第八十一話 敗者の願い
南陽の戦いが終わってから数日後。
連合軍の陣営には勝利の余韻が残っていた。
袁術軍は壊滅。
南陽は陥落。
皇帝を名乗った袁術の野望は潰えた。
誰もがそう思っていた。
だが肝心の袁術本人は取り逃がしている。
勝利はした。
しかし完全な決着ではなかった。
そのため曹操軍も孫策軍も最後まで捜索を続けていたが、袁術の足取りは掴めなかった。
そして結局。
連合軍は解散となった。
曹操は許昌へ。
孫策は江東へ。
それぞれの本拠地へ帰還していく。
乱世の英雄たちは再び自らの国へ戻っていった。
別れの朝。
桃香たちは曹操軍の陣を訪れていた。
曹操は相変わらず堂々としている。
青い瞳には揺らぎがない。
「今回は助かったわ」
曹操が言う。
桃香は首を振った。
「私たちも勉強になりました」
「そう」
曹操は微笑む。
「次に会う時も味方とは限らないけれど」
「それでも友達だよ」
桃香らしい返事だった。
曹操は少しだけ目を細めた。
「あなたらしいわね」
その後。
孫策とも別れの挨拶を交わす。
「また会いましょう!」
桃香が手を振る。
「ええ!」
孫策も笑う。
「今度は江東に遊びに来なさい!」
「うん!」
豪快な笑い声が響く。
その横では時雨が面倒そうな顔をしていた。
「おーい」
孫策が呼ぶ。
「何だ」
「今度江東にも来なさいよ」
「考えとく」
「絶対来ない返事ね」
図星だった。
孫策は大笑いする。
「まあいいわ!」
最後まで豪快だった。
こうして連合軍は解散する。
戦は終わった。
だが問題は終わっていなかった。
徐州。
下邳。
桃香たちは本拠地へ帰還した。
民たちは歓声で迎える。
戦に勝ったこと。
将兵たちが無事に戻ったこと。
街は祝賀ムードに包まれていた。
しかしその頃。
城下町の片隅では別の人間たちが震えていた。
「み、美羽様……」
七乃が小声で言う。
「どうしたのじゃ」
美羽は不満そうだった。
二人は変装している。
とはいえ美羽は目立つ。
金髪。
高価な衣服。
隠れているつもりでも隠れられていない。
「もっと普通の服を着てください」
「嫌なのじゃ!」
「目立ちます」
「余は皇帝なのじゃぞ!」
「今は違います」
七乃は頭を抱えた。
主君はいつもこうだ。
だが放っておけない。
幼い頃から仕えてきた。
誰よりも大切な存在だった。
敗北しても。
全てを失っても。
七乃だけは美羽を見捨てない。
「とにかく生き残りましょう」
「むぅ……」
美羽は不満そうだったが従った。
こうして二人は徐州に潜伏していた。
一方。
徐州城では。
「捕まえました」
報告が届いていた。
愛紗が書簡を机へ置く。
桃香が目を丸くする。
「本当に?」
「はい」
愛紗は頷く。
「城下町に潜伏していたようです」
「はわわ!」
朱里が驚く。
「本当に来てたんですね!」
時雨は苦笑した。
予想通りだった。
「だから言っただろ」
「当たってましたね……」
朱里も感心している。
そして。
しばらく後。
袁術と張勲は城へ連れて来られた。
縄こそ掛けられていないが完全な捕虜だった。
美羽は不満そうに頬を膨らませている。
「無礼なのじゃ!」
開口一番だった。
「余を誰だと思っておる!」
誰も答えない。
七乃は青ざめていた。
「申し訳ありません!」
先に頭を下げる。
「全て私の責任です!」
その姿を見て桃香は困った顔になる。
愛紗は険しい表情だった。
当然だ。
相手は反逆者。
しかも皇帝を名乗った張本人である。
普通なら処刑されてもおかしくない。
重い沈黙が流れた。
すると。
七乃が再び頭を下げる。
「お願いします」
声が震えていた。
「どうか美羽様だけでも助けてください」
桃香が目を見開く。
「張勲さん……」
「私ならどうなっても構いません」
真剣だった。
「ですが美羽様だけは……」
彼女は本気だった。
命を捨てる覚悟がある。
ただ主君を守りたい。
それだけだった。
その姿を見て。
桃香はますます困った顔になる。
愛紗も黙り込む。
鈴々ですら何も言えない。
そんな空気の中。
美羽だけは怒っていた。
「何を言っておる!」
突然叫ぶ。
「七乃!」
「美羽様……」
「勝手に死ぬななのじゃ!」
美羽の目には涙が浮かんでいた。
「余は許さぬ!」
その言葉に七乃が固まる。
「余が命令する!」
美羽は震えながら言う。
「七乃も生きるのじゃ!」
静まり返る広間。
誰も口を挟めなかった。
時雨は腕を組みながら見ていた。
なるほどと思う。
美羽は愚かだ。
世間知らずだ。
皇帝ごっこまでした。
だが。
少なくとも七乃を大切に思っている。
それだけは本物だった。
やがて。
愛紗が桃香を見る。
「桃香様」
その声は真剣だった。
「判断を」
主君として決断する時だった。
州牧として。
この国の支配者として。
桃香はしばらく黙っていた。
苦しそうだった。
簡単な問題ではない。
見逃せば危険がある。
だが処刑すれば二人は死ぬ。
長い沈黙。
そして。
桃香はゆっくり顔を上げた。
「命は取らない」
愛紗が目を閉じる。
予想していた答えだった。
七乃は涙を浮かべた。
「ありがとうございます……!」
何度も頭を下げる。
美羽も驚いていた。
「本当なのじゃ?」
「うん」
桃香は微笑む。
「でも悪いことはしちゃ駄目だよ」
まるで子供を叱るような言い方だった。
美羽は複雑そうな顔をする。
皇帝として扱われていない。
だが。
不思議と嫌ではなかった。
こうして。
南陽で敗れた袁術と張勲は命を救われることになった。
乱世では珍しい結末だった。
そしてその様子を見ていた時雨は小さく笑う。
「やっぱり甘いな」
桃香らしい。
どこまでも。
呆れるほどに。
だが、その甘さこそが劉備桃香という人間なのだった。
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