【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第七十七話 若き軍師と旅人の立場

第七十七話 若き軍師と旅人の立場

 

 

 徐州へ到着して数日が過ぎていた。

 

 時雨と恋は客将として城に滞在していたが、相変わらず特に何をするでもなく日々を過ごしていた。

 

 恋は食堂で食事をし、兵士たちと手合わせをし、夜になれば静かに眠る。

 

 時雨はというと、城壁で昼寝をしたり、市場を歩いたり、たまに愛紗に見つかって説教されたりしていた。

 

 昔と何も変わっていない。

 

 ただ一つ違うのは、桃香が今や徐州の主であることだった。

 

 朝から晩まで政務。

 

 各地から届く報告。

 

 民の陳情。

 

 周辺勢力との外交。

 

 徐州牧という立場は想像以上に忙しい。

 

 この日も桃香は執務室で頭を抱えていた。

 

「うぅ……」

 

 机の上には大量の書類。

 

 公孫瓚ほどではないが十分に多い。

 

 そして愛紗が隣で真面目に書類を整理している。

 

「桃香様」

 

「なに?」

 

「判を押す場所が違います」

 

「えっ?」

 

「そこは税収報告です」

 

「はわっ!?」

 

 慌てて書類を取り上げる。

 

 愛紗は深いため息を吐いた。

 

 そんな様子を見ながら時雨は笑う。

 

「相変わらずだな」

 

「笑い事じゃないよ!」

 

 桃香は涙目だった。

 

 だが時雨からすれば安心する光景だった。

 

 州牧になっても桃香は桃香だった。

 

 そこは変わらない。

 

 その時だった。

 

 扉が開く。

 

「桃香様」

 

 聞き慣れない少女の声だった。

 

 時雨は振り返る。

 

 そこには小柄な少女が立っていた。

 

 金髪。

 

 少し幼い顔立ち。

 

 知的な雰囲気を持っている。

 

 しかし。

 

 手に抱えた書簡を落としそうになっていた。

 

「あっ」

 

 慌てる。

 

 書簡が落ちる。

 

「はわわっ!」

 

 慌てて拾う。

 

 さらに別の書類を落とす。

 

「はわわわわっ!」

 

 執務室が静まり返る。

 

 時雨は思わず桃香を見る。

 

 桃香は苦笑していた。

 

「紹介するね」

 

 そう言って少女を呼ぶ。

 

 少女は慌てながら前に出た。

 

「しょ、諸葛亮です!」

 

 勢いよく頭を下げる。

 

「徐州軍で軍師をしています!」

 

 元気な声だった。

 

 そして再び書類を落とした。

 

「はわっ!」

 

 時雨は少しだけ笑った。

 

「軍師か」

 

「うん!」

 

 桃香が嬉しそうに頷く。

 

「私たちの仲間なんだよ!」

 

 愛紗も頷いた。

 

「優秀な軍師だ」

 

「そうなのか」

 

「非常に優秀だ」

 

 愛紗が断言する。

 

 それほど評価しているのだろう。

 

 諸葛亮は顔を赤くした。

 

「そ、そんなことありません!」

 

「ある」

 

「ありません!」

 

「ある」

 

 愛紗が真顔で返す。

 

 諸葛亮はさらに慌てる。

 

「はわわわ!」

 

 時雨は面白そうに眺めていた。

 

 見た目だけなら天然少女だ。

 

 だが愛紗が認めるなら本物なのだろう。

 

 そして桃香が笑顔で言う。

 

「真名も許してもらってるんだ」

 

 時雨は少しだけ眉を上げる。

 

 それは大きな信頼の証だった。

 

「そうか」

 

「うん」

 

 桃香が嬉しそうに頷く。

 

「朱里っていうんだよ」

 

 その言葉に少女――朱里は少し照れた。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「こちらこそ」

 

 時雨は軽く頷いた。

 

 その後。

 

 袁術討伐についての軍議が始まった。

 

 参加者は桃香。

 

 愛紗。

 

 鈴々。

 

 朱里。

 

 そして客人として時雨と恋。

 

 地図が広げられる。

 

 朱里が説明を始めた。

 

