【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第七十九話 偽りの皇帝

第七十九話 偽りの皇帝

 

 

 南陽を包囲する連合軍の陣営には、これまでとは違う緊張感が漂っていた。

 

 ただ城を囲んでいるだけではない。

 

 敵が名乗った肩書きが問題だった。

 

 皇帝。

 

 それは天下の頂点。

 

 本来ならば漢王朝の天子のみが持つ称号である。

 

 だが今、その名を袁術が勝手に掲げていた。

 

 連合軍の兵士たちも噂している。

 

 袁術が皇帝になった。

 

 玉璽を持っているらしい。

 

 漢は終わったのか。

 

 新しい時代が始まるのか。

 

 様々な憶測が飛び交っていた。

 

 もちろん事情を知る者たちは鼻で笑う。

 

 だが笑い話で済まないのも事実だった。

 

 皇帝を名乗るという行為そのものが、大義名分になるからである。

 

 その日の朝。

 

 劉備軍の本陣では招集がかかっていた。

 

「曹操さんから軍議のお誘いだよ」

 

 桃香が書簡を手に言った。

 

 愛紗が頷く。

 

「いよいよ本格的に動くのでしょう」

 

 朱里も真剣な顔だった。

 

「袁術が皇帝を名乗った以上、曹操殿も静観できません」

 

「だろうな」

 

 時雨も同意した。

 

 今回は見物人の立場とはいえ、情勢くらいは理解している。

 

 袁術の行動は悪手だった。

 

 勢力が強い時ならまだしも、今の袁術は三方面から圧力を受けている。

 

 そんな状態で皇帝を名乗れば、敵が増えるだけである。

 

「じゃあ行こうか」

 

 桃香が立ち上がった。

 

 愛紗。

 

 鈴々。

 

 朱里。

 

 そして時雨と恋も同行する。

 

「お前も来るのか」

 

 愛紗が聞く。

 

「暇だからな」

 

「理由になっていない」

 

「なる」

 

「ならない」

 

 即答だった。

 

 そんなやり取りをしながら一行は曹操軍の本陣へ向かった。

 

 連合軍の中でも最大規模の陣営だけあって壮観だった。

 

 規律正しく並ぶ天幕。

 

 整然と配置された兵士たち。

 

 見張りの配置も隙がない。

 

 軍としての完成度が高い。

 

「流石だな」

 

 時雨は呟いた。

 

 愛紗も頷く。

 

「曹操軍は精強だ」

 

 桃香たちが案内されて本陣へ入る。

 

 大きな軍議用の天幕だった。

 

 既に孫策軍の将たちも集まっている。

 

 そして中央。

 

 一人の女性が座っていた。

 

 金色の髪。

 

 整った容姿。

 

 鋭い雰囲気。

 

 そして特徴的なのは青い瞳だった。

 

 まるで宝石のような蒼。

 

 その目には強い意志が宿っている。

 

 曹操だった。

 

「来たわね」

 

 静かな声が響く。

 

 桃香が一礼する。

 

「お待たせしました」

 

「構わないわ」

 

 曹操は頷いた。

 

 その青い瞳が一瞬だけ時雨を見る。

 

「あなたも来たのね」

 

「暇だから」

 

「相変わらずね」

 

 曹操は僅かに笑った。

 

 以前の反董卓連合以来である。

 

 だが互いに顔は覚えていた。

 

 というより忘れられるはずがない。

 

 連合軍の中で最も好き勝手やっていた男だったからだ。

 

 その頃。

 

 孫策も既に席についていた。

 

「やっと来たわね」

 

「先に来てたのか」

 

「当たり前でしょ」

 

 相変わらずだった。

 

 孫策の豪快な笑顔を見ていると、ここが戦場だということを忘れそうになる。

 

 全員が揃うと軍議が始まった。

 

 中央には南陽周辺の地図。

 

 曹操が立ち上がる。

 

「まず確認しましょう」

 

 その青い瞳が全員を見渡した。

 

「袁術は皇帝を名乗った」

 

 誰も異論はない。

 

「理由は玉璽」

 

 空気が少し重くなる。

 

 玉璽。

 

 皇帝の証。

 

 本来ならば漢王朝の象徴だった。

 

「元々は孫堅殿が保有していた物」

 

