【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第七十二話 名門の実力

第七十二話 名門の実力

 

 河北。

 

 幽州、并州、冀州、青州。

 

 四州を支配する巨大勢力。

 

 かつて北方の一諸侯に過ぎなかった公孫瓚は、今や天下に名を轟かせる河北の覇者となっていた。

 

 もっとも。

 

 本人は全くそんな気分ではなかった。

 

「無理だ……」

 

 鄴の政庁。

 

 執務室の机に突っ伏しながら公孫瓚は呟いた。

 

 机の上には書類。

 

 右にも書類。

 

 左にも書類。

 

 後ろにも書類。

 

 見渡す限り書類だった。

 

 幽州の報告。

 

 并州の治安問題。

 

 冀州の税制改革。

 

 青州の復興計画。

 

 さらには軍備の整備。

 

 道路建設。

 

 水路工事。

 

 商人との交渉。

 

 外交文書。

 

 山積みだった。

 

「誰だよ……」

 

 公孫瓚は死んだ目で天井を見た。

 

「河北統一したやつ……」

 

 周囲の文官たちは気まずそうな顔をした。

 

 犯人は目の前にいる。

 

 そして張燕は今日もいない。

 

 昼寝しているらしい。

 

 非常に腹立たしかった。

 

「公孫瓚様」

 

 文官が恐る恐る声を掛ける。

 

「まだあります」

 

「まだあるのか……」

 

 公孫瓚は遠い目になった。

 

 もう三日まともに寝ていない。

 

 五日前から城の外にも出ていない。

 

 食事も適当だった。

 

 だが仕事は終わらない。

 

 むしろ増えている。

 

 袁紹が青州ごと降伏してからさらに忙しくなった。

 

 新しい人材。

 

 新しい領地。

 

 新しい問題。

 

 全てが押し寄せてきていた。

 

「時雨を呼べ」

 

 公孫瓚は力なく言った。

 

「張燕様なら」

 

「いるのか?」

 

「昼寝中です」

 

 公孫瓚の拳が震えた。

 

「起こせ」

 

「起きません」

 

「起こせ!」

 

「呂布殿が隣で寝ています」

 

「もういい……」

 

 公孫瓚は諦めた。

 

 そのまま書類へ視線を落とす。

 

 そして。

 

 数分後。

 

 ばたり。

 

 音を立てて倒れた。

 

 執務室が静まり返る。

 

「公孫瓚様?」

 

 反応がない。

 

「公孫瓚様!」

 

 文官たちが駆け寄る。

 

 肩を揺する。

 

 しかし返事はない。

 

「医者を呼べーーー!!」

 

 城内は大騒ぎになった。

 

 

 その報告を聞いた時。

 

 袁紹は紅茶を飲んでいた。

 

「気絶しましたの?」

 

「はい」

 

 側近が答える。

 

「激務です」

 

 袁紹は少し考えた。

 

 そして。

 

「当然ですわね」

 

 即答だった。

 

 無理もない。

 

 元々幽州だけでも大変だったのだ。

 

 そこへ并州。

 

 冀州。

 

 さらに青州。

 

 普通の人間なら倒れる。

 

 むしろ今まで倒れなかった方がおかしい。

 

「医者は何と?」

 

「過労です」

 

「でしょうね」

 

 袁紹は頷いた。

 

 予想通りだった。

 

「いつ目覚めるかは不明とのことです」

 

「ふむ」

 

 しばらく考える。

 

 そして立ち上がった。

 

「仕方ありませんわね」

 

「袁紹様?」

 

「働きますわ」

 

 その目は真剣だった。

 

 元々。

 

 袁紹は怠け者ではない。

 

 高飛車で目立ちたがりだが。

 

 名門として教育を受けてきた。

 

 政治も。

 

 軍事も。

 

 経済も。

 

 一通り理解している。

 

 それどころか。

 

 本来なら非常に有能な部類だった。

 

 

 

 翌日。

 

 政庁。

 

 文官たちは驚いていた。

 

「次」

 

 袁紹が言う。

 

「こちらです」

 

「却下」

 

「早い!」

 

「次」

 

