【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第六十七話 狼からの降伏勧告

第六十七話 狼からの降伏勧告

 

 

 青州の空は重かった。

 

 黒山軍による侵攻が始まってから既に数か月。

 

 大きな決戦は一度も行われていない。

 

 それなのに青州軍は疲弊していた。

 

 兵は減っていない。

 

 城も落ちていない。

 

 領土もほとんど失っていない。

 

 だが兵たちの顔から余裕は消えていた。

 

 今日どこが襲われるのか分からない。

 

 どこへ兵を送ればいいのか分からない。

 

 敵がどこにいるのか分からない。

 

 そんな戦が続いている。

 

 そして何より。

 

 張燕という男が何を考えているのか分からなかった。

 

 袁紹は執務室で地図を見つめていた。

 

 各地に置かれた木札。

 

 被害報告。

 

 補給路。

 

 警備部隊。

 

 全てが書き込まれている。

 

 しかし状況は改善しない。

 

「またですの……」

 

 報告書を読む。

 

 北部街道襲撃。

 

 補給隊襲撃。

 

 倉庫襲撃。

 

 いつもの内容だった。

 

 だが今回違ったのは。

 

 報告書の中に一通の手紙が入っていたことだった。

 

 袁紹の表情が固まる。

 

 見慣れた筆跡だった。

 

「またですの……」

 

 ため息を吐く。

 

 家臣たちも察したような顔をした。

 

 最近では誰も止めない。

 

 袁紹は封を切る。

 

 中には短い文章。

 

『そろそろ限界か?』

 

 青筋が浮いた。

 

『降伏しろ』

 

 袁紹は目を見開く。

 

『悪いようにはしない』

 

 さらに続く。

 

『飯も食わせる』

 

『酒もある』

 

『仕事は多い』

 

『多分』

 

「誰が降伏しますの!!」

 

 執務室に叫び声が響いた。

 

 家臣たちが顔を見合わせる。

 

 やはり張燕だった。

 

 全員が理解した。

 

 しかし袁紹の怒りは収まらない。

 

「降伏しろとは何ですの!」

 

「袁紹様……」

 

「しかも飯とは何ですの!」

 

「落ち着いてください」

 

「落ち着けますか!」

 

 だが。

 

 怒鳴りながらも袁紹は理解していた。

 

 これはただの挑発ではない。

 

 正式な降伏勧告だ。

 

 黒山軍は本気で青州を飲み込もうとしている。

 

 その日の夜。

 

 軍議が開かれた。

 

 重苦しい空気だった。

 

「戦います」

 

 武将の一人が言う。

 

「当然です」

 

 別の武将も頷く。

 

「ここで降伏などあり得ません」

 

 家臣たちの意見は一致していた。

 

 名門袁家。

 

 四世三公。

 

 簡単に頭を下げるわけにはいかない。

 

 袁紹も黙って聞いていた。

 

 だが。

 

 心のどこかで引っ掛かる。

 

 本当に張燕は青州が欲しいのか。

 

 本当に自分を滅ぼしたいのか。

 

 もしそうなら。

 

 もっと酷いやり方はいくらでもある。

 

 あの男なら間違いなくやる。

 

 だがやっていない。

 

 そこが気味悪かった。

 

 一方。

 

 黒山軍本陣。

 

 時雨は焚き火の前で酒を飲んでいた。

 

 霞が笑いながら聞く。

 

「ほんまに降伏勧告送ったんか」

 

「ああ」

 

「断られるやろ」

 

「だろうな」

 

 即答だった。

 

 恋も黙って肉を食べている。

 

 星だけが頭を抱えていた。

 

「お前は何がしたいんだ」

 

「前にも言った」

 

 時雨は酒を飲む。

 

「袁紹が欲しい」

 

「だからって戦するか普通」

 

「する」

 

 迷いなく答える。

 

 星はため息を吐いた。

 

 やはり理解できない。

 

 だが時雨は本気だった。

 

「なあ星」

 

「何だ」

 

「あいつは今どう思ってると思う」

 

 星は少し考えた。

 

「混乱している」

 

「そうだな」

 

「怒ってもいる」

 

「だろうな」

 

「だが恐怖は減ってる」

 

 時雨は笑った。

 

「正解だ」

 

 最初。

 

 袁紹は張燕を恐れていた。

 

 木箱。

 

 嫌がらせ。

 

 脅迫。

 

 理解不能な行動。

 

 だが今は違う。

 

 怒っている。

 

 呆れている。

 

 振り回されている。

 

 しかし恐怖は薄れている。

 

 それこそが時雨の狙いだった。

 

「狼が牙を見せ続けると慣れる」

 

 時雨が言う。

 

「慣れた頃に隣へ座る」

 

「最低だなお前」

 

「知ってる」

 

 また即答だった。

 

 数日後。

 

 青州。

 

 袁紹は城壁の上に立っていた。

 

 遠くを見つめる。

 

 黒山軍がどこにいるのかは分からない。

 

 だが確実に近くにいる。

 

 そんな気がした。

 

 風が吹く。

 

 その時。

 

 伝令が駆け上がってきた。

 

「報告!」

 

「何ですの」

 

「北部街道にて黒山軍を発見!」

 

「兵力は!」

 

「数千!」

 

 袁紹の目が鋭くなる。

 

 久しぶりの明確な情報だった。

 

「出陣準備!」

 

「はっ!」

 

 兵たちが動き出す。

 

 城が慌ただしくなる。

 

 だが。

 

 翌朝には黒山軍は消えていた。

 

 跡形もなく。

 

「またですのーーー!」

 

 袁紹の叫びが響いた。

 

 その頃。

 

 時雨は丘の上で遠くの城を眺めていた。

 

「追いかけてきたな」

 

「遊んでるだろお前」

 

 星が呆れる。

 

「半分はな」

 

 否定しない。

 

 だが残り半分は本気だった。

 

 青州はもう限界に近い。

 

 兵糧。

 

 財政。

 

 人材。

 

 少しずつ削られている。

 

 そして袁紹自身も気付いている。

 

 長くは持たないと。

 

「次だな」

 

 時雨は立ち上がった。

 

 目が細くなる。

 

 獲物が見えてきた狼の目だった。

 

「次は何をする」

 

 星が聞く。

 

 時雨は笑う。

 

「会いに行く」

 

「……は?」

 

「直接な」

 

 その笑みを見た瞬間。

 

 星は嫌な予感しかしなかった。

 

 張燕は何かを決めた。

 

 長い策。

 

 長い嫌がらせ。

 

 長い恋文。

 

 その全てを経て。

 

 ついに黒山の狼は、自ら青州の城へ足を踏み入れようとしていた。

 

 しかも今度は手紙ではない。

 

 直接。

 

 袁紹本人の前へ現れるために。




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