「違いますわ!」

 

 袁紹は思わず叫んだ。

 

 執務室の外にいた兵士が驚いて振り返る。

 

 本人も恥ずかしくなった。

 

 一方その頃。

 

 鄴。

 

 時雨は楽しそうに笑っていた。

 

「釣れたな」

 

 星が呆れた顔をする。

 

「お前、本当に最低だな」

 

「褒め言葉か?」

 

「違う」

 

 時雨は酒を飲む。

 

 机の上には数枚の書状。

 

 送る予定の手紙だった。

 

「最初は嫌がらせだったんだがな」

 

「今は?」

 

「観察だ」

 

 星は眉をひそめる。

 

 時雨は続ける。

 

「人間って面白い」

 

「ほう」

 

「毎日あるものが突然なくなると気になる」

 

 星は察した。

 

「だから止めたのか」

 

「ああ」

 

 わざとだった。

 

 意図的だった。

 

 毎日のように送る。

 

 そして突然止める。

 

 すると相手は気になり始める。

 

 理屈ではない。

 

 人間の心理だった。

 

「悪趣味だな」

 

「知ってる」

 

 霞が横で笑っていた。

 

「ほんまに外道やなぁ」

 

「今更だろ」

 

「それもそうや」

 

 三人は笑う。

 

 そして。

 

 青州。

 

 袁紹はまた新しい手紙を読んでいた。

 

『今日は雨だ』

 

『暇だ』

 

『昼寝した』

 

『お前は何してた』

 

「何故報告してきますの……」

 

 呆れる。

 

 本当に呆れる。

 

 だが。

 

 捨てられない。

 

 燃やせない。

 

 いつの間にか机の引き出しに保管していた。

 

 気付けば数十通。

 

 意味不明な文章ばかり。

 

 恋文なのか日記なのかも分からない。

 

 それでも。

 

 届かないと気になる。

 

 届くと腹が立つ。

 

 読まないと落ち着かない。

 

 読めばもっと腹が立つ。

 

 最悪だった。

 

 ある夜。

 

 袁紹は引き出しを開ける。

 

 手紙の束を見る。

 

「わたくしは何をしているのでしょう……」

 

 呟く。

 

 分からない。

 

 本当に分からない。

 

 だが。

 

 ほんの少しだけ。

 

 以前ほど張燕の名前を聞いて恐怖することはなくなっていた。

 

 腹立たしい。

 

 鬱陶しい。

 

 意味不明。

 

 だが。

 

 恐怖だけではなくなっていた。

 

 それがさらに腹立たしかった。

 

 同じ頃。

 

 時雨は夜空を見上げていた。

 

「順調だな」

 

 酒を飲む。

 

 星が隣でため息を吐く。

 

「何がだ」

 

「袁紹が少し元気になってる」

 

「それが目的か?」

 

「半分な」

 

 時雨は笑う。

 

 潰すだけなら簡単だ。

 

 だが。

 

 袁紹には価値がある。

 

 名門の看板。

 

 人を集める才能。

 

 そして優秀な家臣たち。

 

 完全に壊してしまうのは惜しかった。

 

 だからこそ。

 

 絶妙に追い詰め。

 

 絶妙に緩める。

 

 飴と鞭。

 

 恐怖と安心。

 

 その間を行き来させる。

 

 黒山の狼は獲物を仕留める前に、じっくり観察する癖があった。

 

 そして今。

 

 袁紹は本人も気付かぬうちに、その掌の上で転がされ始めていたのである。




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