 即断即決。

 

 迷いがない。

 

 判断が速い。

 

 しかも正確だった。

 

 青州を治めていた経験。

 

 冀州統治の経験。

 

 それらが活きていた。

 

「税制は維持」

 

「はい」

 

「ただし冀州との交易税を下げなさい」

 

「なるほど!」

 

 文官が感心する。

 

 物流が活発になる。

 

 結果として税収も増える。

 

 理にかなっていた。

 

「次」

 

「并州です」

 

「治安悪化?」

 

 袁紹は書類を読む。

 

 そして少し考える。

 

「張遼を送りますわ」

 

「張遼将軍を?」

 

「騎兵運用なら適任でしょう」

 

 その判断も正しかった。

 

 元董卓軍の猛将。

 

 さらに治安維持も得意。

 

 適材適所だった。

 

 周囲の文官たちは驚く。

 

 仕事が進む。

 

 しかも速い。

 

 公孫瓚とは別の意味で優秀だった。

 

 

 

 一方。

 

 その頃。

 

「白蓮倒れたらしいぞ」

 

 時雨は酒を飲みながら言った。

 

「らしいな」

 

 星が頷く。

 

「原因は?」

 

「仕事」

 

「知ってた」

 

 予想通りだった。

 

 むしろ当然である。

 

 四州統治など普通の人間には無理だ。

 

「見舞い行くか」

 

「行け」

 

「面倒」

 

「行け」

 

 星は呆れていた。

 

 時雨は色々と問題がある。

 

 だが公孫瓚とは長い付き合いだ。

 

 それなりに心配しているのも分かる。

 

「あと」

 

 星が言う。

 

「袁紹が働いている」

 

「へえ」

 

 時雨は少し驚いた。

 

「頑張ってるのか」

 

「ああ」

 

「そうか」

 

 酒を飲む。

 

 少しだけ笑った。

 

「やっぱり有能だな」

 

 それは本音だった。

 

 時雨は最初から分かっていた。

 

 袁紹には才能がある。

 

 だから欲しかった。

 

 だから手に入れた。

 

 単なる嫌がらせではない。

 

 長い時間を掛けて引き抜いた理由がそこにある。

 

 

 

 数日後。

 

 公孫瓚は目を覚ました。

 

「……ここは」

 

 寝室だった。

 

 頭が重い。

 

 身体もだるい。

 

 そして何より。

 

「仕事」

 

 飛び起きようとして。

 

「寝ていなさい」

 

 袁紹の声が聞こえた。

 

「袁紹?」

 

 振り向く。

 

 そこには書類を抱えた袁紹がいた。

 

「仕事は?」

 

「わたくしがやっていますわ」

 

「は?」

 

 公孫瓚は固まった。

 

「冀州は?」

 

「終わりました」

 

「青州は?」

 

「終わりました」

 

「并州は?」

 

「処理済みですわ」

 

「幽州は?」

 

「昨日終わりました」

 

 沈黙。

 

 長い沈黙だった。

 

「……何で?」

 

 思わず聞いてしまう。

 

 袁紹は胸を張った。

 

「名門ですもの」

 

 当然と言わんばかりだった。

 

 公孫瓚は呆然とする。

 

 数週間掛かると思っていた仕事。

 

 それを袁紹は数日で処理した。

 

「お前」

 

「何ですの?」

 

「有能だったんだな」

 

 袁紹の笑顔が固まった。

 

「今さらですの!?」

 

 その叫びは城中に響いた。

 

 

 

 こうして。

 

 公孫瓚が倒れている間。

 

 河北は袁紹によって支えられた。

 

 かつての敵。

 

 かつての名門。

 

 そして今は同じ陣営の仲間。

 

 その働きによって河北は混乱することなく運営されたのである。

 

 後に文官たちは語る。

 

 公孫瓚は人望があった。

 

 張燕は行動力があった。

 

 だが。

 

 実務能力だけなら袁紹が一番だった。

 

 と。

 

 もっとも。

 

 その評価を本人に伝えると。

 

「当然ですわ!」

 

 と胸を張るので、誰も本人の前では言わなかったという。




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