 先ほどまでの慌てぶりが嘘のようだった。

 

「袁術軍の兵力はおよそ五万」

 

 声が落ち着いている。

 

「物資は豊富ですが兵の練度は低めです」

 

 的確だった。

 

 地図を指しながら次々と情報を説明する。

 

 敵の配置。

 

 補給線。

 

 周辺勢力。

 

 全て把握している。

 

 愛紗が評価する理由がよく分かった。

 

「なるほど」

 

 時雨も感心する。

 

 軍師としては一流だ。

 

 だが。

 

 説明が終わった後。

 

 朱里は急に緊張した。

 

「ど、どうでしょうか!」

 

 そして。

 

 机の角に足をぶつけた。

 

「はわっ!」

 

 全員が沈黙する。

 

 時雨は吹き出しそうになる。

 

 愛紗は頭を抱えていた。

 

「軍師としては優秀なんだ」

 

「分かった」

 

 時雨は真面目に頷いた。

 

 その後。

 

 話題は連合軍へ移る。

 

 曹操軍。

 

 孫策軍。

 

 そして徐州軍。

 

 各勢力が集まる大戦になる。

 

 そこで桃香が聞いた。

 

「時雨さん」

 

「ん?」

 

「一緒に来てくれる?」

 

 静かな声だった。

 

 桃香だけではない。

 

 愛紗も。

 

 鈴々も。

 

 朱里も。

 

 全員が時雨を見ていた。

 

 当然だった。

 

 張燕がいれば勝率は大きく上がる。

 

 誰もがそう思う。

 

 しかし。

 

 時雨は首を横に振った。

 

「今回は貸さない」

 

 その言葉に空気が変わる。

 

 桃香も驚いた。

 

「どうして?」

 

「簡単だ」

 

 時雨は椅子にもたれかかる。

 

「これはお前たちの戦だからだ」

 

 静かな声だった。

 

「俺の戦じゃない」

 

 桃香は黙る。

 

 時雨は続けた。

 

「徐州を治めてるのは誰だ」

 

「私」

 

「軍を率いるのは」

 

「私たち」

 

「なら自分たちでやれ」

 

 厳しい言葉だった。

 

 だが馬鹿にしているわけではない。

 

 むしろ逆だった。

 

「桃香」

 

「うん」

 

「お前は州牧だ」

 

 その言葉に桃香は表情を引き締める。

 

「もう昔みたいに誰かの後ろを歩く立場じゃない」

 

 時雨は言う。

 

「前を歩け」

 

 静かな声だった。

 

「失敗してもいい」

 

「負けてもいい」

 

「だが自分で決めろ」

 

 桃香は黙って聞いていた。

 

 愛紗も。

 

 鈴々も。

 

 朱里も。

 

 誰も口を挟まない。

 

 時雨は最後に言った。

 

「だから今回は見てるだけだ」

 

 桃香はしばらく考えていた。

 

 そして。

 

 小さく笑った。

 

「分かった」

 

 その目には迷いが少し消えていた。

 

「頑張る」

 

「ああ」

 

「絶対に頑張る」

 

 時雨は頷く。

 

 これでいい。

 

 桃香はもう義勇軍の長ではない。

 

 一国を率いる主君だ。

 

 ならば自分の力で立たなければならない。

 

 それが時雨の考えだった。

 

 軍議が終わる頃には日が暮れていた。

 

 朱里は資料を抱えながら慌てて走っている。

 

「はわわっ! 次の準備が!」

 

 書類を落とす。

 

 拾う。

 

 また落とす。

 

 恋が無言で拾って渡した。

 

「ありがとうです!」

 

 朱里は深々と頭を下げた。

 

 恋は小さく頷くだけだった。

 

 そんな様子を見ながら時雨は笑う。

 

 徐州には新しい仲間が増えていた。

 

 そして桃香も成長している。

 

 ならば。

 

 今回の戦は彼女たち自身が乗り越えるべきだ。

 

 乱世は続く。

 

 だからこそ。

 

 州牧となった劉備玄徳がどこまで進めるのか。

 

 時雨は少し楽しみにしていた。




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