第八十話 敗走する皇帝
南陽を包囲する連合軍による総攻撃が始まったのは、それから数日後のことだった。
曹操軍が正面から圧力をかける。
孫策軍が側面を揺さぶる。
劉備軍が補給路と退路を封鎖する。
三軍はそれぞれの役割を果たしながら袁術軍を追い詰めていった。
そして何より大きかったのは、城内で動揺が広がっていたことだった。
袁術の皇帝即位。
それを支持する者もいた。
しかし反対する者も少なくなかった。
漢王朝への忠誠を捨てられない者。
勝ち目がないと悟った者。
袁術の気まぐれに振り回され続けた者。
様々な不満が積み重なり、南陽城の内部は徐々に崩れ始めていた。
朱里の予想は当たったのである。
城壁の上では兵士たちが言い争いを繰り返していた。
士気は低下し続けていた。
一方。
連合軍側は勢いに乗っていた。
特に孫策軍の猛攻は凄まじかった。
若き江東の覇者は自ら先頭に立ち、兵たちを鼓舞し続けていた。
「進めぇっ!」
力強い声が戦場に響く。
それに応える兵士たち。
次々と押し寄せる江東軍。
南陽城の守備兵たちは後退を余儀なくされた。
曹操軍も負けてはいない。
統率された軍勢は隙なく前進し、敵軍を圧迫していく。
徐州軍も懸命に戦った。
愛紗が先頭で槍を振るう。
鈴々が敵陣を駆け回る。
朱里は後方で指示を飛ばし続ける。
そして桃香も兵たちを励ましながら前へ進んでいた。
時雨は高台からその様子を見ていた。
隣には恋がいる。
「頑張ってる」
恋が呟く。
「ああ」
時雨も頷いた。
自分が手を貸さなくても戦えている。
それが少し嬉しかった。
桃香たちは確実に成長していた。
やがて。
戦局は決定的になる。
南陽城の一部が陥落したのだ。
連合軍の兵士たちが城内へ雪崩れ込む。
守備隊は総崩れとなった。
「勝った!」
「城が落ちるぞ!」
歓声が上がる。
袁術軍は完全に敗北した。
連合軍の大勝利だった。
その頃。
南陽城の奥深く。
袁術は半ば泣きそうな顔になっていた。
「な、ななな何でなのじゃ!」
豪華な衣装を着た金髪の少女が叫ぶ。
自称皇帝。
袁術。
美羽だった。
「余は皇帝なのじゃぞ!」
机を叩く。
しかし周囲の家臣たちは青ざめている。
もうそれどころではない。
城は落ちかけている。
兵士たちは逃げ始めている。
絶望的な状況だった。
そんな中でも一人だけ冷静な人物がいた。
青い髪を持つ少女。
張勲。
真名は七乃。
袁術の側近であり、誰よりも主君を慕う人物だった。
「美羽様」
落ち着いた声だった。
「逃げましょう」
「嫌なのじゃ!」
即答だった。
「余は皇帝なのじゃ!」
「ですが死んでしまいます」
「むぅ……」
美羽は唸る。
七乃は慣れていた。
昔からこうだ。
無茶を言う。
支離滅裂な命令を出す。
だが七乃は必ず従った。
それが自分の役目だと思っているからだ。
「美羽様」
「何じゃ」
「徐州へ向かいましょう」
「徐州?」
「はい」
七乃は地図を広げる。
「劉備軍の支配地域です」
「敵なのじゃ」
「だからこそです」
美羽は首を傾げる。
七乃は説明を続けた。
「劉備殿は甘いです」
「優しいです」
「民を大切にします」
「だから?」
「捕まっても殺されない可能性があります」
美羽はしばらく考えた。
そして。
「なるほどなのじゃ!」
納得した。
七乃は内心で安堵する。
説得成功だった。
「では逃げるのじゃ!」
「はい」
こうして。
袁術と七乃は残された親衛隊を連れて南陽城から脱出することになった。
夜。
南陽城は完全に連合軍の手に落ちた。
勝利を祝う声が各地で上がる。
しかし曹操軍の本陣では慌ただしい空気が流れていた。
「逃げた?」
曹操が眉をひそめる。
報告に来た兵士が頷く。
「袁術は既に城外へ脱出しております」
「なるほど」
曹操は腕を組んだ。
甘かった。
最後の最後で取り逃がした。
孫策も舌打ちする。
「しぶといわね」
桃香も困った顔をしていた。
「どうするの?」
その問いに曹操は即答する。
「追う」
当然だった。
袁術を生かしておけば再起を図る可能性がある。
ここで終わらせるべきだった。
だが。
次の報告が届く。
「袁術軍は徐州方面へ逃走しております!」
その言葉に全員が反応した。
「徐州?」
愛紗が眉をひそめる。
「何故だ」
「分かりません」
兵士も困惑していた。
普通なら別の方向へ逃げる。
だが袁術は徐州へ向かっている。
まるで敵地へ飛び込むようなものだった。
その時。
時雨が少し笑った。
「なるほど」
全員が見る。
「何か分かったの?」
桃香が聞く。
「あの側近だろ」
「側近?」
「張勲」
時雨は答える。
「頭は回る」
反董卓連合の頃から聞いていた。
袁術は無茶を言う。
それを何とか形にするのが張勲だった。
「徐州なら桃香がいる」
「殺されないと思ったんだろ」
愛紗は納得した。
「確かに」
桃香ならそうだ。
敵であっても簡単には見捨てない。
それを読んだのだろう。
曹操は苦笑した。
「厄介ね」
「そうか?」
時雨は肩を竦める。
「別に」
「あなたらしいわ」
曹操は笑った。
こうして。
南陽の戦いは連合軍の圧勝で終わった。
偽りの皇帝を名乗った袁術は敗れた。
だが。
その本人は忠臣である七乃と共に逃亡していた。
目指す先は徐州。
劉備が治める土地。
そこで再び新たな騒動が待ち受けていることを、この時まだ誰も知らなかった。
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