第六十三話 すれ違う同盟者
青州の朝は早かった。
城門が開く頃には既に人々が動き始めている。
商人は荷車を引き、農民は畑へ向かう。
兵士たちは朝の訓練を行い、役人たちは書類を抱えて走り回る。
以前より活気は戻っていた。
少なくとも袁紹自身はそう感じていた。
青州へ移ってからの日々は決して順風満帆ではない。
冀州を失った傷は大きい。
しかし時間は確実に流れていた。
失ったものばかり数えていても仕方がない。
そう考えられる程度には立ち直っていた。
そして。
その変化をもたらした原因については深く考えないことにしていた。
考えたくなかったとも言う。
「冀州ですのね……」
袁紹は地図を眺める。
そこにはかつて自分が治めていた土地が広がっていた。
今は公孫瓚の領土である。
だが敵ではない。
少なくとも今は。
形式上ではあるが同盟関係にあった。
もっとも。
その同盟の裏側には一人の男がいる。
張燕。
時雨。
黒山の狼。
袁紹が最も関わりたくない男だった。
「……」
机の引き出しを開く。
そこには大量の手紙が入っている。
意味不明な手紙。
腹立たしい手紙。
読めば頭痛がする手紙。
だが捨てられない手紙。
最近届いたものにはこう書いてあった。
『暇なら冀州に来い』
『飯くらいは出してやる』
『多分』
最後の一言が余計だった。
いつものことだった。
「誰が行きますの」
そう呟いた。
その三日後。
袁紹は冀州へ向かっていた。
「何故ですの……」
本人にも分からなかった。
理由は一応ある。
同盟者としての挨拶。
関係確認。
商談。
交易。
外交。
立派な理由だ。
決して。
決して手紙のせいではない。
そういうことにしていた。
数日後。
鄴。
冀州最大の都市。
北方最大級の繁栄を誇る巨大都市。
袁紹は城壁を見上げていた。
「……」
懐かしかった。
かつて自分がいた場所。
見慣れた城。
見慣れた街。
だが。
人々の顔は違う。
以前より活気がある。
商人が多い。
市場も賑わっている。
どこか明るい。
それが少し悔しかった。
「よう」
声がした。
振り向く。
そこには赤い髪の女。
公孫瓚だった。
「久しぶりだな」
「……そうですわね」
袁紹は少しだけ微笑んだ。
昔なら絶対に見せなかった表情だった。
公孫瓚もそれに気付く。
「何か変わったな」
「何がですの」
「少し丸くなった」
「失礼ですわ!」
即座に反論する。
その反応を見て公孫瓚は笑った。
昔の袁紹なら怒鳴っていた。
今は違う。
人間らしい。
その後。
二人は城へ入った。
同盟者同士の会談。
と言っても堅苦しいものではない。
最近の情勢。
交易。
北方の安定。
そんな話が中心だった。
意外なほど穏やかだった。
「青州はどうだ?」
「忙しいですわ」
「だろうな」
「冀州ほどではありませんけれど」
「ははは」
公孫瓚は笑った。
以前なら嫌味になっていた言葉も今は不思議と棘がない。
そんな会話を続けながら。
袁紹はふと気付く。
「そういえば」
「ん?」
「張燕は?」
その瞬間。
公孫瓚が吹き出した。
「ぶっ!」
「何ですの!?」
「いや」
肩を震わせる。
「お前が自分から聞くとは思わなくて」
「別に会いたいわけではありませんわ!」
「そうかそうか」
全く信じていない顔だった。
「で?」
袁紹が聞く。
公孫瓚は苦笑した。
「いない」
「いない?」
「あいつ今いないんだよ」
「……は?」
袁紹は固まった。
「黒山の連中連れて出掛けてる」
「どこへ」
「知らん」
「知らない?」
「いつものことだ」
公孫瓚は慣れた様子で言った。
時雨は自由人だった。
突然消える。
突然戻る。
誰も気にしない。
どうせ何かしている。
そんな扱いだった。
「そうですの……」
袁紹は何となく肩の力が抜けた。
安心したような。
残念なような。
自分でもよく分からない感覚だった。
その頃。
張燕本人は。
冀州から少し離れた街道にいた。
「頭領」
「あ?」
「本当に会わなくていいんですか」
黒山の男が聞く。
時雨は馬の上で笑った。
「別に」
「袁紹来てるんでしょう」
「知ってる」
「なら」
「だからだ」
意味深な言葉だった。
星も隣で呆れている。
「相変わらず性格が悪いな」
「知ってる」
即答だった。
実際。
時雨は袁紹が来ることを知っていた。
事前に情報は入っている。
会おうと思えば会えた。
だが会わなかった。
わざとだった。
「会いたい時に会えねぇ方が気になるだろ」
時雨は笑う。
「お前なぁ……」
星はため息を吐く。
本当に悪趣味だった。
一方。
鄴では。
袁紹が夕暮れの街を歩いていた。
懐かしい景色。
変わった景色。
そして。
どこかで張燕に会うのではないかと少しだけ思っていた自分。
そのことに気付いて袁紹は頭を抱えた。
「何を考えていますの……」
本当に意味が分からない。
だが。
城壁を見上げても。
市場を歩いても。
酒場の前を通っても。
張燕はいない。
結局。
そのまま一日が終わった。
夜。
客室で休む袁紹のもとへ一通の手紙が届く。
差出人はない。
だが分かる。
封を開く。
中には短い文章。
『冀州へようこそ』
『楽しんでいけ』
『俺はいない』
袁紹は数秒固まった。
そして。
「会う気がありませんわね!?」
思わず叫んだ。
遠く離れた街道で。
時雨は酒を飲みながら笑っていた。
狼は獲物を追わない。
向こうから近付いてくるのを待つ。
そして。
もう少しだけ焦らす。
それが張燕という男だった。
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