【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第六十六話 追い詰められる名門

第六十六話 追い詰められる名門

 

 

 青州全土に緊張が走っていた。

 

 黒山軍の侵攻。

 

 それは大軍同士が正面からぶつかり合う戦ではなかった。

 

 城を包囲するわけでもない。

 

 大都市を焼き払うわけでもない。

 

 だが確実に青州を蝕んでいた。

 

 街道は寸断される。

 

 補給は遅れる。

 

 各地の伝令は行方不明になる。

 

 気付けば誰もが「次はどこが狙われるのか」と怯えるようになっていた。

 

 そして何より厄介なのは。

 

 敵の姿が見えないことだった。

 

 袁紹は執務室で報告書を睨みつけていた。

 

「またですの……」

 

 机の上には大量の報告書が積まれている。

 

 北部街道襲撃。

 

 補給庫襲撃。

 

 伝令部隊消失。

 

 どれも似た内容だった。

 

 そして共通していることがある。

 

 黒山軍は必要以上の殺しを行わない。

 

 民を襲わない。

 

 村を焼かない。

 

 奪うのは軍事物資ばかりだった。

 

「まるで……」

 

 袁紹は呟く。

 

「戦の練習でもしているようですわね……」

 

 実際には違う。

 

 張燕は遊んでいるわけではなかった。

 

 獲物を弱らせているのだ。

 

 狼が鹿を追い回すように。

 

 一気に噛み殺さない。

 

 逃げ道を残す。

 

 疲れさせる。

 

 恐怖を植え付ける。

 

 そして最後に仕留める。

 

 黒山軍本陣。

 

 時雨は地図を眺めていた。

 

 隣には星。

 

 少し離れた場所には霞と恋もいる。

 

「順調やな」

 

 霞が笑う。

 

 時雨は頷いた。

 

「予想以上だ」

 

 青州軍は正面決戦を望んでいる。

 

 だが黒山軍は応じない。

 

 現れたと思えば消える。

 

 襲ったと思えば撤退する。

 

 賊時代から変わらない戦い方だった。

 

「白蓮が知ったら怒るぞ」

 

 星が言う。

 

「だろうな」

 

「絶対怒る」

 

「知ってる」

 

 時雨は酒を飲む。

 

 しかし手は止まらない。

 

 地図の上には無数の印がついている。

 

 商人。

 

 街道。

 

 倉庫。

 

 役人。

 

 青州のあらゆる情報が集められていた。

 

 そこへ伝令がやってくる。

 

「頭領」

 

「あ?」

 

「青州軍が出陣しました」

 

「どこだ」

 

「北東部です」

 

 時雨は笑った。

 

「遅い」

 

 既に補給路は切られている。

 

 兵を動かせば動かすほど苦しくなる。

 

 しかも青州軍には大きな問題があった。

 

 人材不足。

 

 冀州を失った時に多くを失っている。

 

 今の袁紹軍は決して弱くない。

 

 だが余裕もない。

 

 その弱点を時雨は正確に突いていた。

 

 一方。

 

 袁紹は軍議を開いていた。

 

 家臣たちの顔には疲労が見える。

 

 無理もない。

 

 敵が見えないのだ。

 

「正面から戦わせなさい!」

 

 武将の一人が叫ぶ。

 

「できれば苦労しませんわ!」

 

 袁紹も苛立っていた。

 

 出撃しても敵がいない。

 

 追えば逃げる。

 

 戻れば現れる。

 

 まるで翻弄されている。

 

「張燕……」

 

 その名を口にする。

 

 そして思い出す。

 

 冀州最後の夜。

 

 月明かりの下で語った言葉。

 

『お前が潰れるのはつまらん』

 

 あの男は確かにそう言った。

 

 だが今やっていることは何だ。

 

 青州侵攻。

 

 補給遮断。

 

 嫌がらせの連続。

 

「矛盾していますわね……」

 

 思わず呟く。

 

 だが。

 

 本当に矛盾しているのだろうか。

 

 ふとそんな考えが浮かぶ。

 

 もし本気で潰すつもりなら。

 

 もっと過激な手段はいくらでもある。

 

 あの男ならできる。

 

 だがやっていない。

 

 城も焼かない。

 

 民も守っている。

 

 狙われているのは自分だけ。

 

 そんな気さえしていた。

 

 数日後。

 

 再び手紙が届く。

 

 袁紹は無言で封を切る。

 

『元気か』

 

「元気なわけありませんわ!」

 

 思わず叫ぶ。

 

 続きを読む。

 

『最近忙しい』

 

『お前も忙しそうだな』

 

『頑張れ』

 

 袁紹は机に額をぶつけた。

 

「誰のせいですの!」

 

 家臣たちは心配そうに見ている。

 

 最近の主君は手紙を見るたび叫ぶ。

 

 だが以前より元気だった。

 

 それもまた事実だった。

 

 夜。

 

 青州の城壁。

 

 袁紹は一人で夜空を見上げていた。

 

 月が綺麗だった。

 

 冀州で見た月と同じだった。

 

「何がしたいんですの……」

 

 風に向かって呟く。

 

 返事はない。

 

 あるはずもない。

 

 だが。

 

「わたくしを潰したいのですか」

 

 静かな声だった。

 

「それとも助けたいのですか」

 

 答えはない。

 

 遠く離れた黒山軍本陣。

 

 時雨もまた夜空を見上げていた。

 

「そろそろか」

 

 星が横を見る。

 

「何がだ」

 

「決断だ」

 

 時雨の目が細くなる。

 

 青州は追い詰められている。

 

 だがまだ折れていない。

 

 袁紹も同じだった。

 

 だからもう一歩。

 

 あと一歩だけ必要だった。

 

「降伏勧告か」

 

 星が聞く。

 

 時雨は笑った。

 

「ああ」

 

 狼が獲物へ最後に差し出す手。

 

 それが救いになるのか。

 

 それともさらなる罠になるのか。

 

 まだ誰にも分からなかった。

 

 ただ一つ確かなのは。

 

 張燕が仕掛けた長い策が、いよいよ終盤へ差しかかろうとしていることだった。




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