【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

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第八十三話 大義名分

第八十三話 大義名分

 

 

 徐州城の空気は重かった。

 

 曹操から届いた最後通告。

 

 袁術と張勲を引き渡せ。

 

 期限は十日。

 

 従わなければ徐州を敵と見なす。

 

 その言葉は脅しではなかった。

 

 曹操という人物を知る者ほど、それを理解していた。

 

 あの女は本気である。

 

 そして今の曹操軍には、それを実行するだけの力があった。

 

 執務室では連日会議が続いていた。

 

 愛紗は引き渡すべきだと主張する。

 

 朱里も軍師として同意見だった。

 

 感情ではなく現実を見れば、それが最善だからだ。

 

 だが桃香は答えを出せない。

 

 出したくなかった。

 

 そして期限が迫る中。

 

 ついにその日が来た。

 

 徐州城の大広間。

 

 重臣たちが集まっている。

 

 空気は張り詰めていた。

 

 桃香は玉座に座っている。

 

 その顔には疲労が見えた。

 

 ここ数日ほとんど眠れていないのだろう。

 

 それでも。

 

 その瞳だけは真っ直ぐだった。

 

「決めたよ」

 

 静かな声だった。

 

 全員が顔を上げる。

 

 愛紗も。

 

 朱里も。

 

 鈴々も。

 

 時雨も。

 

 誰も言葉を発しない。

 

「袁術ちゃんと張勲さんは引き渡さない」

 

 その言葉が広間に響いた。

 

 静寂。

 

 重い沈黙。

 

 愛紗は目を閉じた。

 

 予想していた。

 

 誰よりも分かっていた。

 

 桃香はそういう人間だ。

 

 見捨てられない。

 

 たとえ自分が損をしても。

 

 民から批判されても。

 

 それでも助けようとする。

 

「桃香様」

 

 愛紗が口を開く。

 

 だが言葉は続かなかった。

 

 反対することはできる。

 

 だが。

 

 この場で主君の覚悟を否定することもできなかった。

 

「ごめんね」

 

 桃香が言う。

 

「でも私はそうしたい」

 

 優しい声だった。

 

 そして強い声でもあった。

 

 愛紗は深く息を吐く。

 

「分かりました」

 

 ゆっくり頭を下げた。

 

「ならば私も従います」

 

 その言葉に桃香は少しだけ安心したように笑った。

 

 鈴々も拳を握る。

 

「鈴々も戦うのだ!」

 

 朱里は苦笑した。

 

「はわわ……大変なことになります……」

 

 だが彼女も反対はしなかった。

 

 こうして。

 

 徐州は答えを出した。

 

 袁術と張勲を守る。

 

 それが劉備桃香の選択だった。

 

 

 

 その決定はすぐに曹操軍へ届けられた。

 

 許昌。

 

 曹操軍本陣。

 

 巨大な執務室。

 

 そこに一通の書簡が運ばれてくる。

 

 曹操は静かに目を通した。

 

 そして。

 

 小さく笑う。

 

「そう」

 

 予想通りだった。

 

 まるで驚いていない。

 

 むしろ当然という顔だった。

 

 側近たちは互いに顔を見合わせる。

 

「曹操様」

 

「何かしら?」

 

「本当に拒絶するとは」

 

 その言葉に曹操は肩を竦めた。

 

「するわよ」

 

 断言だった。

 

「彼女は劉備だもの」

 

 青い瞳が細められる。

 

「見捨てられない」

 

「見殺しにできない」

 

「だからこそ彼女なのよ」

 

 それは理解だった。

 

 桃香という人間への評価でもある。

 

 だから。

 

 曹操は最初から分かっていた。

 

 袁術と張勲が徐州へ逃げ込んだ時点で。

 

 桃香が二人を保護することを。

 

 引き渡せないことを。

 

 全て。

 

 分かっていた。

 

 軍師たちは静かに気付く。

 

「つまり……」

 

 一人が呟く。

 

「最初から」

 

「ええ」

 

 曹操は頷いた。

 

「最初から大義名分よ」

 

 静かな声だった。

 

 だが冷徹だった。

 

「袁術討伐は終わった」

 

「でも徐州は豊か」

 

 そう言う。

 

「土地もある」

 

「人口も多い」

 

「そして戦略的価値も高い」

 

 曹操軍の将たちは黙る。

 

 理解した。

 

 これは偶然ではない。

 

 計算だった。

 

 袁術を泳がせた。

 

 徐州へ逃がした。

 

 そして。

 

 劉備が守ることを利用した。

 

 全ては。

 

 徐州へ兵を向けるための理由。

 

 漢王朝への反逆者を匿う勢力。

 

 そう宣言できれば十分だった。

 

「なるほど」

 

 軍師が頷く。

 

「民も納得しますな」

 

「当然よ」

 

 曹操は微笑む。

 

「戦争には理由が必要」

 

 正義でなくてもいい。

 

 理由さえあればいい。

 

 それが乱世だった。

 

 

 

 数日後。

 

 徐州へ報せが届く。

 

 曹操軍。

 

 出陣。

 

 総兵力十数万。

 

 徐州侵攻開始。

 

 その知らせは雷のように城中を駆け巡った。

 

 桃香も。

 

 愛紗も。

 

 朱里も。

 

 皆が息を呑む。

 

「本当に来た……」

 

 桃香が呟く。

 

 愛紗は地図を睨む。

 

「早い」

 

「想定以上です」

 

 朱里も青ざめていた。

 

 準備期間が足りない。

 

 徐州軍は急速に戦支度を始める。

 

 兵を集める。

 

 城壁を補強する。

 

 物資を確保する。

 

 だが曹操軍の動きはそれ以上に速かった。

 

 まるで最初から準備していたかのように。

 

「してたんだろうな」

 

 時雨が呟く。

 

 城壁の上。

 

 風を受けながら遠くを見る。

 

「時雨さん?」

 

 桃香が振り返る。

 

「曹操は最初から来る気だった」

 

 桃香は黙る。

 

「袁術は理由だ」

 

「本命じゃない」

 

 静かな声だった。

 

 桃香も理解していた。

 

 だから苦しそうな顔になる。

 

「私のせいかな」

 

「違う」

 

 時雨は即答した。

 

「来る気だった奴が来ただけだ」

 

 たとえ袁術を渡しても。

 

 半年後か一年後か。

 

 結局どこかで理由を作っただろう。

 

 それが曹操という女だった。

 

 乱世を終わらせるため。

 

 天下を取るため。

 

 必要ならば動く。

 

 迷わず動く。

 

「桃香」

 

 時雨が呼ぶ。

 

「何?」

 

「お前は間違ってない」

 

 珍しく真面目な声だった。

 

「助けたかったから助けた」

 

「それでいい」

 

 桃香は少しだけ笑った。

 

 だが。

 

 その表情には不安も残っている。

 

 戦が始まる。

 

 徐州始まって以来の大戦。

 

 相手は曹操。

 

 乱世屈指の英雄。

 

 そして。

 

 その頃。

 

 城の一室では。

 

 美羽と七乃が泣いていた。

 

 自分たちのせいで戦になる。

 

 それを理解していたからだ。

 

 七乃は何度も頭を下げた。

 

 美羽は唇を噛み締めた。

 

 だが。

 

 もう遅い。

 

 戦は始まってしまった。

 

 曹操軍十数万。

 

 徐州侵攻。

 

 その報せと共に。

 

 乱世の新たな戦火が徐州へ迫っていた。




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