第七話 星降る夜の白銀
黒山へ公孫瓚――白蓮が来てから数日。
黒山党と幽州軍は、一時的な協力関係を結んでいた。
もちろん、表向きではない。
もし官軍に知られれば問題になる。
“白馬将軍が賊と手を組んでいる”。
そんな噂が広がれば、白蓮の立場は危うい。
だから両者は、あくまで裏で動いていた。
だが。
「頭領ぉー! 白馬の連中、酒飲み過ぎです!」
「知るか」
「樽三つ空けました!」
「飲ませとけ」
実態はかなり緩かった。
黒山党と幽州兵が一緒になって騒いでいる。
焚火を囲み、酒を飲み、肉を焼く。
賊と官軍とは思えない光景だった。
「おーい張燕ー!」
白蓮が豪快に手を振る。
既にかなり酔っていた。
「お前んとこの酒強くないか!?」
「弱ぇ酒なんか飲んでられるか」
「違いない!」
ゲラゲラ笑う。
時雨は呆れたように酒を煽った。
「アンタも大変だなぁ」
隣から声が飛ぶ。
振り向けば、趙雲がいた。
今日はいつもの旅装束ではなく、少し軽めの服装だった。
胸元が開いている。
腰の布も際どい。
動きやすさ重視なのだろうが、妙に色気がある。
しかも本人が無自覚なのが厄介だった。
黒山党の男たちがチラチラ見ている。
「姉ちゃん、その格好寒くね?」
「む?」
趙雲はきょとんと首を傾げた。
「そうか?」
「目のやり場に困るんだが」
「ほう?」
その瞬間。
趙雲の顔に、妙に艶っぽい笑みが浮かぶ。
「ならば、もっと見やすくしてやろうか?」
スッ、と身を寄せてくる。
吐息が近い。
男たちが「おおっ」とざわついた。
時雨だけが嫌そうな顔をする。
「酔ってんのか姉ちゃん」
「ふふ、どうだろうな?」
趙雲はわざと胸を押し付けるように屈み込む。
「賊の頭領殿は、こういう女は好みではないか?」
「全然」
「む」
即答だった。
趙雲の笑みが固まる。
周囲が吹き出した。
「頭領、容赦ねぇ!」
「姉ちゃん負けてる!」
「くっ……!」
趙雲は悔しそうに唸る。
だがすぐ咳払いして、色っぽい笑みに戻った。
「ふっ、強がるな。男というものは皆、こういう女に弱いものだ」
「へぇ」
時雨は酒を飲みながら頬杖をつく。
「じゃあ試してみる?」
「……何をだ」
「本当に誘惑できるか」
ピタリ。
趙雲の動きが止まった。
「…………」
「ん?」
「…………」
耳が赤い。
周囲の黒山党たちがニヤニヤし始める。
「姉ちゃん急に静か」
「頭領反撃した」
「負けたな」
「ま、待て!」
趙雲が慌てて立ち上がる。
「そ、そういうことを軽々しく言うものではない!」
「何で?」
「な、何でって……!」
顔真っ赤だった。
時雨は吹き出す。
「ククッ……」
「わ、笑うな!」
「いやアンタ、本当に口だけだな」
「ぐっ……!」
趙雲は羞恥で耳まで赤く染めながら睨みつける。
だが時雨は楽しそうだった。
「エロい姉ちゃん演じるなら最後までやれよ」
「うるさい!」
「純情かよ」
「じゅっ……!?」
黒山党が爆笑する。
「姉ちゃん可愛いな!」
「意外と初心!」
「黙れぇぇ!!」
趙雲は槍を振り回し始めた。
男たちが慌てて逃げる。
宴は笑いに包まれた。
だが。
そんな空気は長く続かなかった。
「頭領!」
一人の見張りが駆け込んでくる。
「黄巾党です!」
空気が変わる。
「今度は何人だ」
「二百以上!」
「多いな」
「村を襲いながらこっちへ向かってます!」
時雨の笑みが消える。
赤い目が細まった。
「……どこの村だ」
「山の東側です」
その瞬間。
趙雲が立ち上がった。
「村人は?」
「逃げてる最中かと……」
趙雲の表情が険しくなる。
