【黒山の狼、乱世を嗤う】   作:パスカルDX

85 / 86
第八十五話 敗者たちの帰る場所

第八十五話 敗者たちの帰る場所

 

 

 徐州の夜は静かだった。

 

 だがその静けさは平穏ではない。

 

 敗北の後に訪れる、不気味な静寂だった。

 

 劉備軍は既に徐州を離れた。

 

 桃香、愛紗、鈴々、朱里。

 

 彼女たちは僅かな兵と共に荊州へ向かっている。

 

 かつて州牧として治めた土地を捨てて。

 

 未来を掴むために。

 

 一方で曹操軍は着実に徐州の支配を進めていた。

 

 各地の城は次々と降伏し、混乱していた豪族たちも新たな支配者を受け入れ始めている。

 

 青い瞳の覇者はついに豊かな徐州を手に入れたのだった。

 

 しかしその頃。

 

 徐州の片隅では別の一団が動いていた。

 

 張燕。

 

 呂布。

 

 そして袁術と張勲。

 

 彼らは河北へ向かうため徐州を脱出しようとしていた。

 

「本当に大丈夫なのじゃ?」

 

 美羽が不安そうに辺りを見回す。

 

 普段なら尊大な態度を崩さない少女だが、ここ最近は流石に弱気になっていた。

 

 無理もない。

 

 南陽を失い。

 

 皇帝を名乗った夢も潰えた。

 

 頼る者も失った。

 

 今や自分は流浪の身である。

 

「大丈夫だ」

 

 時雨は気楽そうに答えた。

 

「恋がいる」

 

「それ理由になるの?」

 

 七乃が思わず聞く。

 

 時雨は真顔だった。

 

「なる」

 

 その隣で恋が小さく頷く。

 

「任せろ」

 

 短い一言。

 

 だが七乃は少しだけ安心した。

 

 恋の強さは知っている。

 

 反董卓連合の頃。

 

 そして虎牢関。

 

 あの武勇は常識を超えていた。

 

 そんな彼女が護衛なら確かに頼もしい。

 

 だが問題は徐州だった。

 

 既に各地には曹操軍の部隊が展開している。

 

 普通に街道を進めば見つかる。

 

 見つかれば面倒なことになる。

 

「どうするのじゃ?」

 

 美羽が尋ねる。

 

 時雨は肩を竦めた。

 

「突破する」

 

「は?」

 

「突破する」

 

 七乃が頭を抱えた。

 

 もっとこう。

 

 裏道を使うとか。

 

 潜入するとか。

 

 何かあると思っていた。

 

 だが時雨は本気だった。

 

「恋」

 

「うむ」

 

「先頭」

 

「任せろ」

 

 それだけだった。

 

 

 三日後。

 

 徐州北部。

 

 河北へ続く街道。

 

 そこには曹操軍の検問が設置されていた。

 

 兵士たちは通行人を調べている。

 

 当然だ。

 

 敗走した劉備軍や残党を警戒しているのである。

 

 その時だった。

 

「報告!」

 

 見張りの兵が叫ぶ。

 

「前方より騎兵!」

 

 隊長が顔を上げる。

 

 街道の先。

 

 土煙が上がっている。

 

 騎馬が近づいていた。

 

 数は少ない。

 

 十騎ほど。

 

 隊長は鼻で笑った。

 

「止めろ」

 

 だが。

 

 次の瞬間だった。

 

 土煙の中から現れた姿を見て兵士たちの顔色が変わる。

 

 赤髪。

 

 無表情。

 

 巨大な方天画戟。

 

 そして圧倒的な存在感。

 

「りょ、呂布だぁぁぁ!」

 

 誰かが悲鳴を上げた。

 

 隊列が揺れる。

 

 混乱が広がる。

 

 恋は馬上で小さく首を傾げた。

 

「邪魔」

 

 その一言。

 

 次の瞬間。

 

 方天画戟が振るわれた。

 

 轟音。

 

 兵士たちが吹き飛ぶ。

 

 木製の柵が砕け散る。

 

 検問そのものが崩壊した。

 

「ひぃぃぃ!」

 

「化け物だ!」

 

「逃げろ!」

 

 兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 

 まともに戦う気など起きない。

 

 相手は呂布だ。

 

 天下最強と恐れられた武人。

 

 立ちはだかる方が無謀だった。

 

「突破」

 