 曹操が言う。

 

 その視線が孫策へ向く。

 

 孫策は静かに頷いた。

 

「母様が洛陽で見つけた」

 

 かつて反董卓連合の頃。

 

 洛陽から発見された伝国の玉璽。

 

 孫堅はそれを手に入れていた。

 

 そして死後。

 

 娘である孫策が受け継いだ。

 

「だが」

 

 孫策の表情が険しくなる。

 

「袁術に奪われた」

 

 短い言葉だった。

 

 その裏にある怒りは大きい。

 

 かつて孫策は勢力を築くため袁術の配下にいた。

 

 しかし様々な経緯の末に独立した。

 

 その過程で玉璽が袁術の手に渡ったのである。

 

「そしてあいつは皇帝を名乗った」

 

 孫策の声には明らかな軽蔑があった。

 

 会議の空気がさらに重くなる。

 

 皇帝。

 

 その意味は大きい。

 

 ただの称号ではない。

 

 天下へ反旗を翻したに等しい。

 

「つまり」

 

 愛紗が口を開く。

 

「袁術は漢王朝の敵ということか」

 

「その通りよ」

 

 曹操が頷く。

 

 青い瞳が鋭く光る。

 

「今ならまだ潰せる」

 

 その言葉には迷いがなかった。

 

 時雨は静かに曹操を見ていた。

 

 変わらないな。

 

 そう思う。

 

 この女は昔からそうだった。

 

 頭が良い。

 

 決断が早い。

 

 そして必要な時は躊躇なく動く。

 

 危険な女だ。

 

 だがだからこそ強い。

 

「現状を説明するわ」

 

 曹操は地図を指差した。

 

「南陽は包囲済み」

 

「補給路も遮断」

 

「城内の食糧も長くは持たない」

 

 理想的な状況だった。

 

 しかし。

 

「問題は時間よ」

 

 全員の視線が集まる。

 

「長引けば各地の情勢が変化する」

 

 確かにその通りだった。

 

 中原。

 

 江東。

 

 徐州。

 

 それぞれの本拠地を空けている。

 

 いつまでもここにいられるわけではない。

 

「短期決戦が必要」

 

 曹操は断言した。

 

 その時だった。

 

 朱里がおずおずと手を挙げる。

 

「は、はい」

 

 少し緊張している。

 

「何かしら?」

 

 曹操が促す。

 

「城内の内応工作はどうでしょうか」

 

 全員が朱里を見る。

 

 彼女は慌てながらも説明を続けた。

 

「袁術軍は決して一枚岩ではありません」

 

「皇帝即位に反発している者もいるはずです」

 

「そこを利用できれば……」

 

「なるほど」

 

 曹操は感心したように頷いた。

 

 孫策も笑う。

 

「面白いじゃない」

 

 朱里は顔を赤くする。

 

「はわわ……」

 

 だが案としては悪くない。

 

 軍議はさらに続いた。

 

 攻略方法。

 

 兵の配置。

 

 攻城の準備。

 

 様々な議論が交わされる。

 

 その様子を見ながら時雨は腕を組んでいた。

 

 今回は手を貸さない。

 

 その考えは変わらない。

 

 だが。

 

 桃香も。

 

 愛紗も。

 

 朱里も。

 

 確実に成長している。

 

 特に朱里は面白い。

 

 慌て者だが頭は切れる。

 

 将来が楽しみな軍師だった。

 

 やがて軍議は終わる。

 

 各軍の将たちが天幕を出ていく。

 

 その時。

 

 曹操がふと時雨へ視線を向けた。

 

 青い瞳が細められる。

 

「あなた、本当に何もしないの?」

 

「しない」

 

「珍しいわね」

 

「今回はあいつらの戦だ」

 

 時雨は桃香たちを見る。

 

 曹操もその意味を理解したらしい。

 

 小さく笑った。

 

「なるほど」

 

 そして静かに言う。

 

「なら見届けなさい」

 

「ああ」

 

 短いやり取りだった。

 

 だが互いに十分だった。

 

 南陽の空には重い雲が流れていた。

 

 偽りの皇帝を名乗った袁術。

 

 それを討つため集まった連合軍。

 

 そして戦いの幕は、いよいよ本格的に上がろうとしていた。




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