第七十六話 再会と新たなる戦の兆し
河北を発ってから幾日もの時が流れていた。
時雨と恋は街道を南へ進み、幾つもの城や村を通り過ぎながら徐州を目指していた。
戦乱の世とはいえ、徐州周辺は比較的落ち着いていた。
陶謙が長年守ってきた土地であり、今は桃香がその意思を受け継いで治めている。
街道を行き交う商人たちの表情も明るく、農村では畑を耕す民の姿が見えた。
「平和だな」
時雨が馬上で呟く。
恋は隣を進みながら小さく頷いた。
「うん」
それだけだった。
しかし恋も感じていた。
この土地の空気はどこか柔らかい。
河北とも違う。
黒山とも違う。
桃香らしい空気だった。
困っている者を放っておけない。
誰かのために動いてしまう。
そんな主の性格が土地そのものに染み込んでいるようだった。
やがて二人は徐州の中心都市へ到着した。
城門には兵士たちが立っている。
だが二人の顔を見た瞬間。
兵士たちの表情が変わった。
「張燕殿!?」
「呂布殿!?」
驚きの声が上がる。
当然だった。
今や張燕の名は河北中に響いている。
袁紹を降伏させた男。
黒山賊の頭領。
河北最大の功労者。
その張本人が突然現れたのである。
「桃香に会いに来た」
時雨が言う。
兵士たちは慌てて案内を始めた。
城内へ入る。
見慣れぬ景色。
だがどこか懐かしい空気。
そして。
広間へ案内された時だった。
「時雨さん!」
聞き覚えのある声が響く。
勢いよく駆けてきたのは桃香だった。
相変わらずだった。
州牧になったというのに全く偉そうではない。
むしろ以前より忙しそうに見える。
「久しぶりだな」
「本当に久しぶりだよ!」
桃香は嬉しそうに笑う。
その後ろから愛紗と鈴々も現れた。
「久しぶりだな」
愛紗が言う。
以前と変わらぬ凛々しい姿だった。
「時雨ー!」
鈴々は元気よく飛びついてくる。
「鈴々も久しぶりなのだ!」
「元気そうだな」
「もちろんなのだ!」
恋も再会を喜んでいた。
鈴々が恋の手を引っ張っている。
恋は無表情のままだが少しだけ嬉しそうだった。
しばらく再会を喜び合った後。
時雨は違和感に気付いた。
桃香の顔色が良くない。
笑ってはいる。
だが疲れている。
「何かあったか」
その一言で。
桃香の笑顔が少し曇った。
「実はね……」
そう言って桃香は深いため息を吐いた。
愛紗も難しい顔をする。
鈴々ですら真面目な表情になった。
時雨は察する。
面倒事だ。
かなり大きな。
そして案の定だった。
会議室へ移動した後。
桃香は一通の書簡を差し出した。
「曹操さんから届いたんだ」
時雨は書簡を受け取る。
目を通す。
内容は簡潔だった。
袁術討伐。
そのための連合軍結成。
徐州軍にも参加を求める。
そんな内容だった。
「袁術か」
時雨は呟く。
かつて反董卓連合にもいた金髪幼女。
蜂蜜ばかり食べていた変人。
だが名門袁家の一員であり、決して侮れる相手ではない。
「最近の袁術は勢力を広げているんだ」
愛紗が説明する。
「周辺諸侯との対立も激化している」
「それで曹操が動いたか」
「そういうことだ」
愛紗は頷いた。
そして桃香は頭を抱える。
「どうしよう……」
州牧になったばかり。
徐州の安定もまだ完全ではない。
だが曹操からの要請を無視することも難しい。
参加すれば戦になる。
参加しなければ関係が悪化する。
難しい選択だった。
その時。
時雨は何気なく聞いた。
「連合軍は誰だ」
桃香が答える。
「曹操さん」
「ほう」
「私たち徐州軍」
「まあそうだろう」
そして。
桃香は続けた。
「それと孫策さん」
その名前に時雨の眉が僅かに動いた。
江東の小覇王。
亡き孫堅の娘。
あの反董卓連合の頃はまだ若かった。
だが今は違う。
「独立したのか」
「うん」
桃香が頷く。
「お母さんの跡を継いで江東をまとめたんだって」
孫堅は既に亡くなっている。
その後を継いだ孫策。
袁術の影響下から離れ。
自らの力で江東を掌握した。
若き英雄だった。
「面白いな」
時雨は少し笑った。
曹操。
劉備。
孫策。
天下でも有数の勢力が集まる。
袁術相手とはいえ大規模な戦になるだろう。
愛紗は腕を組む。
「だが問題もある」
「何だ」
「曹操は信用できる」
「だろうな」
「孫策も悪い相手ではない」
「そうだろう」
「だが」
そこで愛紗は真面目な顔になる。
「連合軍というものはいつも厄介だ」
反董卓連合を経験した者なら分かる。
利害が違う。
目的も違う。
足並みも揃わない。
敵より味方の方が面倒なこともある。
「なるほど」
時雨は頷いた。
それは確かに問題だった。
そして桃香は再びため息を吐く。
「どうしたらいいかな」
州牧になったばかりの桃香にとって初めての大きな外交問題だった。
だが。
時雨は即答した。
「参加しろ」
桃香たちは驚く。
「いいの?」
「ああ」
時雨は椅子にもたれながら言う。
「断る理由がない」
「でも戦になるよ?」
「乱世だ」
当然だった。
「避けられん」
桃香は黙る。
理想だけでは国は守れない。
それは彼女も少しずつ理解し始めていた。
「それに」
時雨は笑う。
「久しぶりに面白そうだ」
愛紗が呆れる。
「お前は相変わらずだな」
「褒め言葉だ」
「褒めてない」
即答だった。
会議室に小さな笑いが起こる。
重かった空気が少しだけ軽くなる。
こうして。
徐州へ辿り着いた時雨と恋は久しぶりに桃香たちと再会した。
そして同時に。
新たな戦の幕開けを知ることになる。
曹操。
劉備。
孫策。
三勢力による袁術討伐連合。
それは後に天下の情勢を大きく動かす戦いとなるのだった。