【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第六十一話 初めての返事

第六十一話 初めての返事

 

 

 青州の夜は静かだった。

 

 窓の外では虫の声が聞こえる。

 

 城内の明かりも少なくなり、多くの者が眠りについている時間だった。

 

 だが。

 

 袁紹だけは眠れなかった。

 

「……」

 

 机の上には一通の手紙が置かれている。

 

 何度も読んだ。

 

 今日届いた張燕からの手紙だった。

 

『今日は暇だった』

 

『青州の飯は美味いか』

 

『こっちは酒が美味い』

 

『あと返事を書け』

 

 最後の一文が余計だった。

 

 非常に余計だった。

 

「何故わたくしが……」

 

 袁紹は額を押さえる。

 

 最初は嫌がらせだった。

 

 木箱。

 

 脅迫。

 

 意味不明な贈り物。

 

 恋文。

 

 どれも鬱陶しかった。

 

 だが気付けば半年近く続いている。

 

 しかも最近では妙なことに、その手紙が届かないと落ち着かなくなっていた。

 

「あり得ませんわ……」

 

 そう呟く。

 

 だが机の上には紙が置かれている。

 

 筆もある。

 

 墨もある。

 

 そして。

 

 気付けば手が動いていた。

 

『返事を書く義理はありませんわ』

 

 そこまで書いて止まる。

 

「……」

 

 見つめる。

 

 数秒。

 

 数十秒。

 

 そして紙を丸めて捨てた。

 

「違いますわね」

 

 何が違うのか自分でも分からない。

 

 もう一枚。

 

 新しい紙を出す。

 

 再び筆を取る。

 

『いつも意味の分からない手紙を送るのはやめなさい』

 

 書く。

 

 そして少し考える。

 

 さらに続ける。

 

『青州のご飯は普通ですわ』

 

 そこで止まった。

 

 袁紹は固まる。

 

「何を書いていますのわたくし!?」

 

 慌てて立ち上がる。

 

 顔が赤い。

 

 完全に相手の質問に答えている。

 

 まるで会話だ。

 

 認めたくなかった。

 

 だが。

 

 紙を捨てることはできなかった。

 

 結局。

 

 一時間後。

 

 一通の手紙が完成した。

 

 内容は短い。

 

 素っ気ない。

 

 だが。

 

 間違いなく返事だった。

 

 翌朝。

 

 袁紹は家臣を呼んだ。

 

「これを届けなさい」

 

 家臣は手紙を見る。

 

 そして固まった。

 

「袁紹様……」

 

「何ですの」

 

「これ……」

 

「何ですの」

 

「返事ですよね?」

 

「違いますわ!」

 

 即答だった。

 

 だが家臣の目は完全に疑っていた。

 

 その日の昼。

 

 鄴。

 

 時雨は昼寝をしていた。

 

 暖かい陽気だった。

 

 酒も飲んだ。

 

 昼寝には最高である。

 

 そこへ黒山出身の男が駆け込んでくる。

 

「頭領!」

 

「あ?」

 

「届きました!」

 

「何がだ」

 

「返事です!」

 

 時雨は起き上がった。

 

 数秒。

 

 完全に目が覚める。

 

「返事?」

 

「はい!」

 

「誰から」

 

「袁紹です」

 

 沈黙。

 

 そして。

 

「ぶはっ!」

 

 盛大に吹き出した。

 

「本当に来たのか!?」

 

「来ました!」

 

 時雨は大笑いした。

 

 近くにいた霞も何事かと寄ってくる。

 

「何や何や」

 

「返事だ」

 

「返事?」

 

「袁紹から」

 

 霞も固まった。

 

「は?」

 

 星までやって来る。

 

 そして事情を聞いて呆然とした。

 

「返したのか……」

 

「返したらしい」

 

 時雨は楽しそうだった。

 

 早速封を開く。

 

 中を読む。

 

 そしてさらに笑う。

 

「面白ぇ」

 

「何て書いてある」

 

 星が聞く。

 

 時雨は読み上げる。

 

『いつも意味の分からない手紙を送るのはやめなさい』

 

『青州の飯は普通ですわ』

 

『あと仕事をしなさい』

 

 短い。

 

 だが十分だった。

 

 会話になっている。

 

 完全に。

 

「返事しとるやんけ」

 

 霞が笑う。

 

「そうだな」

 

 時雨も笑う。

 

 星だけが頭を抱えた。

 

「お前らな……」

 

 だが。

 

 時雨の目は少し変わっていた。

 

 遊び半分ではない。

 

 何かを考えている目だった。

 

「どうした」

 

 星が気付く。

 

 時雨は手紙を眺めながら言った。

 

「思った以上だ」

 

「何が」

 

「袁紹はまだ使える」

 

 その言葉に空気が変わった。

 

 霞も笑うのを止める。

 

 時雨は続けた。

 

「普通なら無視する」

 

「だろうな」

 

「だが返した」

 

 それはつまり。

 

 まだ心が死んでいないということだった。

 

 完全に折れた人間なら返事など書かない。

 

 怒る気力すらない。

 

 だが袁紹は違う。

 

 文句を言う。

 

 反応する。

 

 返事を書く。

 

 つまり生きている。

 

「なるほど」

 

 星も理解した。

 

 時雨は最初から袁紹を殺す気などなかった。

 

 欲しいのは人材だった。

 

 袁紹の配下。

 

 袁家の人脈。

 

 財力。

 

 そして何より。

 

 袁紹自身。

 

 あの女は人を集める。

 

 自覚はないが天性の才能を持っている。

 

「面白くなってきた」

 

 時雨は笑った。

 

 その夜。

 

 返事が書かれる。

 

 今度は時雨から。

 

『返事ありがとう』

 

『嬉しかった』

 

『青州の飯は普通なのか』

 

『今度食いに行く』

 

 相変わらずだった。

 

 そして最後に一文。

 

『仕事はしている』

 

『多分』

 

 翌日。

 

 青州。

 

 袁紹はその手紙を読んでいた。

 

「来るな!」

 

 思わず叫ぶ。

 

 家臣たちが振り向く。

 

 だが。

 

 その叫びとは裏腹に。

 

 袁紹の口元は少しだけ緩んでいた。

 

 本人は気付いていない。

 

 気付きたくもない。

 

 だが確実に変わり始めていた。

 

 一方。

 

 鄴の城壁の上。

 

 時雨は遠く南を眺めていた。

 

 青州の方角。

 

「始まったな」

 

 ぽつりと呟く。

 

 星が隣に立つ。

 

「何がだ」

 

「策だ」

 

「恋文がか」

 

「違う」

 

 時雨は笑う。

 

 恋文は入口に過ぎない。

 

 ここから先が本番だった。

 

 袁紹という人間。

 

 袁家という名門。

 

 その全てを手に入れるための。

 

 黒山の狼らしい。

 

 遠回りで。

 

 悪趣味で。

 

 そして誰にも予想できない策が。

 

 静かに動き始めていた。




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