先ほどまでのおちゃらけた空気は消えていた。
代わりにあるのは、武人としての顔。
「張燕」
「あ?」
「行くぞ」
低い声。
真っ直ぐな眼差し。
時雨は数秒見つめた後、口元を歪めた。
「……ハッ」
獣の笑み。
「やっぱアンタ、そういう顔の方がいいな」
「茶化すな」
「はいはい」
時雨は立ち上がる。
「白馬娘」
「おう!」
「アンタらは北回れ」
「了解!」
白蓮も真顔になっていた。
空気が一変する。
それまで騒いでいた連中が、一瞬で武器を取った。
これが黒山党だった。
遊ぶ時は全力で遊ぶ。
だが戦う時は、即座に牙を剥く。
夜の山道。
黄巾党は笑っていた。
「ヒャハハ!」
「女も食料も手に入ったぞ!」
「次の村も焼くか!」
完全に暴徒だった。
義などない。
ただ奪うだけの群れ。
その後方で、縛られた村人たちが震えている。
「助けて……」
「お願い……」
だが誰も助けない。
助けられない。
その時。
「――そこまでだ」
凛とした声。
黄巾党たちが振り返る。
月明かりの下。
そこに立っていたのは、趙雲だった。
水色の髪が夜風に揺れる。
槍を携えたその姿は、美しかった。
「な、何だ女一人か?」
「へへっ、いい女じゃねぇか」
「捕まえろ!」
男たちが笑いながら近付く。
趙雲は静かに槍を構えた。
「最後に言う」
空気が変わる。
「その者たちを放せ」
一瞬。
黄巾党たちが怯む。
殺気。
圧力。
目の前の女は危険だ。
本能が理解していた。
だが。
「び、ビビるな!」
「数はこっちが上だ!」
怒号と共に男たちが突撃する。
次の瞬間。
銀光が走った。
「がぁっ!?」
先頭の男が吹き飛ぶ。
槍が舞う。
美しい。
そして速い。
「ぐっ!?」
「なっ……!?」
趙雲は一歩も下がらない。
敵の武器を弾き、薙ぎ払い、打ち倒す。
まるで白銀の旋風。
黄巾党たちは次々と地面へ転がった。
「つ、強ぇぇ!!」
「化け物か!?」
趙雲の目は真剣だった。
ふざけた色は一切ない。
ただ、守るために戦っている。
「貴様らのような者を……」
槍が閃く。
「見逃すわけにはいかん!」
その時だった。
後方の森から悲鳴が上がる。
「ぎゃあああっ!?」
「な、何だ!?」
闇。
そこから赤い目が覗く。
時雨だった。
「よぉ」
ニヤリと笑う。
「楽しそうじゃん」
「張燕ぇぇ!!」
黄巾党たちが青ざめる。
黒山の狼。
その名は既に広まっていた。
「逃げろ!」
「囲まれるぞ!」
だが遅い。
山の上から黒山党が現れる。
退路は消えた。
「狩りの時間だ」
時雨の声と共に、黒山党が襲いかかった。
悲鳴。
血飛沫。
混乱。
趙雲は村人たちの縄を切りながら、戦場を見る。
時雨は笑っていた。
血の中で。
獣のように。
だが。
子供へ向かおうとした黄巾党だけは、真っ先に殺していた。
趙雲は気付く。
この男には、確かな線引きがある。
何でも許すわけではない。
弱者を踏みにじる者だけは、絶対に許さない。
「……本当に、妙な男だ」
小さく呟く。
すると。
いつの間にか時雨が隣に立っていた。
「何が?」
「うわっ!?」
「ビビりすぎだろ」
「急に現れるな!」
趙雲が睨む。
時雨はケラケラ笑った。
「で、姉ちゃん」
「何だ」
「さっきの続き、する?」
「……は?」
「誘惑」
一瞬で。
趙雲の顔が真っ赤になった。
「き、貴様ぁぁぁぁぁ!!」
戦場に怒声が響いた。
そして。
そんな彼女を見ながら、時雨は珍しく穏やかに笑っていた。
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