 恋が呟く。

 

 後方で時雨が笑った。

 

「よし行くぞ」

 

 こうして一行は強引に徐州を突破した。

 

 策も何もない。

 

 純粋な暴力だった。

 

 

 それから数週間。

 

 一行は長い旅を続けた。

 

 冀州へ。

 

 河北へ。

 

 そして。

 

 ついに巨大な城壁が見えてくる。

 

 鄴。

 

 河北最大の都市。

 

 今や公孫瓚の本拠地となった大都市だった。

 

「大きいのじゃ……」

 

 美羽が呆然と呟く。

 

 かつて袁紹が治めていた都。

 

 その繁栄は失われていない。

 

 市場には人が溢れ。

 

 商人たちが行き交い。

 

 活気に満ちている。

 

「すごい……」

 

 七乃も感嘆していた。

 

 敗戦続きだった彼女たちにとって、この光景は眩しかった。

 

 やがて城門が開く。

 

 時雨の帰還を聞いた兵士たちは慌てて道を空けた。

 

「お帰りなさいませ!」

 

「おう」

 

 気のない返事。

 

 だが兵士たちは嬉しそうだった。

 

 黒山時代からの古参兵も多い。

 

 彼らにとって時雨は特別な存在だった。

 

 そのまま一行は城へ向かう。

 

 そして。

 

 大広間。

 

 そこには既に多くの者が集まっていた。

 

 公孫瓚。

 

 趙雲。

 

 張遼。

 

 

 そして。

 

 一人の金髪縦ロールの女性がいた。

 

 美羽が固まる。

 

 七乃も息を呑む。

 

 相手も同じだった。

 

「あなた……」

 

 金髪縦ロールの女性。

 

 麗羽が目を見開く。

 

「美羽さん?」

 

 広間が静まり返った。

 

 美羽も呆然としている。

 

「麗羽……?」

 

 かつて袁家を二分した存在。

 

 袁紹と袁術。

 

 名門袁家の二人の令嬢。

 

 今はそれぞれ違う運命を辿った。

 

 一人は降伏し、公孫瓚を支えている。

 

 一人は皇帝を名乗って敗北した。

 

 だが。

 

 二人は確かに再会した。

 

 長い沈黙。

 

 そして。

 

 麗羽がゆっくり近づく。

 

 美羽は身構えた。

 

 怒られると思った。

 

 馬鹿にされると思った。

 

 だが。

 

 麗羽は深いため息を吐いた。

 

「本当に馬鹿ですわね」

 

「むぅ!」

 

 美羽が反射的に頬を膨らませる。

 

「何なのじゃ!」

 

「皇帝ですって?」

 

「うっ」

 

「そんなもの名家の娘がやることではありませんわ」

 

「ううっ……」

 

 反論できない。

 

 完全に正論だった。

 

 広間の者たちも苦笑している。

 

 しかし。

 

 次の瞬間だった。

 

 麗羽はそっと美羽の頭を撫でた。

 

「生きていて良かったですわ」

 

 美羽の目が見開かれる。

 

 七乃も驚いた。

 

 麗羽は少しだけ笑う。

 

「死んでいたら怒れませんもの」

 

 その言葉に。

 

 美羽の目から涙が溢れた。

 

「うぅ……」

 

 今まで張り詰めていたものが切れた。

 

「麗羽ぁ……」

 

 泣きながら抱きつく。

 

 麗羽は困ったように笑った。

 

「まったく」

 

 そう言いながら受け止める。

 

 かつて対立した者同士。

 

 だが今は違う。

 

 敗者として。

 

 同じ袁家の者として。

 

 再び向き合っていた。

 

 その様子を見ながら時雨は静かに笑う。

 

「良かったな」

 

 七乃が深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

「何が」

 

「助けていただいて」

 

 時雨は肩を竦める。

 

「別に」

 

 いつもの返事だった。

 

 だが七乃は知っている。

 

 もしこの男がいなければ。

 

 美羽も自分もここにはいなかった。

 

 こうして。

 

 徐州を失った敗者たちは河北へ辿り着いた。

 

 そして鄴では新たな再会が生まれる。

 

 だが乱世はまだ終わらない。

 

 曹操は徐州を手に入れた。

 

 河北はさらに大きくなった。

 

 天下の勢力図は再び動き始めていた。




感想、評価、お気に入りよろしくお願い致します!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。